定演も終わり、春休みの補習、講習も一段落し、リセットした感覚で過ごす一日。
「オーメンズオブラブ」を4月の部活動紹介でも演奏するというので、じゃ合奏してみようとはじめてみたら、えっ? こんなに雑なままやってたのかと気づき、カキコキで練習した。届いたばかりの新しいハモデは、実にすぐれものだ。
「ラッキードラゴン」も分奏で、やるべきことを確認する。
自分の予想(予定)とは違う形でリセットした子がいて、パート内のわりふりを変える必要性もでてきそうだ。なかなかすべてが思ったようにはいかない。
人はどうして、いい方向で物事を計画してしまうのだろう。うまくいくこともあれば、逆の場合もある。
こればっかりは、どうにもならない。ほんとは、日常的に実態を把握し、いろんな可能性を考えて曲を選んだり、練習をすすめたりしないといけないのかもしれないが、できない。
ある時点におけるメンバーが全員きちんと上達し、全員やる気にあふれ続け、順調にその計画がすすんでいくなら、何ヶ月後にはこの曲をこんな風に演奏できるはずだ、という感覚で過ごしてしまう。
そしてある地点に来たとき、予定通りにはいかないことを知り愕然とするという愚を毎年必ずおかしてきた。
でも「愚」なのかな。全員の成長を期待し予定して物事をすすめるのは、教師の業(ごう)なんじゃないのか。
年度末に向けて本を整理してたら、『牛丼愛』という本の帯に目がとまった。
~ 人生は並、ときどき特盛 (小野寺史宜『牛丼愛』実業之日本社) ~
自分たちが練習してきたことを発表する舞台、たくさんの方にお越しいただいて、声援をいただける定期演奏会のような日は「特盛」日だ。特盛に豚汁とサラダまでついてる日だ。
毎日特盛では体にもわるい。
基本、人生は並だ。ただしつゆぬきにしてほしい。最近はどのお店に行っても、デフォルトの牛丼がつゆだくに限りなく近づくというゆゆしき事態になっている。
人生は並だ。並に満たない日さえあるかもしれない。紅ショーガがきれてることもある。いざ合奏しようとしたら割り箸が見当たらない日もある。
でも、それをなんとか乗り越えようとするから、ハレの日には喜びがこみあげるのだ。
今のメンバーを大事にしたい。一緒に乗り切って生きたい。
夕方、あらたな気持ちで、久しぶりにみかみさんで辛味噌ラーメンをいただいた。
トッピングが微妙にかわっている。刻みタマネギが刻みネギに、ほうれん草の横にベビーコーンがちょこんとのっていて、色合いがますます美しい。たまたまかもしれないが、前回食べたときより、スープにきれが増している。完成度があがった感があり、それでいて今以上の進化の可能性さえ予感させるような、初々しい円熟が舌をとらえて離さない(おっと、柚木さんに影響されたか)。なんにせよ、電車に乗ってはるばるでかけなくていい場所にこの店があることを、神様に感謝せねばならないだろう。
セキチューで、衣裳をしまうケースと延長コードを買って学校にもどる。
年度末の机移動に向けて荷造りしていた同僚はみないなくなっていた。