Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“私”の生きた戦後社会

2013-06-05 20:49:54 | 日記

★ 習俗に根ざす「家」や、堕落する「私」や、超越的な「神」は、戦後社会の現実のなかではいずれも理想的な極限(課題)とでもいうべきものであった。人は、安吾のいうような孤独な「私」の実相には堕ちきれず、折口のいう超越的な「神」に耐えうるほどの自律した精神ももちあわせていなかった。また柳田のいう「家」も、資本主義の浸透と都市化の波のなかでその連続性の基盤を確保することは困難になっていく。実際、三つの理想にいたる手前に、そうした理念を拒む平俗なニヒリズムとそのニヒリズムによって限界づけられた「生の哲学」の諸形態が人びとを待ち受けていたのである。

★ それは大衆的な匿名性を帯び、適度に孤独な「個人」を主体とする生と欲望の言説からなり、「高度経済成長」のような資本の要請に同調する感受性によって肉付けされている。戦後社会で多くの人びとが実際に生きていくのは、「家」や、「私」や、「神」といった理念の弛緩した、偽装された、あるいは否認された形態であった。

★ こうした超越的理想の後退、つまり生を平俗化するニヒリズムは、明治以来の資本主義が日本人の内面に育ててきた「貨幣への欲望」の関数でもある。平俗なニヒリズムは、共同性の絆に帰属することよりも、生の様式を個人化する貨幣への欲望に志向している。貨幣への欲望は戦後の経済復興から高度成長への転換と強く相関しており、戦後社会における人間の主体化の基本形式となっていく。

★ だが、貨幣への欲望はたんに産業システムの機能的な相関項ではなかった。その欲望には、戦争による死の投影があり、共同性の思想にかんする戦後的なニヒリズムがその欲望を裏打ちしていた。それゆえ単純に「資本の精神」が出現したわけではない。敗戦の怨恨やニヒリズムの精神が、「家」や、「私」や、「神」の理想的な形式にシニカルな視線を投げ返しながら、あらゆる価値を相対化する「貨幣への欲望」に人びとを接近させる回路となったのである。

★ 超越的な「神」の位置は貨幣によって占められ、「家」の共同性があるべき場所には性愛の絆をベースとする小さな家庭がある。戦後的な「私」の実相は、こうした貨幣への欲望の主体であると同時に、性愛の主体であるような個人の現実によって埋められることになる。そして安吾が「生きよ、堕ちよ」といった「堕落」の現実は、平俗なニヒリズムの意識にみたされ、ただ生きることの形式的な肯定に縮約されていく。「生」を無媒介に肯定するだけの偏平な生の様式が出現するのである。そこでは生の本質が何であるのかという問いは取り除かれている。「生の哲学」は本質を問うよりも、まず存在することを先行させる。その生は死をはるかな圏外に忌避し、自分の他者をもたないまま肥大することにより空虚な価値と化していくのである。

★ しかしながら、戦後社会における資本主義の追求は決して徹底的なものではなかった。この時代には、国家の主権とその独立はアメリカの覇権のもとで制限され、国家に固有の共同性も民主主義という抽象的で普遍的な形式によってその輪郭をあいまいにするという状況があった。だがそうした状況のなかで、ある共同性の形態が非公式で閉鎖的な政治的社会のうちに再形成されていく。この共同性は政治、資本、行政、国民のあいだに閉鎖的な利益の循環構造をつくりだし、その構造に合わせて資本主義のシステムを整形していく。それは商品としての「土地」を媒介にして形成され、1960年代の高度成長を導いていくシステムである。高度成長の過程は同時に国土の総合開発であり、都市部への人口移動であった。造成された国土には無数の小さな「家庭」が着床することになる。それゆえ新しい「家庭」の背面には、土建国家と呼ばれる政治的な共同社会が存在していた。「家庭」は、身体性の絆によって結ばれ、貨幣への欲望を内面化し、小さな共同体という仮想を投射されながら、システムの基本的な操作媒体となるのである。

<内田隆三『国土論』(筑摩書房2002)>