パソコン美人におんぶにだっこ

パソコン相撲 入門

もし、この世に宗教がなかったら

2022-12-30 23:39:12 | パソコン相撲
もし、この世に宗教がなかったらどうか。
これは、そもそもありえないと思うのですが、考えてみます。

人は単独では生きれない動物ですから、まとまろうとします。
民族、地域や国を超えてまとまる中に宗教があります。
仏教、道教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ゾロアスター教などがありますね。
これらは兄弟姉妹、果ては親戚、もっと遠いけど知人みたいにと繋がっています。
我々が考える事は似ています。どう違いを出すかで、各派へと枝分かれも。

さて、それら宗教がなかったら、世界はもっと、とんでもない事になっていたでしょう。
今よりも、もっともっとばらばらで、争い、収拾のつかない、それこそカオスではと。
そうならない様にと、宗教が生まれ、それぞれのまとまりが出来ていったのでは。
歴史の上では、他宗教との争い、宗教内での争いとこれまた多くありました。
でもです。それらは大きなまとまり同士の争いが多いのです。
この大きなまとまり、これが大事なのです。大きい故に、だびたびは争いません。
もしも宗教が無かったら、それこそ個人と個人との争いが、絶えずあったのでは。
それこそ阿修羅の世界だと思います。人はまとまることによって、危険を回避出来た。
宗教は、人類の考え出した知恵ではないでしょうか。争いを抑えている。
大は小を兼ねるみたいに、大きな宗教は小さな争いを防ぐ。平和への一歩かと。

以上、こんな感じでのせましたが、異論は多々出て来ますね。
宗教とは諸刃の剣、だとも思います。気を付けて向かい合いたいと、私は思います。
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人類は何故こうも、愚かなのか

2022-12-28 09:23:24 | パソコン相撲
人も動物ですが、ほかの動物、生物に学ばなければならないと思う。
頭脳は欲を肥大化させました。もちろん、欲とは生きる上での原動力になります。
本能と欲とは、うまく繋がります。欲なしでは成り立ちません、巧妙な仕組みです。
また自然の摂理なのか、欲には悦が付きます。その悦が主になったりと本末転倒も出る。
人は、その本末転倒の権化ではないでしょうか。なまじ頭脳ゆえです。

美食とは何ですか?
ほかの生き物は、美食をしているでしょうか。飽食をしていますか。
野生の世界では、食べる為に食べる。生をたもつ為に食べる。
美味しさは悦ですが、その悦が行き過ぎてはいませんか。笑顔の影に・・・・

地球の資源は限られています。人は人の為に、それも今の為に使います。
未来の人類の使える分は、あるのでしょうか。人は人にも、あれなのでは。
開発の速度を増すという事は、危うさが増すのみでは。見えない崖に向かっての。
世界は高成長で成り立つのではなく、低成長でもやっていける社会にしなければ。
価値観を変える必要があるのでは。この地球に、のさばっていてはなりません。
本当は、あまたの中の、ただの一員に過ぎません。人類万歳ではないでしょう。

戦争とは何ですか?
欲の象徴ではないでしょうか。何かの為に戦います、攻め守るも同じです。
生物はそう出来ているのでしょうけど、ほかの生物は本能が主でしょう。
人類は、この本能に欲が過剰どころか過激に働くのではないですか。

平和と戦争は、繰り替えされます。
そう言う概念を付けているだけで、生物ゆえの争いです。避けれないのでしょうか。
人類は頭脳で避ける知恵を付けなければなのに、その頭脳で争うのか。
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過去の時代を、想像するとは

2022-12-27 11:02:15 | パソコン相撲
私は50代なので、昭和40年代の空気は体感しています。
それで言うと、昭和30年代は想像出来ますが、あくまでも想像です。
その前、戦後直ぐとか、戦中、戦前の頃については、想像しづらい。
まして、大正、明治は、もう遠くになりにけりで、良く見えはしないです。

もっと遡りましょう、江戸時代はどうでしょうか。
テレビ、映画、舞台、小説などを見ていると、ああ、こんな感じかと思います。
でも、実際の空気はまるで違っていて、本当の所は今の我々には想像の域を出ません。

では、明治初年に産まれた人はどうでしょうか。
江戸時代を生きた家族、親戚に囲まれていたのですから、どうでしょうか。
前の時代を想像は出来ると思います。私が、前の昭和30年代を想像するように。
これらのように、自分の産まれる一昔前は、なんとなく見えるのでしょう。

もっともっと行きますよ、戦国、室町、鎌倉、平安、奈良、飛鳥、大和時代はどうか。
めくればめくる程にわからなくなります。鎌倉時代の人は、平安時代をある程度は見えるかも。
また前の、奈良時代はどんな風に見えていたのでしょうか。もう、難しいでしょう。
その時代の人は、その時代に包まれているからです。時代からは出れない。

そこで、こんな見方はどうでしょうか。
先々の、2050年の人々は、今の2022年を想像出来るのでしょうか。
家族などから聞いて、何となく想像出来るのでしょうけど、不確かではあります。
では、ええと、2100年の人々はどうかとなると、もう「想像」でしょう。

こんな感じでの、「想像」ですが、これは素晴らしいと思います。
不確かな世界にも、近づく事が出来るのです。想像の翼、大切にしたいです。
我々には未来の方が想像しづらいです。過去の方が、遥かに想像出来ますね。
私は過去の時代を思い浮かべるとき、本当の空気を知りたくなります。
どんな風が吹き、どんな日が照り、どんな雨で、そしてどんな人々だったかと・・・・
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小話  新釈 奥の細道   曾良の、息抜きの段

2022-12-23 14:28:31 | 小説

この河合曾良なくしては、芭蕉の旅は成りいかなかったのでは。

芭蕉門下十哲の一人、また深川八貧の一人でもある。真心の人である。
信州は上諏訪の酒蔵に生を受け、六才にて両親を亡くす。
長男なれど養父母へ引き取られ、またまた十二にして二人を亡くすことに。
その後、伊勢は長島へ行く、やがて三十を過ぎて江戸へと出る。
神道、地誌、国学、和歌に興味を持つ、それで芭蕉の元へと繋がる。

芭蕉曰く、「性隠閑を好む、交金を断つ」とある。
これは何を意味するのか、また貧しかった、生涯一人者か。
曾良にとっては芭蕉が救いだった。俳諧、生きるよすがとした。
旅の同行に選ばれて心底喜んだ、師匠に尽くし支えようと。
前もって、名所備忘録をしたため、西行ゆかりの地などを記す。
道中では僧衣を纏い、まるで影のように師の後をゆく。我は影にと。
句を残しながら、随行記に事細かに足取りを書き連ねる。

その中に一か所、別にて街道を進むの段あり、出羽国温海宿に泊まった後よ。
このまま羽州浜街道を下り越後へと向かうとき、二手に分かれた。
奥州三関の一つ、鼠ヶ関を先に越えたは芭蕉のみか、二人してなのかは定かならず。
芭蕉は馬で向かい、義経伝説の地を見ての海沿いを辿る。
では曾良はと言えば、山に向かいて温海温泉によってからの鼠ヶ関。何があったのか。
芭蕉とのやり取りが、聞こえて来ようぞ・・・・

芭蕉「おい曾良や、道中難儀をかけてすまんのう。ここらで息抜きとせぬか」
  「わしは、海沿いを馬で進み、義経が跡の地を見てからの鼠ヶ関とする」
  「お前は、山を越え、ちょうど温泉場がある、温海温泉によってからや」
曾良「はあ、それはええですども、師匠さんも温泉につかったらええのに」
芭蕉「あのな、お前は真面目は良し、なれど心に油させ。遊んで来ぬか」
曾良「そげなこつ言うても、不向きにて所作も知らず、まして女心はわからず」
  「いつまでも湯に浸かって、酒飲むのが関の山、それで充分にて」
芭蕉「温泉場には女が付きものゆえ、これも風流と心得て一句作ってこんか」
曾良「こいも風流、一句ですかな。それならばわかり申した、何が何でも作って来ますぞ」
芭蕉「うむ、それがよかろう。では、夕刻には越後の中村宿で会おうぞ」
曾良「はあ、そういたしましょう。では、ご無事で・・・・」

我らが曾良は、人擦れしていないのである。
幼少期から点々としており、人の情を良くと知らずなり、まして女心をや。
芭蕉翁の粋な計らいで、温泉場に半ば送り込まれたけれども、はたと困った。
湯女が出て来たら、どげにしよう。まして僧ではないが、僧衣である。
向こうは僧と思うのではないか、いや、たとえ僧でも引き込むか。
ままよ、まあこれわからずだが、これも句の為、いざ温泉場へ・・・・

曾良「おいや、旅のもんだども、湯に浸からせてはくれぬか」
湯女「これはお坊様、よくと来てくだされたのう、ささ、入れって」
曾良「この温海温泉は鄙びた場であるな、湯治がたんと来るかいや?」
湯女「そらな、男衆が鶴岡や酒田から来てな、骨休みとか、ええこつしてるど」
曾良「そう、ええこつとは、これ如何に?」
湯女「垢落としだべさ、そこらじゅうの垢さ落としてな、やけに元気んなんだ」
  「ワテらはのう、それこそ骨抜きんして、宿から出れんようにすんのや」
  「そんで稼ぐ、泊まりを長引かせてな、ふらふらんなって帰るのもおっぞ」
  「でな、味しめてな、また来たくなんだ、男ってそんなもんだなや」
曾良「拙僧は、あっ、いやいや僧ではないんだが、まあ、それみたいなもの」
  「では、よしなに垢落としをお頼みいたす。おまかせします」
湯女「おお、そんでええ。じゃ、そこさ脱いで湯屋へ来い、ふらふらんしたる」
曾良「あ、うん、よしなに・・・・」

かたや、年期の入った四十路の湯女である。
痒いとこ、よう知っておる。力も強い、垢がぼろぼろと出た。痛キモである。
曾良も四十路である。なれど、女に疎い。流れが読めずなり、湯女は言う・・・・

湯女「なあ、お坊さんや、いつまで洗わせる気かえ、手が疲れてもうは」
  「たいがいの客はの、洗わせるんはそっちのけでな、こっちを洗いたがるわ」
曾良「いやいや、自分のことは自分でしてくだされ、これにて充分で」
  「しばし湯に浸かってから、酒を少々もらえまするかな」
湯女「ああ、ええ、じゃあ支度しとるで」

それからというものである。しばしどころか、待てど待てど湯から出ず。
湯女は何かあったかと思う次第。だけど何もなし。ただ、思案中なり。
曾良は曾良で、これからどうしたものかと、湯の中で迷いそうろう。
このまま浸かろうか、いや、それじゃ、違う意味でふらふらとなるではないか。
本当は、あの湯女にふらふらにされたい、でも、どうやって。
わからん、俳句どころじゃない、困りそうろう。

ここで苦しまみれに、一句捻りだした。
・・・・温泉場 拙僧は浸かる まじめ風呂・・・・

夕刻に、師匠にどう伝えようか。
湯の中で、まだ考えるになりにけり、その前に、あの湯女には、これいかに。
・・・・湯女とかけ 客は湯にとけ あてはずれ・・・・

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ドカ雪対策

2022-12-22 23:57:24 | パソコン相撲
私の故郷は、新潟の魚沼です。
大河信濃川と魚野川が合流する所に、生を受けました。
春から秋まで川遊びでした。釣り、泳ぎで日がな一日遊んでいました。
毛鉤の流し釣りでは、ウグイが主ですが、アユも掛かります。
河川の中流域にあたるので、リールを使っての餌釣りもしました。
川は豊かでした。ウグイ、オイカワ、ニゴイ、カジカ、アユ、カマツカ、ヤマメ、
ギギ、ギバチ、モツゴ、フナ、ヘラブナ、ナマズなどが釣れました。

問題は冬の豪雪のことです。大問題です。
この魚沼地方はとにかく積もるのですが、いい水となり米にはいいです。
米はさて置き、雪対策です。昔から、それこそ命懸けで取り組んで来ました。
毎年、雪害で事故が起き、犠牲者が必ず出ます。雪国のこれは宿命です。
今年は、やけに冬が早くて、もうドカ雪になっていて案じられます。
私の記憶でも、こんな年は珍しいです。長い冬になるのでしょう。

屋根からの雪下ろしですが、ここに注意です。
積雪は半端ない重量ですから、へたをすると家が本当で潰れます。
その手順ですが、何人かで屋根にのぼって作業する時は、均等にやらないとです。
片側だけやっていると、大変な事になります。大黒柱が傾いでしまいます。
また事故対策として、笛、懐中電灯、携帯電話は首にぶら下げた方がいいです。
もし、屋根から落ちたら丸ごと埋まってしまうので、要注意。
夜間の雪下ろしは危険です。特に雪が降っている時は、音が消されます。
実は私の妹が、除雪作業に巻き込まれて、幼くして・・・・

雪国では、春が待ち遠しくてなりません。
陽気が良くなり、雪が溶けだした頃なんか、みんなウキウキ顔になっています。
足腰の弱った年配の方などは、それこそ数か月、家から出られていないのですよ。
家の一階まで雪に埋もれ、道路までは山の雪、本当の本当、外に出れないのです。
昔はもっともっと難儀しました。除雪車もやって来ないのです。
砂利道なので、スプリンクラーもなし。道路脇の側溝もなし。
どれほど春が恋しかった事やらです。一冬を耐え忍び乗り切って来たのです。

雪、私は雪が好きです。
そんな雪の降るときの、音を知っています。
・・・・シンシンシンシンシン・・・・そう聞こえるのです。
雪って不思議だと思いませんか、その結晶はシンメトリーな綺麗な模様ですね。
なぜ、そうなのでしょう、いろんな結晶があるのですが、上下左右相称。
まさに、シンメトリーな世界です。この世には、自然の規則性があるかも。
もしかしたら、この世を解く秘密だったりして・・・・
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小話  新釈 奥の細道   平泉の段

2022-12-18 12:20:46 | 小説

旧暦五月十三日と言えば、新暦六月の終わりをさす。
五月雨で煙るなか、一面には白い卯の花が咲きそよいでいる。
北上川は原野を流れる、この地に来たかった、芭蕉は喜び勇んだ。
杜甫の五言律詩が頭をよぎる、国破れて山河在りか、思いは飛ぶ。
ああ、ついに来た、奥州藤原三代の都、平泉へと。

中尊寺は光堂と経堂で、清衡、基衡、秀衡の棺、仏に首を垂れる。
宝物は散り失せ、扉は破け、金色の柱は朽ち杉のままとなる。
栄華は何故も儚く消えたのか、やはり義経か、いや頼朝か。
いやいや武家とは、そう言うもの、争そいに勝て残り、負けて滅ぶもの。
必然には勝てない、武家だけではなく、この世は諸行無常なり。
義経よ、静御前と共に散り、何を思ったのか、夢に現れてはくれぬか。
芭蕉は願いつつ、枕に頭をのせた・・・・

義経「おい、そちが呼ぶので来た、源九郎判官義経である」
芭蕉「まずもって現れてくださり、恐れ多いことであり、ありがたき幸せこのうえなく」
  「お父上の敵討ち、源氏の世を作ったお働き、あまたに語り継がれておりまする」
  「貴公はこの奥州で育まれ、千載一遇の好機に登場なされ、大働き、お見事でした」
  「兄上の喜んでおられるお姿も、このしがない俳諧師にも大いにわかりまする」
  「波乱万丈の人生なれど、これあっぱれと思う次第にござりまする」
  「あの世では、きっと兄弟仲睦まじく過ごしておると、思いまする」
  「そう、かの絶世の美女、静御前様は如何かと・・・・」
義経「静か、静がわしと共に高舘で散った時、最期に何を言ったか教えてしんぜよう」
  「こいが定めと思うて、この世はこの世、来世で思い叶えてのう、と言ったのじゃ」
  「何が兄じゃ、兄だけでは平家を倒せんではないか、返す刀で弟を倒したか」
芭蕉「あの、拙者が言うのもなんなれど、兄弟は他人の始まり、でもこの世のみ」
  「貴公のおられるあの世では、それどころか稚児のように仲睦まじいかと」
  「やっと、本当に仲直り出来たのではと、思い廻らせておりまするが」
義経「我が無念、語って聞かせようぞ、しかと聞け、ええか・・・・」
  「兄じゃはのう、二つの源氏が許せんかったのじゃ、まあ、今ではわかるぞ」
  「武家の治世には隙が出来る、そしておごりが出来き滅びの始まりとなる」
  「おごりとは明るさの事ぞ、人も家も暗いうちは滅ばず。平家の明るさを見よ」
  「もう武家ではのうなっておったわ、公家気取りの西のお笑いびととな」
  「そこへいくと、この奥州は違っていたが、焼け落ちて草原となるに至る」
  「なあ、このわしが平泉を滅ぼしたかと思うか、それとも兄じゃか?」
芭蕉「大そう難しき問につき、早々には答えに窮しまする。時の流れとしか」
義経「静なら、こう言うのであろうか、風は種を運び実り刈られた、とな」
  「まあよい、わしは出来た女を得て果報者じゃったわ。今じゃ、一緒じゃ」
  「兄じゃの事もええ、たまにだが酒もって、ひょっこりと来るぞい」
  「何か、そん時の作り笑いが面白くてのう、こっちも笑っておるわ」
芭蕉「おお、それはそれは目出度しですな、こちとらも安堵致しましたです」
  「きっとお父上の義朝様も微笑んでおられるかと、母上の常盤御前様もですな」
  「あっぱれ源氏ですな、国破れて山河在りなれど、あの世では源氏は続くですな」
  「ああ、ええ話を聞かせてもらいました、お姿も見ること出来ました」
  「このことは相棒の曾良に語り、悦に浸りたいと思いまする」
  「その曾良と言うのは、貴公の弁慶にあたるのですが、家来ではないのです」
  「露払いと言うのか、太刀持ちにあたるのか、荷物持ちなのか、その」
義経「おい、弁慶を持ち出すと長くなるぞ、今宵はここまでじゃ、また夢でな・・・・」

ここで芭蕉翁は目を覚ました。
そうだ、曾良には弁慶の夢を見てもらいたいものよのう。
弁慶のように太刀にて守る事は出来んでも、あの笑顔で守ってくれとるわ。

みちのく、ここ平泉では涙した。五月雨は消した。
・・・・夏草や 兵どもが 夢の跡・・・・
・・・・五月雨の 降りのこしてや 光堂・・・・
その夢の跡を、曾良と共に進む。

善人の曾良は、義経の従者、老いたる兼房に卯の花を重ねて一句。
・・・・卯の花に 兼房みゆる 白毛かな・・・・

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小話  新釈 奥の細道   馬の尿(ばり)の段

2022-12-17 14:22:22 | 小説

南部から日本海に出るには、奥羽の深山を越えねばならない。
蝦夷の末裔が暮らしている地である。マタギの舞台でもある。
芭蕉一行は南部道に別れを告げ、鳴子の湯から尿前の関に向かった。
人通るは少なき道ゆえに、関守に怪しまれるも先進む。
この国境の中山越えの山道で、日が暮れてしまい難渋する。
まるで獣道の様な所なので、旅籠なんかありやしない、ぽつんと一軒あるのみ。
そこは見張り小屋みたいな、掘っ建て小屋である。主に声掛けた・・・・

芭蕉「御免くだされや、こいから出羽の国に抜けんとせしど、もう日暮れ」
  「まことに申し訳なきところ、一夜の宿を所望致したき、願いそうろう」
主 「はっ、お面達どっから来たずらか、こげな道なして通るんだ?」
芭蕉「私らは江戸からの旅人、俳諧を作りながらの諸国を巡る旅の途上」
  「奥州街道を北に進み、この峠を越し最上へと抜け、北陸路を西へ」
  「そしてもって、美濃は大垣へとの紀行をしておりまする」
主 「おい、そっただ長旅やってもうて、何がおもしれえんだべさ?」
芭蕉「西行、歌枕の地、いにしえの歴史の舞台に立ちて、俳諧を作りたく」
主 「俳諧? 知らねえ、西行? 初めて聞いたなや、まあええ、上がれって」
  「オラは国の堺の見張りを頼まれてっから。しょうがねえ、泊めてやっぺ」
芭蕉「ありがたき事にそうろう。良しなにそうろう」

宿と言うか、寝ぐらがあって助かった。後も先も獣道である。
こんな山奥では狼、熊が出てきよる、盗賊もいない様な所である。
して、通された部屋は土間の横である、板二枚分の隅で曾良と寝ることに。
馬を飼っている、臭ったらありやしない、なんかやな予感が漂っておる。
まあ、その前に晩飯を馳走になる。

主 「おいや、二人こっちさ来い、飯だぞ」
芭蕉「かたじけなき事、ありがたく頂戴致しまする」
曾良「あの、実はこちらの方は江戸で高名な俳諧の師匠でありまして・・・・」
芭蕉「おいおい曾良や、余計な事は言わんでもよい。飯を頂こうぞ」
  「主の方、この笹包みの中身は何でありまするか、ええ匂いですな」
主 「だすけ俳諧なんて知らんて、そっただこつよりも、笹ほどけ」
芭蕉「これですな、はっ、こりゃこりゃ、手が出てきてもうた、燻し焼きですな」
主 「こいがマタギん名物の熊の手焼きだなあ、熱いうちに食え」
芭蕉「曾良や、お前先に味見をしてくれぬか、旨いかどうか正直に申せよ」
曾良「はあ、したらば先にと、初めて故にとりあえず一口・・・・」

この門人の曾良は人がいい、いつもにこにこしながら芭蕉のお供をしとる。
宿の手配、道の確かめ、荷物持ち、得体のしれない物の味見、なんだってする。

曾良「うむ、こいは旨い。熊とは滋養強壮の塊ですな、手だって旨い」
主 「そうずらよ、手の方が旨いなや、よくとたんと動かしている所がええ」
  「足もええぞ、みんなええ、皮は寒さ防げるしな、昔から山ん神だなや」
芭蕉「ではでは、ほー、これは珍味ですな、熊は手が一番なのですな、旨い」
  「熊はよう肥えておりまするが、何を食べておるのですかな?」
主 「そんだな、鹿、狐、狸、蛇、熊笹なんかよ、まあ、人はめったに襲わねえずら」
芭蕉「人を襲ったら人の味をしめるとなりまするな、山は怖い所ですな」
  「あの、熊と馬はどっちが強いですかな、互角の様にも思えまするが」
主 「山ん中じゃ馬、家ん中だと熊ずらなあ。ワシらは馬を家の土間で守っとる」
  「お前らの布団は土間だぞ。馬の隣だ、何があっても気にすんなや」
芭蕉「はあ、では、馳走になりました。休むことにします」

風流を愛する二人は、野趣溢れる熊の手を全部食べおおせた。
さあ、こんな所で風呂はなし、後は寝るのみ、先ほどの馬の事が気掛かり。
主に虱布団を敷いてもらい、蚤のかいかいを気にしながら床についた。
曾良はと言えば、もう寝ておる、本当に憎めない相棒やないか、ええヤツや。
芭蕉はそんなことを思いながら、寝入ったかに思えたが、寝入ったのだろうか。
その矢先である。ジョジョジョジョジョーージョー・・・・

滝の音に、目が覚まされてもうた。
芭蕉のみ、驚き桃の木山椒の木、曾良はと言えば、ムニャムニャ眠るのみ。
これを風流と言うのだろうか、夢追い人は句を作った。

・・・・蚤虱 馬の尿する 枕もと・・・・

さすがわ芭蕉、そぞろ神、道祖神に導かれての旅行脚である。
すべては風流、絵となり音となり句となりもうす。浮世は、おもしろおかしなり。

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小話  新釈 奥の細道   遊女の段

2022-12-11 17:17:43 | 小説

奥の細道。
西行法師に憧れ、道祖神の導きで奥州から北陸、そして美濃は大垣までとな。
芭蕉翁は四十六、門人の曾良は四十一、名所巡りしながらの道中記である。
後から見れば、芭蕉は旅の疲れか養成に入る事に。亡くなる数年前の旅だった。

お江戸は深川を意気揚々に出立した二人は、白河の関越えて、みちのくへと。
松島、平泉、立石寺、出羽三山、最上川と、それはもう感歎の連続であった。
やがて越後を下り、越中へと抜けようと北国一の難所に差し掛かる。
親不知子不知である。正しくは後に、犬戻り、駒返しと付くほどの国境。
昔から道はここしか無し、急峻な崖が日本海の荒波に迫って来る。
まさに親を波に浚われ、子を浚われての、親も子もどうなったか知らずの地である。
芭蕉は河に落ちたそうな。ほうほうの体で切り抜けて、市振の関に辿り着いた。
明日は越中、やっと越後とさらば出来る、そんな越後最後の宿のこと・・・・

芭蕉「おい曾良や、今宵の宿は如何なる宿であるか?」
曾良「はいな、まっとうな宿はなし、寂れたとこゆえ、あいまい宿しか無く」
芭蕉「それも風流で良し、親不知子不知越えでさんざんやった、そこでええ」
  「明日は越中となる、早う休もうぞ、隣部屋なんぞ気にせんとな」
曾良「わかっとります。耳に栓して眠ることにしやす」

そうは言ってもあばら家である。板一枚で筒抜け、戸も良く閉まらず。
隣の声が聞こえてなんね。聞くともなく聞く羽目になりそうろう。
なんやら、うら若き遊女二人と爺が泊まっておる。真面目話をしておる。
お伊勢参り、お伊勢さんに女だけで行くそうな。爺は遊女屋の小間使いか。
越後は新潟みなとの置屋から、銭貯めての罪落としの伊勢参りとのこと。
ああ、この世は無常、これにつきる。萩は夜風にそよぎ、月は照らすのみ。
・・・・一家に 遊女もねたり 萩と月・・・・

あくる朝、遊女に声かけられる、願い事を聞くことになる。
はや芭蕉一行は先を急ごうとしている時である。聞くも止む無しである。

遊女「あの、隣部屋のお方でねえですかえ、昨夜は変な話耳に入ったかのう」
芭蕉「いやいや、まったく聞こえはしませんどした。疲れてもうて、直ぐにと寝ました」
遊女「そんな、面に寝てねって書いてるねか。まあええ、アテらは見たまんま遊女らて」
  「男悦ばしてなんぼの生業だて、きっと前世で何か悪かこつやったん」
  「そんでのう、まだ生きてるうちに、せめてのう、そんや罪落としやで」
  「お伊勢さんに参ってのう、前世の悪行、この世での報いを、仕舞いにしたいん」
  「来世ではのう、まんまたんと食って、ええ着物着て、笑って暮らすんやで」
  「あんな、そんでお願いや、付きの爺は帰っちまった、女二人が心細いん」
  「お二人ん後、付かず離れずで、そっと付いてってええろか、お頼みしますて」
芭蕉「それはそれは、心持ちは重々とわかりましたども、あちこちよっての旅ですよって」
  「こればかりは如何ともしがたく、意にそうことは出来かね申す。」
遊女「うん、そうやな、こいが世間や、この世はそう出来てるわい」
  「わかった、今まで何もええこつなかったども、意地でも伊勢さ行く」
  「体こわしてまでして、銭は貯めてきた。無くなりゃ、道々で稼げばええ」
  「アテらはのう、土喰ってまでものう、生きていけるんや」
  「ああ、こいはもう、長々と足止めてもうて、すんませんどした」
  「蚊、トンボの戯言と思って、聞き流してくらんしょ。はばかりませ」
芭蕉「痛み入り申す。道中安寧を願っておりまする。では、先にと・・・・」

世は無常、なれど萩と月は見守るなり。
これも何かの教え。あの遊女二人は影かも知れん。影こそ表かもである。
芭蕉と曾良も、あの遊女達と入れ替わっててもおかしくはない。
たまたま、サイコロの目が違って出ただけかも、そう、知らんて。
この世は、コロコロ、コロリンや・・・・

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小話   良寛さんと、貞心尼の語らい

2022-12-10 18:59:45 | 小説

越後は出雲崎、海の向こうは佐渡、荒海は続く。
海を見て独りごとを言った、何と言ったのか、波に消えた・・・・

この善に生きた僧は、無を求め、それを貫き通した一生だった。
唄はあふれ出た、手は追っつかず、筆は自由のままに流れた。
わらべの様になりたい、心は綺麗がいい、何時までもそれがいい。
天はその褒美を与えたのか、見目美しい女性を遣わした。
齢七十にして、貞信尼と出会う。唄返しの日々始まる。師弟愛は四年続いた。
母を天明飢饉のさ中に失ってからというもの、心に穴が開いていた。
それが、救われたのである。この尼僧は母の再来か、また、海を見た・・・・

・・・・佐渡が見えらあ、カカの国じゃ、飛ぶ鳥ならばひとっ飛びかや。
・・・・会いてえのう。オラを産んでくれて、ありがとのう。
・・・・あの貞心尼はカカではねえねか、そんだ、出て来てくれたんだ。

ここからは、物語りとなる。
良寛と貞心尼との出会いから、最期の日までの儚くも美しい日々のこと。
よくと耳を傾けてみよう、聞こえて来る・・・・

良寛 「あいゃー、こいはこいは、また、長岡から来てもろうて、わるいですな」
貞心尼「いや、なも、あん時は急にやって来たすけ、和尚さん出てましたのう」
   「そんで、手毬と和歌を置いて帰りましたわ」
良寛 「お前さん、ええ唄読みする。そんでオラは返し唄を書き送ったんだて」
   「あの意味わかりましたな、そんで、こうしてのう、えかったわい」
貞心尼「なあ、和尚さんや、アテんこつ弟子にしてけろ、お願いや」
   「昔から本が好きでのう、唄作ってたて、教えてな、ええやろ」
良寛 「今まで何があったん、心に何かがねえと、唄作ろうなんてしねえ」
貞心尼「ん、んだな、アテはカカさん知らね。三つん時、亡くなった」
   「トトの後釜には邪見にされた、家を出たくて十五で嫁いだ」
   「したけんど、嫁ぎ先に馴染めず、また子が出来ねえすけ、五年で離縁だて」
   「そっからと言うもの、尼になりたくてのう、こうして来ましたて」
良寛 「ああ、わかったわい、心が唄を欲しておるんやな、なら唄ったらええ」
   「そばに居てええど、このオラと唄返しの日々、送ろうて」
貞心尼「ええかいや、和尚さん、ずっと一緒だえ、よろしゅうな、ええわ」
良寛 「こっちこそ、オラん世話たのむて、もみじ散るまでな、な・・・・」

こうして、最晩年の四年間を送る事となる。貞心尼は三十路になったばかり。
良寛さんはひねもすのたり、わらべと手毬、かくれんぼ、唄読み、筆書き。
背中をさするは貞心尼、長生きしてくれ、してくれって・・・・

天保二年 正月六日、雪降る夕方、冬なのにもみじは舞った。
・・・・うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ・・・・  良寛

明治五年、貞心尼は、くしくも良寛みたいに齢七十五で、もみじとなった。
こう思ったのかもしれない、「同じ齢んころ、土んなりて」と、その願いは叶った。
・・・・散る桜 残る桜も 散る桜・・・・  良寛 

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旧東海道の松並木

2022-12-03 12:21:56 | パソコン相撲
天然記念物は文化財です。
神社、寺、旧街道、民家、山野などの巨樹は凄いです。
まるで歴史の生き証人として、数百年、もっと数千年生きております。
我々、動物どころではないのです。植物様様であります。
これらの巨樹からすると一年一年は何でしょうかね。お声を聞いてみたいです。
それに、長くて百年やそこらの我々を、どう思っているのですかね。
たとえば、旧東海道の松並木は、こんなことを思っているかも・・・・
徳川三代の、家光のころ・・・・

・・・・戦国はやっと終わったかえ、これからは徳川の世になったのう。
・・・・道を整えて行ったり来たりしやすいように、植えるんやと。
・・・・陽射しをさけたり、雨風をふせいだり、景色を作ったりすんやと。
・・・・何はともあれ、戦のねえ世が続けばええ、よしゃ、見守ったろ。

東海道は江戸時代になってから整備されるまで、京から東国へは難路であった。
もっと昔、鎌倉道、平安道のころは、草木ぼうぼう、泥道あまた、橋はなし。
おまけに山賊跋扈し、宿は掘っ立て小屋、布団はしらみ布団、南京虫五萬。
宿は酒をださねえどころか、飯もださねえ、だすのは女のみのありさま。
当時の旅人は、それこそ命がけで、東国、みちのくへと向かったものでした。
そんな街道にもなってない道を、徳川は道普請をして形作っていきました。
松並木はそれから数百年後の今まで、人の流れ、時の移ろいを見て来ました。
ここで、幕末の松の「声」に耳を傾けたいのです・・・・

・・・・しかし色々とあったのう、さむらい、公家、庶民とよういたは。
・・・・一里塚が作られてからというもの、宿場が出来て、そらもう大賑わいや。
・・・・オレ達の根元で、弁当食ったり休んだり、小便してったりでのう。
・・・・人は忙しいのう、もっとゆっくり生きればええのにな。
・・・・徳川の世が、終わるってよ。まだ、三百年たってねえのに。
・・・・人は、子、トトカカ、ジジババ、またまたと何度も変わってった。
・・・・長くねえな。人ってえんは、あっと言う間に消えてくのう。
・・・・これからどんな世になっかいのう、まあ、ずっと見守ったるは。 

東海道の松並木は、東海道の生き証人であります。
全国の天然記念物の巨樹は見応え充分、圧倒されます。
我々は見て感嘆しているのですが、あちら様は、こちらをどう見ているのでしょうか。

考えてみると、この地球の主役は植物かも・・・・
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政治家の劣化

2022-12-01 08:09:56 | パソコン相撲
日本の政治も、民主主義ゆえの多数決の良し悪しに包まれている。
票を集めさえすれば当選するのである。そう、誰でも当選するのである。
たとえ政治家として適さない人も、選挙に勝ちさえすれば議員にと。
国民を思うどころか、選挙の事ばかりという本末転倒も多くいる。
それで困った事に、当選回数を重ねて行くと、大臣の椅子が用意される。
総理は派閥のバランス、その派閥の意向を聞いて大臣を振り分けなければならない。
派閥としては、当選回数で推したりもする。適す適さないではなく、椅子が来る。

今時は、本当の政治家が少ない。国家国民ではなく、自分の選挙で頭一杯か。
大臣の椅子は相当に魅力なのだろう、似非政治家の椅子取り合戦では。
国会議員だけでなく、地方議員も推して知るべし。与野党問わず。

範は昔にあり。日本の近代政治の幕明け、伊藤博文は範とすべき政治家では。
最後の元老として隠然たる力を持ち、後継首相を決めていった西園寺公望。
戦後復興の吉田、安保の岸、所得倍増の池田、長期安定の佐藤。
日本は敗戦により、生まれ変わったのではないか、民主国家になったのでは。
戦後の松下村塾か吉田学校、それの生徒たる三角大福中。
焼け野原から新生日本が始まったのではないか。負けて勝つだ。
日本の戦後政治は、青春期をとう過ぎ、今は壮年期なのだろうか。
昨今の大臣の、三こけ四こけを見ていると、まるで成人病の多発を思い浮かべる。
もしや日本と言う母体は、生活習慣病に侵され始めているのだろうか。

「記憶にございません」・・・・
ロッキード事件の小佐野賢治の真似をしているようじゃ、駄目なのです。
当時は私も世間も、あきれつつ新たなフレーズに、思わず言い得て妙と思った。
だけど、堂々と真似をするな、である。国民の税金を何だと思っているんだ。
褌を締め直せどころではない、国家国民を思えない様だと出て来るなである。

民主主義の弱点とも言える、この多数決の危うさを痛感する今日である。

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