パソコン美人におんぶにだっこ

パソコン相撲 入門

故人の想いに報いるとは

2022-11-23 09:04:32 | パソコン相撲
私を守り育ててくれた人、タケ婆に想いをはせる。
この人がいなかったら、私はいなかった。どこか、遠くへ行っていただろう。
よって、今がない。今こうして、この文を綴ってはいない。

本当に出来た人だった。
苦労し過ぎたのだが、まるで観音様のような顔をしていた。
泥田に蓮。滅び消えゆく家系に咲いた、最後の一燐の花だった。
その花が散るとき、私は逃げた。花びらを拾うこともなく、逃げた。
いや、散らしたのは、この私、まだ生きられたのに・・・・

その明治生まれのタケ婆の教えがある。
「悪い人にだけは、なっちゃなんねど」
「馬鹿をかまうな」
「お前、旅に出るんど、そのかわり盆と正月は、帰って来ねばなんねど」
私は私をどう思っているのだろうか、タケ婆はどう想っているのだろうか。
思うと、想うの違いがそこにはある。想われているのだろうか。

故人の想いに報いるには、どうしたらいいか。
まず、教えを守ること。タケ婆は人としての、生きる基本を教えてくれた。
良い人になれ、道理を知れ、盆と正月には帰ってこい、ではない一歩引いた言い方で。
これは、真を知れということだろうか。人や世間には、道がある。
その道を生きろだろうか、そう、大元を教わった。

私の夢。
タケ婆の小説を書き、仏壇に添える。せめてもの報いとする。
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言霊の怖さ

2022-11-20 12:43:52 | パソコン相撲
私は、言霊の怖さを強く感じます。
いろんな事柄を、感じ、思い、考えるまではいいです。
さらに、まとめて書く位まではいいのですが、言葉として発すると・・・・

言葉は言霊として、一人歩きし出して行くのではと。
人の思い考えている事は、だいだいその通りにいくのでは。
たとえば、ごく身近では、水が飲みたい、あれを食べたい、これから寝たいと。
それらが基本だとして、こんどは次々へと個人の目標、欲などの実現へと行くでしょう。
こうなりたい、あれが欲しい、あの事がしたい、もっとやりたい事がある、と。
それぞれが自己実現へと向けて、一歩一歩と生を歩んで行くのでしょう。

ここで、私の体験した事を、例として載せます。
30代の時、気になってた女性が職場にいました。片思いでしたが。
その職場を辞めたくなっていた事もあり、彼女に会えないのであれば、一緒にと・・・・

私 「同じ日に辞めたい・・・・」
彼女「・・・・」
と、それだけの告白めいた事を言いました。
そしたら、ほどなくして同じ日に共に辞める事になりました。

私 「同じ日に辞める事になったね、言葉って怖いね」
彼女「そうだね」
という会話をして、それっきりとなりました。

これは偶然と言えば偶然ですが、確率は低いと思います。
言葉は発してしまうと、どこまでも歩いて行くのでしょうか。
呪術、今でも伝わっていますが、古代では世界中で一般でした。日常の一部。
そこでは口に出して、そう呪文を唱えます。非常に神聖な儀式です。
昔の人は言葉には魂が宿ると考えて、怖れ敬って日々の生活していたのでは。
人間が得た言葉とは、発することによって、まわりに届き、何かを伝えます。
その呪術には言葉が必要です。それは恵みをもたらしたり、矢ともなるのでしょう。

この言霊についてこう考えてみたら、と思うのですが。
自分が実現してみたい事を、言葉として発するのです。何々になりたい、と。
言霊は、後押しをするのかもと、漠然と思ったりするのですが。
さあ、どうでしょうか。
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お金の価値観

2022-11-19 15:16:38 | パソコン相撲
ここに、私のお金の使い方の価値観をまとめます。(気にしない順)

①旅行の移動旅費
海外旅行の、航空機代はそんなには気にしません。
エイチ・アイ・エス手配か、国内航空会社直の安い方で決めます。
個人旅行なので、エアチケットのみの購入です。
ヨーロッパなどは往復15万円越えでも、必要分なのでいいです。
国内移動分も、大事な趣味の為なので、こんなものと思っています。

②アパート代
今の所も築40年位で、家賃5万円位なので、まあいいかです。

③旅行の宿泊費
旅館だと2食付きで、7~9千円の宿が多いです。
ビジネスホテルだと朝食付きで、5~7千円てとこです。
1万円越えだと抵抗があるので、それ以下分だと気にしません。

④本代
読書が好きなので、まとめて買いこんであるのですが、まあいいかです。

⑤公共料金
節約しているので、もともと高くないです。


それで今度は、たとえ少額でも高く感じる順にまとめます。(気にする順)

①交通反則キップ
ゴールド免許が長く続いているのですが、前に何回かありました。
それが、たとえ数千円でも、物凄く損した気分になります。

②服代
そもそも金を掛けないのですが、買った後に後悔する時は、かなりがっくり来ます。

③お店での食事代
日常でも旅先でも、千円出して量が少なく、かつ美味しくないとがっかりします。
たとえばラーメンに千円は出しません。それでなくても、がっかり店が多いです。

④パン代
最近やけに高くなって来ています。定食よりも高くなりかねないです。
主食がこうだと、参ります。米食よりも高くならないか心配です。

⑤酒代
生酒、原酒、どぶろく、濁り酒、白酒、泡盛、焼酎の順で好きです。
ビール、ウイスキー、ブランデー、ワインはその次。
日本酒は、720mlで2千円弱のを買って飲んでいます。
それがそのうちに、2千円を超えるようになると、頭にくると思います。
今の値段だと、こんなものと思い、まあいいかです。


以上が私のお金の使い方の基準というか、こだわりです。
やはり趣味のお金には甘いです。良く言えば許容範囲が広いです。
先の気になる順、⑤酒代は現状だと、気にしない順の⑥みたいなものです。
酒好きなので、気にしても仕様がないです。以上であります。
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小話   人の心を一番知っているのは、誰じゃい

2022-11-17 23:41:00 | 小説

・・・・さてもさても、日本の偉人の中で誰が一番に、人とはを、知っていたのか。
人の心のヒダヒダの一枚一枚、カサカサと言う心の音、心の匂いとでも言おうか。
間違っても今の方々ではあるまい、つまり、心理学者、精神科医、小説家、詩人、芸術家、
評論家、哲学者、思想家、宗教家、教育者、占い師などではない。
しからば、この場合のB級グルメ的面々はいかに、つまり、詐欺師、極道、イカサマ師、
美人局、マフィア、用心棒、すけこまし・・・・知れている。

ん~~、ああそうだ、お坊さんや神主ではないんかえ、仏の目や心眼を持っておられる。
範は昔にありにけりだ、それも遡る程に傑物、偉人ありではないんかい。
日本のお坊さんでは誰かいや、鑑真は中国人なり、それ以外では。
最澄、空海、空也、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮、一遍、ではまだ若い。
あのお方、もしや行基菩薩ではないか、生きているうちからすでに菩薩になられておる。
よし決めた。小生、一念発起し行基菩薩様と夢の世界でのご対面致したく。
致したく、致した、致し、致・・・・(深き眠りに入りました)・・・・


小生  「これはこれは、お初にお目に掛かります」
    「私は越後の百姓の倅、名は助六いいまする」
    「今、夢の世界で夢を見ている様な、奇妙な面持ちでありまする」
    「とにもかくも、せっかくお会いした機会ですから、単刀直入にお聞きしたき事が」
行基菩薩「ああ、ええよ、助六とやら。あのその前に、なあ、ちとええか」
小生  「はっ、何でありまするか?」
行基菩薩「そちには、女難の相が出ておる。カカさんはもしや悪人では?」
小生  「仰せの通りであるまする。間男の子を産んでしまいました」
    「その子、つまり私の弟が亡くなった日の事を、笑い顔で話していました」
    「私は三才で捨てられました、でも今となっては、むしろ良かったかと」
行基菩薩「三才で影を知り、その後、地獄を見たんじゃな。面に書いてある」
小生  「はあ、七才の時、山から鬼の様な女が来て、もぬけにされかかりました」
    「あの十年で萎れました。まるでセミが脱皮しそこねたみたいな男に」
行基菩薩「うむ、生母が夜叉、後釜が鬼か。そちは女難から始まっておるか」
    「南無観世音菩薩、ええか、女とは観音ぞ、夜叉も鬼も借りの姿ぞ」
    「逆もしかり、麗しき女も借りの姿、いかにでもなれようぞ」
    「助六よ、そちは肥やしを貰ったのじゃ、多いほどに良しじゃ」
小生  「菩薩様、私には人の心が見えませぬ。このすさんだ目には・・・・」
行基菩薩「ええか、見ようとするな、むしろ見ぬが良い。心が見える訳がなし」
    「匂いをかぐが良かろう。人の心をかぐのじゃよ。匂いは誤魔化せん」
    「ええ人はええ香りの心を持っておる。逆は逆じゃて。これ人なり」
小生  「私の育ての婆やは、ええ匂い持っておりました。本当に、それはもう」
行基菩薩「よいか、そちは三つの肥やしをもらっておる。もらい過ぎじゃて」
    「その肥やしで、ええ花咲かせよ。夜叉も鬼も、本当は観音かもな」
    「良く聞けや、観音様は何にでも化けるぞよ、それを知ることよ」
    「人とは、人の心とはな、それは花じゃて、みな違う匂いだぞい」
    「花を愛で、育て、そして楽しむのじゃ。それで人は、救われるのよ」
小生  「人とは、花ですかえ。わかりました、花の心を知れゆうことですの」
行基菩薩「そちは、何の花が好きじゃ?」
小生  「はい、道端のすみれが好きです。あの紫が本当に美しいですて」
行基菩薩「では、すみれの様な女を求めよ、それが良い。では、な・・・・」
小生  「はぁ、後まだ、あれは、あっ・・・・」



そんなこんなで、夢は覚めてしまった。
夢では無かったのかもしれない、幻を見たのかもである。
あの助六は私だったのかもしれない、まあ、私にしておこう。
さあ、すみれを探しに行こう。人の心を見ようなんて、もう、どうでもいい。

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人類は、まだ住み分け途上

2022-11-16 22:56:54 | パソコン相撲
人類に戦争が絶えないのは、住み分けが出来てないからなのか。
この星に生命が誕生してからというもの、進化の歯車でここまで来ました。
巨大隕石の衝突がなければ、哺乳類、はては人類も無かったでしょう。
ただ運が良かっただけかもとも思う。そんな人類はどこへ行くのでしょうか。

基本、生物は種の生き残りをかけて他と争い場を作って来ました。
個体同士の争いよりも、種全体としてのテリトリーを求めたのでしょう。
場に合わせての適応、居場所を探しての大移動、これらは住家を得る為です。
地球上の過酷な地に求めたりもする。寒冷地、熱帯、砂漠、深海、孤島などと。
体を大きくする手に出たり、また小さくすることによって場を作ったりと。
驚くべく多様性の結果、この地球は生命のパラダイスにとなっています。
生命万歳、これは地球の奇跡です。住み分け、真にこれなのです。

人類も、この住み分けで広がって来ました。
敵の少ない地へと、シベリア、北極、高地、ジャングル、砂漠、地下、海上、弧島・・・・
人類は、初めは家族、そして一族、やがて部族、民族へとなって行きました。
そうなると自分達の土地、他とは違う自分達の土地を求め出したのでしょう。
それで争う、それで土地が増える。追っての移動、また追いやられての移動となる。
始めは、場であったのが、領土、国、そう自分達の民族の生存の場へとなります。

民族同士との戦争とは、領土、つまり生存の場を求める戦いが多いです。
住み分ける為には、ほかの生物同様に争いが続くのか。
まだどころか、永遠に途上かも・・・・
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文章の不思議さ

2022-11-14 20:27:57 | パソコン相撲
私は文学が好きで、小説を読んでいて思う事を書きます。
その小説の作者の声が聞こえると言うか、そのオーラが伝わって来る感じがします。
小説だけではないのですが、詩、戯曲、随筆、評論なども、作者が現れます。
およそ人の書いた文は、その人が極自然に出て来るのではないでしょうか。
たとえば、教科書なんかは、人が出て来ません。大勢で作るので無機質です。
また共著は何人かの筆が入るので、特定の個人が出てくる感じはしません。
もっと言うと、誰か別の人や、ゴーストライターが書いた本は、その人は出て来ません。
言いたい事は、文章には、その人が良かれ悪しかれ、自ずと出ます。

誰かの力を借りて書いたとすると、何人かの声がだぶって来る感じがします。
芸能人、スポーツ選手、政治家などの著書もそう、ゴーストライターが多いです。
ですので、文章から違う声が出て来て、「著者」の声は浮ついたりします。
ゴーストライターは必要です。手を借りることによって、形になり世に出ます。

それをどうのと言うのではなく、文章から現れる声についてです。
漱石を読めば漱石が現れ、ドストエフスキーを読めばしかりと、そんな感じで。
私の言いたいのは、本そのものから人が出て来ると言う、その感じのこと。

取りとめもないのですが、文章は不思議です。
またまた例えると、ゲーテについての本を読むよりは、著書にゲーテが現れる。
肉声どころか、おぼろげに見えたりすると言うか、また包まれると言うか。
文章は言霊として、そんな別次元へと誘うのでしょうか。
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小説 「中国夜話 毛沢東異界漫遊記」を書くに至った思い

2022-11-08 09:28:57 | パソコン相撲
中国には、1991年から旅行しています。
始めは上海、浙江省からで驚き感激しの旅でした。
あの頃は、まだ人民服姿が多く、町に色合いが少なかった。
それから毎年のように行き、華北、華中、華南、新疆、東北へとです。
今のところ、26回行きましたが、行くたびに変化に驚かれされる。
変化の元を辿ってみましょう。鄧小平、そして毛沢東へと。

それは鄧小平の黒猫話から始まった。
「黒い猫でも白い猫でも、鼠を捕まえるのが良い猫だ」
「先に豊かになれる者から、豊かになればいい」
・・・・改革開放に舵を切った。市場経済こそが繁栄すると。
読みはあたった。先進資本主義を手本にし、今やまた世界の大国になった。
毛沢東は言った「あの小さいのが、国を率いるのです」
その読みもあたった。地方への下放と言う左遷、失脚を乗り越えて躍り出た。
今の中国は鄧小平が作った、その鄧小平は毛沢東が目を付け育てた。
つまり、良くも悪くも毛沢東が共産中国の母体である。
功罪あわせ持った毛沢東は、問題があった。反省を知らないかに見える。

私はせめて天界では反省してもらいたいと、今、小説を書いています。
「中国夜話 毛沢東異界漫遊記」では天界で様々な人に会う物語りです。
そこで心に変化が生まれ、人の自由とは何かに思い至るのです。
かの孫文は自由、そして民主とはを知っていた。だが、思いなかばで倒れた。
ある意味、孫文は台湾、香港、マカオを作ったと言えるのかも。
もはや香港、マカオには、自由と言う普遍の価値の行方はわからない。

私には、中国問題とは毛沢東問題だと思う。
この数百年に一人と言われる人物に、自由と民主について問いたい。
小説の中では、徐々に徐々にと目覚める筈ですが、どうなるやら。
中国悠久の歴史の、ある一過性かも、さて・・・・
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ラーメン考

2022-11-06 10:11:34 | パソコン相撲
旅好きで、あちこち行きますが、お昼はラーメン店が多いです。
前もって食べログや観光協会、アド街ック天国などのテレビ情報をマークします。
食べログはそんなにはアテにはならないし、観光協会情報は会員店が多いです。
その点、テレビ情報の方が良いとも思います。専門誌は紹介がおも。

私はラーメン記録を9段階で付けています。(独断)
ー・1・2・2.25・2.50・2.75・3・4・5で付けます。
この中で3が及第点で、実は少ないです。4はもっとなし。5は国内はゼロ。
どうも、2.50が多いのです。2.75は良い方、及第点に近いです。
レベル3からは再訪ありで、2.75の店は再訪なくはない感じ。
日本の店では4止まり、中国大陸では5があります。小麦が違う。
それで、ーを付けた所では、店を出てすぐに吐いたことがあります。
鼻漏で恐縮ですが、1、2では後で下痢になったりもします。
前にブログに書いたのでが、成田空港出発前のラーメンに「大当たり」。
機内で着席指示の最中にビックバンになりかけて、ぎりぎりセーフでした。

ラーメン好きなのですが、旅先では泣いています。
お昼にがっかりが多いのです。私の中の及第点が本当に少ない。
しかし、ラーメンほどに旨い不味いの違いが出るのはないかも。
これはラーメンの不思議な魔力であり、奥深さだと思う。
だからは、お昼は掛けに掛けて行くのです。ほかの定食などは、そんな大差ない。

個人の好みとしては、みそ味、しょう油味、塩味、とんこつの順です。
ごちゃ混ぜの、魚介豚骨などは好みません。シンプルな、そのものがいいです。
細麺よりは太麺、ちぢれ麺で良くスープに絡むのが好みです。
もっと言うと、手作りの農家味噌に、手打ちの腰のある麺をぶっこんだのがいい。
いかんせん店側は、よそとの違いを出そうと、ごちゃごちゃにするから。
それで得体の知れないスープになり、味に雑味が出ると思うのです。
私は人気店や行列の店は、アテにはしません。がっかり店が多いのです。
ではどうするか、はい、勘であります。ヤマ勘で暖簾をくぐります。
入った瞬間にわかったりもあるかも。良くも悪くも、人だと思います。
特にラーメンには人が出ると感じます。ラーメンは正直だと。

いい味噌やしょう油に、手打ち麺。作り手の人柄、店の姿勢、想いであります。
ラーメンは面白い、玉石あわせ持ったワールドかと思う。
私の採点は厳しいです、なにせ中国大陸の麺文化に脱帽しとりますから。
どうも日本のラーメンが小手先ラーメンに、残念ながら・・・・
ラーメンは日本の縮図かも。創意工夫は良し、努力も良し、後は真心か。
そんな真心を持つと料理は変わります。ラーメンは素直。
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双眼鏡で覗いた北朝鮮

2022-11-03 09:20:21 | パソコン相撲
中国旅行の時、北朝鮮との国境の丹東に行った。
2013年の10月、瀋陽から数時間かけてバスで向かった。

前に板門店に行った事があるが、もう目の前全部、北朝鮮である。
中国丹東がカラーの街だとすると、北朝鮮新義洲は白黒の街だった。
派手な色やネオンがない。市民は薄汚れた作業着姿が多かった。
国境の河口を小船で遊覧出来るので、かなりと近くまで見ることが出来る。
こちらは遊覧なので、みんな興味津々で眺めている。
向こうはこちらに目を向けない、何事もないように黙々と暮らしている。
中国側を見物どころではない、日々の生活の営みだけである。
むしろ見ないようにしているのだろう、その意識もなく、もう普通か。
観光客は非日常を楽しみ、北側は、いつのも日常茶飯事でたんたんと。
空気感が違う、まるで別世界のよう、違う時代を生きているみたいだった。

また国境の川沿いを歩いてみた。
船とは違って、地面繋がりとして足での国境体感が出来た。
緊張感が漂っている、旅行好きとしては向こうに行って見たくてしょうがない。
この鴨緑江は漁をする事も出来ない、北の銃が向けられている怖ろしい川だ。

今度は高台の山に登り、双眼鏡を借りて覗いてみた。
市民の様子を良く見る事が出来る。表情もわかる、笑顔の人はいなかった。
窪地の奥の方で、数人が凧揚げをしていた。こちら側を向いてではなくに。
北の道は舗装されてなんかいない、砂利道どころか泥道ではないか。
砂利を集め敷くではなく、それも無理なのか、昔のままの道が見えた。
その時、山道を若い女性が自転車を降りて下って来たのがわかる。
泥道を転ばない様にと、よろけながら移動していた。
これじゃ、土砂降りの後はどうなるのかと、もっと案じられた。

この国の民の苦境の大元は、言うまでもない。
元凶は笑う、同類も追随の笑い、国民の涙に浮かぶ「笑い」か。
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文学へ・・・・

2022-11-02 23:58:22 | パソコン相撲
私の恩人は、守り育ててくれたタケ婆である。
生母に3才で捨てられ、父の後妻による10年で泥を喰らった。
人の醜さは反吐が出るほどに見て来た。勿論、私も醜かった。
あの10年がなければ、まったくの別人生だった。確かにそう言える。
だから私は育ちが悪いと思ってきた、だけど、はたしてそうなのか。
私は、あの生母や、あの後妻に育てられた訳ではない。
タケ婆である。本当に素晴らしい人に見守られて生きて来たのではないか。
だったら、育ちはピカ一にいいのではないか。自信を持っていいのでは。
そのタケ婆を見捨てて家を出てしまった。自身を救うために。
老衰の身でタケ婆は言った「あんげに、面倒みたんに・・・・」
私は何も言わずに、父の後妻の呪縛から逃げた・・・・

罰が当たったのだろう、現在、満身創痍、毎日毎日を生きている。
心が重過ぎて、思いを吐き出したくて、しがない文を書いている。
澱の様に溜まったのを、どうにかしなければならないのです。
その反面、また私はユーモアを好みます。諧謔の妙味が面白いからです。
かのルノワールは言いました「現実世界は醜い、せめて絵の中に美を」と。
私は声なき声を拾い集めて、代わりに形にしたい。埋もれている声の味方。
20代の時に書いた詩の一節にあるのですが、帝政ロシアの場末のこと。
・・・・「今もネリーの声が聞こえます、私は救おうとするのでした」・・・・

私は、耳を傾けられる人になりたいのです。
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