2024年2月17日(土)。森田忠明サンに依頼された「勉強会」の講師を無事に終えた。
12時30分に会場(西新宿)に到着。勉強会&直会&二次会を終えて帰宅したのは22時であった。
森田サンに依頼された「勉強会の講師」だが いまいち釈然としない部分があることは 前回に記したとおりである。だから どういう状況にも対応できる心構えが必要になる。そういうわけで「レジュメ」20部と「資料類」を大きな肩掛けバッグに入れて我家を出発する。
画像参照 一見すると雨傘に見える丸筒には「昭和十年十一月鹿児島県での特別大演習記念写真」が納めてある。数千人の将兵が整列した超大版の記念写真で 前列中央は昭和天皇 左右に真崎甚三郎 川島義之 荒木貞夫 渡辺錠太郞 香椎浩平 山下奉文などが並んでいる。
都営三田線+大江戸線経由で「都庁前」下車、新宿中央公園を通り抜けて 会場(新宿角三町会・会館)に向かう。
会場入口の「本日の催し」には「国風」とだけ書かれていた。あ そういうことだったのか。一瞬にして全てが了解できた。
「日本経綸機構」祈誓
「一・萬世一系の皇統を護持すべし/一・国體の正氣恢復に邁住すべし/一・国風の雅を欽慕し推重すべし」
「上記祈誓のもと以下の諸組織を横断的に包括する機構とし、国家存立の諸懸案に不羈敢為をもて懸命せんとす」
「国民行動 国風講座 天長節を祝ふ會実行委員会 大詔奉戴祭實行委員会 玉鉾奉仕團 玉鉾書院 玉鉾歌壇 山酔會」
今日の私は「センセイ」である。
民族◎◎会議…、國體◎◎研究会…、政治結社◎◎…、◎◎烈士墓前祭実行委員……、政治団体◎◎事務所…、以下省略。こうした肩書を持つ皆様から「末松先生」と呼ばれながらの名刺交換。一見コワモテの方々だが《私より年下》ばかりなので 今日一日だけは「センセイ」でいることにする。
今日の勉強会には「古賀中尉(五・一五事件)の次男=昭和23年生れ」サンも参加していた。お父上の古賀不二人サンは「賢崇寺の法要」に度々参列して(末松太平の日記によれば)末松家に一泊したこともある。
画像は当日配布したレジュメ。A3サイズ2枚を横につないで撮影したもの。
「尊皇討奸」を全体を貫くテーマに据えて 大正後期から昭和平成令和の現在までの《「二・二六事件異聞」その周辺》を一気呵成に講義する…という試みだったのだが 次第次第に「持参した資料の数々」との連携が難しくなっていき いくつかの《語れなかった部分》が残ってしまった。
末松太平が死去するまで「公安の監視下」に置かれていたことも(エピソードを交えて)語ったのだが 今回の「勉強会」にも「公安」が参加していた。私の監視で来た筈はないから 気軽に名刺交換して 雑談も少々。
講義終了。世話役数人が近くのコンビニで飲食物を調達して 国風講座の会場は「直会」の場へと姿を変える。
講義では詳しく紹介できなかった「持参資料の数々」に近寄る方々も多数いて 民族◎◎ 國體◎◎ 政治結社◎◎…と 名刺の肩書きが違うように 各人それぞれ《思い込み》や《関心》が異なるから その場での質疑応答も多岐にわたることになる。
初めて見る資料も多いようで「写真撮っちゃ駄目ですか?」「別に構いませんよ」「これも撮っていいですか」「いいですよ」。残念ながら「センセイとのツーショット」を求める人はいなかった。(末松建比古)