中上健次の“世界”は、暴力的であろうか。
そうである。
この世界が暴力的であるように。
しかし暴力もまた、時代によって、“変化した”であろうか。
あるいは、“暴力の表出”が変化した・変化しつつある、のだろうか。
かつて中上健次と個人的な親交のあった柄谷行人はその中上の死後書いた;
★ 私は現在の日本において、フォークナー的なもの、あるいは中上的なものが可能であるとは思わない。その意味で、中上とともに、日本の近代文学は終わったと思う。しかし、彼がいう「南」は、けっして消滅していない。それは至る所にある。また、現在の世界的分業の再編成の過程は、中心、準周縁、周縁を新たなかたちで生み出すだろう。そこから出てくる文学は、一見して中上的なものと無縁と見えるかもしれないが、実はそうでないと私は考える。
<“中上健次の世界性”>
この文章で注目すべきは、柄谷の“日本の近代文学は終わった”という宣言である。
しかもそれは、“中上とともに”終わったのである。
文学は―“終わった”からには、新しい時代状況の“なかから出てくる”。
《(中上がいう)「南」は、けっして消滅していない。それは至る所にある。また、現在の世界的分業の再編成の過程は、中心、準周縁、周縁を新たなかたちで生み出すだろう。そこから出てくる文学は、一見して中上的なものと無縁と見えるかもしれないが、実はそうでない》
なにが言われているのか。
この世界の“差別=格差”が、グローバリズムによる世界再編による、あらたな“差別”、世界的な布置転換の激動が述べられている。
その“なかから”新しい文学は、現れる。
それは、“近代文学の終わり”を見つめている。
“路地はどこにでもある”
“差別はどこにでもある”
ならば、“暴力はどこにでもある”
しかし短絡してはいけない。
中上健次は自分の故郷での“水の行事件”についてこうも書いていた;
★ 「水の行」の事件は、この土地の誰にでも起こることだ。そう思った。この「水の行」を、例えばこの紀伊半島を経巡る旅の途中で行き会うだろう差別、被差別という言葉に置き換えてみると、この「水の行」の事件は、新宮という土地のみならず、紀伊半島という半島の象徴にもなる気がする。いや、日本という国の象徴でもある。そのKという女性を知っていたからかもしれないが、穢れている、と人を打ちすえる者を差別者とするなら、差別者は美しい、と思う。この日本において、差別とは美意識の事でもあったはずだった。
★ 「水の行」の家は雨を受けてあった。
雨、水、それが新宮の新宮たるところであろう。いや、日本の日本たるところであろう。ここには水が豊かにある。樹木も、人も、この水によって生かしめられている。
<中上健次“新宮”-『紀州-木の国・根の国物語』所収>
このような文章を、“どう読めば”いいのか?
《そのKという女性を知っていたからかもしれないが、穢れている、と人を打ちすえる者を差別者とするなら、差別者は美しい、と思う。この日本において、差別とは美意識の事でもあったはずだった》
ぼくは、“中上は正直だ”と、まず思う。
さらに、彼における“差別-被差別の回路”の屈折を思う。
彼はそれを言語化しようとした、フィクションとして、旅のドキュメントとして。
それは、“言葉”の問題だった。
この暴力としての世界で、言葉を発することの、試みだった。
2007年に刊行された中上健次の評伝=高山文彦 『エレクトラ』(文藝春秋)に、中上が娘に宛てた手紙がある(かつてDoblogで一度引用した)、ここに書かれている中上の言葉は、“だれにも理解しうる”言葉である。
《お父さんの名前は、健次という。おじいちゃんか、おばあちゃんが、つけてくれた。第2次世界大戦、つまりアメリカやイギリスという民主主義の国相手に、日本が引き起こした無謀な戦争、その戦争の敗北の後に、お父さんは生まれた。
だからなのだろう。健次の健は健康という意味、次は2番目という意味。二番目の健康な息子である。健康に育ってほしい。そんな両親の意味がこもった名前だ。戦争に苦しみ、次々と無意味な死を迎えた人々を見たら、天に祈るような気持ちで子供を名づけるのは、よく分かる。
菜穂という名はお父さんが名づけた。温暖な日本は瑞穂(みずほ)の国と言われる。みずみずしく稲が実る国という意味。その稲の実る稲穂という意味。菜穂の菜とは野菜の菜。稲穂と野菜。私たちが日常に食するものだが、二つ並べると豊かなイメージが浮かび上がる。
が、この地上に、今、何万、何十万、何百万の人々が飢えているのを知っているだろうか。
お父さんは、お前の名前を菜穂と名づけるとき、この子と、この子の生きる世界に、稲穂と野菜があまねく行き渡りますように、天にいのって、名づけた。
お父さんの祈りは天に通じているだろうか?
菜穂は飢えてはいない。ではどうして、他から飢えた子供の泣き声が聞こえるのか。菜穂はその矛盾を考えてほしい。問題があるなら、それを解いてほしい。もし不正義があり、そのためだというのなら不正義と戦ってほしい。
しかし戦いは、暴力を振うことだろうか?違う。人間の存在の尊厳を示すことだ。そのためには、英知が要る。豊かな感受性が要る。菜穂が、この学校で学ぼうとしていたことは、不正義と戦う本当の武器、つまり人間の存在の尊厳を示す方法だったのだ。頑張れ。心から愛を込めて、声援を送る》
この『エレクトラ』からひとつのエピソードを引用しよう、これを読んでぼくは柄谷行人というひとを“みなおした”のである(‘かすみ’は中上健次夫人である);
★ 柄谷行人に電話して夫の状態を伝えると、すぐ彼はやってきた(略)しかし健次の意識は遠のいていて、はっきり友人の顔を認識できたがどうかわからない。柄谷はベッドのわきに腰掛けて、いつまでも黙って健次の手を握っていた。
それからかすみとふたりで屋上に出て、なにもかも焼き尽くすような日の光の下でしばらく佇んでいた。自分の父親をガンで亡くしている柄谷は、その時の経験から、あれこれといままでの治療についてたずねた。
(……)
あくる日、かすみは柄谷を駅まで送っていった。ここでいいと言う柄谷を駅前で下し、自分は駐車場に車を停めて、急いで土産を買ってホームの階段をのぼっていったら、ベンチがあるのに彼はそこに腰掛けず、惚けたような顔でホームにしゃがみ込んでいた。声をかけるのが憚られるほど、落ち込みようは痛々しかった。
(引用)
こういう“現実の光景”。
この光景が“感動的”だとしたら、それは、中上健次や柄谷行人という“有名人”のエピソードだからではない。
それは、ぼく自身が、夢の中で“体験する”光景である。
Can you picture what will be
So limitless and free
君は思いえがけるか
限界なく自由であるということを
<Jim Morrison;“THE END”>
そうである。
この世界が暴力的であるように。
しかし暴力もまた、時代によって、“変化した”であろうか。
あるいは、“暴力の表出”が変化した・変化しつつある、のだろうか。
かつて中上健次と個人的な親交のあった柄谷行人はその中上の死後書いた;
★ 私は現在の日本において、フォークナー的なもの、あるいは中上的なものが可能であるとは思わない。その意味で、中上とともに、日本の近代文学は終わったと思う。しかし、彼がいう「南」は、けっして消滅していない。それは至る所にある。また、現在の世界的分業の再編成の過程は、中心、準周縁、周縁を新たなかたちで生み出すだろう。そこから出てくる文学は、一見して中上的なものと無縁と見えるかもしれないが、実はそうでないと私は考える。
<“中上健次の世界性”>
この文章で注目すべきは、柄谷の“日本の近代文学は終わった”という宣言である。
しかもそれは、“中上とともに”終わったのである。
文学は―“終わった”からには、新しい時代状況の“なかから出てくる”。
《(中上がいう)「南」は、けっして消滅していない。それは至る所にある。また、現在の世界的分業の再編成の過程は、中心、準周縁、周縁を新たなかたちで生み出すだろう。そこから出てくる文学は、一見して中上的なものと無縁と見えるかもしれないが、実はそうでない》
なにが言われているのか。
この世界の“差別=格差”が、グローバリズムによる世界再編による、あらたな“差別”、世界的な布置転換の激動が述べられている。
その“なかから”新しい文学は、現れる。
それは、“近代文学の終わり”を見つめている。
“路地はどこにでもある”
“差別はどこにでもある”
ならば、“暴力はどこにでもある”
しかし短絡してはいけない。
中上健次は自分の故郷での“水の行事件”についてこうも書いていた;
★ 「水の行」の事件は、この土地の誰にでも起こることだ。そう思った。この「水の行」を、例えばこの紀伊半島を経巡る旅の途中で行き会うだろう差別、被差別という言葉に置き換えてみると、この「水の行」の事件は、新宮という土地のみならず、紀伊半島という半島の象徴にもなる気がする。いや、日本という国の象徴でもある。そのKという女性を知っていたからかもしれないが、穢れている、と人を打ちすえる者を差別者とするなら、差別者は美しい、と思う。この日本において、差別とは美意識の事でもあったはずだった。
★ 「水の行」の家は雨を受けてあった。
雨、水、それが新宮の新宮たるところであろう。いや、日本の日本たるところであろう。ここには水が豊かにある。樹木も、人も、この水によって生かしめられている。
<中上健次“新宮”-『紀州-木の国・根の国物語』所収>
このような文章を、“どう読めば”いいのか?
《そのKという女性を知っていたからかもしれないが、穢れている、と人を打ちすえる者を差別者とするなら、差別者は美しい、と思う。この日本において、差別とは美意識の事でもあったはずだった》
ぼくは、“中上は正直だ”と、まず思う。
さらに、彼における“差別-被差別の回路”の屈折を思う。
彼はそれを言語化しようとした、フィクションとして、旅のドキュメントとして。
それは、“言葉”の問題だった。
この暴力としての世界で、言葉を発することの、試みだった。
2007年に刊行された中上健次の評伝=高山文彦 『エレクトラ』(文藝春秋)に、中上が娘に宛てた手紙がある(かつてDoblogで一度引用した)、ここに書かれている中上の言葉は、“だれにも理解しうる”言葉である。
《お父さんの名前は、健次という。おじいちゃんか、おばあちゃんが、つけてくれた。第2次世界大戦、つまりアメリカやイギリスという民主主義の国相手に、日本が引き起こした無謀な戦争、その戦争の敗北の後に、お父さんは生まれた。
だからなのだろう。健次の健は健康という意味、次は2番目という意味。二番目の健康な息子である。健康に育ってほしい。そんな両親の意味がこもった名前だ。戦争に苦しみ、次々と無意味な死を迎えた人々を見たら、天に祈るような気持ちで子供を名づけるのは、よく分かる。
菜穂という名はお父さんが名づけた。温暖な日本は瑞穂(みずほ)の国と言われる。みずみずしく稲が実る国という意味。その稲の実る稲穂という意味。菜穂の菜とは野菜の菜。稲穂と野菜。私たちが日常に食するものだが、二つ並べると豊かなイメージが浮かび上がる。
が、この地上に、今、何万、何十万、何百万の人々が飢えているのを知っているだろうか。
お父さんは、お前の名前を菜穂と名づけるとき、この子と、この子の生きる世界に、稲穂と野菜があまねく行き渡りますように、天にいのって、名づけた。
お父さんの祈りは天に通じているだろうか?
菜穂は飢えてはいない。ではどうして、他から飢えた子供の泣き声が聞こえるのか。菜穂はその矛盾を考えてほしい。問題があるなら、それを解いてほしい。もし不正義があり、そのためだというのなら不正義と戦ってほしい。
しかし戦いは、暴力を振うことだろうか?違う。人間の存在の尊厳を示すことだ。そのためには、英知が要る。豊かな感受性が要る。菜穂が、この学校で学ぼうとしていたことは、不正義と戦う本当の武器、つまり人間の存在の尊厳を示す方法だったのだ。頑張れ。心から愛を込めて、声援を送る》
この『エレクトラ』からひとつのエピソードを引用しよう、これを読んでぼくは柄谷行人というひとを“みなおした”のである(‘かすみ’は中上健次夫人である);
★ 柄谷行人に電話して夫の状態を伝えると、すぐ彼はやってきた(略)しかし健次の意識は遠のいていて、はっきり友人の顔を認識できたがどうかわからない。柄谷はベッドのわきに腰掛けて、いつまでも黙って健次の手を握っていた。
それからかすみとふたりで屋上に出て、なにもかも焼き尽くすような日の光の下でしばらく佇んでいた。自分の父親をガンで亡くしている柄谷は、その時の経験から、あれこれといままでの治療についてたずねた。
(……)
あくる日、かすみは柄谷を駅まで送っていった。ここでいいと言う柄谷を駅前で下し、自分は駐車場に車を停めて、急いで土産を買ってホームの階段をのぼっていったら、ベンチがあるのに彼はそこに腰掛けず、惚けたような顔でホームにしゃがみ込んでいた。声をかけるのが憚られるほど、落ち込みようは痛々しかった。
(引用)
こういう“現実の光景”。
この光景が“感動的”だとしたら、それは、中上健次や柄谷行人という“有名人”のエピソードだからではない。
それは、ぼく自身が、夢の中で“体験する”光景である。
Can you picture what will be
So limitless and free
君は思いえがけるか
限界なく自由であるということを
<Jim Morrison;“THE END”>