Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

“政治家”の死

2009-05-23 13:50:55 | 日記
“韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が死亡した”というニュースを見た。

ぼくは朝鮮-韓国の歴史についても、その戦後史についても無知である。
この盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領についても、あまり知らない。

だからこのニュースについて“論評”する資格はない。
ただ例によって、“勝手な感想”を記すのみである。

現在、“盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の死”が、自殺であるかどうかは確定していないが、遺書があったと報じられている。

ぼくのこのニュースを見ての、最初の感想は、なぜ戦後の日本の首相では自殺者が出なかったのか、というものである。
この“首相”という言葉を、“政治家”とするなら、自殺した人はいた。
しかし小泉元首相や小沢一郎元代表は、自殺しないで生きている(笑)

アサヒコムの“盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領の死”記事からいくつか引用する;
★ 韓国政治を、良くも悪くも分け隔てる存在だった金大中(キム・デジュン)大統領の後任を争う選挙で、盧氏は当時の与党・新千年民主党(現・民主党)の中でも前評判は高くなかった。しかし、公認を勝ち取り、一気に大統領の座を射止めることができたのは、古い政治に飽き飽きしていた国民の「変革」を求める思いが、かつてないほど強かったためだ。
★ ただ最近、多くの韓国国民を落胆させたのは、盧氏のクリーンなイメージの失墜だった。政治とカネの問題が保革両陣営ともに切り離せなかった韓国で、盧氏は清廉さだけは誇ることができると見られていた。だが、古くからの有力後援者が脱税で拘束された後、多額の金品を盧氏の妻が受け取ったことが発覚した。盧氏が帰らぬ人となったのは、検察当局の判断が注目されていた矢先だった。
★ 大統領在任中に秘書室長を務めた側近は会見で、盧氏は岩の上から自ら飛び降り、家族あてに短い遺書を残していた、と明らかにした。韓国メディアは盧氏が遺書で、「ひどく苦しかった。恨まないでほしい」などと心境をつづっていたと報じた。
(以上引用)

“政治とカネ”の問題が、“現在”だけの問題でないこと、また、“アジア特有の”問題でないことは言うまでもない。

しかし、この“自殺”は、やはりアジア的であるように感じられる。
しかし同時に、韓国社会と日本社会の“差異”が感じられる。

最初に書いた通り、ぼくは戦後の韓国社会の変遷に無知であるのだが、日本と比べて、その“米国との関係”がちがっていたことはわかる。
また、上記に関連するが、朝鮮は現在も分断された国家であることの、日本との差異を思う。

感覚的な言い方で申し訳ないが、そこでは(日本より)すべてがクッキリしているように感じる。

ぼくは、自分が知りもしない韓国-朝鮮について、ごちゃごちゃ言いたくはない。
ぼくが言いたいのは、“この国”、ぼくが生まれ育った唯一の場所の現状である。

それを(感情的に)ひとことで言ってしまえば、“日本という国は、小泉元首相のようなニンゲンが自殺しないですむ”国なのである。

この“事態”を、良いこと(成熟)と考えるか、悪いこと(嘘八百)と考えるかは、個人の判断(趣味-嗜好)である(らしい)


<注記>

”政治とカネ”の問題が、たんに、”カネの問題”でないことは、言うまでもない。






歌を歌う、昨日の気分で;

時には母のない子のように
だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように
ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

時には母のない子のように
長い手紙を書いてみたい
時には母のない子のように
大きな声で叫んでみたい
だけど心はすぐかわる
母のない子になったなら
だれにも愛を話せない

時には母のない子のように・・・・

<寺山修司「時には母のない子のように」>


歌を歌う、今日の気分で;

山羊にひかれてゆきたいの
遙かな国までゆきたいの

しあわせそれともふしあわせ
山のむこうに何がある

愛した人も別れた人も
大草原に吹く風まかせ

山羊にひかれてゆきたいの
想い出だけをみちづれに

しあわせそれともふしあわせ
それをたずねて旅をゆく

<寺山修司「山羊にひかれて」>



床屋へ行こう。


花嫁

2009-05-23 12:22:47 | 日記
いっしゅん膨らんだ風のなかから
獣たちがたくさん出てくる
ひとしきり
裏切りの鳥たちの啼きかわす夜
おたがいに
みわけのつかない恋人たちが
不安の骰子を背後に棄てる
花飾りの儀式のむこうの死の家に
失明の幻の火を盗み見て
とりひきの恋の泡だち
季節の継ぎ目にかれらは落ちる
ただひとり
狭すぎる廃墟のような 石に席とる
盲目の男のなかで
つるみあう鳥と爬虫
それでも
ふりかえらず風のなかへと
孕まれる贋の花嫁 花婿たち
ひとしきり
落日がはじまりを襲えば
そこここに散らばる夢の死骸
ありふれた恋
その物語の破れめを
死の舌でふさぎ隠すためにだけ
駆け落ちてきた悲鳴の残滓
ゆき倒れてなお
追われつづける身代わりたちに
ふりかかる
鎮めの雪 贋の雪
だがかえって黒ぐろと
浮かびあがるひとつの道 ひとつの視線
おれは不在 恋びとよ
おれは死体

<平出隆“花嫁Ⅲ-1”―『平出隆詩集』(現代詩文庫100、1990)>



ここに、ぼくが今年1月に書いた“詩のごときもの”を掲載する(Doblogに出した)
プロの詩に並べて、自分の“詩のごときものの試み”を出すのは、破廉恥であるが、二日酔いの自己嫌悪のさなかであることゆえ、許してくんろ。

<悪魔を哀れむ歌-21世紀ヴァージョン>

ヘイ!悪魔 21世紀だぜ

君 いただろう 昨日 暖房電車の座席の下に
ずるずる ぼくの臍のあたり まで はいあがって
なめたな

肛門期は 青春まで連なり
夜明けのコーヒーは 夜更けにゃ からっぽ
ぜんぜん ちがうチューンで バッド
バッド・フィーリングだぜ この抒情は

霧雨降る この郊外を通過して
一気に 一気飲み 100%アルコホール

めくらニャ 暗い夜道 も 快適
夕暮れ うすぐれ 針千本
土着は 未着で 宛先不明

書いたよ
書いたよ
ロングロング レター
悪魔め くたばれ めめめのメッ

政治家 官僚 太い腹 上役 下役 便所掃除
ガザガザ ガザで ガザガザ するなっ
根っから嘘つき ほんと わからぬ

やっぱ
抒情は 必要なんけ
しっとり しっぽり 濡れちゃい たいな

文芸部では 小便も洩らせぬ
解放は 午後1時5分前で
シュールレアルな夕焼けに ああ! と
うめき
真っ赤な唇の よーに 失神したい

わかりやすい抒情は やはり どーしても
苦痛で
痛みを知った あの日には 陣痛の苦しみも
かすかな 木霊さ 暗黒星雲が 無音で
炸裂するとき には

やあ 悪魔 まだいたか
かわいい顔で
知ってたか 詩は ポエジーは だじゃれ じゃ
ないのよ

そこの物陰の 影は 日陰の だれ じゃれー?

ケンジもシュウジも お昼寝 だから
キムチも ミノも 売り切れだから
今宵 鰻重にするか ?

ねえ 悪魔 まだ いたか そこに
大きな夕焼けのような便秘をかかえて

エンドレス
終わらせて
この“詩”を
言葉の浪費 口によだれ 夢には栗きんとん

女と男の舗道に 突然 落ちる 夕ぐれ

砂漠 快晴 雲 風 雷の時には
今日も几帳面にA型を貫通し 青函トンネルの開通にそなえる
あるいは シルクロードに 全東洋街道に
炸裂
悲鳴 白色光線 塵は塵に 君の破壊の手は外からも内からも くる

この 悲劇に テレビの 観客は 今日も 健在で 笑う
笑う
抒情は やっぱし ここでは 木の葉のように 落ちる

悪魔 まだ いたか?



<悪魔を哀れむ歌-21世紀ヴァージョン;パート2>

つまり夢でまでブログを書いてしまうというブログ中毒の現状では、その、眠りから醒める前のだね。
そのときも詩を書いている夢をみて、信じられない“フレーズ”が次々と湧き上がって、書けちゃう。
起きて。
それを書こうと思って、書いても、ぜんぜんちがっちゃう。
つまり、なんですな、“ぼくの脳”は、ぼくより頭が良い。
そもそも、“ぼくの脳”って誰れ?
どうも、よく知らない。
いつも思うんだが・・・・・・いつも思うんだが、このぼくが、ぼくであるというのは、根本的な“非自由”であったり、根源的“詐欺”ではないのだろうか。
なぜぼくは毎日、warmgunであり、鳥男では“ない”のだろうか?
なぜぼくは突然、イスラエルを支持したり、麻生に愛着を感じないのだろうか。
だいいち、ぼくはなぜ、毎日“男”なのだろうか。
なぜぼくは“スカイ・ダイビング”をしたり、朝青龍にコーフンしたり、ちょっとパチンコで稼いだり、カラオケ・パーティに行かないのだろうか。
なぜ毎日、本を読まなくちゃとばかり思って暮らしていて、“外出”といえば、いやいやバイトに行く以外は、“コンビニ”にまずいサンドイッチと煙草を買いに行く“のみ”なのであろうか。
なぜ、毎日、このだいぶヨレてきたThinkPadのキーを、いつまでも不器用に叩いているのだろうか。
そもそも・・・・・・
ぼくは、だれに、なにを、言いたいのであろうか。
ヘイ 悪魔 まだいたか(笑)

ちょっと自己紹介させてくれ、俺が悪魔だ。

さて、“ブレイク”するか、コーヒーはないので、紅茶で。
ジェイムズ・ジョイスについての本を読んでたら(また本で恐縮だが)かれは“ダブリン市民”で、自分の暮らしている都市-国の<麻痺>を書こうとしたとあった。

麻痺とは無気力のことだ。

ジョイスにとっては、それは当時のダブリンだった。

東京。

ダブリン-東京。

麻痺 無気力。

会話が成り立たない所。
人々は、伝わらない会話を、形式的につづけ、それに気づかない。

ここは“ガザ”ではない。

まったくガザではない。
だから、“人々”は、ガザに興味がない。

一片の“共感”をもたらす基盤がないのだ。

今日死ぬかもしれぬ人と、長寿を話題にする人々に、どんな、共通点がありうるだろう。
一生、テレビを見て、一生ケータイでコミュニケーションできれば安泰である人々に。

言葉の死に気づかぬ人々に。

適当に配置換えしておさまる人々に。
言葉は、指示する。
君の頭は首の上に。
君の臍は腹の真ん中へんに。
君の性器には適度の慰安を。
君の足は交互に動かせ、少しは前に進む。
手は、なんでも貪欲につかめ。
指先は金を数えろ(カネがあるときには;笑)
君の不恰好な身体は、小奇麗なファッションで誤魔化せ。
君の見られない顔は、洗顔石鹸で清めよ。
君の頭蓋骨には大切な脳味噌をちゃんとしまっておけ。
君の血は、洩らさず、適切に全身に循環させよ。
君の細胞の氾濫や腐敗は、すみやかに鎮圧せよ。
煙草は吸うな、酒は適度に。
君の精神とおなじほど身体をクリーンに保て。
言葉は、口をパクパクしたり、パソコンのキーを叩けば出る。

そうすれば、長生きできる。



真実の瞬間

2009-05-23 10:39:12 | 日記

あるブログで加藤周一『続・羊の歌』からの引用を読んだ;

★ 電車のなかには、また、人の好きそうな沢山の顔があり、週末には、子供連れの父親や、夫婦もいた。彼らはそれぞれの家庭で、よい父やよい夫であったにちがいない。そのことと、その同じ人間が、昨日までは中国の大陸で人を殺していたであろうことが、どうして折合うのか。日本人の人柄が変ったのか、それとも変ったのは、さしあたりの状況にすぎず、同じような条件が与えられれば、また同じような行為がくり返されるだろうということか。子供に何かせがまれ、しきりになだめすかそうとしている子煩悩の中年の男の顔は、昨日悪魔であったかもしれないその男が、今日は善良な人間であり、明日また悪魔にもなり得るだろうという考えと共に、私には不可解な怪物のようにもみえてきた。性は善なりや。これは信ずるに足りない。性は悪なりや。しかしこれもまた信じることができない。そもそも一人の男について、その性の善悪を問うよりは、多くの人間を悪魔にもし、善良にもする社会の全体、その歴史と構造について考えた方がよかろうという考えに、私はそのとき到達したように思う。それはその場の思いつきというのではなかった。そのときの考えは、その後の私のものの考え方の方向を決定した――どんな人間でも悪魔ではないのだから、私は死刑に反対し、戦争はどんな人間でも悪魔にするのだから、私は戦争に反対する。
――加藤周一『続 羊の歌』(岩波新書)

この文章には加藤周一という名前をもって記憶されるひとりの男の、ある認識の獲得が語られている。
それは、現在からみればかなり昔の、“戦後”のある時期にもたらされた“認識”である。
つまり“あの戦争”を経過した一人の男が、“戦後”におとずれた“平和”のなかで、その日常の中で、“人々の顔”を見て、ある認識がもたされたのである。

《……という考えに、私はそのとき到達したように思う。それはその場の思いつきというのではなかった。そのときの考えは、その後の私のものの考え方の方向を決定した》

なかなか、そういう認識は、訪れないのである。

その“内容”を問わず、ある人間が“生涯”に、ある自分の“認識を持つ”ということ自体が、まれである。

ぼくたちの多くは“付和雷同”しているだけである。
ぼくたちは、その時代の“主流の言説”に付和雷同している。
“強い言説”に付和雷同している。
その言説が、“外国産の最新流行”だったり、流行が見当たらないと、“わが国の美しい伝統”に回帰している。

《どんな人間でも悪魔ではないのだから、私は死刑に反対し、戦争はどんな人間でも悪魔にするのだから、私は戦争に反対する》

とてもシンプルな“言説=信念”の表明である。
この“言葉”を理解し得ない小学生はいないであろう。

しかし、“シンプルな言葉”こそ、理解するのはむずかしい。
この言葉をいま読むぼくが、おどろくのは、この“断言”そのものである。

シンプルな言葉で断言するためには、その言説をもたらす自分の思考と行為に“自信”がなければならなかった。
あるいは、そう断言することによって、“賭けに出る”決意がなければならなかった。

ぼくたちは現在、加藤周一という人間の生涯のキャリアを知っている。
だから、まだ若かった彼の言葉の自信を、“当然のこと”のように聞く。

たしかにこう発言した“時”の加藤氏には、すでにそうしたキャリアの蓄積があったろう。
しかしその時、加藤氏は今ほど有名ではなかった。
むしろ、現在この加藤氏の言葉を読むと、それはこれからの自分の人生への“ある種の決意表明”として読める。

ぼくが“賭けに出る決意”と呼んだのは、そのことである。

たしかに今加藤周一を振り返るとき、彼を“圧倒的に博識のひと”というふうにイメージするのだが、彼は情熱のひとでもあった。

もし彼の『日本文学史序説』を、“圧倒的に博識の本”として読むなら、まったくの誤読である。

《子煩悩の中年の男の顔は、昨日悪魔であったかもしれないその男が、今日は善良な人間であり、明日また悪魔にもなり得るだろうという考えと共に、私には不可解な怪物のようにもみえてきた。性は善なりや。これは信ずるに足りない。性は悪なりや。しかしこれもまた信じることができない。そもそも一人の男について、その性の善悪を問うよりは、多くの人間を悪魔にもし、善良にもする社会の全体、その歴史と構造について考えた方がよかろうという考えに、私はそのとき到達したように思う》

この認識によってもたらされた“方法”によって、彼は“日本文学史”を書き得た。

それは“加藤周一という個人の名を持つ”ものによって、書かれ得た。

“方法”は、この“加藤周一の方法”のみにあるのではなかった。
もし加藤周一の生涯と言説に、ある一貫性とスタイルがあるならば、それは“あの時代”の“古典的知識人”と呼ばれうるような“風格”であった。

しかし加藤氏も初期に参照した、“最後の古典的知識人”サルトルの晩年の姿は、すでに“古典的知識人”のメルトダウンを告げていた。
フランスにおいて、サルトル以後の“知識人”がたどった“運命”を思い起こすだけで、“時代は変わった”。

バルトは男あさりの晩年に交通事故死、フーコーはエイズ死、アルチュセールは妻を殺害、ドゥルーズは自殺。
もちろんレヴィ=ストロースのように100歳を越えて生きているひともいるが(笑)

こういう海外の“巨匠たち”を参照すべきではないかもしれない。

ぼくたちの“くに”においても、参照すべき人間(加藤氏のような)はいる。
死んだ人は、“完結した”ように見えてしまう、しかし、中上健次。
中上は、ぼくのなかで死んでいない。

生きているひとは、どうしても欠点もみえるし、完成品を見るように鑑賞できるわけではない、しかし、辺見庸。

たとえば現代日本を、“オウム以後”というふうに語るなら、辺見庸の発言を忘れることはできない。
もちろん、“スマートな言説”、“クレバーな言説”は、他にいくらでもあったし、ある。

しかし無数の言説のなかから、ぼくのこころに本当に残る言説は、少ない。



strange

2009-05-23 01:38:21 | 日記

昨日は仕事に出る前に、天声人語を読んでブログを非常に短時間で1本書いたきりだ。
仕事の後、この仕事場の中心的な人物の移動にともなう送別会があり、2次会のカラオケにも行った、ぼくが歌ったのは“時には母のない子のように”だけである(はじめて歌った)
家にたどり着くと、零時すぎであった、こういうことは、最近めずらしい。

酔いが残っているし、疲れているのだが、下記ブログに書いたことが、昨日中頭に残っていて、“追記”する必要を昨日中感じていた。

かつてポール・マッカートニーは、“64歳になったらどんなふうだろう”と歌った。
そのころポールはまだ20代だったのだろうし、ぼくも20代だった。

またサイモンとガーファンクルは、公園のベンチに坐っている老人たちを見て、“なんてstrangeなんだろう”と歌った。
この歌を聴いた頃も、ぼくは10代後半か20代だった。

ところが、そのぼく自身が、今年の誕生日で63歳になろうとしている(実は自分が何歳になるのか考えないとわからない)

ぼくは57歳で会社を辞めたとき、定年前に会社を辞めるということで、年齢を意識した。
60歳になるときは、それなりにその区切りの年齢を意識した。
しかし、“いつの間にか”どんどん歳を取っていく。

“strange”である。

しかしこのstrange“というのは、もちろんサイモンとガーファンクルが歌ったものとは、ちがう。
ポールが、楽観的に夢想したのともちがう。
ジョン・レノンは64歳になることができなかった。

“できなかった”というのは、マイナスの判断を含むものだが、果たして、64歳のジョン・レノンをぼくは見たかっただろうか。

ぼくはぜんぜん、“夭折の魅力”と“老残の醜さ”の対比を言おうとしていない。
そういうことではない。

ただ“strange”であることがある、と言っている。
つまり若いときには、わからないこと(わからなかったこと)がある。
しかも“若いとき”が、いつまでであるかもわからない。

10代のとき64歳になった自分を想像するのと、20代のとき64歳になった自分を想像するのと、30代のとき64歳になった自分を想像するのと、40代のとき64歳になった自分を想像するのと、50代のとき64歳になった自分を想像するのとは、ちがっている。

なぜぼくは、こうもあたりまえのことを書いているのか。
実は、この“あたりまえ”が、まったくあたりまえでないことに気づく。

もちろん“個人差”や、そのひとの“環境による”意識の差がある。
また、“年齢”だけがstrangeなわけでもない。

たとえば(これも最近思うのだが)男と女の差というのも決定的だと思える。
“そうではない”という理屈をいくらならべられても、ぼくは納得できない。
男と女の差異を言うことが、リベラルじゃないとか、男権主義だとか言われても、まったく動揺しない。

“年齢の差”にしろ“性差”にしろ、ぼくがそこに“差異がある”という理由は、まさに、“わからない”ということである。
ただちに“同世代ならわかるのか”とか“同性なら”わかるのかという反論が聞えるのだが、もちろんそれも“ワカラナイ”。
同世代“だから”わかる、とか、ぼくが男だから男一般がわかる、ということもない。

しかし、その“わからなさ”がちがうと思えるのだ。

逆に、年齢がちがっても、性がちがっても、“わかっている”ように述べる(書く)こともできる。
たとえば60代の作家が20代の少年を主人公にしたり、男性作家が魅力的な女性主人公を描くことも(その逆も)できる。

しかし、それらは“ほんとうにわかっている”のであろうか。

たぶん、わからないことをわからないままに書いた作家もいたのである。
あるいは、自分がわかっていることだけを、書こうとした作家もいたのである。

あるいは、この“わからないこと”自体が、その作家や思想家の情熱の素であることもあったのではないかと思う。