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パソコン相撲 入門

三重、愛知、岐阜の旅

2023-05-23 06:51:46 | パソコン相撲
3週連続旅行のラストです。週末3連休で東海3県に行って来ました。
三重の桑名でバイクを借りて、東に愛知、北上して岐阜、南下して三重へと。
この地は、暴れ川が3本あり、中洲や下流どころか広範囲にわたっての大変な地です。
資料館によると洪水は西から、揖斐川、長良川、木曽川の順で起こるとのこと。
西側に地形が傾斜しているから、まず揖斐川が氾濫となるとの説明。
江戸時代の堤防請負の犠牲が痛ましい。薩摩藩の多大な出費と犠牲者、幕府の手である。
後の徳川打倒の下地を作る。恨みは血脈として薩摩藩士に受け継がれることに。

思うに、昔は日本で一番と洪水が多かった地ではないのか。
今でも備えとして、水屋を立てたり、石垣を積み上げての住居が多い。
輪中という、地区でのまとまりがある。ここは堤防決壊に要警戒している。
かつての東海道が、3本の川を避けて船での七里の越えとなる訳である。
こういう土地は、天然記念物の大樹が多いです。水が豊富過ぎます。
けっこうと見て来ました。この様に・・・・

照源寺     三重県桑名市東方      市天  マツ
薬師寺     愛知県弥富市鯉浦      市天  大クス
八幡社        愛西市東保町     市天  クロマツ
筏川沿い       弥富市平島新田    市天  マツ
藍亭            森津      市天  フジ
宝川沿い          四郎兵衛    市天  マツ
龍照院        蟹江町須成      町天  イチョウ
八幡神社       あま市遠島      県天  ラカンマキ
八剣社        稲沢市南麻績町    市天  シイ
前福寺           南麻績町    市天  イブキ
八幡社           平和町東城   市天  クスノキ
布智神社          祖父江町本甲  市天  シイ群生
皇大明神社         祖父江町中牧  市天  ナンジャモンジャ
八幡神社    岐阜県海津市南濃町山崎   市天  イチョウ
杉成神社          南濃町太田   県天  ケヤキ
宇賀神社    三重県桑名市多度町柚井   市天  シイ


東海3県は、それぞれ音色と言うかが違いますね。
三重は関西色濃厚、岐阜は微かに関西の匂いがする、愛知は中京。
全国旅行していると、各県の違い面白いです。旧国境もしかり。旅最高。
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41年振り、岡山の旅

2023-05-22 06:33:03 | パソコン相撲
今度はゴールデンウィークの本番ですが、岡山に行って来ました。
こちらは、高校の修学旅行以来の、実に41年振りです。
全国文化財廻りで大変なので、基本、再訪地は後回しになるのです。
そうは言っても、山陽道は見所が豊富です。日本のお腹でしょうか。
どうも私には、日本列島が龍の形に思えてくるのです。

倉敷でバイクを借りて、5連休で備中エリアを周りました。
広島の手前までの、倉敷、矢掛、総社、高梁、井原、笠岡、浅口をです。
天気は前4日良かったので助かりました。倉敷美観地区が懐かしかったです。
総社市の奥にある鬼ノ城跡に山道を向かったのですが、隘路が渋滞で断念。
この時期は観光地は山城でも混みます。また次回のお楽しみにしました。
倉敷市北部の横溝正史疎開先に行きました。この地を逍遥しながら練ったそうです。
一連の怖い小説の舞台の多くが岡山各地、民話、伝承から着想を得ました。
昔、ドラマや映画で怖かったのを思い出します。この地なのですね。
中国山地は神秘的です。奈良、京都の前の神話の地、自然も豊かです。
恒例の天然記念物は豊富でした。山奥にも入りました。こんな所へ・・・・

宝厳寺    岡山県倉敷市片島町     市天   マツ
祝神社          玉島長尾    市天   クスドイゲ
八幡神社      総社市清音軽部    市天   イブキ
軽部神社         清音軽部    市天   ムクロジ
専教寺       矢掛町金谷      町天   マツ
八柱神社      総社市清音柿木    市天   ナギ
角力取山         岡谷      県天   大マツ
八幡神社         美袋      市天   ラカンマキ
星尾神社      井原市美星町     市天   林
諏訪明神社     笠岡市園井      市天   クスノキ
稲荷宮          大島中     市天   アベマキ
安倉八幡宮     浅口市中安倉     市天   大クスノキ


今年の夏頃に4連休を作って、今度は岡山市でバイクを借りて周る予定です。
備前エリアに行きたいです。どうも私は旧国名にこだわります。歴史大好きです。
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伊勢崎、太田、熊谷、深谷の旅

2023-05-21 12:25:05 | パソコン相撲
ゴールデンウイークの前半は、2連休で利根川の両岸の町を周りました。
3月の伊勢崎、太田の文化財廻りの後半となります。
今回は、ある個人でしている歴史資料館で沈没してしまいました。
実に充実した豊富な展示内容で、かつ館長の説明が気微に入り故の長居です。
私は、効率良くルートを練ってたくさん見たいのですが、ややもすると沈没します。
後々の寺社は置いてまでの、興味津々の所には良き停滞となるのです。

いやはや館長の郷土愛、郷土研究、著書と御見それ致しました。
なんと、歴史の定説に疑いを持ち、自説を証明しようと発掘まですることに。
それで頭蓋骨を発見して、ここは間違えようもなく、あの方の首塚だと。
なおかつ、自力で土嚢で策をこしらえて、説明版を付けての史跡候補にしました。
私は館長の自説は正しいと思います。ゆくゆくは指定文化財になるのではと。
えらい熱意の籠った方でした。骨董商でもあり、展示物に値が付けてあります。
こちらは貧乏なので買うではなく、それぞれの価値についての審美眼に唸りました。

それからです。館内の説明案内の後で、コーヒーを出されました。
ますますと時間が押してきているのですが、こちらも長話をしました。
私は新潟の実家に伝わる言い伝え、苗字のいわれ、謎の集落名など語りました。
この館長は、平安時代からの家系図を持っています。私は江戸後期からを作りました。
役所でわかるのは戸籍制度が出来てからで、それ以前は菩提寺の過去帳で調べます。
もっと前はどうでしょうか、館長曰く「言い伝えもいいです」とのこと。
ふー、長引きましたです。文化財廻りが沈没となり、宿には夕飯前に到着。

良き沈没は、ままあります。寺社、古民家などでも案内の方とあります。
長いコーヒーブレイクの終盤でわかったのですが、〇〇県警の元刑事でした。
私は一瞬固まったのですが、流しました。余計な事、言わなくて良かったです。
あの熱意は、刑事魂ですかね、定年後の分野を変えての眼光、鋭かったです。

そんな訳で、利根川沿いの、周れなかった第2段の旅をして来ました。
指定文化財の中の、天然記念物はですね。

前橋高等養護分校   群馬県伊勢崎市境     県天 カエデ
徳蔵寺        埼玉県熊谷市拾六間    市天 カシ、シイ
香林寺              東別府    市天 ムクロジ
金久院           深谷市東方     市天 カヤ
高島諏訪神社           高島     市天 カヤ

これらを見て来ました。
利根川は坂東太郎、ゆうゆうと関東平野を流れます。
私の故郷は信濃川が清らかに流れます。共に良し、川が原風景です。
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私の戦後感

2023-05-20 11:33:39 | パソコン相撲
私は昭和40年生まれだから、終戦から20年後に生まれた。
思い返してみても、当時はすでに戦争があった空気はなかった。
出身は新潟の山間部の農家だった。空襲、艦砲射撃、機銃掃射は皆無。
隣町の長岡は、20年8月1日夜中に焼夷弾空襲で焼け野原になった。
聞いた話で、裏山が真っ赤になり家族で呆然と見ていたとのこと。
当時5才だった父の妹が、親におんぶされながら、はっきりと憶えている。
幸いの事に、我が町には戦火はなかった。

タケ婆から聞いた戦争話を載せておこう。当時44才。
「敵がどこにいるか頭上げたところ、撃たれたいや」(姉の子の最期)
「長岡空襲の時は、空が真っ赤だったいや」(20年8月1日夜中)
「あそこん人は、戦争に行きたくなくて醤油一升飲んだってよ」(徴兵検査の時)
「とうちゃんは、子供ん時、戦争ごっこして遊んでいたいや」(私の父、9才)
私は聞き、戦争があったんだ、当時はそうだったのかと思った。

家族からは兵隊は出なかった、父は9才、祖父は35才だった。
墓地では英霊の墓があり、上等兵などの階級が掘ってあった。
私は戦争があったのを、お墓で、まじまじと感じた。

戦後20年経つと、もはや戦後ではないという空気の元に育った。
佐藤長期政権が前年から始まり、安定した世相だった。
これらは、新潟の山間部での私の戦後感です。
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私と祖父達との、二人の最長移動地は

2023-05-16 19:53:34 | パソコン相撲
前に、実家の新潟の明治生まれの祖父達の、最長移動地を載せました。
中年以降に上京でした。日本海側からすると、越後山脈の向こうは別天地です。
昔の人は、高崎から先は東京みたいなもんです。そわそわ落ち着かなくなります。
明治の人にとっては東京は遠かった、もう今は昔である。

さて、ここで私と明治生まれの祖父達との二人の最長移動地を載せます。
今から思うと、もっともっと遠くへ行っていればと思う。残念である。

祖父(明治42年生まれ)
中学校の卒業式に参席してくれた。町内が二人の最長移動地だった。
ほかの父兄は父母が参席していたので、私は不満だった。
式の帰りに祖父が蕎麦屋に入ろうと誘ったのに、無下に断ってしまった。
今、後悔している。何もわかっていなかった。

祖母(明治44年生まれ)
大阪万博に、二人で北陸本線まわりで行く。私は5才だった。
当時は蒸気機関車だったので、トンネルに入ったら煙が湧いて来た。
私は驚きながら笑っていた。シンボルの太陽の塔を、うっすらと見た記憶がある。

タケ婆の夫(明治25年生まれ)
小学校の1年の時に亡くなったし、長らく老衰で寝込んでいた。
2才の冬、庭で並んで撮った写真があった。笑っていた。庭が最長移動地。

タケ婆(明治33年生まれ)
幼少期にタケ婆の実家に連れていかれた。登り坂の先だった。集落内が最長移動地。

私の祖父達からすると、孫との移動はとても楽しみだったが、齢をくっていた。
それに農家の年寄りは背が曲がるのが早い、杖をつくようになります。
こうなると近場に行くのにも大変になります。道が伸びるのです。
孫とのお出かけは、丈夫なうちに、どんどんとやるのが良いです。
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