パソコン美人におんぶにだっこ

パソコン相撲 入門

日本語 縦書きVS横書き

2023-03-28 21:46:23 | パソコン相撲
読書好き人間、書くの好き人間からすると、フレーフレータテガキです。
今の日本社会は、まだまだ縦書きは優勢ですね。本屋などでは、かなり主流。
時代を遡れば、縦書きのみ。これは昔の中国語が縦書きだったのが大元。
縦書き文化も中国から入って来ました。昔の朝鮮語もそうです。

日本では、幕末頃から西洋人にふれる機会が増え、向こうの横書きに注目。
……(へー、こんな書き方があるんだ、何これ、それにミミズに似ている、へー)
ってな具合に、かなり面食らったのではと、想像します。

中国語は文化大革命後、旧文化一掃の流れの中で横書きが主流に変わって行く。
まだ、台湾では健闘していますね。これは対中国もあるのでしょう。
韓国語は日本語同様に中華文化の影響で縦書きだったのですが、もう横書きが主流。
モンゴル語は縦書きから、ロシアのキリル文字の横書きへとシフト。伝統では残る。
満州語も縦書きから、もう中国語に置き換わっています。文献として残る。

そう、今、これを書いている私はパソコン入力なので、横書きでやっています。
もうすっかり横書きですね。パソコンによって、これからますます進むのでしょう。
でも、ここで言いたいのです。横書きも勿論いいのですが、ある思いが残るのです。
縦書き縦読みの方が、情感に訴えて来るのがあるのではと。これは不思議にも思う。
文学(小説、詩、戯曲、評論、随筆、古典……)に特にあらわれはしないかと。
たとえば漱石を横書きで読んだとする、作品の本質、作家の魂にどこまで迫れるか。
小説は楽しさも、これは求めます。私は、その楽しさも縦書きの方が伝わるかと。

日本語の良い所は、縦横の両方の表記が出来る事です。世界でも珍しくなっている。
そもそも、漢字、ひらがな、カタカタに加えてこれ。外国人はユニークと捉えます。
もっと言えば、スマートなのでしょうか。句読点も独特。私は日本語大好きです。
最後に、縦に書く発想、左から横に書く発想、右から横に書く発想。
みんなこれらは、大昔の人類の謎の一つでは、と。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛知県安城市、村高の大クス(市指定、2樹)に教わる

2023-03-26 19:01:50 | パソコン相撲
私は昨年の11月12日に、三河文化財廻りでご対面して来ました。
東海道新幹線の矢作川に架かる橋の近くにあり、向こうは岡崎市です。
川の近くに堂々とドデカいのが2樹ありまして、まるで双子のような巨樹です。
だぶんここは地下水が豊富なのでしょうか、樹齢300年位だそうです。
もはや、大クスは人格めいたのを持っているかに思えました。

藪を分け入り、どんどんと近付いて根本まで行きました。
なんと大枝がタコの手足みたいに、地を這っているかの有様ではないですか。
枝分かれ枝分かれ、大枝は地にもはや根付いていて、繁茂の真っただ中です。
この生命力や動物を凌ぐでいいのではないか、動物の寿命なんて足元にも及ばず。
ああ恐れ多いや樹齢数百年の巨樹達、枝別れは計算に基づいて伸ばしているやも。
高度な連立方程式並みに、あそこに這って根付き、また右から、今度は左からと。
素晴らしいバランスの取り方である。私は巨樹のタコ足の中で唸った。
そして、ある思いが胸中を去来した。本題はここからです。

全国天然記念物の樹木廻りもしているのですが、こう思うのです。
大樹は大枝を伸ばし過ぎて幹に悪いからと、杭で支えたりします。
この木は斜めに枝を出していて塩梅が良くない、見た目も良くない、切っちゃえ。
また、このままだと枝が地に付いて、そこから枯れるだろうから、切っちゃえと。
とかく我々は、樹木の為を思って支えたりするのですが、樹木はどう思っているでしょうか。

・・・・おいおい余計な事はするな、そこはその角度で伸びるんだ・・・・
・・・・そこは支えんでええ、傾いたりはせんて、つっかえ棒をはずせって・・・・
・・・・ちょん切るなって、これからは生えてく枝が幹支えっから・・・・

なんての声が、私には聞こえそうです。
この村高の大クスの様に手付かずだと、大枝は地に根付くことでバランスを取っている。
そこから新芽が出て、どんどこと成長していき幹を支えていく。
一見、バランスが悪くなる様で、そのバランスを取るために傾いでいるのか。
この大樹は自由を謳歌している様です。翻ってみて、寺社の樹木は如何に。
手入れと言う名の人の都合で困っているやもと思う。
あの木の枝振りが良くない、この分だと地に付く、幹を痛める、支えようか。

・・・・違うって、そこから根付くんだって、その方がいいって、もうっ・・・・

樹木の世界も大変である。樹木同士での生存競争に加えて、人が絡んでくる。
それも良かれと思ってした事が、とんだ始末だったりと、ああ、樹木は語らず・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢崎、太田の旅

2023-03-25 13:00:17 | パソコン相撲
このところ、隔週旅行をしています。
3連休では、前夜泊での愛知現地バイク旅行の最中。三河から尾張へと。
2連休では、前夜泊での群馬現地バイク旅行です。伊勢崎を基点に赤城山以南を。
3月18、19日で伊勢崎でバイクを借りて、太田市を跨ぐ文化財廻りをやって来ました。

ここは新田氏ゆかりの寺社、館跡などが多く点在しています。
郷土の英雄なのです。時は東武士全盛の頃。坂東の血潮たぎる時代。
新田義貞は誕生地に近い生品神社で、鎌倉攻めの兵を挙げる。
これらの新田荘遺跡廻りは、かなり時間がかかります。北関東はいにしえあり。
私は伊勢崎に戻る時間の読みが外れて、バスを乗り過ごして遅く帰宅しました。
文化財廻りはルートをカンで計って、寺社、天然記念物を辿るのですがね。
見所が広範囲に点在していると、読みが難しくなります。
恒例の天然記念物はですね・・・・

同聚院       伊勢崎市曲輪町     市天    大カヤ
連取の松      伊勢崎市連取町     県天    マツ
太奈荷神社     太田市新田上田中町   市天    マツ
丸山薬師      太田市丸山町      市天    カタクリ
生品神社      太田市新田市野井町   市重文   クヌギの古木

生品神社には19日に行ったのですが、おもむきのあるクヌギの参道でした。
ここで大勢集まって、雄叫びを挙げ、旗をなびかせての出陣です。
新田義貞は何を思ったのでしょうか・・・・
・・・・「我、東国の覇者になる。武士の国を作る、いざ続け」・・・・

当時は都は京、幕府は関東、朝廷の力強く公武二元支配体制であった。
彼は転戦の後、北陸は越前にて討ち死に致す。齢三十八、坂東の花は舞った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第二作目の小説を応募します 「中国夜話 毛沢東異界漫遊記」 (連載中)

2023-03-21 11:09:48 | パソコン相撲

 この小説は、天界の毛沢東が主人公です。彼は国共内戦で勝ち、今の中国を建国しました。台湾人や香港人とは違う、別の民の国を……。そう共産中国は、新たな中国人を作ったのです。ここではさわりを載せます。

 「矛盾論」を書いた毛沢東は、自身も矛盾に向かって進んでいった。貧しい中華の民は圧倒的に多い、金持ちは圧倒的にに少ない、数で勝てる。民、民を味方に付け、民の国を作ろう、人民が主役の国、共産中国を作ろう、と。だが、解放と抑えは表裏一体でなければなるまいか。

 中華の歴史は、歴代皇帝の歴史でした。この国は、辛亥革命で世が変わったのです、皇帝の歴史が終わったのです。ようやくに民の時代が来たのですが、この国は民が多過ぎてまとまらなくなった。毛沢東は思い知ったのだと思います。………(皇帝にかわる抑えがいる、それは何か)

 イデオロギー、これで民をまとめよう、まとめなくてはならない、と。故郷の湖南で貧しさを見て育った毛沢東は、一生、教師での生もあったのだが、時代が彼を必要とした。孫文の後に続けよと世に送り出したのであった。

 この孫文がいなければ毛沢東はいない、私は強く、そう思う。またこうも思う、孫文が思い半ばで倒れずに、新中国を作っていたらどうだったか。蒋介石が出る間もなく、この物語りの主人公の毛沢東も出てこなかったやもである。

 さわりのつもりが、さわりでなくなって来ました。私はこう書きたいのです。毛沢東が天界で様々な人に会うなかで、新生してほしいのです。さあ、天界でいろんなのに会いますよ。では、本文をご覧くださいませ。

 

By、藤原てるてる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする