学年だより「ダストレスチョーク」
土曜日に観た映画にもあったように、障害者が仕事に就くことができ、差別を受けることなく働く権利をもつことは、法律によっても定められている。
この4月に改正された「障害者の雇用の促進等に関する法律」では、民間企業に求められていた雇用比率2%が2.2%に引き上げられた。
ここ数年、雇用状況は改善しているとはいえ、2%をクリアできない会社も多い。
ところが、従業員のおよそ70%を障害者が占める会社がある。
非営利の組織というわけではなく、普通の民間企業として収益をあげつづけている会社だ。
チョークの製造で全国の3割を越えるシェアを誇る「日本理化学工業」である。
教室にチョークの箱があったら、製造元を見てみよう。東高でも長く使用している。
この会社には、どういう歴史があるのだろうか。
話は60年前、現会長の大山隆久氏が、若き専務として働き始めたばかりの頃に遡る。
近くの養護学校の先生から、教え子の就職を依頼された。
それは難しいと断ったものの、「働く体験だけでもさせてほしい」という先生の熱意にうたれ、2週間の約束でふたりの女性を受け入れることになった。
受け入れが認められて、本人達はもとより、親も先生も本当に喜んだという。
その就業体験が終わる前日のことだった。
~ 「お話があります」と、十数人の社員が大山さんを取り囲みました。
「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。どうか、大山さん、来年の4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。あの二人の少女を、これっきりにするのではなくて、正社員として採用してください。もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。だからどうか採用してあげてください。」 (坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社』あさ出版) ~
これは「私たちのみんなのお願い」つまり十数名の社員の総意だというのだった。
当時の社員全員の心を動かすほど、その二人は朝から夕方まで一生懸命働き続けていたのだ。
そこまで言うならと、大山さんは社員の心にこたえ、知的障害をもつ二人の女性を正社員として採用した。
とはいえ、仕事をどうやって教えたらいいいのかわからない、それぞれどの程度の能力をもっているのかもわからない中で、いろいろと工夫していく。
ふつうは、製造ラインに人間をあわせるものだが、障害をもつ一人一人の状態にあわせて機械を変え、道具を変え、部品を変えていった。それでも仕事は容易ではない。
苦労しながらも、一生懸命働き続ける二人をみて、大山さんは同時に不思議でもあった。
無理に会社で働くより、施設でのんびり暮らしていた方が楽ではないかと思っていたからだ。