いぜん高名なバンド指導の先生にお越しいただいた時、もっとモラルのあるバンドにならないといけないと叱っていただいたことがある。
全然ちがう音を吹いても、リズムを間違ってても平気な状態、「あ、まちがえました、すいませ~ん」でおわるゆるさでは、音楽をつくっていけないと。
そのとおりだと今さら思う。そして音楽以前レベルでの生活モラルがきちんとしないままでは、やはりステージをあげることは出来ない。
そんなことを思ったので、「楽器が上手になろうと思ったら、楽器だけやっててもだめ。生活もきちんとしないといけないし、返事も歌も腹筋も踊りも全部思い切りやっていかないといけない。表現者たる身体にならないといけないだろ」というような話を、今日はした。
教員の仕事も同じだ。
前に紹介した堀裕嗣先生の『教師力ピラミッド』で、指導力や事務力を支える部分、三角形の底辺部分に「生活・モラル」がおかれたあのモデルを思い出す。
あ、教員にかぎらないのか。遅刻するのに連絡しなかったとか、顔に出るほどの二日酔いで通勤してしまったとか、仕事をする人間としてだめだめ、ということだ。
あと、「表現する人間というのはてれずに愛を語るべき」って、慶應志木に小池先生も言ってただろ、と話すと部員がきょとんとしている。
調べてみたらちがってた。小池先生もそんなこと言いそうだけど、音楽座ミュージカルの渡辺修也さんのお言葉だった。
「芸術に携わる者は、いかに真剣に、てれずに愛を語れるか、表現するかが大事だ。それが表現者の使命」
使命。ミッション。
たとえ自分ができていないことでも、言うべきことを堂々と言って、指導すべきことを指導するのが、この商売に携わる者の使命だ。