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♪大地一人のスカイツリー暮色♪

有料版/運命鑑定
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李氏朝鮮は、奴隷と乞食の国であった!

2016-04-09 09:12:41 | 日記

 

19世紀末期の李氏朝鮮のことを知るには、

内部の人の書いた書物を読んでもダメ。

 

なぜなら当時の民衆は、文盲だったし、

貴族階級である両班は漢字は読めたものの、

特権をむさぼっていたので、

自分たちを悪く言うはずがない。

 

一番いいのは、

朝鮮を良く知っている外国人の書いたものだ。

 

有名なのはイザベラ・バードの朝鮮旅行記だ。

(『朝鮮奥地紀行』平凡社, 1993年.)


イザベラ・バード (1831~1904) はイギリスの旅行家で、

世界各地を旅して、多くの旅行記を残した。

 

朝鮮は4度訪問している。

 

国王の高宗にも謁見しているし、

貴族階級の腐敗ぶりもよく観察している。

 

また街中をよく観察し、

民衆の無気力ぶりを「絶望的」と評価している。

 

当時の朝鮮は、外交関係では、

清国の属国であり、清国の奴隷状態。

 

同時に、内政では、

一部の両班という貴族階級が、

ほとんど働きもせず、

多くの民衆を奴隷として支配していた。

 

二重の奴隷状態である。

 

民衆の生活は悲惨だった。

 

奴隷であると同時に、

不潔そのものの乞食生活であった。

 

もちろん文盲である。

 

ただし民衆はたくましいので、

生きていれば、

楽しいこともあっただろうが、

間違いないことは、
著しく不衛生な状態であったことや、

インフラがまるで整備されていなかったことだけは、

確かだろう。


以下、彼女の朝鮮旅行記で、

その詳細を見てみよう。

 

・・・・・・・・・・・・

 

19世紀末期のソウルは大都市の首都にしては、

そのみすぼらしさは名状できない程ひどいものである。

 

礼儀作法のために、二階の建造が禁じられている。

 

25万人と見積もられている人びとが

「地べた」、主として迷路のような路地で暮らしている。

 

路地の多くは、二頭の雄牛が通れないほど狭い。

 

しかも、ひどくむさくるしい家々や、

固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたドブと、

そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。

ソウルには美術の対象になるものが何も無い。

古代の遺物ははなはだ少ない。

 

公衆用の庭園も無く、

行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。

 

劇場も無い。

 

ソウルは他国の都市が持っている魅力を

まるで欠いている。

 

ソウルには古い時代の廃墟も無く、

図書館も無く、文学も無い。

 

しまいには、他には見出せないほど、

宗教に対しても無関心だ。

 

だからソウルは寺院無しの状態で放置されている。

 

一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、

ソウルには墓がないままにされている!

 

私は朝鮮人を人種の滓(おり)と考え、

その状況を「希望の持てないもの」と見做すようになっていた。

 

朝鮮の群集は、無感動できたなく、

ぽかんと口を開け、貧しさにどっぷり浸っている。

 

彼らに包囲された私は、

宿屋の中庭のごみ、むさ苦しさ、がらくた、半端物の真ん中で

じっとしていた。

 

その時、私は感じた。

「朝鮮人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、

ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎない」と。

 

そしてもしロシアの手中に握られ、

その統治の下で、軽い税金同様勤勉の利得が保証されない限り、

千二百万人若しくは千四百万人の朝鮮人には、

希望は一つも無い、と感じた。


要約して、私は以下のような意見を

思い切って述べる事にする。

 

現在の朝鮮の状況は

日本かロシアのいずれかの援助を得て

次第に改善されるよう運命付けられている。

 

次の二つの事が非常に重要である。

1. 朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、

外部から改革されねばならない事。

 

2. 朝鮮君主の権力は、

厳しくて永続的な憲法上の抑制の下に置かねばならない事。


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