さいたまゴールドシアターをはじめて観劇した。
演目は「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」。
この作品をもって初のフランス公演まで行うという話題のお芝居はいかなるものか、平均年齢74歳、蜷川幸雄率いる劇団とはどんなものなのか、興味津々ででかけた。
パンフレットの解説によれば、清水邦夫作のこのお芝居の初演は1971年、今から、えっと40年前だ(ちなみに高校のとき同級の清水邦夫くんは元気だろうか)。
あるイベントに爆弾を投げ込んだ罪で、二人の青年が裁判にかけられている。そこへ様々な生活用品をもった老婆たちが押しかけ、法廷を占拠する。孫を守ろうとしたおばあちゃんと、その仲間達である。占拠するや、逆に検事や裁判官、弁護士を裁判にかけて死刑判決を下し、処刑する。あげくのはてには守るはずだった孫にまで死刑判決を出す … というストーリーだ。
もともとは若い役者さんが老人に扮して演じた作品だ。
若き日の蟹江敬三(「あまちゃん」のじっちゃん)も、老婆に扮して出演していたという。
これをゴールドシアターの役者さんが、つまり平均年齢74歳が演じる。扮する必要なく老人だ。
パンフには、「違和感がなくリアル」「実体験の重みが加わり」初演を凌駕したという演劇ジャーナリストの評が掲載されていた。
さて、「老人」の言葉は重かっただろうか。
年老いた役者さんの身体から発せられるセリフは、実体験の大きさに支えられた重みをもっていただろうか。
残念ながら、自分的にはそう感じなかった。
老婆の役を老婆が演じることの難しさがあると思った。
若き日の蟹江敬三が、大杉漣が演じた老婆を観たいと思った。
(だから、若いおねえちゃんが出ないから不満に思っているというわけじゃないんですよ)。
自分はお芝居に何を求めているのか。
人それぞれにお芝居に楽しみはあると思うけど、俺的には、やっぱ非日常性かな。
そして「異形(いぎょう)」の存在としての役者さんの身体性そのもの(またあ、すぐ国語の評論チックな言い方しちゃって)。
役者さんて、なかなかそれだけで食べていける人すくないじゃないですか。
もう、それだけで自分にとっては「異形」の存在であり、自分ができないことを叶えてくれる存在であり、次元の異なる世界につれていってくれる存在だ。
料金の高い芝居ほど、有名な役者さんほど、異次元に連れていってくれる度合いが大きい、というわけでもないところもおもしろい。
音楽の世界でも同じだ。
技術的には圧倒的に劣っているにも関わらず、高校生の演奏が、プロ中のプロの演奏を、聴衆を感動させるという点において凌駕することはありうる。
その瞬間瞬間にどれだけのものをかけているか、なのかなあ。
それを思うと、う~ん。世界の蜷川を批判してしまいそうなので、続きはあらためて。