ファビアン・パイルの曲はポップスです。弾くと楽しいファビアンパイル!
外国人さん達にウケがいい曲なのだ。
ソルの練習曲月光のアタマのコード進行にインスパイアされてかなり昔に作った曲でありますが、どこかの外人さんがこれを共同出版してカネを稼ごうぜ、リッチになろうぜ、みたいなことを言ってきたことがあったっけ
。それも懐かしい思い出ぢゃ。

生徒さんの貸しギターが足りなくて。
足りない分、私の高級ギター?を貸してるのがもったいなくて。(!?)
ついに一本安いのを買いました。前から目をつけていたこれ!

このケース、いいね。ペットボトルの再生品とは思えん。

おなじみのコルドバギターマティス!
今年一冬越して、コルドバにありがちな
軟弱ボディーではなさそうだったので、まあ、大丈夫でしょうと。
フレットのバリも今回は加湿器効果で他の二本はそれ程大きくなかったので。これなら、今後もOKでしょうと。
思ったより濃い青で、落ち着いたシブい色です。気に入りました。
マティスギターもあまりみんな買わないから、段々と生産中止に追い込まれて来ているような気がするけど?みんな買えばいいのに。
ウクレレも出てるけどね〜。
とりあえずこのソフトケースだけでもお得っぽいですよ。

昨日はギター一本嫁いでいったので、昔生徒さんから頂いたギターを引っ張り出して弦を変えて弾いてみた。

ホセ・アントニオ20c.
昔は20万円でした。いまはもう新品は販売されてないみたい。
ギター歴の長い人には懐かしい名前ですね。
何もわからないギター初心者にとって、スペインの音色というのを真っ先に教えてくれるような楽器でした。
日本製とスペイン製のギターでは鳴りがこんなに違うんだ〜、と気付かせられる、その入り口のギターでした、と思う。
で、久しぶりに弾くと。
まぁ、じゃじゃ馬だこと!
音は明るく厚く、扱いやすくはないぞ。
最初はサドル高すぎたので、また別のに変えたら弾きやすくなった。
張ってる弦も高音変えてミディアムにした。低音はハード。
音色がなかなか、クセもあるけど美しい!オッ?!と思わせることがある。
たまには使ってあげましょう。
部屋でひとりでショートスケールギターを弾いてると、こんな感じで癒やされる場合がある。
かなり気に入ったキレイな音が出た場合、ギターが「そうそうそのとおり!」とか「そうだよね!」、と相づちを打ってくれたような気がする。
ステージや観客の前ではそんな経験は一度もないけどね。
また、部屋で弾いたキレイな音がそのままホールでも通用するかというと、そんなこともないのだけど。
音量小さかったり、遠くまで音が届かなかったりするから。
でも、ショートスケールギターをつかって、ソロキャンプならぬソロ・ギターを部屋で弾いてると、楽器との親密さが増す気がして、先に書いたようにギターが相づちを打つような感覚もしてくる。
でもね、安い楽器はしてこないけどね!

今日久しぶりに570ミリのショートスケールギター、マヌエルフェルナンデスを取り出して弾いてみた。
そしてあらためて思った。
標準サイズのギターと比較するべきではないな、と、
比較となるポイントが違う気がする。
部屋の中で一人で弾いていると、とても集中できる音だと思った。
強い力で大きな音で弾くのはこの楽器にふさわしくないと思った。
小さな部屋の中で観客も誰もいない自分一人だけの空間で、優しく弾くのがこの楽器にふさわしいような気がした。
600ミリを切るショートスケールギターは概ねそのような傾向を持つ楽器だと思う。
つまり標準的サイズのギターは、大きなホールで、多数の聴衆に聞かせるための音の作りが楽器になされているが、それとはむしろ正反対の性格をショートスケールギター、とくにマヌエルフェルナンデスのショートは持ってるような気がして、それに気がつくとこのギターはすごく面白い!
ショートスケールギターは単に短いだけではなくて、音楽の表現の仕方まで変えてしまうのかもしれない。
これはめちゃくちゃ面白いゾ!



570ミリのマヌエルフェルナンデス。
中古品を以前買ったのだけど、
たぶん大人でいちばんひきやすいのがこのサイズだと思う。
630ミリや610などもあるけど、押えづらさはあるのです。570や580ミリはさすがに、何の曲を弾いてもひきにくさを感じない。
ナット幅は48ミリだが、このサイズにはこの幅がちょうど良い。
いままで左指が届かなかったバリオスのあんな所やベリナチのあんな所が音も詰まることなくラクに弾けて、快感になってしまった。
小さいサイズのギターは足台などではフォーム的に腰を痛め易いと思われるので、子供用?エルゴプレイやギターリフトのようなものを使ったほうがよいみたい。
それにしてもこのサイズで大人の耳に耐えられそうな楽器は本当に少ない。
子供用としてではなく、大人のためのひきやすさを極限まで追求したギターとして、もっとこのサイズがたくさん普及して欲しいなー!
普通サイズだと届かなかった所が、ラクラク指が届くととてもギターをひくことが楽しくなるから。
サッポロの雪道はでこぼこして歩きにくい、歩き疲れます。すべるし。で、何かしら方法はないかと。
最近お風呂の中や布団の中で足首をぐるぐる回す運動をしてる。考えてみれば、足首には全体重を支えるという重要な役割があるので、足首が硬直してると体のいろんな場所に障害が出てくるのではないかと考えたわけです。
カクンカクンとしか回らなかった足首であるが、しばらく運動を続けていたらそれなりに滑らかに回せるようになってきた。それと同時に、冬道も歩きやすくなったよ!
足首のちからが抜けて、雪道のでこぼこに足が吸い付くような感じで楽に歩けた。
足首の柔軟性って大事だなあ、、と再認識しました。
さて、ここからがお立ち会い。
足首と同じようなものがもう一ヶ所あるね?
そう、手首です。
こいつをぐるぐる回す運動をすることで、手首の柔軟性をアップして、ギターを弾きやすくしてごらんなさい。
きっとフィンガーボードの荒れ道を楽に移動することができるはず。
手首グルグル、力まず大きくゆっくりと。健身球をまわすようにね。
(追加ぢゃ。)
左の親指が痛くなるのは、けっこう手首が固いことから来ている場合があるようだ。
筋肉は大きいほど強い力を発揮するという。
指の力に加え手首の力も使えたら、押さえるのはぐっと楽になるよ。
ためしに小指のトリルを小指の力だけでうごかすのと、左手首をちょいと使って小指にプラスアルファーの力をたしてやったら、ラクだよー。
でも左親指が力んで硬直してると、左手首を柔軟には使えないね。だから親指の力を抜くんです。
手首を利用して押さえる事ができるようになると、親指も痛くなくなると思うよ。
ま、左手首という大きな力強い筋肉の塊を、有意義に使うといいと思うよー。
ハイ、手首回しグルグル~。
最近お風呂の中や布団の中で足首をぐるぐる回す運動をしてる。考えてみれば、足首には全体重を支えるという重要な役割があるので、足首が硬直してると体のいろんな場所に障害が出てくるのではないかと考えたわけです。
カクンカクンとしか回らなかった足首であるが、しばらく運動を続けていたらそれなりに滑らかに回せるようになってきた。それと同時に、冬道も歩きやすくなったよ!
足首のちからが抜けて、雪道のでこぼこに足が吸い付くような感じで楽に歩けた。
足首の柔軟性って大事だなあ、、と再認識しました。
さて、ここからがお立ち会い。
足首と同じようなものがもう一ヶ所あるね?
そう、手首です。
こいつをぐるぐる回す運動をすることで、手首の柔軟性をアップして、ギターを弾きやすくしてごらんなさい。
きっとフィンガーボードの荒れ道を楽に移動することができるはず。
手首グルグル、力まず大きくゆっくりと。健身球をまわすようにね。
(追加ぢゃ。)
左の親指が痛くなるのは、けっこう手首が固いことから来ている場合があるようだ。
筋肉は大きいほど強い力を発揮するという。
指の力に加え手首の力も使えたら、押さえるのはぐっと楽になるよ。
ためしに小指のトリルを小指の力だけでうごかすのと、左手首をちょいと使って小指にプラスアルファーの力をたしてやったら、ラクだよー。
でも左親指が力んで硬直してると、左手首を柔軟には使えないね。だから親指の力を抜くんです。
手首を利用して押さえる事ができるようになると、親指も痛くなくなると思うよ。
ま、左手首という大きな力強い筋肉の塊を、有意義に使うといいと思うよー。
ハイ、手首回しグルグル~。

寒くなってきたので、今年もまたギターとウクレレの大移動を考える時期となりました。
上の階は寒いので下の暖かい部屋へ。
でも、どこかいい置き場所ないかな〜?
グイレレの類いがいちばん置き場所に困る。
その点、やっぱりカーボンファイバギターのNOVAゴーは、寒いなかでもほったらかしに出来る、頼もしくてかわいいヤツです。

何気なくコルドバ社のグイレレを検索していたら、Amazonでちっともヒットしない。そしたらなんと!廃盤ってか?!
あんなに宣伝してて、無くなることはないだろうと、たかをくくっていたのだけど、無くなってしまった。しまった。
もう中古しかないのね。
以前は、かなり気に入っていて、無理して三本も買ってしまったのだが、いま思うと買っておいてヨカッタ!
まさか無くなってしまうとはね。
当時は27000円くらいでなかったっけ?違ったっけ?
いやあ~、ギタレレなんかよりはるかに優れているのに、なんでみんな買わなかったんだよぅ〜!
残った3本、大事に使おう。
今日ウクレレコースに入られた小学校4年生?の女の子は、ウクレレである曲が弾きたいらしく。
でもその曲は楽譜になってないそうで、困っていました。
採譜サービスという手があるよ、と教えてあげました。ぼくは採譜基本的に、出来ないやらないやりたくない、ので。
ほういえば耳コピなんてしたことなかったな。
採譜サービスはネットで山のようにたくさんあります。音源を送ると有料で楽譜にしてくれるサービス。
好きな曲が楽譜になってないときに便利なサービスです。
むかし、自分の曲を楽譜にするのが面倒くさくて、頼んだことがあったなー。
安くはないけど唯一無二の、自分だけの楽譜が手に入るというのは、嬉しいことですよ。


この2冊はkギタースクールの必須テキストです。ギターを習いはじめて音符を読む勉強をするのに、これより優れた本を私は知りません!
久保公ニ著 楽しく学べるギターレッスン1と2
1はローポジションの音符を読む練習。
2はハイポジションの音符を読む練習。
必ず1からはじめてください。
独学でも時間をかければやり通せます。
途中で突然異常に難しくなったりは、しません。
非常に優れた教本です。
技術的に困難な曲を弾きこなせた時の達成感はとても大きなものだ。病み付きになる。
だが、そのような難曲でなければ達成感が得られない、としたらモンダイだ。
それは音楽に対する健全な感覚を麻痺させ、スポーツの一種としてしかとらえられなくする。
最近の若手は、ギターをスポーツ感覚で弾いてる者が多いような気がする。テクニックばりばりで颯爽と弾いてはいるが、聞いてるぼくとしては、ぜんぜん面白みを感じない。音楽のもつ繊細さを感じない。
手の小さな人は、そんな演奏を目標にしちゃ、いけないと思う。
そこで、自分にあった曲のレパートリーをどうやってさがすか?
そのためには自分で楽譜を集めなければならない。
自分で身銭をきって楽譜を買う! これしかない。10冊買っても1曲しかめぼしい曲が見つからないかもしれないが、それでもいい。1曲でもあれば一生充分に楽しむことができる。
楽譜も本と同様、自分で身銭をきらなければ、身につかない。レパートリーにならない。
最近は楽譜をインターネットで無料でダウンロードしたり、コピーしたものをもらったりする風潮が世界的に強いが、これは自分のレパートリーを作り上げるにはよくない。身につかない。
身についてないものを高いテクニックで弾いたとしても、所詮上っ面だけの演奏でしかない。
だが、そのような難曲でなければ達成感が得られない、としたらモンダイだ。
それは音楽に対する健全な感覚を麻痺させ、スポーツの一種としてしかとらえられなくする。
最近の若手は、ギターをスポーツ感覚で弾いてる者が多いような気がする。テクニックばりばりで颯爽と弾いてはいるが、聞いてるぼくとしては、ぜんぜん面白みを感じない。音楽のもつ繊細さを感じない。
手の小さな人は、そんな演奏を目標にしちゃ、いけないと思う。
そこで、自分にあった曲のレパートリーをどうやってさがすか?
そのためには自分で楽譜を集めなければならない。
自分で身銭をきって楽譜を買う! これしかない。10冊買っても1曲しかめぼしい曲が見つからないかもしれないが、それでもいい。1曲でもあれば一生充分に楽しむことができる。
楽譜も本と同様、自分で身銭をきらなければ、身につかない。レパートリーにならない。
最近は楽譜をインターネットで無料でダウンロードしたり、コピーしたものをもらったりする風潮が世界的に強いが、これは自分のレパートリーを作り上げるにはよくない。身につかない。
身についてないものを高いテクニックで弾いたとしても、所詮上っ面だけの演奏でしかない。
なぜ手の小さな人はギターを弾くために無理をしなければならないのか?
もしかしたら、「弾き難い曲」とわかった時に、それに代わるほかの「弾き易い」曲をあまり知らない、または見つけられないから、いつまでも手の大きな人用の曲を弾き続けているだけなのかもしれない。
ここで強調するが、手の小さな人が大きい人向けの曲に挑戦するのは、けっして悪いことではない。テクニックもたしかに向上するし、達成感も大きい。全てを避けるということではなく、挑戦はしたほうがいい。
だが、弾きたい曲がそのような類の難曲ばかりなのはよくない。これは、ある意味自分のレパートリーをもっていない、ということだ。
無理に難曲の練習を延々とするより、自分にあった弾き易い曲のレパートリーを探すことの方が大事だし、それに時間もカネもかけるべきだと思う。
もしかしたら、「弾き難い曲」とわかった時に、それに代わるほかの「弾き易い」曲をあまり知らない、または見つけられないから、いつまでも手の大きな人用の曲を弾き続けているだけなのかもしれない。
ここで強調するが、手の小さな人が大きい人向けの曲に挑戦するのは、けっして悪いことではない。テクニックもたしかに向上するし、達成感も大きい。全てを避けるということではなく、挑戦はしたほうがいい。
だが、弾きたい曲がそのような類の難曲ばかりなのはよくない。これは、ある意味自分のレパートリーをもっていない、ということだ。
無理に難曲の練習を延々とするより、自分にあった弾き易い曲のレパートリーを探すことの方が大事だし、それに時間もカネもかけるべきだと思う。