パソコン美人におんぶにだっこ

パソコン相撲 入門

私の見た、一番の天然記念物の巨木

2023-02-26 18:51:26 | パソコン相撲
20代の半ばまで、日本百名山に挑戦していました。
上京して多摩に住むようになり、まずは奥多摩から慣らしていきました。
そして、丹沢の蛭ヶ岳から、日本百名山が始まったのです。

大菩薩嶺、雲取山、八ヶ岳、富士山、谷川岳、羅臼岳、大雪山、利尻山、
鳥海山、白馬岳、宮之浦岳、木曽駒ケ岳、磐梯山、苗場山、両神山、
甲武信岳、金峰山、妙高山、立山、剣岳、岩木山、美ヶ原、乗鞍岳、大台ケ原、
伊吹山、天城山、荒船山、剣山、石鎚山、蓼科山、岩木山、御嶽山、白山、
甲斐駒ケ岳、仙丈岳、八甲田山、月山、大山、巻機山、塩見岳、後方羊蹄山、
会津駒ケ岳、筑波山の順で登って来ました。44座です。

なんとか30歳までに完全踏破したかったのですが、全国文化財廻りに変えました。
今はもう、神社、寺、史跡、旧跡、名勝、天然記念物の樹木などの全国行脚です。

一番に驚き魅了された天然記念物の巨木は、屋久島の縄文杉です。
山登りをやっていた25歳の春、東京から7連休で行って来ました。
鹿児島からフェリーで島の東側に着き、バス、タクシーで登山口に向かう。
山小屋で一泊した後、トロッコ軌道を歩いてからは本格的な登り道。
この屋久島は雨が半端ではない、東南アジア並みのスコール級らしい。
私はだぶん晴れ男に入るかもしれない、全行程いい天気に恵まれる。
鬱蒼たる樹木は幽玄の世界をかもす。手付かずの地もありやに思える程である。
あえぎあえぎ急坂を登る、この宮之浦岳は原始の匂いありや。
そのうち、視界の隅に白い岩の様なのが入り込む。もしや、縄文杉か。
私は正視するのをおしんだ、もっと近づいてからにしようと歩を進める。
さあ、目前まで来た、一度に見るのはもったいないと思って根本まで来た。
では、敬いつつ仰ぎ見ようではないか。おっ、これは、なんだこれは……
まるで大地の男〇である。白い巨大な岩かとも思える。
存在感あり過ぎ、人格もありや。威風堂々、唯我独尊か。

名の通り、縄文時代の生き残りではないか。恐れ入るほどの神々しさである。
樹齢数千年とすると、人で言うところの数百代てところやも。
日本本土では神話の時代か、ここ屋久島では縄文の民の時代か。
いや待てよ、もしや無人島の時代からやもである。屋久島猿のころからか。

私は不動のまま、微動だにしなかった。やおら我に返り、木肌をなでなでする。
当時は柵がなくて、おさわりが出来ました。この好々爺、ツルツルであります。
思いは飛ぶ、かつて中国の始皇帝が不老不死の霊薬を探させに徐福を日本に送ったという。
もしも、徐福がこの島に来て縄文杉に感歎し、これを削り持ち帰ったとすると。
皇帝の齢は伸びるばかりなり、後宮数千人、子孫はねずみ算式にいたやもしれん。
なんか、だんだんと話が変わって来ましたのでこの位にしますが、凄いの一言。
この縄文杉、老いてなお、ますます盛ん成り。あやかりたし。

さあ、私は全国文化財廻りにいそしもう。全世界文化財廻りもやってます。
この縄文爺様の爪の垢を煎じて飲みたい。もっともっと時間がほしい。
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ひな祭りの思い出、と

2023-02-19 08:33:04 | パソコン相撲
私の新潟の実家では、ひな祭りが近づいて来ると、タケ婆が活躍した。
離れの蔵に私を連れて行き、2階から恒例のひな人形を運び出した。
代々の米作り農家なので、昔のからのやら数多くあった。

それらを私と一緒に運び出して、座敷にひな壇を設けて飾った。
タケ婆はニコニコしながら、順に置き並べていき喜んでいた。
その中には自分の花嫁道具として、生家からの物もあったかもである。
家内安寧、五穀豊穣、子孫繁栄、先祖供養となり、いい行事である。

それが私が小学校2年の時は、急に飾り付けが派手になった。
父の後妻の子が生まれたからである。私は幼な心に神妙だった。
そして、小学生6年の時は妹が生まれていたので、より彩った。

タケ婆の最後のひな祭りは、祝うどころではなかった。悲惨だった。
老衰で、汚れ布団中で寒さにかじかんでいた。助けを求めていた。
誰も親身になって傍にいなかった。私は、実家から逃げ出していた。
本当は私が寄り添えばいいのにである。取り返しのつかない大失態を。
たった3回しか様子を見に行かなかった。人でなしになった。
生涯最後のひな祭りは、何もなし。その3日後、綺麗な花は散った。

タケ婆は言った・・・・
「体がべとべとして、大変だいや・・・・」
「手が冷たくて、大変だいや・・・・」
「行くないや・・・・行くないや・・・・」

私は恩をあだで返した、万死に値する。もう言葉がない。

無償の愛のタケ婆は極楽にいる。私が地獄に落ちてく刹那、一瞬見たい。
きっと笑顔を見せてくれると、そう信じたい・・・・
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愛知、三河行きは続く

2023-02-18 09:15:02 | パソコン相撲
私は2年前から、愛知は三河を中心に現地バイク旅行をしています。
東京に住んでいるので、3連休を作ってはの文化財廻りです。
東海道は見所が多い、戦国三英傑の檜舞台、尾張者、三河者が天下を取った。
ゆかりの地がたくさんとあります。ここは中京、そう大事な要衝です。

三河の国は広い、東は遠江、西は尾張とを境川で分ける。
温暖な地なれど、山多く平野少なしで、昔は米が良くは取れなかった。
戦国時代は、今川と織田に挟まれて難渋した。二股のどちらに付くかである。
家康の苦悩は秀吉の比ではない。三河の民を背負っていた。

西隣の尾張の強みは、濃尾平野である。領土の割には石高が多かった。
今川義元は油断した、桶狭間で昼の豪華な膳を食べ終わるやいなやに襲われる。
この狭い地で散っていった三千有余のうちの一人となり、没落へと。
今川は兵を分散していた、義元を守るは5000、そこに織田の3000が突っ込む。
この局地戦で勝負が付く。天候急変も織田に味方し、今川勢は半数を失う。
全体では今川勢は10人に1人、織田勢は3人に1人が死んだが、それでも勝った。
御大将の首は値千金、国そのものである。義元がもし無事であれば歴史が変わった。

今回は、豊田、日進、東郷、豊明、三好、知立、安城を回って来ました。
境川を越えて尾張側にも少し入りました。旧国境にも興味があります。
3連休バイク旅行の8回目ですが、まだまだ回り切れません。
再来週は瀬戸、長久手、尾張旭へ行く予定です。尾張国へとシフトします。
天然記念物の樹木はですね、こちらを見て来ました。

下川口天神社       豊田市下川口   市天   イチョウ
賀茂原神社           市場町   市天   スギ
妙仙寺          日進市岩崎町   市天   マツ
東光寺          東郷町春木    市天   クロガネモチ
根上がりの松       知立市八橋町   名木   マツ
永安寺          安城市浜屋町   県天   マツ


今度は、尾張国の文化財廻りとなります。
信長いなければ、秀吉、家康の天下なしや。尾張名古屋へGОー。
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ネット小説公開 「江戸情話 てる吉の女観音堂」

2023-02-01 21:32:38 | パソコン相撲

このたび、藤原てるてるのペンネームで、アップしました。(コンテスト応募中)


・・・・時は幕末、越後の実家から遁走して来た百姓の倅、てる吉が主人なり。
深川の長屋に居ついて、町飛脚をしながら渡世を送っておりまする。
そんなある日、土佐の女衒に出会って、良くも悪くも運命が転がる。
仕舞いには、二足ならず三足のわらじを履くことになりそうろう。
音を立てて時代が変わるとき、てる吉も渦に巻き込まれる。
飛脚ゆえ街の空気を肌で感ずる。きな臭くなってきた。
風雲急を告げるなり、尊王攘夷、倒幕へと歯車まわる。
薩長土肥への江戸開城のとき、値崩れの吉原で溺れる。
明治改元を待たずして、闇に消える・・・・


艶物の時代小説となりました。真面目に書きました。
女観音道から菩薩道へとの至ったのかどうか、それは私も知らない。
読者の方々に、お聞きしたきところであります。ご一読、お願い致します。
    

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