Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

サムとギュンター

2009-05-14 20:54:26 | 日記
<鷹の月>
★ そしてアメリカ人がやってきた。はじめはせせらぎ、つづいて怒涛のように。徴兵逃れ、犯罪者、すさんだ都会からのはぐれ者。ちんけなポルノ雑誌が村を回覧し、総天然色刷りのコックとプッシーとオッパイとケツ。ドラッグが潮風のようにしみわたり、ロックン・ロールが森にうなり、轟き、チェイン・ソーを圧倒する。(略)黒とクロームの怪物バイクが、材木切り出しの泥道を削りとる。チョッパーとホグ(ハーレー)の大暴走が漁村に爆音をとどろかす。納屋と教会の壁に貼られたローリング・ストーンズのポスター。入れ墨が田舎娘の体の、とんでもないところに彫られる。カナダの騎馬警官が呼ばれても、とても手に負えない。カナダのガキとアメリカのガキを、見分けることなどできはしない。ファッキン、サッキン、スモーキン、シューティン、ダンシン、みんな大ぴらにやりまくる。そして遥か彼方からアメリカがメリメリと裂け、海のなかへと崩れ落ちる音が聞える。
<サム・シェパード“Back in the 1970’s”-『鷹の月』>

★ そっと女を、冷たいバスタブに下す。ほとんどの札はまだ、女の肌に張り付いている。ガソリンの缶を開け、女の脚に少しふりかける。次に腰に、胸に、頭に、髪に。それからゆっくりとかがみこみ、唇にキスする。口のなかに広がるガソリンの味が、車を走らせたい気分にさせる。マッチをすり、死体に投げる。(略)炎を通して、女の目が彼には見える。炎が収まり、煙がかすかに小さな渦を巻いて上っていくようになるまで、彼はしばらく冷ややかに、そしてぼんやりと立っていた。それからシャワーの栓をひねり、灰がクルクル吸い込まれていくのを見つめる。(略)「シスター・モルフィン」に針を落とし、ドアをいっぱいに開けたまま外へ出る。エレベータがおりていく間中、歌が聞える。ロビーに直行してキーをディスクに放り投げ、外に出てタクシーを呼ぶ。大型のイエロー・チェッカーが停った。彼は拍車をじゃらつかせながら飛び乗り、言った、「モンタナまで」
<“Montana”-『鷹の月』>


<ブリキの太鼓>
★ グレフは若い連中が好きなのであった。少女たちより少年たちのほうが好きだった。そもそも彼は少女というものが好きではなく、少年たちだけが好きだった。いっしょに歌を歌うくらいでは自分の気持をあらわせないほど好きになることもしばしばなのだ。それはあのグレフ夫人のせいかもしれない、いつも垢じみたブラジャーと穴だらけのズロースをはいただらしのない女のせいで、彼は身ぎれいで屈強な男の子たちのあいだに、愛のより清潔な尺度を求めようという気になったのかもしれない。しかし、グレフ夫人のきたならしい肌着が、四季を通じて枝に花咲いているあの樹木のもう一つ別の根も掘り起こすことはできたのだ。思うに、グレフ夫人がだらしなくなってしまったわけは、八百屋の防空監視人が妻のむとんじゃくでいささか白痴じみた豊満さを、十分に鑑賞する眼をもっていなかったためなのであった。

★ グレフは、引き緊ったもの、筋骨逞しいもの、鍛えあげられたものが好きだった。彼が自然というとき、同時に苦行を意味していた。彼が苦行というとき、一種独特な体育を意味した。グレフは自分の肉体のことによく通じていた。自分の肉体を入念に訓練し、肉体に熱を加えたり、特別の工夫をこらして寒気にさらしたりした。オスカルが、ガラスを、近くにあるのも遠くにあるのも、歌の威力で粉々にし、ときには窓ガラスの氷の花を溶かしたり、氷柱をとろかして落下させたりしたのに対し、八百屋は手道具を用いて氷を攻撃する男だった。
<ギュンター・グラス“その無気力をグレフ夫人のもとへ運ぶ”-『ブリキの太鼓』>


<モーテル・クロニクルズ>
★ はじめて学校から脱走したのは十歳のときだった。二人の年上の男の子に誘われたのだ。彼らは兄弟で、二人ともそれぞれ5回ほど少年院を出たり入ったりしていた。ちょっと休暇を取るようなものさ、と二人は言った。それでぼくも行くことにした。裏庭に置いてある自転車を3台盗み、アロイオ・セコめざして出発した。ぼくが盗んだ自転車は大き過ぎて、ぼくはついに一度もサドルに尻をつけることができなかった。ぼくは立ったままペダルをこいだ。

★ 走っていくぼくらの両脇を色々な物が通り過ぎていった。日光で色あせたショット・ガンの赤い薬莢、オポッオサムの死骸、ビールの缶、クルミの殻、キャロブの莢、アライグマと二匹の子アライグマ、ポルノ雑誌の破れたページ、ロープのかたまり、タイヤのチューブ、自転車のホイールキャップ、壜の栓、ひからびたサルビア、釘がついたままの板、切り株、根、粉々になったガラス、黄色に赤のストライプのゴルフ・ボール、ラグレンチ、女物の下着、テニス・シューズ、ごわごわになった靴下、犬の死骸、ねずみ、宙を舞うトンボ、目を飛び出させた、しなびたカエルの死骸。何マイルも走った後に、大きな長いトンネルのようになった部分の入口に来た。覗き込むと、向こう側に光は見えなかった。ぼくらは自転車から降り、トンネルの口を見詰め続けた。ぼくより年上の兄弟二人も、ぼくと同じくらいに怯えているとぼくにはわかった。そろそろ暗くなりかけていたし、このトンネルがどれほど長いのかもわからず、向こうにどんな町があるのかも知れず、トンネルの向こうまで行ったとしても、どうやって水路の外に上ればいいのかわからない―そんな状態でここに釘付けにされてしまったという不安で、ぼくらはにわかに家が恋しくなった。誰もそれを口にしなかったけれど、三人の間をそんな気持が横切っていくのをぼくははっきりと感じた。
<サム・シェパード“ホームステッド・ヴァレー、カリフォルニア80/8/13”-『モーテル・クロニクルズ』>

★ ここの人々は
いつのまにか
彼らがその振りをしている
人々になった
<“ロスアンジェリス、カリフォルニア81/7/27”>


ヒメに応える; I'D RATHER GO BLIND

2009-05-14 11:15:26 | 日記
ヒメヒカゲさんの昨夜コメントを貼り付ける(昨日のぼくのブログ“宮台真司と”日本の難点“について);

>読む本も、見る映画も“無数”にあるのである。
ですよね! 評判ばかりに振り回されている時間はないという意味で。

そうはいいつつ、やっぱり気になって、私は「チェンジリング」も「グラン・トリノ」も観ましたが笑・・・普通にエンタメ映画として楽しめましたよ。でも、特に「グラン・トリノ」の映画評で、言葉にならないほど感動したと言っている人たち(映画通の人たち)がかなり見受けられることには大いに違和感。イーストウッド信者のような人たちが増殖しているのは間違いないですね!

映画の評価は「好き嫌い」でいいじゃないかと思っていますが、イーストウッド映画の場合は、いつも冷静な人までが冷静さを無くしているのには苦笑いです。宮台の評は、さすがにきもちわるい笑
(以上引用)


<返信>

昨日はブログ2本を書いた後、妻の友人の“女3人だけの館”を訪問し、国分寺でパスタとワインで食事して帰り、ツナミンのコメントに返信しました。

妻の友人はフランス人と結婚し、プロバンスで長く生活していて(近年夫を亡くされ)、時々八王子の実家に帰ってくるんですね(お母さんと妹がいる)
この女3人家族は、みな手仕事が好きで、その家には、彼女たちがつくった“モノ”が置いてあります。
大きな家ではないが、気持の良い庭に面した部屋で、“フランス帰りの”のTさんを中心にいろいろ話しました。
映画のはなしも、本のはなしも、ブログのはなしも(笑)
それは、気持ちの良い時間だったし、帰りの“イタリアン”もそれなりで、ほろ酔いで帰ったんだが、なぜかがっくり落ち込みました。

やはりぼくの頭の中には、“このブログ”があったわけです。
また、ブログ嫌悪症が、発症したわけです。
ぼくはこのところ、ほとんど午前中にブログを書き、あとは寝るまでブログを見ていません。
夜になると、自分のブログに対する嫌悪感がつのって(笑)きます。

“明日の朝はもう書けないだろう”と思う。
今朝はその気持が持続したままブログを開いて、ヒメの上記コメントを見たので、やっと書く気になりました。

昨日のぼくの妻をふくむ会話のなかで、ぼくは、“30席くらいでいいから映画を上映するスペースを確保したい”ということを述べました。
自分でこう言って、こういうことがぼくのやりたいことである、と思った。
ぼくのやりたいことは、ブログを書くことではない。

ぼくは“映画スペースの親父”になりたい。

ある映画について、けなしても、熱狂しても、映画を見ていなければ、どうにもならない。
つまり、イーストウッド映画より、良い映画があることを、いくら言葉で言っても無意味である。
イーストウッドより良い映画が(無数に)あったことを体験してもらうほかはない。

たしかに映画だけでなく、“すべての判断”は、好き嫌いだとぼくも思う。
しかしそもそも、自分がある対象が、好きであるか嫌いであるかは、そのひとのすべての感覚的・論理的体験の結果だと思う。

だから、1本の映画に対する評価と、“社会学的認識”には、関係があるわけです。

つまり、ぼくが宮台真司の“理論”を信用しないのは、彼が“日本重武装”を支持するからではなく、イーストウッドに熱狂できるからです。

つまり、その“感性-理論”は、同じもの(同じ根を持つ)と考えます。

もちろん宮台のようなひとの書く本が、“たんなる右翼”ではないわけです。
彼は“たんなる右翼”の言説を熟知しているから。

しかし、彼は“たんなる保守主義者”だとおもう。
それはイーストウッドが、“たんなる保守主義者である”ことと、ぴったり一致している。

だからこそ、ぼくとしては、この“保守主義”というのを、定義する必要を感じるのだが、それは“一言では言えない”。

ただぼくは、“たんなる保守主義”ではない映画-音楽-言説の具体例を提示したい。

たしかに、いちばん警戒すべきことは、自分の感受性の固着だと思う。

しかしツナミンも最新ブログ(“加藤周一の出発点と現代日本”)に書いているように、“コロコロ変わる”変わり身の速さを“処世の術”と考える“国民”の多い国においては、頑固であることも必要だと思う。

つまり、“私が好きなもの”に誠実であることが。