Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

中上健次とXデー

2013-06-12 23:44:26 | 日記

★ 言葉は語られたり、書かれたりするだけではない。それは場所と深く結びつき、一度きり、見えるのであり、匂うのであり、<感応>するものでありうる。だが、制度の言葉はこういう場所=トポスから離れ、ある種の普遍的な反復の空間に吸収され、自律し、何かを物語るところに成立している。語られ、またとりわけ書かれる言葉の空間は、天皇の統括する世界であり、物語=法・制度の空間である。この当時より中上(健次)がめざしたのは、自身がすでに領有されているこのような物語=法・制度の言葉を無化しながら、物と直結した場所=トポスの言葉によって語ることであった。「自然」がすでに日本的なものとして、また差別や抑圧の根源的な形態として、物語の言葉に馴致されているとすれば、彼のめざすべき表現はそのような「自然」を逆立ちさせ、暴きたてるようなものとなるだろう。

★ 天皇の病から死にいたる一連の過程で、中上は、文化としての、つまり言葉による天皇の統治に日本人が抜き難いほど帰属していることを思い知らされる。たしかに彼はこの統治への帰属にむしろ日本人の「自然」があることを知っていた。だが天皇の危機に際会して、彼はその「自然」が確かに揺らぐような<光景>を見るのである。その<光景>は彼にとってどの現実よりも現実的なものである。

★ 天皇の死はこうして物語の書き手に改めて深い衝撃を与えた。それは彼にとってこの国の「自然」の構造を開示し、またその「自然」を放棄することも、廃絶することもできないことを開示するものでもあった。もちろん、多くの人びとは「象徴天皇」という言葉に曖昧な安心感を抱いていた。それは天皇が政治的な言葉で理解され、戦後の平和と民主主義を支える象徴のように思われるからである。だが、天皇の死に際してあれだけ大量の言葉が消費されたのは、その安心感が底の浅いものであったことを逆照射している。Xデー以降の日本中が神話的な次元に入りこんでいた日々は、象徴天皇と民主主義を正当化する膨大な言葉の投与なしには耐えられないほどの揺らぎを抱えたのだといえよう。それは新しい天皇が即位することによって修復され、平常に戻るしかない不思議な継ぎ目であった。そこには膨大な言葉が堆積したのだが、その継ぎ目は一体何を縫い合わせているのか、天皇をめぐるこの問いは残されたままである。

★ 天皇について論じることは、知らず知らずのうちにある歴史=物語の内部に誘われることである。それは天皇についての言説の宙空に吸いこまれ、その言説に固有の歴史にのめり込んでいく危険を伴っている。実際、天皇というより、記紀以来延々と続く天皇についての言説の拘束力のほうが重大な問題をふくんでいる。すなわち「日本人を呪縛する天皇制」というよりも、「日本人は天皇制論議に呪縛されている」と言うほうがより事実に近いのである。しかしながら、天皇の存在と天皇についての言説を分離できないことも事実である。考えてみれば、天皇の呪縛と天皇についての言説の呪縛とが等価であるような位相に、むしろ天皇という存在の実質があるのではないだろうか。天皇の存在は天皇についての言葉から不可分であり、その意味で天皇とは、天皇による統治の言葉に従属する普通の対象ではない。それはこの国の「自然」を生成させながら、それ自身は「自然」に属すことを逃れている何かなのである。

★ 天皇による統治の言葉から抜け出すことが可能だとしても、その試みが天皇の言葉を異貌の次元でだが模擬し、どこかでそれに似てくるのだとすれば、この恐るべき内閉性はどのように考えたらいいのだろうか。もちろん結論はまだ早すぎるのかもしれない。場所(=トポス)の言葉、日の光が沁みる言葉、雨に濡れて緑色に輝く言葉の世界は、まだ十分に開示されたとはいえないからである。だが残念なことに、中上はもうその冒険の場所(=トポス)を去ってしまったのである。

<内田隆三『国土論』(筑摩書房2002)>