ヒット大地の人生には常に、特徴的なことがあった。
それは、「一つの土地に縛られない」ことだ。
九州佐賀市で生まれたが、1歳10ケ月で、
北海道に移った。
北海道は3ケ所で、16年、生活した(旭川、函館、北見)。
その後、上京したが、東京では4ケ所。
その他、千葉県(約20年)、埼玉県(約8年)でも生活している。
(短期に生活した場所は、他にもいろいろな所がある)
そしてもう一つ。
なぜかヒット大地のまわりは、いつも、騒がしかった。
いろんな事件が起き、人々がたくさんいた。
ひとつだけ、例を上げよう。
北海道のある町では温泉地であり、
全国から観光客が集まり、騒がしかった。
町には、いつも、音楽が流れていた。
友人は、近所だけで、25人もいた。
・・・どこも、大体、こんな調子だった。
ヒット大地のまわりでは、よく「ありえない出来事」が起きた。
これはブログなどで、よく書いているので、
今回は省略するが、
どんなことかと言えば・・・
ヒット大地が所属する土地や団体は、ものすごく栄えるが、
ヒット大地が、去った途端、さびれる・・・こういう繰り返しだ。
ヒット大地は、若い頃、本当に、いろいろな経験をした。
その理由は、「本当の社会を知りたいからだ」。
知識ではなく、実体験をして、
地球人の本当の精神構造を知りたかったのだ。
若い頃は、半年間、建築現場で働いた。
場所は、大田区・大森だ。
夜の水商売のアルバイトも7ケ月やった。
場所は、新宿・歌舞伎町だ。
コマ劇場のすぐ近くだ。
三菱重工や大日本樹脂や関電工でも、バイトをした。
その他、さまざまなバイトを通じて、
地球人と、一緒に飲めない酒を飲んだり、マージャンをしたりしながら、
地球人とは、どういうものかを学んだ。
ヒット大地の人生、いつも「一流のもの」と出会う運命にあった。
バイトもなぜか、「一流のもの(場所)」でやっていた。
旅行も、「一流の所」に出かけた。
人間も、「一流と呼ばれる人々」と出会った。
趣味も、「一流のもの」であり、
学問もすべて、「一流のもの」だった。
これは実に面白いことだ。
ヒット大地の最も関心のあったこと・・・
それは精神世界だ。
考えてみれば、精神世界の勉強こそが、一流の学問であろう。
ヒット大地は、若い頃から、哲学や宗教とは深い関係を持った。
主な哲学の本は、すべて読破した。
思想に関しては、誰よりも詳しいつもりだ。
宗教に関しては、26歳で、イスラム教に帰依し、
渋谷の大山町のモスクなどで、アラブ人と交流し、
その後、28歳でキリスト教の洗礼を受けた。
洗礼後、キリスト教の有名出版社で働いた。
千代田区・神田にあった。
出版社と言えば、神田が多いので、なぜか、これも一流の場所だ。
仏教も、浄土真宗を初め、いろいろと付き合いがあった。
自らも、法華経を初めとする経典をよく読んだ。
ヒット大地の親戚はさまざまだ。
国会議員もいれば、殺人者もいる。
会社社長もいれば、公務員も多い。
以下は、すごく大切なことだ。
ヒット大地は、子供の頃から、
地球の風習に、「異常な違和感」を覚えた。
「本能的な違和感」だ。
ほとんどすべての風習に対して!
・・・と言っていい。
とりわけ、「葬式」は、今でも全く馴染めない!!
宇宙人の間では、「死ぬことは、すばらしいこと」だ。
魂の成長のために、古い着物を捨て、新しい服に着替えること!
・・・これが死ぬことなのだ。
心踊る楽しい出来事なのだ!
普通の人は、50年も生きれば・・・
妥協をするだろう。
しかし、ヒット大地は、ものすごく頑固だ(笑)。
前世の記憶を、かたくなに守っているのだ。
地球のやり方に、いまだになじめず・・・いやなじまず、
しかも、なじめないことに、笑顔で、アッケラカンとしている(笑)。
まさに、わが道を行くとは、このことだ(笑)。
前世の記憶をハッキリ覚えているので、
偏差値38の地球のやり方なんか、誰が守るもんか!
・・・と、内心思っているのだ(笑)。
パリだろうが、ニューヨークだろうが、ロンドンだろうが、
銀座だろうが、原宿だろうが、
ヒット大地の前世の町から見れば、「とんでもないド田舎」だからだ。
「貧相なオンボロ」と言っていいだろう。
ヒット大地、臨死体験を、7度した。
だが「生きてて良かった」と思ったことは一度もない。
「生き延びたということは天命。じゃ、一生懸命、頑張ろう」と思うばかりだ。
死と生は、紙の裏表。
死んだら、また生まれ変わればいいだけの話だ。
(臨死体験の話は、他のブログで述べているので、ここでは省略する)
なのに、日本では、なぜ死者を悲しむのか?
ヒット大地は、葬式を見るたびに、
いつもいつも、そう思っているのだ。
実にバカバカしい!
ヒット大地、その他、学校教育も、100%馴染めなかった!
暗記中心の勉強!
個性を重視しない学校!
男女の不平等!
また神や、霊や宗教的なことは、全く教えない!
学校は、ヒット大地にとって、牢獄であった。
ヒット大地は、学生時代、いつも思っていた。
学生の創造力を重視せよ!
学生の個性を尊重せよ!
男女は絶対に平等だ!
・・・これは、教育者ヒット大地の永遠のテーゼだ!
自分が教育者として、教える立場になってからは、
この方式を、できるだけ実行したつもりだ。
おかげで、ヒット大地の教え方は好評で、
学生たちの高い支持を得た。
こうして・・・ヒット大地の生活は、
食うのには困らなかったものの、
裕福な生活ではなかった。
お金が貯まっても、勉強や旅行やボランティア活動に費やした。
(海外旅行は、後で述べるように、8ケ国、行った)
(以下、つづく)