浅田次郎の好きな作品をあげよと言われれば、「角筈にて」「地下鉄(メトロ)に乗って」「天国への百マイル」といった、中年のおっさんを主人公にした作品がすぐ思いうかぶ。
エリートサラリーマンでもないし、モテ男でもない。会社では出世街道からはずれ、家では娘にけむたがられ、いい人なんだけど自分の不遇をかこつ、といった中年のおっさん。
だから、自分のイメージとして「角筈にて」「椿山課長」の西田敏行は少し年がいきすぎ、「天国への百マイル」の時任三郎や「メトロ」の堤真一は、ちょっとかっこよすぎるのだ。
音楽座ミュージカル「メトロに乗って」で主役の小沼真次を演じる広田勇二さんは、去年の浅田作品「ラブレター」でも感じたが、これほどぴたっとはまってる役者さんはいないと思った。
現実の広田さんはモテる系だとは思うのだが、舞台に現れたときの、そういうモテ性とか、自らの身体性を消したたたずまいが素晴らしい。
役者さんとしてのスペックをそのまま出しまくって登場したら、おそらく違和感を感じると思えるくらい、存在感のある方だ。
敢えておっさん感をかもしだしながら登場し、歌に入った時、その説得力に観客は一瞬にしてわしづかみされてしまう。ベルカントともいえないし、外国のミュージカルの歌い手さんともちがう。
日本語のことばが曲にのり、その意味を伝えながら、大ホールいっぱいにひびかしていく歌いぶり。
これが日本のミュージカルのあり方なんじゃないかと思える歌唱を堪能できた。
小沼財閥の次男坊である小沼真次は、父親への反発心から家を飛び出し、小さな衣料品会社に勤め下着のセールスを行っている。
二十数年ぶりにクラス会に参加した帰り、地下鉄のホームで出会った、元担任の野平先生から、その日が兄の命日であることを知らされる。
真次の兄、昭一は、三十年前のその日、地下鉄に身を投げて亡くなったのだった。
そのときのことが急に脳裏いっぱいにひろがり、痛む頭をかかえながら地下鉄の階段を登ると、目の前にある光景は昭和39年、兄が亡くなったまさにその日の、新中野駅前の商店街だった … 。
昭和39年。ALWAYSでも描かれた時代だが、そのシーンを表現する小道具や役者さんのセリフが、リアルになつかしい。「シェー!」ってやってた渡辺修也さんも知らないだろうが、昔の子供はほんとにやってたのさ。
それにしても、敗戦からわずか20年足らずで、高速道路をつくり、新幹線を走らせ、オリンピックを成功させた日本人て、どんだけすごいのだろう。
少ない知識で世界史をふりかえっても例が見当たらないし、現在、急激に発展していると言われる国々を思い浮かべても匹敵する国はない。
オリンピックどころか、そのまま一気に世界二位の経済大国にまでかけあがった、奇跡的な国だ。
~ 19世紀の後半から始めた「近代社会へのいきなりの無理デビュー」から数十年、世界を相手に戦争をおっぱじめるという誇大妄想きわまりないような状況を全国民が支持し(支持したんですな)、その誇大妄想は20世紀半ばに米英ソらによってたたきつぶされてしまった。そして再び、社会をゼロから構築する仕儀となった。しかも、軍事的負担をほとんど持たなくてもいい近代国家という、一種の掟破りの状態で、経済大国として、勝ち進んでいった。 … 西暦でいえば、1950年代から60年代が、暴力的に発展していく時代であった。 (堀井健一郎『やさしさをまとった殲滅の時代』講談社現代新書) ~
まさに「暴力的に発展」した国なのだろう。
諸外国からは驚かれ、恐れられ、ワンダフルと言われ、クレイジーと言われた。
そんな時代だからこそ、戦争で生きるか死ぬかの現場をくぐり抜けて生還してきた小沼佐吉は、学歴も家柄も関係なく、その才覚だけで身を立て名を上げ、小沼財閥をつくりあげた。
おそらくその「暴力的な発展」のかげには、つらいを思いをした人もたくさんいただろう。
真次は、そんな父の生き方に反発した。
過剰な上昇志向、ここぞと言うときには容赦なく突き進んでいくやり方。
部下は自分の手下であり、自分の言うとおりに動くコマだ。
まして家族を大切にするなんて感覚はさらさらない。
もちろん、その生き方は、小沼佐吉が意図的に選んだものだ。
戦争で失われたたくさんの命の上に自分の生命が成り立っていることを思えば、のんきに小さな幸せを作っていく人生を過ごせるわけがない。
やるだけやって、生きるだけ生きて、勝負しまくって、それで失敗するなら、それで生を終えるなら、それはそれでいい。
そういう生き方こそが、死んでいった日本人へのせめても償いになる、それが生き残り者の責務だと考えた佐吉の、確信犯的生き方だ。
しかし真次にはそれは我慢ならなかった。
そのおかげで母は辛い思いをし続けた。
そんな父の過剰な期待におしつぶされて兄は自殺した、と真次は思っている。
小沼佐吉が大動脈瘤が破裂して危篤になっているというニュースが耳に入ってきても、真次は父の病院にかけつけようという気にはならなかった。
そんな時、ふらふらと地下鉄の階段を登り、昭和39年の世界にタイムスリップしてしまう。