昨日のブログで、コンピューターのトレンドは、宗教的になっていて(=事前に批判的に検証していないで、盲目的に、その意見は正しいと思い込む)その時々のトレンドによって、開発が進み、そして最後に「で、さらに、この宗教には、宗教改革があるんだな(^^)v」
と、書きました。今日は、その宗教改革について
この業界のトレンドは、大きく変化します。それも、昨日言ったことと、正反対じゃん!という方向にかわります。
引越し中、昔の日経コンピューターが出てきたんだけど、そこでは、「COBOL文化は終わらない」みたいなことが書いてあった。いま、そんなこという人、いないでしょ。
昔、インターネットつーか、イーサネットのCDMA/CDという方式自体、かなり批判的だった。コリジョンが起きると回線が急速に利用しにくくなる、優先的にデータを送れないなど。。でもいま、そんなこという人いないでしょ。HDLC伝送制御手順なんて、多分言葉すらわかってもらえない。
昔、コンピューターのテストで、JUNITみたいに、ドライバから呼び出してテストしたやつで、「単体テストしました」っていったら、もう、その時点で、「お前クビ!」でしょ。
ホワイトボックステストして、値を確認して、確認したエビデンスをとってだなあ。。
でも、この業界、ある日突然、いままで、「ありえなーい!」と馬鹿にしていたものが主流になって、今まで主流だったものが、今度「ありえなーい!」と馬鹿にされる立場にまわるのです。突然です。後から考えると、どこで変わったかわかんないくらいです。
NECのPC9801シリーズ、パソコンといえば、これだったのが、ある日、どこからか突然、パソコンといえばDOS/Vに変わりましたよね。。。あんなかんじ。
ということで、人でも、会社でも、設備でも、今主流なものに、本格的に投資してしまうとたいへんです。投資すればするほど、宗教改革が起こって、いままでのものが異端になると、いままでの投資に足を引っ張られて、出遅れます。
たとえば、COBOLで汎用機で莫大な資産を投じて、システムを作ってしまうと、今度、今のように汎用機を否定されてしまった場合、その資産の移行に莫大な労力を必要とします。
お金だけの問題なら、新品を作るのと変わらないので、いいのですが、問題は人です。
人の考えは、そうそうかわらないし、プライドもあります。
ひどい会社だと、部下のことを、○○!と、呼びつけにします。
こんな場合、時代が切り替わると、呼びつけにされてた人が主役です。会社の中心は、その人になります。もしかすると、いままで呼びつけにして、「後輩」なんて、思ってた人が、自分の上司や、もっと上の雲の上の人になるわけです。なんたって、時流に乗ってますからね。
こんなときに、まだ、自分の後輩だったと思って、○○!と呼びつけにするとさあたいへん。
後輩だった人は、なにも気にしないかもしれないけど、後から入ってきた人などは、「なによ、あの馬鹿、えらそーにしてるけど、ただの昔の人じゃない。それなのに、呼びつけにして、自分の能力すらわからない、権威おやじなのかしら!」と思われ、周囲の白い視線であります。
なこともあるので、ふつう、ソフトハウスでは、○○とよびつけにせず、○○さんと、さん付けでよびます(逆に大学教授なんかでも、さん付けで呼んでもかまわなかったりする。。けど、私はめんどくさいので、偉そうな学会の人は、全部「先生」をつけておく。一般企業は、さん付けで。私は、新入社員に対してもそうしてました。。っていうか、本当は新入社員が一番能力ないといけないんだけどね。今まで学校行って、一番新しいこと仕入れてきているんだから)
てなわけで、宗教改革がおこると、一番投資していた企業が、一番出遅れちゃったりします。
最先端行ってたはずの人が、今まで自分のやってきたことに固執すると、時代の空気を読めないただの馬鹿になってしまったりします。そうすると、いままで、「作業員、わーかーさん」と、馬鹿にしきってきた人以下です。
なぜなら、ワーカーさんはそれなりに仕事します。
人によっては、馬鹿なりに、まじめに仕事をこなします。
自分の仕事に固執する人は、固執してるから、まじめにやりません(やれません)。
会社は仕事する人を評価します。
ゆえに、ワーカーさん以下です。
ということはですよ、実は、コンピューター投資っていうのは、必要最小限のほうが、変わり身がはやくできるので、本当はいいんですけど、そんなことをいうと、売れなくなるので、だれも、いいません。
で、いままでなんで、こんな、どーでもいい世間話を書いたかというと。。。
なんか、宗教改革が起こりそうな予感がするから。。。
(つまり、今のJavaのトレンドが変わるかも。。。え、この仕事がやたら来てる最中に、と思うだろうけど、そんな気が)
それについて、覚えていたら書きます。