Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

高校生のために or むかし高校校生だったひとのために

2013-06-04 14:16:45 | 日記

筑摩書房から高校教師だった四人が編集した『高校生のための文章読本』が出たのは1986年のことだったそうだ。
この“高ため”シリーズは『批評入門』と『小説案内』の三部作となり、そのうち『高校生のための批評入門』が2012年にちくま学芸文庫で再刊された。(このシリーズは“有名”なので、とっくに読んでいるひとも多いでしょう)

さらに別メンバー編集による『ちくま評論入門 高校生のための現代思想ベーシック』(2009)、『ちくま評論選 高校生のための現代思想エッセンス』(2007)、『ちくま小説入門 高校生のための近現代文学ベーシック』(2012)も出ており、『ちくま評論選 高校生のための現代思想エッセンス』は昨年“改訂版”も出ている。

ぼくは最近、これをボチボチ読んでいるのである(笑;このブログに引用もしている)

これらの“選集”に選ばれた引用文のうちには、ぼくの馴染みの書き手とそうじゃないひとがいる(当然!)、馴染みのヒトなら“ヘーなんでここ、選んだの?”とか思うし、馴染みじゃないヒトなら(つまりなんとなく敬遠していた人なら)“ああそうなのか”とか思う。

つまり(けっこう)面白いのである。

ぼくには“小説入門”より“評論入門”の方が面白い。
文庫になった『高校生のための批評入門』には、各章の終わりに“手帖”というコラムがあるが、その2“違いにこだわる”から引用する;

★ ひとの話しに耳を傾けていて、「うん、わかる、わかる。だけどボクの考えとはちょっと違うなあ」と感じるような時、君は批評の入口に立っている。その「ちょっとの違い」にこだわって、どこが違うのか、違いはどこからくるのかと問いかけてみよう。

★ 自分とまわりのとの間にあるわずかな違いを見逃さずに問い直してゆくことが批評の第一歩だが、私たちの住む日本の社会は、違いにこだわるよりも、むしろまわりとうまくやってゆくことに、より大きな価値を置く社会のようだ。ひとりひとりが、独自の感性に縁取られた自分の世界を保持しながら、「他者」との快い緊張関係を結んでゆく社会ではない。他者との違いをおおいかくして自己を非個性化し、まわりとの間に波風を立てないことが美徳とされる社会である。わずかな違いをあげつらうことは、世間知らずで大人気ないとされる。つまり私たちの社会には、自分のまわりの「他者」が何であるかをつきとめたり、またそれに対置して自己を浮き彫りにしてゆく批評の基本的なシステムが、まだ充分に確立されていない。

★ ゆたかな批評の世界を手に入れるためには「他者」の“発見”が不可欠だ。ただし、「他者」とは人間に限らない。ものでもあり、規則や制度などでもある。

★ だから、世間知らずといわれようと、大人気ないと説教されようと、若い君は耳をふさいでおくがいい。違いにこだわることは、それをしないでいるより、はるかに自分と世界とを広く、また深く知ることにつながるからだ。

<梅田・清水・服部・松川編『高校生のための批評入門』(ちくま学芸文庫2012)>






極楽のような国

2013-06-04 11:21:36 | 日記

★ 私はその夜、壁のむこうの巨大な黄泉の都市から、何か引き込まれるような力を感じていた。
山岳の闇の密な静けさそのものが、さわさわとささやかれる無数の仏の音声の集積であるようにも聞かれる。
旅の終わり、この彼岸と此岸の国境線上にある部屋にまで辿りついて、何か体が冷えていくようで心もとなかった。私は部屋を見まわした。シミのついた、古めかしい床の間の横に、不つり合いなテレビがあった。消えたブラウン管が冷たく灰色に光っている。

★ スイッチを引くと、絵の出ない前にとつぜんその灰色の光の方から耳をつんざくほどの爆笑が飛び出てきて、部屋の空気をゆるがせた。
電気的な笑い声は、部屋の襖や壁をつきぬけて幽谷の闇の静寂の方に響いていった。多分あの黄泉の都市の方にも響き渡ったかもしれない。
あわててボリュームを左いっぱいにひねって、廊下の方に気を配った。お坊さんが文句を言いにくるかも知れないと思ったからだ。

★ しばし様子をうかがって、テレビの方を振り向くと、無音のブラウン管に若くて垢抜けた女の人たちが大勢映っていた。それがみな大きな口を開け、歯を丸出しにし、顔にしわをつくっては体を左右に揺らせている。椅子に坐ったまま俯せになって体を震わせている人、体をのけぞらせて両手で顔を伏せ、その手の間から開けた口の赤黒い空洞と歯が見える人もいる。それを見て一瞬、私はなぜか背すじの凍るのを感じた。
ほんの一瞬のことであった。その声のしない妙にゆがんだ大勢の人の顔に、ふと何かにもだえ苦しむ苦悶のヒトの象(かたち)のようなものを見たのである。

★ スイッチを右に少しまわしてみると、先ほどと同じような笑い声がスピーカーから出てきた。苦悶だと一瞬思った顔に笑い声が重なり合った。
二人のちょっと卑屈な感じのする男がマンザイをしていて、スピーカーからは寄せては返す波のように若い笑い声がいつまでもつづいた。時折、先ほどのように爆笑に合わせて阿鼻叫喚図そっくりの光景がチラチラと画面に映し出される。
別な意味でも奇異な光景だった。私はこのアジアの旅のはじめにヨーロッパも少しまわってきた。その次に東洋の西の発端であるイスタンブールを通り、東洋の様々な国々を経て日本に帰って来たのだが、若者が集団になってこのように笑いころげている国というのは他に例がないからだ。

★ こんなにみんなが愉楽の中に浸っているからには、ここは極楽のような国か、あるいは、ひょっとすると、その裏に逆の賽の目が出ているのかも知れないと思った。
二人のマンザイ師はこの一年流行ったというギャグを連発し、その反応によって優劣を決めるというようなことをやっていた。
赤信号、みんなで渡れば怖くない、と言うのはずいぶん古典的なギャグらしい。
なかなかうまいこと言うな、と思った。
しかし、赤信号なのがふと気にかかる。
極楽のような国になぜ赤信号があるのだろうか。

★ この二人のマンザイ師は壇の上に立って、たとえばかつての死のう団のように、
みんなで渡れば怖くない、みんなで死のう!
とアジっているようにも見える。したたかなセンスだ。卑屈に見えた顔つきと、おかっぱ頭が、評論家や文学者の域をはるかに超えて、聖フランシスコ・ザビエルのように見える。
痴笑教の信者たちもしたたかだ。自らを笑いのめしているではないか。余程修行を積んだものと見える。60年代の私たちの修行をこの信者たちは立派に受け継いでくれたのだ。私たちの十代、二十代はもっと初心(うぶ)で純真だった。笑わずに怒っていた。怒りえる心というのは、何も持たない若者にとって、持ちえるたった一つの武器であり、モラルだと思っていた。
この今の子供たちは、立派な大人になって自らを笑いのめしている。

<藤原新也『全東洋街道』(集英社文庫1983)―終章>



*写真:藤原新也