パソコン美人におんぶにだっこ

パソコン相撲 入門

政治家の劣化

2022-12-01 08:09:56 | パソコン相撲
日本の政治も、民主主義ゆえの多数決の良し悪しに包まれている。
票を集めさえすれば当選するのである。そう、誰でも当選するのである。
たとえ政治家として適さない人も、選挙に勝ちさえすれば議員にと。
国民を思うどころか、選挙の事ばかりという本末転倒も多くいる。
それで困った事に、当選回数を重ねて行くと、大臣の椅子が用意される。
総理は派閥のバランス、その派閥の意向を聞いて大臣を振り分けなければならない。
派閥としては、当選回数で推したりもする。適す適さないではなく、椅子が来る。

今時は、本当の政治家が少ない。国家国民ではなく、自分の選挙で頭一杯か。
大臣の椅子は相当に魅力なのだろう、似非政治家の椅子取り合戦では。
国会議員だけでなく、地方議員も推して知るべし。与野党問わず。

範は昔にあり。日本の近代政治の幕明け、伊藤博文は範とすべき政治家では。
最後の元老として隠然たる力を持ち、後継首相を決めていった西園寺公望。
戦後復興の吉田、安保の岸、所得倍増の池田、長期安定の佐藤。
日本は敗戦により、生まれ変わったのではないか、民主国家になったのでは。
戦後の松下村塾か吉田学校、それの生徒たる三角大福中。
焼け野原から新生日本が始まったのではないか。負けて勝つだ。
日本の戦後政治は、青春期をとう過ぎ、今は壮年期なのだろうか。
昨今の大臣の、三こけ四こけを見ていると、まるで成人病の多発を思い浮かべる。
もしや日本と言う母体は、生活習慣病に侵され始めているのだろうか。

「記憶にございません」・・・・
ロッキード事件の小佐野賢治の真似をしているようじゃ、駄目なのです。
当時は私も世間も、あきれつつ新たなフレーズに、思わず言い得て妙と思った。
だけど、堂々と真似をするな、である。国民の税金を何だと思っているんだ。
褌を締め直せどころではない、国家国民を思えない様だと出て来るなである。

民主主義の弱点とも言える、この多数決の危うさを痛感する今日である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする