パソコン美人におんぶにだっこ

パソコン相撲 入門

愛知の中心部と、熱田神宮詣で

2023-04-22 14:55:06 | パソコン相撲
また愛知へ3連休で行って来ました。
全国文化財行脚に、憑り付かれています。日本全国だから、まいっちゃう。
まあやっと、あと二回で去年からの愛知シリーズが終わります。
今度は3連休で三重シリーズ始まります。2連休群馬シリーズは始まっています。
そんな訳で、今週は群馬、来週は岡山、再来週は三重、愛知、岐阜と3週連続です。
文化財の魔力にハマり、中国大陸ではなくしての「麦と兵隊」の世界です。
もう泥沼ですな、かつて日本軍が上海、南京、武漢、そして重慶を目指した様に。
点から点、線から線へと、なかなか面での抑え効かずと同じなり。
だんだんと脱線してきとります。戻しましょう。

熱田神宮は神話の地。
長き参道が、すでに語っているかの様な神秘感あり過ぎ。
伊勢神宮同様に敬虔な面持ちに自ずとなる、もしやオーブも漂っているのでは。
戦災でここも一部を残して焼けた。名古屋市域の四分の一を失う、国宝名古屋城も。
社は新しくなれど、参道は変わらずにいにしえのまま。
参道脇の御神木の樹齢千年の大クスノキは無事なり、神ゆえか。
大クスノキはこう言うやも・・・・
「あたる訳がないであろう、社はまた作ればよい、この地があればよい・・・・」

そういう訳で、名古屋中心部は戦災で多くの寺社を失う。
文化財、天然記念物の指定地が飛び飛びになっています。まことに、惜しい。
東京、川崎、横浜、大阪、神戸、広島、博多、長崎はもとよりのこと。

文化財は守らなければいけません。ただでさえ天災で消えていくのにです。
人災による喪失、何てことでしょう。

今回見た天然記念物は少なかったです。
宝珠院    愛知県名古屋市広路町   市天  イヌナシ
村上社           楠町    市天  クスノキ
熱田神宮          神宮    御神木 大クスノキ

平和でなければならないのです。文化財は歴史を伝えます。
そうは言っても、鏡の表と裏、どっちの面が今出ているのかでしょうか。
日本は戦後にやっと掴んだ平和を、大切にしなければです。
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私の祖父達の、最長移動地から見えて来るもの

2023-04-20 17:38:39 | パソコン相撲
新潟の実家の明治生まれの家族は、最長どこまで行ったのだろうか。
これはおしなべて家族だけではなく、この地方の明治生まれの方に言えるのかも。
当時も今も、まずは東京に目がいく。日本海側なので、越後山脈の向こうが気になる。
江戸時代であれば、三国街道の清水峠を越えて上野の国へと。そして江戸へ。
明治以降は信越線、上越線、国道17号線、高速で東京へと繋がる。
とかく新潟の人は東京となる。上信越国境のドカ雪のない地にあこがれる。
また群馬に入ると関東の匂い、高崎からは東京に来た感じに昔はなった。
これは昔の東北の人達が、宇都宮に着いたら東京に来たって感じと同じか。

ここで明治晩年生まれの祖父、祖母、タケ婆の夫、タケ婆を。
もっと遡って、明治初期生まれの曽祖父、曾祖母を辿ってみよう。

祖父(明治42年生まれ)
51才、祖母と二人で、東京へ嫁いでいった長女宅へ行く。初上京。
71才、京都に住んでいる末っ子の次男の結婚式に、みんなで出席する。

祖母(明治44年生まれ)
50才、祖父と二人で、東京へ嫁いでいった長女宅へ行く。初上京。
59才、私を連れて北陸本線まわりで大阪万博へ行く。
69才、京都に住んでいる末っ子の次男の結婚式に、みんなで出席する。

タケ婆の夫(明治25年生まれ)
68才、娘の旦那の車でタケ婆と一緒に東京の娘宅へ行く。初上京。

タケ婆(明治33年生まれ)
59才、娘の旦那の車で夫と一緒に東京の娘宅へ行く。初上京。
63才、一人で上越線に乗り東京の娘宅へ行く。共に熱海まで行く。

曽祖父(明治元年生まれ)、曾祖母(明治5年生まれ)
共に県外に出てはいない。となりの町や村だけかと思う。

これらの様に、私の家族だけではなくて、この地方の昔が見えて来る。
新潟は長岡あたりの明治生まれの方は、中年以降に初上京し、京都へは滅多にないかも。
まとめると、祖父は京都、祖母は大阪、タケ婆の夫は東京、タケ婆は熱海。
曽祖父、曾祖母は隣の村々が最長移動地であった。
昔は東京が遠かった。まして京都、大阪はもっと先、四国、九州は夢の地やも。
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小牧、犬山の旅

2023-04-09 15:05:45 | パソコン相撲
先週の金、土、日で、また愛知に行って来ました。
去年からの、三河国、尾張国の文化財廻りの最中です。
今週は、週末3連休で、今度は熱田神宮、有明、名古屋港方面に行きます。
まさに東海の雄、手強しであります。戦国三英傑の地、見所多し。

小牧には田縣神社なる陽物を祭る社あり。
拝殿にどうどうと、二体相対鎮座す。大相撲の睨み合い感あり、若乃花対栃錦か。
または仁王門の阿形像吽形像の如くか、威風堂々と神域を守ってつかさどる。
ここは男神の社や、太古の匂いぷんぷんである。陽神、隠神はすべての始まり。
敬虔な面持ちで参らなければならない、奥宮にある宝物においてもしかり。
女性の参拝者も多い、良縁、子宝、子孫繁栄、ここはうぶすな神を祀っている。
東海一の奇祭、いや日本有数の奇祭がある。参拝者全員が哄笑し合うらしい。
おそらくは、大昔からこの祭りの十月十日後には、子が授かったのかもである。
無礼講の夜があったのやも知れん。いやはや、まこと持って目出度き祭りなり。

さあ江戸は寛永の話。ここに佐吉なる、もてない男あり、三月の祭りの夜のことじゃて。
闇夜で子の出来んカカにぶつかる、ぶつかったが縁の始まり、ただではすまん・・・・

おっと、私流の物語りが出て来そうなので、ここらで仕舞いとします。
犬山のことも書くつもりが、あの神社のことで止まりました。
では、天然記念物といきましょうか・・・・

貴船神社    愛知県小牧市上末      市天   アベマキ
小牧小学校         小牧      市天   クロマツ
日枝社           小木      市天   クスノキ
長松寺        北名古屋市熊之庄   市天   クロマツ
十二社神社      小牧市多気中町    市天   シイ

私は文化財廻りが高じて、もはや文化財行脚みたいになっています。
しばらくは隔週旅行が続きそうです。見たい所、五万とあり、では次の準備へ。
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小話   親鸞、越後での説法

2023-04-06 08:41:47 | 小説

親鸞の、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」を自己流に解釈する。
この逆説は謎かけであると思う。答えはあってないようなものか。いや、待て。
今の世と、平安鎌倉の世とでは死生観が違う。あの世はこの世の続きと見られてた。
こうではないのか、善人はこの世での行いで、すでに往生するに値する。
悪人は往生するに値しないなれど、あの世での修行の後、遅れて往生。
人とはすべてが往生するように出来ており、悪人はあの世で往生致すか。
悪人は悪に染まっているゆえ、地獄経由の極楽となる。鬼にしごかれて目が覚める。
そんな地獄の責め苦が待っているではないか、いわんや否が応でも往生する、か。

さて、親鸞聖人の異相は何を語るや。
そう親鸞は善人の風貌ではない。悪人の様相も呈していない。
聖人一流の謎かけを解くには、あの異相に答えがありやしないか。
今の世の人が解けない事を、当時の民は解けた気が私にはする。
親鸞の生きた世は、平安から鎌倉へとの端境期である。幕府の起こるを見る。
平安末期は荒れた、戦乱災害相次ぎ世は乱れ武士の台頭を許す。
朝廷が派遣した治安維持の検非違使は、もはや形無しで守ってはくれない。
刀を持った者が強くて、切り捨て御免は常、取り締まる御成敗式目はまだ先。
庶民はもとより、僧でさえ首が飛ぶ。所選らばず転がるである。
後の江戸時代は、治安を取り締まる制度があった。武家諸法度で律していた。
しかるに鎌倉の世では本当で一寸先は闇、岡っ引き、町奉行なんかの活躍なし。
そんな時代を生き抜くなんてなったら、善人はどうしていたのか。

仏にすがるであろうか。大岡越前のもっともっと前である。与力同心もなし。
天皇、朝廷を頼るなんてお門違い。守護地頭の手先に怯える日々か。
そこで親鸞はかの名言を吐くに至る。善人はほっとし、悪人の中には勘違い多しや。
ではここで、私は想像してみる。仏の与えた法難による流刑の地での話である。
親鸞聖人と、村の間男とのやり取りである、越後での説法を・・・・


村の男 「和尚さんて、大変らいて、オラんカカがの、よそんガキ作りやがったて」
    「オラにちっとも似てなくての、色の白い子られ、どっかの種らいや」
    「先に生まれた子なんて、オラにそっくりの黒い子なんのにの」
    「ああ、どうしょかのう、育てたくなんてねえ。いっそ、いねほうがええ」
親鸞聖人「南無・・・・。そちが悪かであろうに。可愛がりようがたりんのじゃ」
    「夜な夜な、掛布団となり敷布団となりて大事に扱ったのかや」
    「そちは男の心得をよう知らん、ええかや、男が布団ぞ。女はこれあらず」
    「今んのはわかりやすか、たとえぞ。本当の布団は干すほどに良い」
村の男 「うんにゃ、そんげん事でねえ、そらオラが家にいる時は可愛がってるて」
    「あの、オラは冬の間の、出稼ぎで半年も家出てて、そん時の事らて」
    「四月に生まれたすけ、オラがいねえ事をええ思って、男引っ張ったんら」
    「あの男が怪しいらて、村にのうヤサ男がいるて、オラん仲間だ」
    「カカの奴、あの男を布団にしやがったんや。許せんのう・・・・」
親鸞聖人「そうかや、なら女が悪い、その女はどげな眼をしてるかや?」
村の男 「底の暗い眼してるて、眼が笑わねえ女らいて、あらなんだろかの」
親鸞聖人「やましいからや、人はな、眼と影だけは誤魔化されんぞ」
    「影について教えて進ぜよう、お天とう様が照らすと影出来る」
    「ええかや、そちが照らしてみい、そちがお天とう様になるんじゃよ」
    「そんしたら、人がわかる。影は嘘をつかん、これこの世の仕組みなり」
    「また人を知るにこれもあり、地べたを這うなりし人を見上げることぞ」
    「人は乞食には正直ぞ、ありのままの本当の姿が出る。乞食は人の心知る」
    「ええかや、この世は仕組みで出来ておる、仏は修行の場を与えた」
    「悪人は天に照らされるのが怖い、己の影が蛇となって現れようぞ」
    「その照らすのが難しいのであれば、虫の心を持つことじゃ」
    「人は虫にも正直じゃでな、見上げるのじゃよ、どんどん見えてくるぞい」
村の男 「そうですかえ、天か虫ですらか。オラは虫の心を持ちてえて」
    「虫んなれば、カカの事、カカの色布団の事、その種の子もなんでもねえ」
    「てことは、許したろかいや。生まれた子を大事にしますて、オラん子ら」
親鸞聖人「それで良いのじゃ、裁きは仏に任せよじゃ、そちではない、心せよ」
村の男 「はあ、ええ話もいらいましたて、今夜はカカを笑わせてみますて」
    「あの笑わん眼を、なんとかやってみますて、あのヤサ男に化けようかや、けっけっ」
    「間違えて眼が笑ったりして、そんでもええ。けっけっけっ」
    「あのスケベ女、よがり泣きさせますて。和尚さん、あんがとごわした」


この物語は物語としてここまでとしますが、事実に則しています。
生まれた子は一つにして、六月の夜に非業極まる最期をむかえた。
尻の軽い女は、それを待ってたかの様に離縁し実家へと消えた。
その時は、本当の笑顔だったに違いない、眼が笑っていたと。
あの浮気相手の男は、酒を飲みにたまに家に来ていた。父は笑顔でいた・・・・

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