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タケ婆の思い出集(明治33年生まれ)

2020-05-26 22:42:38 | パソコン相撲
幼少期(明治後期)
「昔は薭生村だったいや」
生後、隣村との合併。

「オラが子供のころは、裸足で歩いたいや」
明治のころの田舎の子は、裸足で騒いでいた。

学童期(尋常小学校)
「昔から、〇〇は食い倒れで滅び、〇〇は着倒れで滅び、〇〇は〇〇で滅ぶと
言われているいや」
大昔の集落間の、言伝え。

「戊辰戦争の時は、まっぞの沢に逃げたってよ」
集落あげての松沢川への避難した話を、親から聞く。

「昔、橋本屋の所には橋があったいや」
隣の集落との境に、橋があった。

「ちょうべ達と言って、昔から頭のいい家系だて」
家の裏側にある、阿部家のことを。

「昔、あそこんしょは、庄屋だったいや」
近所の盆踊りをする家のことを。

「長昌寺の和尚が子供のころ、屁かがそうとして手持ってたら、クソが顔についたいや」
幼馴染の住職の笑い話。

「長男に子がなくて、弟が跡継いだいや」
実家のことを。

「黒姫山に登ったことがあるいや」
親と行く。

15才(大正5年)
「オラは15のときに、嫁いだいや」
集落内の親戚宅へ嫁ぐ。

「来たときは、ちっちゃい家だと思ったいや」
本家の本家から嫁いで来た。

30代前半(昭和初期)
「お前みていに、体の弱いのは子供産まんでもいいと言われたいや」
嫁いで18年、子が出来ず義母に言われる。

40代前半(戦中)
「父ちゃんが子供のころは、戦争ごっこしていたいや」
私の父の、幼少期のこと。

「兵隊に行きたくなくて、醤油一升飲んだってよ」
隣集落の出来事を。

41才(昭和17年5月13日)
「この手が、働き者の手でもったいなかったいや」
義父が亡くなったとき。

44才(昭和20年)
「敵がどこにいるか、頭上げた時に撃たれたってよ」
姉の長男が戦死する。

44才(昭和20年8月1日)
「長岡空襲の時は、空が真っ赤になったいや」
夜22:30から未明にかけて空襲。

59才(昭和35年夏)
「新婚だったのに、悪かったいや」
夫婦で東京の孫宅へ泊りに行く。





続く・・・・


私の憶えているタケ婆語録を中心に、代わって作ります。
タケ婆が64才の時に私が生まれ、82才で亡くなったので、
晩年の18年しか、直には知りません。

これも恩人への供養です。
コメント
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