Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

「アバター」関連ニュース

2010-01-27 10:33:25 | 日記


<「アバター」興行収入歴代1位に 「タイタニック」抜く>(アサヒコム)2010年1月26日16時36分

【ロサンゼルス=堀内隆】ジェームズ・キャメロン監督の最新映画「アバター」の全世界興行収入が、同じ監督の「タイタニック」(1997年)を抜き、史上最高額を記録した。配給会社の20世紀フォックス映画が25日、発表した。コンピューター・グラフィックスで描かれる星の自然風景の美しさや3Dの映像が観客を引きつけたようだ。
 同社によると、25日現在、「アバター」の全世界興行収入は18億5500万ドル(約1670億円)。「タイタニック」の記録は18億4290万ドル(約1659億円)だった。「タイタニック」が1年半かかって達した数字を「アバター」は39日で更新した。日本でも5週連続で興行収入1位で、70億円に達している。
 「アバター」は22世紀の宇宙空間を舞台に、鉱物資源豊かな星の支配を目指す人類と、その星に住む先住民の戦いと恋を描いた。17日に発表された米ゴールデングローブ賞のドラマ部門で作品賞と監督賞を受賞した。



<平凡な日常いや…アバター観賞後、米でうつ症状多数>(アサヒコム)2010年1月27日0時0分

【ワシントン=勝田敏彦】映画「アバター」を見た後に平凡な日常に戻って落ち込んでいる人々がいる、との報道やインターネットへの投稿が米国で相次いでいる。「アバター観賞後うつ」とでも呼ぶべき症状で、ネットには「患者」からの声が多数書き込まれている。
 この現象は、3D(3次元)で描かれた美しい神秘の惑星パンドラの風景や、自然と調和した住民の平和な生活に魅せられた人が、現実の生活との差に悩むことで起きているようだ。
 ネット上にある映画のファンの英語のページに「パンドラの夢によるうつから脱する方法」というコーナーができ、人々の悩みが書き込まれている。
 「映画から日常に戻り、本当に落ち込んだ。もう1回見て、絶望感から立ち直った」「映画を見てから、遊ぼうという気がなくなった」「パンドラのような所を探そうとしたが、見つからなかった」
 米CNN電子版は「この映画は、仮想的な世界を作る技術としては最高。逆に、映画に出てくるユートピアと全く違う現実が一層不完全に見えてしまう」という精神医学の専門家の分析を紹介している。
 この現象は日本でも話題になっており、ネットには「日本はアニメ・ゲーム文化が根付いていて、そこまでの人はいないのでは」といった見方がある。一方で「映画の宣伝ではないか」という意見もでている。





外の風;『天皇の世紀』より

2010-01-27 03:04:30 | 日記


★ 幕府時代の日本人は、住んでいる土地から一生離れないのが原則であった。農民は死ぬまで土を守っている。諸藩の武士たちも、主人の参勤交代の供をして江戸に出る役目でない限り、城下や領土の内に暮らして外を見ずに一生を終えた。商人も商売が活発になり、品物を遠方に送るような時代が来るまで、領主や士分の者の生活の用を足すので満足して、小さく、規定された生活であった。大名の所領が変更になると世帯をまとめて移住するくらいに密接に隷属した関係である。

★ 旅嫌いの日本人が、幕末近くになると、外に出かけるようになる。生まれた家で暮らすだけの理由を失っていたし、経済的にも家に置いては養い切れぬ人員が出た。何となく現状が不安である。人間の生活が活発である都市に出たり、知らぬ遠方の土地に行ってそこの国情や人の心の動きを知ろうと求めたもののようである。遠国の人々にも自分と共通する心を見出すように成った。

★ 京都の禁裏に住む公卿には、幕府の拘束があって、そうした自由が考えられなかった。しかし、列藩の武士たち、特に若い人々の間に、一代前には父兄が安心していた空気とは違って、何か心の渇きを覚え、それが何か自分でも知らずに他国を知ろうとする漠然とした志を持つ者が出て来ていた。未来をさぐろうとする新しい情熱である。もちろん、家の生活に不自由を感じ始めたのが原因で、次男三男の部屋住みの者にこの傾向が強く、また努力しても身分の序列以上に出られぬと知っている小身軽輩の中の勇気ある者に、渇きは強かったろう。絶望しなければ、貧乏は若い者に、いつも力となってくれる。

★ 長州の吉田松陰の若い日の旅もそれである。何のためのものか、何を求めて出たのか、ほとんど自分ではっきりしていなかったろう。ただ、誰かに会って強い渇きを癒そうと漠然と求めていた。今日と違うとして二十ぐらいの青年で、どこへ行っても彼は自分が何も知らないのに気がつく。しかし、惑いながら何かを発見したい熱情に取り憑かれている。精神は純粋で高邁であった。やがて終わる短い生涯の中にも、長崎に行くかと思うと熊本に横井小楠を訪ね、江戸に佐久間象山の門をたたき、大日本史の水戸の学者たちと対話し、やがて、ペリーの軍艦に頼んで大胆にもアメリカにまで渡ろうと企てるのだ。疲れることを知らない彷徨である。彼の生まれた萩の町は、当時の日本としては随分遠く奥深い土地で、現代でも閑静と無為に、美しいまま損なわれぬ山と海につつまれている小さな城下町だ。牢屋に入るためにその故郷の土地に帰るまで、松蔭はこの遍歴を続けている。

★ もっと目標が明確で動揺しなかったのは、半世紀も前から続けられて来た一部の人たちの蘭学への関心である。蘭学といえば、オランダ語の勉強のことだが、それは狭い入口だけのことであって、内に入ると、彼らには未知の西洋の科学が、どこまで遠く深いか予測もつかず拡がっていた。圧迫を受けながら蘭学の研究だけが一部だけ認められていた。漆黒の闇夜を手さぐりで行くような経過の「蘭学事始」の執念のような忍耐強い究明が、自由人である医学生たちに依って始められた。医学のうしろに、まだ奥があるのだ。心ふるう思いでそれを追っていた人々である。

<大仏次郎『天皇の世紀1』“外の風”(文春文庫2010)>





世紀を越えた本

2010-01-25 11:49:41 | 日記


1冊の本がある、文庫本である(実際は“上、下”の2冊本である)

この本の原著がフランスで刊行されたのは、1972年だった(増補版1975年)

この本の翻訳者宇野邦一は、この本の新訳・文庫化に際して、“世紀を越えてこの本が生き延びる理由”という後書を書いている。
この本はジル・ドゥールーズとフェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイディプス』(河出文庫2006)である。

正確な記憶はないが、ぼくがドゥルーズやフーコーやデリダなどの名を知ったのは、1970年代に発刊された雑誌“エピステーメ”でだった。
この雑誌が刊行されてからしばらくたって、書店でぼくはこの雑誌に気づき、バックナンバーを取り寄せたと思う。
さらにこの雑誌の“前身”ともいえる“季刊パイデイア”の“特集<思想史>を超えて―ミシェル・フーコー”を入手した、この特集号は1972年の刊行である(いま手元にある)

たぶんぼくは当時、ル・クレジオの翻訳者であり、評論家であった豊崎光一氏(はやくに亡くなった)に“反応”したのである(この特集号には豊崎光一“砂の顔-アルシーヴと文学”が掲載されている)
そして雑誌“エピステーメ”を通じて、蓮実重彦や浅田彰を知ることになる。

エピステーメ創刊準備号(1975)の表紙にはこうある;《思考の大地に 大いなる亀裂よ走れ!》
この雑誌の“形態”や“レイアウト”も斬新であった。


しかし、それらの<新思想>が、ぼくにすんなり理解されたわけではなかった。
正直に言えば、それは当時“ブランド・ファッション”にときめくような、“知的ファッション”でないことは、なかった。

しかし、じっさいに読む、フーコーやドゥルーズの<原文>(翻訳でだ)もそれについての<解説>も、とてもやすやすと理解できるものではなかった。
そういえば、上記の“出会い”より前にぼくは、現代思潮社から出たデリダ「グラマトロジーについて」は買っていたが、まったく読み進めることができなかった(現在においても;笑)

さて話をドゥルーズ(+ガタリ)にしぼろう。

ぼくはこの『アンチ・オイディプス』の最初の翻訳本(単行本)は買っていない。
高かったからである。
そして『ミル・プラトー』単行本の方を(これも高かったが)買った。
それにもかかわらず、『ミル・プラトー』を読んでもまったく理解できなかった。
その本を何年も放置したあげく、退職したときの大整理で、二束三文で処分してしまった。

当時(2003年)、ぼくは、もっと身についた(自分の身の丈に合わせた)読書をしよう、と思ったらしい。
しかし会社を辞めたあとの比較的時間があるなかでの“読書連鎖”のなかでも、フーコーやドゥルーズは気になり続けてきた。

だから『アンチ・オイディプス』の文庫本での刊行は、ぼくにとって<事件>だったのだ。
2006年、この文庫の刊行直後にぼくはこの本を買い、当時のDoblogにもそのことを書いたと思う。

にもかかわらず(笑)結局、現在にいたるまで、この本を読み進んでいない。
もはや、この文庫本が刊行されてから3年以上が経過した。
いまこそ、<この本>を読もう。


宇野邦一氏の後書の最初を引用しよう;

★ 刊行後30年以上たち、すでにドゥルーズもガタリも地上の人ではなくなったいま、『アンチ・オイディプス』を新たな訳で、文庫として出版することの意味はなんだろうか。もちろん、どのような読み方も拒むわけにいかないけれど、訳者にとって、それは決してあの熱い思想の時代を<回顧する>ためではない。

★ 確かにこの本は、フランスが、世界が、社会革命、文化革命をめぐって大きく揺れ、何をどう変えるかについての議論が沸騰した時代の痕跡を凝縮している。それはとりわけ、あの時代の欧米に強い影響を及ぼした<精神分析>を激しく批判する書物として知られている(それなら<精神分析>がまったく定着しなかった国で、それはまったく無意味だろうか)。また欲望それ自体がもつ革命性を擁護する書物としても知られている(それなら革命の課題など見えない世界では、それは無意味だろうか)。

★ 同時代の課題と意識の揺れに機敏に応えようとしたことは、この書物の特筆すべき長所であるにちがいない。しかし同時代の問題に応えるのに、同時代の展望をはるかに超える展望の中に問題を位置づけて応えたことが、やはりこの本の特徴であった。それゆえ、30年以上を経て、いまこの本を読み直すこと、新たに訳出することは、この本が30年をのりこえて、今の世界に何をつたえてくるかを検討する機会でもある。かつての問題意識の切実さ、親密さ、性急さから読みとれたものを離れて、少し遠い距離から、その距離を越えて届いてくるものが何か確かめることでもある。

★ 『アンチ・オイディプス』は(略)まるで世界史全体を包括しようとするような大それた野心的試みに見えるけれども、そうではない。それはやはり厳密な哲学の本であって、思考の対象を包括するよりも、まず思考の姿勢を変えることをうながし、世界を構成する様々な次元を貫通する問題提起をおこなっている。その思考は、実に様々な領域に触れるが、決して包括的にではなく、横断的に、多領域にかかわろうとするのだ。この違いは重要である。たとえば、アルトーのような<分裂病者>の問題は、ほとんど同時に、経済、政治、歴史、家族、言語、身体、芸術などにかかわるのである。
(以上引用)



《それなら<精神分析>がまったく定着しなかった国で、それはまったく無意味だろうか》

《それなら革命の課題など見えない世界では、それは無意味だろうか》

《それはやはり厳密な哲学の本であって、思考の対象を包括するよりも、まず思考の姿勢を変えることをうながし、世界を構成する様々な次元を貫通する問題提起をおこなっている》





不破利晴への手紙10-01-25

2010-01-25 01:45:07 | 日記


★不破利晴コメント(“不破利晴への手紙・追記10-01-16”に対して);

Unknown (不破利晴)  2010-01-24 23:14:20

このエントリーについてはずっと気になっていました。
今日の自分のエントリーにしたためてみました。




★warmgun返信;

さっき「アバター」のブログを書き終わって寝ちまった(“映画鑑賞”も疲れるね;笑)、そして日付が変わる頃起きて、簡単な夜食を食べ、君のコメントを読み、君の最新ブログを読んだ。

この君のブログだけでも、たくさんのリアクションがありえる。
まず“東京にきたひと”だね。

坂本龍馬を“東京(江戸)に(わざわざ)来たひととして把握するのは、面白い。
ぼくは一度も「龍馬伝」を見たことがないので、これを<批判>できない。
ただし、ぼくはNHK大河ドラマや司馬遼太郎的<歴史認識>を批判する必要を感じている。
とくに近代史。
ただNHK大河ドラマで、ずっと見たのは山田太一「獅子の時代」だけであるので(ひょっとしたら「樅の木は残った」も見たかもしれない、しかしぼくが記憶している「樅の木」は当時の東京12チャンネル版である)批判のしようもない。
司馬遼太郎は、むかし、「竜馬が行く」も「坂の上の雲」も「空海の風景」も読もうとしたが、あの“文体”が嫌いで、どうしても読めなかった(ゆえに批判できない)
だから、<批判>としてではなく、大仏次郎の「天皇の世紀」のような本を読むことによって、“別様の認識”を行おうと思う。

“東京に来たひと”。
ぼくの場合は、親の世代(母とその兄弟姉妹)が、東京に来たひとだった(ぼく自身の生まれも新潟県長岡市)
しかも小学校までを、東京近郊(埼玉県北浦和市)ですごし、小学6年の3学期に杉並区に転校した(この辺は前にも書いたことがあるね)
この東京近郊から東京への移動も、けっして“たいしたことがない”ことではなかった。
“学力レベル”の差があり、“文化レベル”の差があったんだな。
ようするに、たぶん、ぼくは大学にはいるまで、“カルチャーショック”から抜け出せなかったと思う。
ぼくにとって、“東京の子”は、<スマート>だったのさ(笑)
大学に入って、“ぼくより田舎の子”に会った(爆)

<年とって過激化する老人>というテーマは、もちろん、ぼくにとっても新鮮だっただけでなく、<切実>でもある。
これまでも、“そういう老人”はいたかもしれないが、まさに今、“全共闘世代”が老人化しようとしている。
もちろん“全共闘世代”などと呼ばれるものに、なんの実体も“なかった”ということも言える。
あるいは、その<世代>になにかちがったものが(かれらが若いときに)“あった”としても、まさにその世代が、<それ>を忘れ果てたように見える。
しかし、ぼくにも予見できないが、<かれら>が、老人になるとき、むしろ<あったはずがないそれ>を思い出さない、とは言えない(それはかすかな希望である)

しかしまさに<時代>は、君の“世代”の手の内にある。
まさにこの“可能性”が、不破利晴をあせらせ、自分の<無力>を嘆かせている。
<君>の5歳の娘が成人するまでには、15年かかる(笑)
<15年>!
ぼくは、あと15年生きれるか、本当にわからない。
生きても、“頭がもつ”かどうかは、まったく確実でない。

《私はなにが言いたいのだろうか》!

人類の滅亡や資本主義の崩壊が<来る>のだろうか?
ぼくは、そもそもこのような<問い>がまちがっている、と思う。

<人類の滅亡や資本主義の崩壊>というものがあるのなら、それは現在進行している。

そもそも<資本主義>とは、だれも定義(認識)し得ていない“概念=現実”ではないだろうか。
まさに資本主義とは、ヌエのように変幻自在であるというより、必ず変化し続けるものではないだろうか。
まったく“経済学者”は、無能ではないだろうか。

まさに、生存の基盤であり、われわれの生活の“下部構造”である<カネの流れ>とか<生産-流通-消費>とかが、なにひとつ認識されていない(ゆえにコントロール不可能)ではないか。

“神の手”とか“自然性”というのは、なんの<プロジェクト>でもない。
現在の<経済学>は、いかなる“経営指針”を提起しているのか。
<小さな政府>とか<新自由主義>とかいった、なんの<学>でもない偽学問で商売する痴呆症児をいつまでのさばらせておけばよいのか。

あとは<法>ですね(笑)
ぼくは“社会科学”の中心と思われている、“政-経-法”というのが、まったくダメだと思っている、それらの“実証主義”が、まったく無効だと思う。

ぼくは現在までの“改憲論議”は、護憲派も改憲派も、まったくダメだと思う。
そもそも<法>についての、基本的認識-論議がまったくなされていないと思う。
まさに、近代が積み上げてきた<思考-理性>が、決定的に<無力化>してきたと思う。

カオスだね(笑)

<惰性的言説>を教条するものだけが、安泰だ。
彼らは、人類が滅びても、地球生態系が壊滅しても、自分が安泰であればいいだけだ。

つまり彼らの“言説と倫理”は、<人類が滅びても、地球生態系が壊滅しても、自分が安泰であればいい>というロジックのみに依拠している。

このことに気づくとき、<ぼくら>は、怒りと同時に、おびただしい<無力>を感じる。

どこかに<反撃>の突破口はないか。

この<近代理性>の腐敗を、超えるために、まさに、<近代理性>を学ぶ。
基礎の基礎から、“ひとごとでなく”学ぶ。

だからといって、それで飯が食えるのでも、安泰な老後や死が来るのでも、ない。
あるいは、そういう<努力>に自己満足して死ねるわけでもない。

けれども、言葉にすれば大げさだが、<最低の矜持>とでも呼ぶほかないことがある。

これは、<言葉>にすぎない。
無我夢中で生きてきたし、死んでいないなら、無我夢中で死ぬまで生きる。

そういう生き方を、<内的革命者>と呼んでも、いい。







<追記>

君が“誤解”することはないと思うが、ぼくは君に<過激であれ>と扇動しては、いない。

<根源的であれ=ラジカルであれ>と扇動している(笑)

これは、いつも、“自分自身への呼びかけ”でもある、ぼくは“自然態”でなど生きられない、無理をするのだ。

こういうことがツナミンのような“小市民”には決して理解し得ないことである(彼が理解するなら、歓迎する)

ぼくが<ラジカル>という言葉から思い浮かべるのは、<樹の根>である、あるいは<草の根>である(ドゥルーズはそれを<リゾーム>と呼んだ、それは錯綜する関係、横断、越境なのだ)

ぼくは大げさなものや過激のための過激さがきらいだ。
自分の言説が<すべる>なら、自己批判する。

しかし<イマジネーション>は必用なのだ。
空気のように、水のように、草の根にも、樹木の根にも必用なのだ。




「アバター」見ました

2010-01-24 20:59:51 | 日記


‘ぱきぱき’ちゃんに約束したので、「アバター」感想文にいどみます(笑)

まずぼくが見た吉祥寺の映画館は、<3D>じゃなかったのよ(爆)
けれども、ぼくは<特撮>とか<テクノロジー>とかにはあまり関心がないので、ま、いいか。
<3D>じゃなくても、充分迫力あって、疲れたよ!

こういう皮肉な口調で書いているからといって、ぼくはこの映画に失望したわけでは、ございません。
見ている間は、けっこう“のめった”よ。

まあ、すんごく単純な映画なんで、この映画について、とやかく言うこと自体が野暮ですね。

しかしそれでは“ブログにならん”から、野暮な理屈をちょっと言う。
つまりぼくがこの映画に<予想>していなかった要素とは何か?

単純だが、意外と<徹底的>なんよ。
つまり、この映画は、<インディアン>に味方するだけでなく、<テロリスト>に味方する映画です。

しかしなぜこのような映画が今つくられ、ゴールデン・グローブ賞をすでに取り、アカデミー賞も取ってしまうなら、まさに、現在の“アメリカ人”の<精神分析>が必要よね。

つまりこれは、<9.11>以降の、アメリカ人の罪責感が、“インディアン虐殺”の罪責感と重なった映画で、その罪責感=ストレス発散映画よね。

この映画では、<地球人>は美しくなく、<異星原住民とその世界>の方が圧倒的に美しいわけ、<美しい>だけじゃなく<高貴>なんだね。

“アバター”となって地球人を“裏切る”主人公に、まさに異星制圧部隊の指揮官は、“お前は地球人を裏切るのか”と言うんだが、<地球人>というのは<アメリカ人>のことなのよ(笑)
まあ“イスラエル人”も<地球人>かもしれないが。

単純というのは、悪人と善人がはっきり分かれているということです。

つまり<悪人>というのは、この映画では異星の地下資源を狙う<企業>とそれをガードする<軍隊>ですね。

ぼくが思うに、一般に、現在ぼくらが暮らしている世界の<悪役>というのは、まさに、企業-軍隊-政治家(官僚)-メディア(それに寄生する“知識人”)の4派連合ですね。

この映画は、<単純>なので、そのうちの<企業-軍隊>連合しか描いてないわけ。
しかし、単純ではあっても、このように明確に<悪>を提示していることを、ぼくは支持します。

いうまでもないが、この<4派連合>が、地球の生態系を破壊してきたし、現在も破壊し続けている―というのが<シンプルな真実>なんです。

この<悪の連合>が、未来において、<ほかの星>の生態系をも破壊することと、それに対する<抵抗>をこの映画は描いています。

もしこの映画を、理屈ぬきで、面白いか面白くないか、と問うなら、まちがいなく<おもしろい>です。




Snapshot;10-01-24

2010-01-24 12:33:16 | 日記
★ 映画

今日は映画を見に映画館に行く。

むかし、映画を見に映画館に行くことは、<日常>だった。

つまり<日常>も変わるのである。


★ 死んだ人

あるひとのブログで、加藤周一の追悼文をあつめた本が出たのを知った。

それでぼくが思ったのは、“加藤周一って、いつ死んだんだっけ?”ということだった。
たぶん1周年なんだろうか?
調べると、2008年12月5日であった。

だが、そのブログ(“諸々日記”)に引用されている文章は、ぼくの心を打たなかった。
これは、当然、“加藤周一という人に対する評価”とは関係ない。

この本に収められた“追悼文”にロクなものがなかったか、このブログの引用者がどうでもいい部分を引用したかも、本を読んでみないとわからない。

しかしなによりも疑問なのは、なぜこのブログの書き手は、<みずからの言葉で>加藤周一を<追悼>しないのか、ということだ。

ぼくもこのブログで<引用>しているし、<引用>は良いことだと思っている。
しかし自分に大切な人物を追悼することぐらい<自分の言葉>でおこなうほうがよい(笑)のではないか。


★ 引用

ぼくがある本から<引用>するとき、“してはいけないこと”と思っている“規制”がある。

A:自分の“説”を代弁させたり、強化するための<引用>はしない
B:すなわち、自分がそこで(本を読んで)、あらたに知ったり、驚いたり、触発されたこと(文章)を引用する

つまり、その本を読むまで、自分が気づかなかったこと、知らなかったこと、を引用したい。


★ 加藤周一

加藤周一という名のひとについて、現在、どう考えたらよいのか。

それは加藤周一というひとの、<生き方>と<仕事>を検討することである。

“これまでにも”ぼくは、<加藤周一>を読み、テレビでその話し振りを<見た>こともある。

そこで漠然と形成された<印象>というのは、たぶん<偏見>である。
つまり過剰に評価するか、過剰に貶す。

つまり“ぼくにも”偏見がある。

ぼくは加藤周一が“政治的なひと”だとは思わない、“美的”なひとである。
この<評価>にも、良い面と悪い面がある。

たとえば、“一般に思われている”のとは逆に、ぼくは加藤周一より大江健三郎に<政治的な感性>があると思う。
ぼくが大江健三郎の“政治的発言(振舞い)”に、目を覆いたくなる(笑)にしてもだ。

“政治的な加藤周一”でぼくが好きなのは、“敗戦前から敗戦直後”の彼の<態度>である、それ以後は、いただけない。

彼の晩年の仕事は(寺子屋的活動はあったようだが)、要するに、朝日新聞連載である。
この<仕事>についても、“教養あふれるニュートラル”であった。

が、当時ぼくは朝日新聞を取っていたにもかかわらず、この連載をめったに読む気になれなかった。
あまりにも“漢文の素養”が強烈で、ぼくの感性からズレた。

しかし、ぼくが加藤周一氏を“評価していない”(学ぶことがない)などということは、まったくない(笑)

戦後<有名知識人>のなかでは、加藤周一氏は、“気分が良い”ひとである。

しかし<そのこと>自体が、現在、<疑問>でもある。


★ 映画

まもなく「アバター」を見に妻と出かけます。

なんの<期待>もなく(爆)






新たな境界

2010-01-24 10:55:11 | 日記


十川幸司『来るべき精神分析のプログラム』読了。
ぼくとしてはめずらしく、同じ著者による本をわりと短期間に(といってもそんなに短い時間ではなかったが)読んだことになる(直前に読了したのは、岩波思考のフロンティア『精神分析』である)

ぼくはここで、なにを学びたいと思い、なにを学べたのだろうか。
それを整然と箇条書きにすることはできない。

もちろん知識=情報として自分の知らなかったことを、得ることもできた。
十川氏は、この2冊の本において、分析医として、また同時に理論家として語った(書いた)
自分の臨床経験と、これまでの精神医学、精神分析<理論>の激突のなかで語った。

ぼくはこの本を読んでいて、たくさんの“引用すべき個所”を見出した。
つまりここには<無意味でない言葉>がたくさんあった。

しかしこれらの<読書>を終えた今、それらの本から受け取ったものは整然とはしていない。
むしろ新たな混沌(カオス)を感じる。
このことが、ぼくを新たな読書に向かわせる。
たとえばいずれも“読みかけ”の、フーコー『知への意志(性の歴史1)』やドゥルーズ+ガタリ『アンチ・オイディプス』へ。

この『来るべき精神分析のプログラム』の最後に取り上げられているのは、ジャン・ジュネの『恋する虜』である。
この『恋する虜』という本は、かつて訳者の鵜飼哲氏の文章を読んだときから読みたかった。
しかしこの本は現在、新本では入手できず、Amazonマーケットプレイスで16,000以上しているので、購入を断念した。
ジュネ翻訳を出している河出文庫での復活を望む。


この本から、もし<ただひとつのメッセージ>を受け取るなら、それは、<新たなる境界の形成>ということである。

それは、<自己システム>の作動を更新することである。

ぼくたちはみな、自己システムの作動を更新することによって、現在の自己を得た。
しかし、<そこ>にとどまることはできない。

ぼくたちはつねに、この<境界>を変更しつづける。
その<更新>は、<精神>あるいは<こころ>の内部に自閉することではない。

われわれは徹底的に<社会的>な存在であり、<わたし>は徹底的にこの<世界>とともにある。

すなわち、<世界のなかの私>を変更することは、この世界を変更することである。

ジュネは最後に、<パレスチナ>において、<恋人>を見出した。



かつてPaul Simonは歌った;

雨があがると
虹がでた
でもそれは真っ黒だった
その虹に色がなかったからじゃなく
その町のみんなにイマジネーションが欠けていたから
すべてが同じものだった
ぼくの小さな町では

ぼくの小さな町では
ぼくは何者でもなかった
父さんの子である以外は
カネをためて
栄光を夢見ていた
引き金にかけた指みたいにひきつって
死者と死んでいく人しかいない町を離れる
ぼくの生まれた小さな町を

死者と死んでいく人しかいない
ぼくの小さな町
死者と死んでいく人しかいない
ぼくの小さな町を
<My Little Town>


現在のぼくたちにも、決定的に欠けている、<イマジネーション>が。

だから“あらゆる虹”が、<真っ黒>にしか見えない。

<すべてが同じもの>だからだ。

<この町>の境界を越える。

<この町>から出てゆく。