旧暦五月十三日と言えば、新暦六月の終わりをさす。
五月雨で煙るなか、一面には白い卯の花が咲きそよいでいる。
北上川は原野を流れる、この地に来たかった、芭蕉は喜び勇んだ。
杜甫の五言律詩が頭をよぎる、国破れて山河在りか、思いは飛ぶ。
ああ、ついに来た、奥州藤原三代の都、平泉へと。
中尊寺は光堂と経堂で、清衡、基衡、秀衡の棺、仏に首を垂れる。
宝物は散り失せ、扉は破け、金色の柱は朽ち杉のままとなる。
栄華は何故も儚く消えたのか、やはり義経か、いや頼朝か。
いやいや武家とは、そう言うもの、争そいに勝て残り、負けて滅ぶもの。
必然には勝てない、武家だけではなく、この世は諸行無常なり。
義経よ、静御前と共に散り、何を思ったのか、夢に現れてはくれぬか。
芭蕉は願いつつ、枕に頭をのせた・・・・
義経「おい、そちが呼ぶので来た、源九郎判官義経である」
芭蕉「まずもって現れてくださり、恐れ多いことであり、ありがたき幸せこのうえなく」
「お父上の敵討ち、源氏の世を作ったお働き、あまたに語り継がれておりまする」
「貴公はこの奥州で育まれ、千載一遇の好機に登場なされ、大働き、お見事でした」
「兄上の喜んでおられるお姿も、このしがない俳諧師にも大いにわかりまする」
「波乱万丈の人生なれど、これあっぱれと思う次第にござりまする」
「あの世では、きっと兄弟仲睦まじく過ごしておると、思いまする」
「そう、かの絶世の美女、静御前様は如何かと・・・・」
義経「静か、静がわしと共に高舘で散った時、最期に何を言ったか教えてしんぜよう」
「こいが定めと思うて、この世はこの世、来世で思い叶えてのう、と言ったのじゃ」
「何が兄じゃ、兄だけでは平家を倒せんではないか、返す刀で弟を倒したか」
芭蕉「あの、拙者が言うのもなんなれど、兄弟は他人の始まり、でもこの世のみ」
「貴公のおられるあの世では、それどころか稚児のように仲睦まじいかと」
「やっと、本当に仲直り出来たのではと、思い廻らせておりまするが」
義経「我が無念、語って聞かせようぞ、しかと聞け、ええか・・・・」
「兄じゃはのう、二つの源氏が許せんかったのじゃ、まあ、今ではわかるぞ」
「武家の治世には隙が出来る、そしておごりが出来き滅びの始まりとなる」
「おごりとは明るさの事ぞ、人も家も暗いうちは滅ばず。平家の明るさを見よ」
「もう武家ではのうなっておったわ、公家気取りの西のお笑いびととな」
「そこへいくと、この奥州は違っていたが、焼け落ちて草原となるに至る」
「なあ、このわしが平泉を滅ぼしたかと思うか、それとも兄じゃか?」
芭蕉「大そう難しき問につき、早々には答えに窮しまする。時の流れとしか」
義経「静なら、こう言うのであろうか、風は種を運び実り刈られた、とな」
「まあよい、わしは出来た女を得て果報者じゃったわ。今じゃ、一緒じゃ」
「兄じゃの事もええ、たまにだが酒もって、ひょっこりと来るぞい」
「何か、そん時の作り笑いが面白くてのう、こっちも笑っておるわ」
芭蕉「おお、それはそれは目出度しですな、こちとらも安堵致しましたです」
「きっとお父上の義朝様も微笑んでおられるかと、母上の常盤御前様もですな」
「あっぱれ源氏ですな、国破れて山河在りなれど、あの世では源氏は続くですな」
「ああ、ええ話を聞かせてもらいました、お姿も見ること出来ました」
「このことは相棒の曾良に語り、悦に浸りたいと思いまする」
「その曾良と言うのは、貴公の弁慶にあたるのですが、家来ではないのです」
「露払いと言うのか、太刀持ちにあたるのか、荷物持ちなのか、その」
義経「おい、弁慶を持ち出すと長くなるぞ、今宵はここまでじゃ、また夢でな・・・・」
ここで芭蕉翁は目を覚ました。
そうだ、曾良には弁慶の夢を見てもらいたいものよのう。
弁慶のように太刀にて守る事は出来んでも、あの笑顔で守ってくれとるわ。
みちのく、ここ平泉では涙した。五月雨は消した。
・・・・夏草や 兵どもが 夢の跡・・・・
・・・・五月雨の 降りのこしてや 光堂・・・・
その夢の跡を、曾良と共に進む。
善人の曾良は、義経の従者、老いたる兼房に卯の花を重ねて一句。
・・・・卯の花に 兼房みゆる 白毛かな・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます