「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)

2006年02月16日 00時47分47秒 | 古都逍遥「京都篇」
 嵯峨清涼寺の角を清滝・高尾パークウェー方面へ車を走らせ、化野念仏寺、平野屋を左手に見下ろしながら峠道を進むと、清滝口のトンネルが見えてくる。その手前に愛宕念仏寺が隠れ寺のように佇んでいる。

 当寺は稱徳天皇(764~770)の開基により山背(山城・やましろ)国愛宕(おだぎ)郡に愛宕寺(おだぎでら)として建立された。平安朝の初めには、真言宗教王護国寺(東寺)に属したが、鴨川の洪水により堂宇が流失したため、延喜11年(911)再興を発願した醍醐天皇が、天台宗の僧、阿闍梨伝燈大法師・千観内供(あじゃりでんとうだいほうし・せんかんないぐう、通称:念仏上人)に命じ七堂伽藍(がらん)の大寺を再興、等覚山愛宕院(とうかくざんおたぎいん)と号し、比叡山の末寺となる。
 もとは東山の地松原通弓矢町地にあったが、大正11年、堂宇の保存と愛宕(あたご)山との信仰的な関係から、3ヵ年をかけて奥嵯峨・仏野に移築された。

 本堂は、方五間(ほうごけん)、単層入母屋造り、本瓦葺の簡素な和様建築で鎌倉中期の建立(重要文化財)。堂内の天井は繊細な小組格天井で、蓮華蔵世界が描かれている、さらに本尊の位置を二重折上げ格天井にするなど、他には見られない構造であり、また須弥壇(しゅみだん)の格狭間(こうざま・重文)にも鎌倉様式の美しい曲線を今にとどめている。本尊は「厄除け千手観音」。地蔵堂には、平安初期に造られた愛宕本地仏「火除地蔵菩薩坐像」が祀られている。

 境内には永正9年(1512)と刻まれた石塔婆をはじめ、参拝者の手によって彫られた、1200躰の石造の羅漢が表情豊かに並んでいる。
 仁王門は江戸中期の建物で、昭和56年に解体復元修理がされた。仁王像は鎌倉初期のもので、この期のものとしては京都市では最も古く、京都市指定文化財となっている。三宝の鐘には「仏・法・僧」の文字が刻まれており、仏の心が愛宕山一帯に響く。
 「ふれ愛観音堂」には目の不自由な人でも心の目と手で仏の心に触れることができる観音像が安置され、堂内は絵馬堂にもなっている。銀閣寺にも似た堂宇で、新緑の楓に包まれるように建っている。さぞかし紅葉の季節は燃えるがごとくの楓葉に包まれることだろう。

 空は楓のうす緑、地はシャガの花に包まれた念仏寺、苔むした1200体余りの羅漢の表情豊なこと。祈りあり、愛あり、願いあり、笑いあり、静寂な空間の中に人々の様々な思いが漂っている。中学生の一行、15名ほどが訪れ、「おまえの顔に似てるぜ」「ほら先生が怒った顔だ」「可愛い」と、羅漢の一つひとつを指さしては大騒ぎしていた。
 ここの羅漢、化野念仏寺と違って比較的新しく、昭和50年代ごろから檀家や信仰篤き人たちによって彫られ始め、まだ20余年ほどの物だという。

 仏像彫刻家として著名な西村公朝師は、昭和30年に当寺の住職となり、荒れ寺だった当寺を復興させ、平成15年12月2日遷化、享年89歳。 そして、ここの若き僧侶さんは現代的な方でシンセサイザーの名手だそうだ。NHKや毎日放送の番組に彼の作った曲が使われているというから驚きだ。毎年四月の第1日曜日の花祭りの行事では、彼の演奏も披露されるとか。

所在地:京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
交通:JR京都駅から京都バス72番清滝行、京阪電鉄三条駅から京都バス62番清滝行、おたぎでら前下車、嵐山からだと京都バス62、72、清滝行き約10分。

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