彼の甘い読みは、いずれもっと外れる。その外れ方が、まさに恐い。
このスラブ民族同士の争いは、同族に向かっての鏡と対峙する戦争ではないか。
お互いの強さ弱さを知っている同士の、「鏡戦争」だと思う。
相手の出方がわかるのである。手の内は知り尽くしている。
この前の独ソ戦では、ソ連としてナチスドイツにとどめを刺した。
戦争終盤、劣勢になったドイツ国防軍、市民は得体の知れない恐怖に襲われた。
西側の軍とは違う、獣のような、そう狼の群れが大群となって襲来した。
ソ連の仕返しは過酷を極めた。犯す、盗む、壊す、殺すである。
まず、この、壊す殺すが先ではないのである。西側の軍とは違う。
これはスラブの特性か、はっきり言うとヨーロッパの東の野蛮な民の姿なのか。
当時は当時、今は違うと思いたい。ロシアは独自の立場と言う宿命がある。
だが、もし、プーチンに野蛮が抜けていないとすると。
彼は核を使うかもしれないと、私は憂う。
本心としては使いたくて仕様がないのでは、彼の原体験には廃墟がある。
故郷レニングラードでの、独ソ戦での都市封鎖を喰らった後の、心の廃墟が。
彼は、底を見たのである。復讐のルサンチマンはあると思う。
それがである、今、同族のスラブに向かっている。お互い根をあげないのである。
ウクライナはロシアの出方を良く知っている。ロシアもしかり。
この「鏡戦争」は、鏡が壊れるまで続くのか・・・・