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パソコン美人におんぶにだっこ

パソコン相撲 入門

還暦自由人、しこしこ旅第4弾は中国東北部へ

2025-08-04 08:23:46 | エッセイ
今年の3月末で退職、晴れて自由人になってからと言うもの、旅三昧です。
和歌山1週間旅、岡山2週間旅、イタリア1ヶ月旅、で中国3週間旅へ。

北京から夜行寝台で北上、遼寧省、吉林省、黒龍江省の旅(8月5日~26日)
私の一番に旅行したい国なのです。文化財の魔力に憑りつかれてのリピーター。
通算27回目で、コロナで延期しての6年振り。東北部は11年振り5回目。
瀋陽、大連、旅順、丹東、長春、ハルビンには行きました。郷愁めく地です。

満州国時代の遺構は、形を変えて使われていました。感慨深いものがあった。
丹東から遊覧船で北朝鮮の新義州に近づいたところ、モノクロの世界が。
向こうの人は、こちらを見ない。視線をはずすと言うより、別空間あつかい。
双眼鏡で奥を覗くと、中国側を背にして10人位で凧揚げをやっていた。

今回は、再訪地にはあまりこだわらずに、東北部を旅したいと思います。
行ってない所の、遼寧省の撫順、吉林省の吉林、集安、延吉、図們に行く。
黒龍江省の牡丹江、ロシア国境の綏芬河や黒河、内蒙古の満州里も行きたい。

中国の料理で、私の定番を載せます。麺では牛肉麺、蘭州拉麺、刀削麺。
朝は、包子、小籠包、餃子、焼売、油条、パン、拉麺、豆汁、牛奶。
好みなのは、木須肉、回鍋肉、青椒肉絲、麻婆豆腐、羊肉串、蛋花湯です。

さあ、中国人民の渦に突入します。一路平安 ハイオク加油 好了でGОーーー


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ご注意、詐欺メールを開いた後にログインしてしまった

2025-07-23 00:00:00 | エッセイ
クレジット会社からの、毎月「ご利用明細更新のお知らせ」メールの件です。
二日連続で届きました。こんなことは初めてです。

7月17日(木)12:51 私の個人名入り   支払日 8/4(月)
7月18日(金) 8:35 私の個人名なし   支払日 7/16(水)

まず、時間帯からして、9時から営業開始なのに時間外の8:35分のメール。
毎月、個人名入りなのに個人名なしのメール。支払日の間違いメール。
一見、ほぼそっくりな見た目です。はい、18日(金)のは偽メールです。
後でよく見たら、メールアドレスのドメインが違っていました。
正規メールの後に、真似をしたそっくりメールを送り付ける手口です。
おそらくは、海外発信のワル連中だと思われます。現地時間での発信よくやる。

18日着の偽メールに記載のある会社URLを、クリックしてしまった。
オートコンプリートでID、パスワードを入力し、ログインしてしまいました。
その後、しまったと思い、すぐパスワードを変更。IDもと思い明日やる事に。
そして翌朝9時にカードセンターに電話。カードの停止はしませんでした。
カード番号を知られていなければ、大丈夫と思いました。停止がベスト。

今回、記載のあるURLよりログインすると、公式ホームページに繋がりました。
支払額、支払日が正規で載っています。本物のホームページに誘導する手口です。
そこで気付いて、急遽、パスワード、IDを変えたからと安心してはなりません。
プログラムにウイルスが仕込まれていたら、感染します。全部だだ漏れになる。
こちらが、たびたびパスワード、IDを変更しても、毎回筒抜けになります。
まして、パスワードの使いまわしをしていると、よそのカードもとなる恐れが。
またまた、私のパソコンそのものだと、丸ごと全部となってしまいます。

しばらくは、このクレジット会社の明細確認と、パソコンのチェックです。
時間をかけ油断させておいて、忘れた頃に、いつの間にやもあるのでタチが悪い。
ワルは、それを仕事にしている。1秒でも早く目を覚まし、真っ当になれ!
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小話   綺麗な目を守っていた幼馴染み

2025-07-20 00:00:00 | 小説
私は、彼女のことをよく知っています。同い年の幼馴染みでした。
二人とも農家で、親達は田んぼや山に行ったら夕方まで帰って来ません。
家も隣同士でした。あれは、小学校にあがる前の年のことです。
少しませていた私はこの子と仲が良かった。もっと仲良くなりたかった。
そこで「お医者さんごっこ」をしよう、そうしようと思ったのです。

この子の家に、何気なく近づいて行った。やあってな感じで、ふらっと。
ちょうど庭で遊んでいたので、こっちこっちをして物陰へ来い来いした。
ひで子ちゃんは頭のいい子でした。みんな、お見通しでした。


てるちゃん 「あっ、ひで子ちゃん、あのね」
ひで子ちゃん「うん、なあに?」

てるちゃん 「おしてほしいこと、あんの、あれって、どうなってんの?」
ひで子ちゃん「あれって、あのこと?」

てるちゃん 「そう、そうだけど、だめだよね」
ひで子ちゃん「いいわよ、みせっこね。ねえ、てるちゃん、そっちがさきよ」

てるちゃん 「わかった。じゃん……。こんど、ひで子ちゃん」

と、その時である。一つ年上の兄貴が学校から運悪く帰って来た。
私たちは小さくなって隠れた。もう、空気ぶちこわしである。

ひで子ちゃん「にいちゃん、かえってきた」
てるちゃん 「(モヤモヤモヤモヤモヤモヤ……)」


ひで子ちゃんは、兄に続いて家の中に消えてった。もう、出て来なかった。
あー、兄が帰って来るのが、もう少し遅ければと思った。
今、思っても間が悪いとはこのこと、まあ、淡い思い出である。

こんな事があっての数年後、彼女のおかあさんが海で溺れて亡くなった。
あの人も美人だった。お母さん似の彼女は、影をまとうように。
成績が少し落ちるようになっていった。着てる服も、薄汚れてきた感じが。
私も母がいなかった。すさんだ目を。でも、ひで子ちゃんは綺麗な目をしてた。
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幸せ坂を下る人と、不幸坂を上る人

2025-07-02 00:00:00 | エッセイ

幸せ坂を下る人は、幸せを知っています。そこから下るのです。
不幸坂を上る人は、不幸を知っています。そこから上るのです。

私は幸せ坂を、3歳のときから下り始めた気がしてなりません。
それまでは両親もいたし、はいはいしていた弟もいた。ささやかな日々が。
祖父、祖母、タケ婆に可愛がられて、それはもう、のびのびしていた。

でも、長くは続かなかった。母の浮気、浮気相手の子の出産、実はそれが弟。
弟は非業極まる怪死をした。絶対に書けない亡くなり方を。あんなのありか。
母は泣き真似をした。生まれてはならない子が消えた。母が夜叉になった。
夜叉は待ってたとばかりに、家を出た。協議離婚だと、〇〇喰らえ。

私は弟の最期のそばにいた。私のせいで数十秒後に死んだ。救えたのに。
今から思うと闇の手を感じる。もし、救おうとしていたら、私も巻き添えに。
この世には魔物がいると思う。巧妙に仕組んで来るヤカラが。

それでも3歳から7歳までは、心に穴が空いたままで過ごせた。
むなしさなんて、まだいい方だった。それが、父の再婚で運命が壊れた。
本当に壊れた。あの後妻に虫食まれていった。自分でなくなっていった。
あの10年で、もう。幼心にダブルパンチだった。心が萎れてしまった。

人は心を殺し続けてはいけません。私のような、もぬけになってしまいます。
自分自身に裏切られるのです。もっと言うと、本当の自分に復讐される。
あったであろう自分が、落ちぶれた自分を見ているのです。

私は不幸坂も下って来たが、これからは上ろうと決意する。
自転車で言うと、重いギヤのままでもいい、よろけて転んでもいい。
転ぶのには慣れている。幸せ坂ではなくこの坂に、第二の人生で向かう。

きっと、その先には幸せ坂があると信じて……

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純真な一輪の花、ゆりさんへ・・・・

2025-07-01 00:00:00 | エッセイ
あなた様へ贈ります。
どうしても、この場で御礼を言わせてください。
ブログを始めてから七年半、たいへんご教示頂きました。
あたたかい文章にお人柄が出ていましたね。理想の方。
身近に感じていました。そばにいてほしい人でした。
ユリのような方だと思います。どこか、なつかしい感じが。

私の故郷の新潟では、ヤマユリが綺麗でした。
山間部でしたので、まず、この花に高貴さを感じます。
ちっちゃな鼻を近づけて匂いをかいでいました。ほの甘い匂い。
そう、あなた様のような・・・・

私の拙文に、ご訪問頂きどうもありがとうございました。
本当に感謝しています。コメントしたかったでした。でもね。
今、こうしてやっと出来ました。後押し、頂きました。
あれ、良かったですよ。ウサタン言葉、ウサギさんも幸せです。

これでお終いではないですよ、アメブロに引っ越し中ですから。
同じタイトルでライト編、やっていますからね。どうぞどうぞ。
少しでも見てやって頂ければと。初めましてから、またですよ。

八年余り、やって来られましたね。ますますの、ご健勝を。
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イタリアあるある

2025-06-30 00:00:00 | エッセイ

イタリア一ヶ月旅から帰って来たので、イタリアあるあるいってみよー。
まあ、前に韓国あるある、インドあるあるを載せたので、各国版です。
最後は、おちゃらけでいきます。国、民族の違いっておもしろいです。

ピザのうまい店、まずい店がある。
まず、窯ありの店で焼き立てを出す所は、焼き立ての美味しさあり。
どこかで作ったのを並べている店は、二度暖めても味落ちる。
メインルートの観光客多しの繁盛店より、横丁の地元客の多い店か。

良くも悪くもラテン気質。陽気さにつつまれて、こっちも陽気に。
ともかく陽気、いつも笑っている。そのラテン笑顔が、またいい。
スペインほど「ケ セラ セラ」でないにせよ、まあいっか、が多い。
人生は、食べて歌って愛してが理想。楽しんだ者勝ち。

北部と南部で、髪の色が違う。現首相のメローニさんは今の金髪が似合う。
これは混血のたまもの、北部はゲルマン系の影響が大きい。金髪が多い。
ラテン系は元々は茶色黒色。スペイン、ポルトガル、ルーマニアも。
フランスは、もっとまじっているでしょう。みんな様々でいいです。

駅の出発ホームが定刻直前でかわり、どやどやと走り出す。
いかんせん遅れる。その列車群が空いているホームに入って来る。
ホームでは、どれをどこに入れるかが直前でないと決めれないのです。

「アッロラー」と言う言葉をよくロにする。ロがアクセント。
これは切り替え言葉。日本語の「じゃ」「さて」「それでは」みたいな。
イタリア人を解くカギかも。切り替えが好きで、その間のセンスもいい。

テレビの出演者どうしが、仲良く踊り出す。
それも上手い踊りをする。一般出演者たちに混じって、芸人がいるみたい。
まわりの観客との一体感がいい。その観客たちも踊り出しかねない感じ。

イタリア人はスペイン人と仲が良い。アミーゴってか。
ラテン系親戚。お互いの言葉で6割方通じるらしい、ジェスチャーまじりで。
陽気な国民性と、輪をかけて陽気な国民性の違いか。顔つきも似ている。

ドイツ人に少しわだかまりが、あるようなないような。
美術館、博物館の他国語解説の順が、英語、仏語、スペイン語、独語が多い。
それは一般的な並びではあるが、ローマ帝国の時代からのゲルマン意識が。

エッチな政治家が出て来る土壌がある。
なんたってアモーレの国だから、至極普通に。それは代表選手が出て来る。
かつてのムッソリーニ、ベルルスコー二、ハンガリー系チョチョリーナしかり。


とまあ、勝手な推測です。イタリア、イタリア人、ピザ、ジェラート好き。
ヨーロッパの人達は、ちょくちょく海外旅行が出来て、ホントうらやましい。
今度はヨーロッパ人に生まれたい。アモーレ、マンジャーレ、旅アモーレ。

PS 旅行中、ローマ上院玄関で午後〇時、メローニ首相を見ました。
退出して公用車に乗り込むのが、あざやかだった。それはスピーディーに。

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イタリア一周くずれ縦断旅   ミスの巻

2025-06-29 00:00:00 | エッセイ
一ヶ月かけてローマから時計回りにぐるっと予定が、無理でした。
まずは、日本出発時点のクツ選びからで。厚底ではないスニーカーがね。
それで石畳の道が、足裏が痛くてよう歩けませなんだ。違うのにしとけば。
で仕方なく、ジェノヴァの中国商店で20ユーロ位で買うことに。
このクツがまた足にあわずでした。観光案内所でハサミを借りて加工ですわ。
石畳道は厚底でないと、ほんと難儀しますな。ペースがおちましたわい。
イタリア半島北部で2週間、南部とマルタ、サルデーニャ島で2週間。
残りは予備日を持ってのローマ観光の筈でしたが、これじゃね。

クツのせいばかりでないですぞ、列車移動でのことがね。
特にあれはマズかった。ペルージャからアッシジへの列車でのことや。
手動式レバーの操作がわからずで、下車出来ず。舞い戻りで2時間ロス。
北部ヴェローナからボローニャに戻る乗り継ぎ確かめずで、1時間半待ち。
パルマからボローニャ行きが、列車キャンセルの連続になったのを知らず。
電光掲示板の見方を教えてもらい別列車へと。これで2時間強も停滞。
あと、フェッラーラからラヴェンナ行きが列車故障で次便へ。1時間なり。

赤ワインと、度数10度ビールにもまいりましたわい。
私、もともと逆流性食道炎の治療中であります。薬をたくさん持参しました。
酒を飲むか、薬を飲むかなのです。同時はダメ。やや高ワインを2本飲んだ。
夜に吐いたことが4日あった。あの苦いビールなんなの。5度のはいい。
昔と違って、酒は少量、それも間を開けないと。もっと抑えないとだわ。

手足の爪が伸びて来て割れだす。爪切りは持って来なかった。
ホテルで向こう流のハサミを借りる。あれダメね、日本式でないと切れん。
変な形に、まあカットした。せっかくなので鼻毛もカット。洗って返す。

美術館、博物館は共通券でないとかなり高い。回り切れないで、結局損を。
交通チケットも72時間券買って得するはずが、利用不足で回数券にしとけば。

ローマのコロッセオは、ネット予約でないと入れない。当日券なし、諦めた。
ヴァティカン博物館は、当日券だと3時間待ちだった。ネット予約がいい。
炎天下の長い行列の間、隣のカザフスタンヴァージン娘とのおしゃべりは良し。
小生、片言の英語、ロシア語、トルコ語でもって接近。ムスレムや手強し。
これも載せようか、シチリア島のパレルモで車がすぐ背後を通過、ひやっと。

何だかんだで、時計回り一周は頓挫、北イタリアで美に溺れ3週かかる。
断腸の思いで、前回来たフィレンツェ、ヴェネツィアを割愛、ミラノはちょっと。
ボローニャからナポリへと特急で移動、ナポリ観光数時間で夜行でシチリアへ。
そこで2泊した後、夜行で一路ローマへと戻って来た。この島、もっとなのに。
おいおい、マルタ、サルデーニャ島どころじゃない、もう帰国じゃんか。
ローマ観光も不充分なり、来訪6回で今回は一ヶ月なのに。もう、また来るわい。
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ただいま、イタリア一ヶ月旅行から帰って来ました

2025-06-28 00:00:00 | エッセイ
おとといの昼前に無事、羽田到着です。イスラエルVSイランが気になって。
テレビでは各フライトがウクライナ上空かつ、イラン上空を避けると出てた。
よって中間のトルコ上空が、過密スケジュールとのことでした。
携帯を持って行かなかったので、テレビニュースがよくわからないままで。
フライトキャンセルや遅延もなく、やれやれでほっとしました。

今は時差ボケ中です。目覚めて朝かと思ったら、午後の2時でした。
まあ、現地の朝7時にあたるのですね。7時間時差は7日で戻るとか。
この投稿ではやわらかくいきますわ、後ほど紀行めいたのを書きますね。

はい、では今回はイタリアの食についてです。なにせ高かったですな。
お店では10ユーロからのメニューが多い。おまけにコぺルト(席料)あり。
少ない量のパスタがこれである。私は席料がおしくて、テイクアウトした。
どうも乾麺パスタはだめ、手打ちらしき店は良かったが、がっかりが多い。

ピザもそう、美味しい店とそうでない店の差がある。それも高い。
ナポリでのピザは安くて、1枚ぺろっとだった。あれで3ユーロとは、お得。
パンはいい、やはりクロワッサンは違う、日本のスカスカパサパサじゃない。

バングラデシュの方々の店は安くて、美味しかった。
カレー、カレーピラフ、丸ごとチキン良かった。ミネラルウォーターも安い。

ホテルでは朝食付きにした。7~10ユーロで食べ放題、これは元が取れた。
全部で80から120ユーロもするとこだらけなので、朝食が一番豪華に。
まあ日本のバイキングのようではない。4泊したとこもあったが、毎食同じ。
ハム、ベーコン、チーズ、ヨーグルト、トマト、エッグ、クロワッサンが定番。

長くなるので、ここまでにします。イタリア一周くずれの縦断をして来ました。
教会めぐりがメインです。イタリア人のラテン気質がいい、つつまれての旅。
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早生まれは、良し悪しや

2025-05-29 00:00:00 | エッセイ
私なんか、昭和〇〇年の、3月26日という超早生まれです。
小学校に6歳になったばかりで入学、同級生の中には、もうすぐ7歳もいる。
まわりを見ると体が大きい、学び遊びにも差がついている。
学年が進むと、女友達と何やらしている。女性に慣れるのも早い。

私の結論、早生まれは、学業の損得で言えば、損でしょう。
だけど良し悪しとなると、一概には言えません。これは後になるとわかる。
義務教育の過程で、いろんな事を早く体験しているからです。
これは貴重と言えるかもと思うのです。背伸びを結果的にさせてもらっている。
それも学校からですよ。新しい世界が向こうからやって来る感じ。
よって、五分五分なのではと。

当時を振り返ると、生誕してから小学校2年の初めまで佐藤政権でした。
長期安定政治が続いていて、経済も高度成長期の真っただ中でした。
いい時代に生まれて、良かったと思います。
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福田和子、逃亡の果てに

2025-05-28 00:00:00 | エッセイ
ご存じの様に、この女性は時効の間際で、あと21日というところで捕まりました。
15年近くの逃亡のラストでしたが、自ら望んでいたかのような謎もあるのです。
きっと彼女にとっては謎ではなく、あきらめでもなく、開き直りなどとは違う何か。
そう、心の声にそっただけかも。自分に戻りたい、変わってしまった前に、と……

整形手術を何度か受けて顔を変え、髪型、服装、雰囲気までも変えての逃亡。
本人曰く、悪知恵が働くとのこと、偽名を20以上使いこなした。
彼女は街に逃げた。居場所を変えながらも、その街の人になろうとした。
孤独が怖い、息子はそう言う。寂しいから人に会いに街に出るとのこと。

あの福井駅前の、そう捕まったおでん屋では、もう観念していたのでは。
テレビは時効直前の私の事が流れ込んでいる。私はここにいる、ここに。
福田和子は自身を「租界」の出だと言う。この疎外感から生い立ちが始まっている。
人に左右され、いや振り回されての生きようだった。そんな中、人の弱さを知る。
また、こうも思う。よし人の心を利用しよう、男は女に弱い、利用しようと。
良くも悪くも、人の心にたけていった。カンも鋭くなっていった。

私は思う、逮捕の時、培って来たというべきか、このカンでわかっていたのでは。
彼女は言う、「戻りたかった、きっと、綺麗になりたかった」と。
こうなのでは、美が好きで憧れている女性が、その美から遠くなってしまった。
本当は違う、私はここにはいないはず、どうしてここに、どうして、もう……

彼女は、女性編集者にはこう言った。
「あなたみたいなサンロードを歩いて来た人には、到底わからない」と。
闇を知っている人でなければ、闇の心は見えない。私も、そう思う。

最後に、この女性の得た特性ですが、とろけるような女、とのことです。
これは身を守る為に掴んだすべでしょうか、あるいは生来の天性かもと思うのです。
花は傷んでも花、もし傷まなかったらどうだったでしょうか、思いをはせる。
ご冥福をお祈りいたします。
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退職記念、イタリア一周一ヶ月の旅に行って来ます

2025-05-27 00:00:00 | エッセイ
現在、第二の人生に入ったばかりであります。旅行三昧です。
3月下旬に和歌山1週間旅、4月に岡山2週間旅をして来ました。
今回は、イタリア時計回り一周旅を5月27日から6月26日までです。
イタリアは6年振りの6回目、文化財に圧倒されてのリピーターです。
ローマ、バチカン、ナポリ、ポンペイ、ミラノ、ボローニャ、サンマリノ
ヴェネツィア、ジェノバには行きました。素晴らしいです。

前はナポリ以南は、治安が良くないと思っていたので、注意してた。
ナポリでマフィアが出てきやしないかと、夜は警戒したけどОK。
下町スパッカ・ナポリの濃厚情趣、最高でした。みんな善人に思えた。
今度、マフィアの故郷のシチリアに行きます。航路でマルタにもです。

アッローラ、これは切り替えの言葉です。イタリア語って発音しやすい。
日本人お得意のローマ字発音でいい。私は現地語をなるべくしゃべりたい。
おじさんなのにバンビーノ(少年)と言われた事も。まあ、ベーネ(よし)。
ってな感じで、おもしろい。グラマーさんにグランデ(おっきい)と言ったり。

さあ、第二の人生が始まったと言う事は、童貞時代に戻ったも同じである。
新鮮な気分で、バンビーナ(少女)から聖母子へと、イタリア女性美を堪能。
マンジャーレ・カンターレ・アモーレ(人生は、食べて歌って愛して)だね。
真面目旅をやって来ます。おわり。

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インドあるある

2025-05-26 00:00:00 | エッセイ
前回は、愛するインドのやや硬い話でしたね。
このブログでは、ライトにフラットにテンポよくが意気込みでした。
ああ、また、硬いぃぃぃ。さあ、インドあるあるいってみましょうーーーー!

ーー毎食カレーを食べるーー
一番安いのは豆カレーでしょうか。ビーフカレーはご法度ですかね、信仰ゆえです。
ポークカレーは、別の意味であまり食べないみたいですね。これは、生理的にか。
チキンカレーが次なる定番かな、店ごとに香辛料の配分が違う、家庭ごとの味。
私たちが毎食に味噌汁を頂くように、ごく普通にカレーを食べているのですね。
日によって味噌汁の具材を替えるように、香辛料や具材を替えての毎食です。

ーー映画大好きーー
日常のうっ憤を晴らすのもあってか、娯楽映画の超大国である。ゲラゲラ笑いです。
美男美女が必ず出て来て、男性客女性客をウキウキワクワクさせて、しばしの夢を。
インドの日常は過酷で厳しいのである。夢が必要、娯楽映画は必需品なのです。
やけにハチャメチャダンスを踊っていますよね。もう踊りまくり、突然に踊ったり。
ダンスが重要なのです、あのテンポで忘れるのです。何もかも飛んでけーってね。
インドの悠久な大地は、スローなテンポで流れています。非日常の世界がうける。

ーー男同士が手を繋いで歩いているーー
何も〇〇な訳ではありません、親友なのです。友達をもっともっといくと、これ?
この感覚は理解しづらいが、おそらくは空気の様にごく当たり前とでも言うか。
若き男性諸君は宗教の地なので、女性に接したいの代行行為が元かとも思いますが。
女性同士では、手を繋いで歩いてはいません。これも宗教かと思います。

ーー町中をヒジュラ(無性になった女装の男性)が何人もで行進しているーー
これは承認欲求の現われか、アイデンティティーの発露と思う。インドならではの。
インド社会の寛容さ、文化の厚みを感じられます。見ると歓声を浴びて満面の笑み。
それも綺麗な方がいますよ、日本のあの業界もびっくりするような、ね。

ーー男はしゃがんで、おしっこをするーー
これも宗教かと思われる。いかんせんこの国は宗教大国である、良くも悪くも。
不浄を隠すのが美徳なのか、いや、自尊心からではなくて、伝統による習慣か。
ちなみに、河川敷や原っぱは「大」の地雷原みたいになっている。足場に要注意。
中国式の小型地雷の通称「カエル」に似たのが碁盤の目の様に、そこらじゅうにと。

ーー食中毒に注意ーー
私は生焼けのタンドリーチキンで食中毒になり、帰国後カンピロバクターが検出。
名物料理であたった。当時は力が抜けて、よれよれでアグラのタージ・マハルへと。
下痢の数多し嘔吐もしかり、食べれず寝れずである。あの細菌は日本のより強いか。
あと、列車に乗り込んでくる自家製アイスキャンディー売りにも注意です。
おそらくは、汚い井戸水に砂糖をぶっこんで作ってくるのでしょう、もろに来ます。

ーー野犬がどかないーー
もう街中、野犬だらけ、宗教のお陰とでも言うのか、堂々と闊歩していますなあ。
お犬様になっている、人が通る道でどかないのである、人がよけて歩いています。
私なんか、犬を跨いで歩きましたぞ、犬は予想外の展開に、ワーンと一吠え。
今では、カンボジアで野犬に咬まれて、完璧に犬恐怖症になったので絶対出来ぬ。
犬が怖く無かった頃の、おふざけの芸当?かな。かなり危険でしたね。

ーージキジキなる隠語ありーー
これは南アジアから東南アジアまで通じる「共通語」であります。
現地では私はこの手を使いませんでしたが、オート三輪の運ちゃんにはツーカー。
まるでアメリカ人とイギリス人の間みたいにね、変なたとえですが100%ОK。
デリーの魔窟、GBロードからほうほうの体で抜け出て来ました。怖かったです。

まあ、こんな感じで書きましたが、摩訶不思議な大国ですね。
三大女神はシヴァ(破壊神)、ビシュヌ(維持神)、ブラフマー(創造神)です。
パルヴァティ(絶世の美女)、クリシュナ(美男子)、ガネーシャ(象)も人気。
そのクリシュナの中に、幼くて可愛らしいベイビークリシュナがあります。
子供の姿の神様です。インドの純なる原点か。子供こそ、神そのものでは、と。
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我が故郷の新潟は、微妙な立ち位置です

2025-05-25 00:00:00 | エッセイ
新潟出身で、上京41年になるので、新潟時代の割合が減ってってます。
個人的には、まあ嬉しいのですが、それはともかくとして進めます。

当時から私も含め、新潟は何地方と言うのかが、良くわかりませんでした。
東日本、中部地方まではいいとして、甲信越で括られてもピンとこない。
電気は東北電力でして、県民のほとんどは、何か腑に落ちないでいる。
気象庁は北陸地方として、まとめて扱っている。日本海側で気候が似てる。
日本第二の大河の信濃川は、その信濃とは長野県のことである。
律令時代からは越後、その前は越の国。越前、加賀、越中と同じ国。
その越と言う字は、高志とも書いた。コシのコが朝鮮半島と結びつくとか。
朝鮮の古代国家の、高句麗、高麗との繋がりを指摘する説もある。

思うに、昔の越後の人々は、ごく普通に北陸として生活していたのでは。
鎌倉時代になって、鎌倉道を作り坂東への南北の道が出来るまでは特に。
京から日本海側を東へと、越の国を通り、そして出羽へと繋がる東西の道。
昔の越後へは、この東西道で人、文物、宗教、文化が入って来た。

北陸。新潟県人は、郷愁めいたのを実は感じているのではないでしょうか。
でも、親不知の先の富山とは何か違う。西日本ではないか、アクセントが違う。
越後と越中、元々は越の国。だけど、やっぱり違う。これが大きいと思う。
たとえて言うと、越の国の末っ子が里子へ出て毛色が変わったとでも言うか。
私は思う、越の四人兄弟の先三つ、越前、加賀、越中が懐かしかろうて。
だけど、そんなこと言えない、坂東に一番近くなっているではないか。

そんな訳で、坂東の江戸、そして東京へと目は向くばかり。



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インドは、二つありや

2025-05-24 00:00:00 | エッセイ
インドは不思議な国である。つくづくそう思う。
色を白くすると、西洋人にかなりと似て来る。ペルシャ人がそうであるように。
アーリア人の東進組である。彼らは英語などの西洋諸語に強い。元はお仲間である。
ヒンディー語のいいえはナヒ―ン、ドイツ語はナイン、オランダ語はネーン。
デンマーク語はナイ、スウェーデン語はネイ、ノルウェー語はナイ。
ペルシャ語はナー、英語のノーは似ている、ブルガリア語はネ。
ポーランド語はニェ、ロシア語のニエットもなんか似ている。他にもあります。
お気づきの様に、「N」が付きます。大昔にはN音否定大集団だったりして。
これらの様に、人類の黎明期で大事な、はい、いいえなどは近親関係だと似るのか。

よって英語をマスターするのは、お茶の子さいさいである。
インド人に聞くと、ヒンディー語に比べて発音が少なく、簡単に話せるとのこと。
元は同じ語族だから文法も似ている、系列言語が多いので覚えやすいのである。
ですんで日本語のたった五十音なんて、もう屁の河童なのです、よ。
ただし、話すのは簡単なれど、読むのは大変、書くのは至極大変となります。

インド国内は多民族多言語国家ですが、大きく二つに分かれます。
北インドのアーリア組は、ヒンディー語、ベンガル語、パンジャービー語など。
南インドの先住組は、ドラヴィダ語系のタミル語やテルグ語などですね。
ちなみにスリランカ北部は南インドの仲間だから、タミル語を話している。
南部は侵攻してきたアーリア組のシンハラ人だから、ヒンディー語に近くなります。
あと、ネパール語は親戚みたいに近いと思われます。

インドの民族、そして言語は大きく二つになるとすると、どちらを見ているかです。
アーリア系と非アーリア、我々はインド・アーリアなるものをインドと見てるかも。
先住の非アーリアの事は、あまり目を向けていない様にも思えるのですが。
原インドとでも言うのか、南インドのドラヴィダ語族、特にタミル人にこそですよ。
私は、インドの中のインド、原色とでも言うのか、インドインドを感じるのです。
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東日本大震災を、1週間差でかわす

2025-05-23 00:00:00 | エッセイ
2011年3月11日(金)午後2:46分、私は東京の多摩にいた。
仕事で外回りをしていて、体験した事のない強烈な揺れに襲われる。
後で震度4だとわかったのだが、その時は、もっとだと思っていた。
どうしよう、その日の夕方から愛知へ旅行だったのである。さあ、困った。

とりあえず急いで帰宅する、駅では大勢の人が無言で家路へと向かっていた。
ある妙に生ぬるい空気が漂っていた。未曽有の災害のとき、吹く風なのか。
人々が同じ恐怖に包まれるとき、場の空気まで変えるのか、風に意思があるような。
そう、人智を越えた風やも。魔の様なこの風の正体を知りたい・・・・

家に着いてわかる、新幹線が停まっている、その日は向かえない。
それで翌朝、新幹線は動いているとのこと、早朝に東京駅へ向かう。
あの東京駅が、がらがら。車内はほんの数える程の乗客。急ぎ名古屋へと。

もう、旅行気分はふっ飛んでいる。家から持ってきた新聞は、惨禍の写真だらけ。
名古屋港で聞いたところ、ここでも1mの津波が来たとのこと。
そこに海外からの、イタリア人やトルコのグループがいた。彼らも驚いただろう。
私はトルコ人観光客に、「ツナミ、ワンメートル」と岸壁を指して言ったのみ。
海外旅行好きなのでコミュニケーションしたかったが、そんな余裕はなし。
その時の愛知の旅は、心ここにあらずだった。

私は、そして思った。来週は、福島の原発ある地域の旅行を組んでいたのである。
乗車券、宿も手配済み、行くことになっていた。すぐ、全部キャンセルした。
もし、旅行の順が逆になっていたら、福島で被災していただろう。
1週間差でかわすことが出来た。これは、運が良かっただけなのだろうか。
それ以外の何かも感じられる。この事も、思い出の一つである。




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