嘉門達夫の「この中にひとり」というネタが好きだった。
こういうの。
「この中に一人、武士がおる。おまえやろ?」
「いや、拙者はさようなものではござらん … 」
「おまえやー!」
というヤツ。ネットで検索してみたら、「新・この中に一人」というCDが発売されていた。
一番の歌詞。
「この中に一人、メイドがおる。おまえやろ?」
「違います、ご主人様」
「おまえやー!」
何がおかしいの? と尋ねられたら、どう説明すればいいだろう。
メイドであることを否定するのに、メイドでしかない言葉遣いをしてしまって、バレバレになっている面白さなんだよ、と説明されても、ふ~ん、それで? となるだろう。
何がおかしい? と尋ねた時点でメイドカフェとかを知らないということだから、説明自体が意味をなさなくなる。
一つめのネタも、「ねえ、拙者って何なの?」と聞く、たとえば若い女の子がいたとしたら、その子に面白さは伝わらない。
お笑いのネタを楽しむにも教養がいる。
武士とはこういう話し方をするものだ、それはアイデンティティにもなっているのだという暗黙の前提を知っててはじめて楽しめる。
先生シリーズもつくれそうだ。
「この中に一人、学校の先生がおる。おまえやろ?」
「おまえとはなんだ! 校庭10周っ!」
「おまえやー!」
て感じかな。ただし、これは先生が先生として生きていられた、古きよき時代の先生像にもとづくネタだ。
今だったら … 。
「この中に一人、学校の先生がおる。おまえやろ?」
「いえ、ちがいます」
「きーみーがーあー … 」
さっと直立不動になり口をぱくぱくしはじめる … 。
「おまえやー!」
これは、ぎりぎりだな。
ともあれネタを楽しむには、一定の共通の土俵を想定しうる人同士が、その土俵のなかでの逸脱を感じあえることが必要になる。
えっと、なんで延々とこういうことを書いてるかというと、「ダークシャドウ」があまり楽しめなかったからだ。
作品の出来が悪いのではないし、つまらなかったわけでもない。
いろいろ意味がわからないところが多かった。
そしてそれらは、英語を話せる人なら、キリスト教文化圏に暮らす人なら、ヴァンパイア系の映画をいくつか観たことのある人なら、簡単にわかること、言うまでもないことであろうと予想される。
ジョニー・デップさんのセリフ回し一つとってもそうだ。
まさに「拙者は」とか「まろは」みたいなしゃべり方してたんじゃないかな。
字幕にそのニュアンスを伝えようとする努力は感じられたが、やはり欧米の人のようには楽しめてないんだろうなと思ったら、さみしかった。
くりかえすが、観る側の問題だ。
でも、面白かった。
登場する女優さんはきれいだし(また、それか!)、お芝居も上手だし、クロエ・モレッツさんが出てたし。
クロエさんはさすがの存在感だ。ただし、この子はこんな役回りだろうなというのがあって、監督さんも多分それを期待してて、観る側も大体こんなキャラなんだろうなと予想する範囲内の仕事ぶりで、期待通りではあるが期待通りでしかなかったのが、少しもったいない。
「キックアス」を越える役にはなかなか出会えなさそうだ。
もう少し年かさをまして、大人の女性としての役を演じ始めた時に階段を上れるかもしれない。
なあんて、才気あふれる人を一般人がとやかく言うことではないのだが。
この映画、ジャンルとしてはサスペンスホラーとでも言うのだろうか。
魔女アンジェリークが、愛する男に相手にしてもらえないばかりに、その男(ジョニーデップ)をヴァンパイアにしてしまう。
そして200年の時を越えて、恨み続け愛し続けるという、究極のラブストリー、ある意味ラブコメだと思った。
「すべての映画はラブコメである」というテーゼを思いついたけど、証明できそうな気がする。