Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

晩年=友愛

2013-06-18 14:34:41 | 日記

★ 1960年代後半の世界は、アメリカの軍事侵略に対するヴェトナム人民の抵抗、中国の文化大革命、キューバを根拠地とするラテン・アメリカの武装解放闘争の発展に呼応して、いわゆる「先進」資本主義国でも、青年・学生を中心に先鋭で斬新な異議申し立て運動が活性化した時代だった。かつての恋人「綱渡り芸人」アブドッラー・ベンタガの自殺(1964年)の衝撃から、未発表の原稿すべてを破棄し自ら自殺を図るほどの深い抑鬱状態に陥っていたジャン・ジュネは、1967年末、若い友人ジャッキー・マグリアとその妻ヒサコの誘いを受けて日本への旅路についた。この滞在をきっかけにようやく再生への糸口をつかんだ彼が、タイ、インド、パキスタン、エジプト、モロッコ、チュニジアを経て、ちょうどフランスに帰りついたとき、68年5月の反乱が起きたのである。

★ 本書でも繰り返し語られているように、ジュネは彼の生涯を導いたさまざまな偶然にほとんど神秘的な感情を抱いていた。「裏切りの愉悦」を知り尽くしていたこの人は、まさにそれゆえに、60歳に近づいた彼に新たな生命を授け「詩的に老いる」ことを可能にしてくれたこの時代の精神に誰よりも忠実に、晩年の十数年を歩み通すことになる。そしてこの出会いの経験は、本書の二本の柱となったブラックパンサーの黒人およびパレスチナ人との、きわめて特異な友愛のうちにそのもっとも美しい結晶を形成したのだった。

★ 『恋する虜』はきわめて複雑な作品である。政治的ルポルタージュとしてはあまりにも作者の内省に満ち、回想録と銘打たれながら「小説と同じほど真実から遠い」ことを自ら広言してはばからない。徹底的に反ジャーナリズム精神に貫かれた詩的証言。鮮明で特異なイマージュを駆使して読者を未知の世界に引きさらう力はほかならぬジュネのものだが、その文体は、会話と地の文の独特の浸透作用や自在なリズムの転調、過激にして透明なユーモアなどに由来する類いまれな軽やかさ備え、他の時期の作品、否、「シャティーラの四時間」にさえ見られなかった新たな地平が開かれている。おびただしい死者を出した絶望的な闘争の記録でもあり、作者自身の迫りくる死の影のなかで綴られた作品であることを思えば、これはシャトーブリアンの『墓の彼方の回想』にも比すべき奇跡的な力業といえよう。

★ エドワード・サイードは、ジュネのこの「最後の偉大な散文作品には、西洋人、フランス人、キリスト教徒としての彼の同一性がまったく異なる文化と交える格闘と並行して、ジュネ自身の自己のうちへの沈潜が自己忘却と闘っている姿もみられる」(「ジャン・ジュネの後期作品について」)と指摘しているが、そう言えば、きわめてカトリック的な聖母子像に重ね合わされたハムザとその母をめぐる限りなく美しい物語も、自分に取り付いたこの幻想にあらゆる角度から検討を加える真剣な知的努力を一つ一つ積み上げた果てに、すべてが反転して透明な笑だけが残るように、実に精緻に織り上げられているのである。「自己沈潜」と「自己忘却」の間のこのような闘争、「自己沈潜」がすなわち「自己忘却」でもあるような闘争が、その感性と才能の一切をかけて一生を闘い抜いた「西洋におけるパレスチナ人の最大の友」(『パレスチナ研究誌』)の最後の闘いであったことの意味を、『カラマーゾフの兄弟』を読むジュネのひそみにならって、私たちは長い時間をかけて問うてみなくてはならないだろう。

<鵜飼哲“『恋する虜』完成にいたるジュネ晩年の歩み―あとがきにかえて”―ジャン・ジュネ『恋する虜』初版第2刷(人文書院2011)>