「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

大豊神社

2006年02月10日 00時12分03秒 | 古都逍遥「京都篇」
「大豊神社」(おおとよじんじゃ)
禅林寺永観堂から入る哲学の道の起点より、少し北に上がったところに位置する小さな神社で、平安時代初期仁和3年(887)に宇多天皇の病気平癒のために創建された。
 うっかりすると通りすぎてしまいそうな路地を東に入っていく。神社の背後には東山の森に囲まれ、一帯を椿ケ峰と称し、 元々は鹿ヶ谷村・南禅寺一帯の椿ケ峰を御神体とする地主神「椿ケ峰天神」と称し、鎮疫神として信仰されていた山神で、寛仁年間(1017~1021)にこの地へ移り、神号を「大豊大明神」と称するようになったと伝わっている。
 度々の火災で今は本殿、拝殿、末社を残すのみだが、境内には椿社としても知られているほどその数も多く、初春から初夏にかけてその色を競っている。千年の古都の歴史を誇る、境内には椿のほか、牡丹桜、枝垂れ梅の古木、紫陽花、そして秋の紅葉、冬枯れのススキと四季折々の山野草が楽しめる社でもある。そしてここは自然の中に溶け込んだ牧歌的雰囲気に包まれており、村の鎮守様のような和める場所でもある。
 また、本宮の狛犬の他に、京洛の人たちから親しまれている狛犬ならぬ大国社の狛鼠、三番叟(おきな)を踊る日吉社の狛猿、愛宕社の狛鳶(こまとび)、稲荷社の狛狐が当社の末社にそれぞれ祀られている。狛鎮の動物園のようでやけに楽しくなる。
 その末社の大国社には大国主命(おおくにのぬしのみこと)を祀っているが、大国主命と鼠の関係は「古事記」の神話でよく知られている。
 旅の途上で大国主命は須勢理比売命(すせりひめのみこと)に見初められる。ところが須勢理比売命の父である素戔嗚尊(すさのおのみこと)は娘を心配して、大国主命に対して無理難題をふっかける。かぐや姫にも見られるような話しではある。その難題とは、広い野原に鏑矢(かぶらや)を射込んで、「今、撃ち放った鏑矢を拾ってこい」というものだった。 大国主命が野原に分け入ると、さらに素戔嗚尊は野原に火を放つ。逃げ場を失った大国主命は絶体絶命かと思ったとき、一匹の鼠がほら穴の在処を知らせ、また鏑矢をくわえた鼠も現れ、難を逃れる・・・という話し。ちなみに向かって左の鼠は長寿を表す水玉(酒)を抱き、右側は学問を表す巻物を持っていた。
 境内入り口の鳥居の傍に椿ヶ峰の御神水がとくとくと湧き出でており、ひと汗かいて一服すると、五臓六腑に沁み渡り神が宿ったような爽快な気分となる。
所在地:京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町。
交通:市バス特5、32系統「宮ノ前町」より徒歩6分、特5、快速5、32、93、203、204系統「東天王町」より徒歩10分。
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