なんかひじょうに疲れて、“アレ”についてのブログを書いたあと寝てしまって、ブログの夢を見ていた(笑)
起きて、アサヒコムを見たら、興味深いネタがいくつかあった。
やはりまず一国の首相に登場ねがう;
《8月に西インド諸島のバハマで開かれる世界大会ではスピーチ力も審査されると説明を受けた首相は、政治家の演説を引き合いに出し、「人の気持ちを瞬時につかみ取るスピーチが必要だ」と助言したという》(引用)
首相が誰に助言したかは、どうでもいいが、“美女”らしい。
次ぎ。
《「父や祖父が女好き。そのDNAがボクにもある」と話していることについて、甘利行政改革担当相が15日、閣議後の記者会見で痛烈に批判した》(引用)
甘利行政改革担当相が誰を批判したかは、みなさんごぞんじの通り。
今朝ぼくが引用した天木直人氏によれば、《鴻池のような女狂いの不道徳な人間を官房副長官に居座らせたのは麻生首相だ》というような表現もある(笑)
今日家に来ているヘルパーが、このニュースに怒っていたが言葉が見つからないようなので、妻が“恥を知れよね”と言ったら、そうだ!と言ったそうだ。
“女好きのDNA”
なかなか傑作な“定義”だと思うが、別に“女好きのDNA”が“ある”ひとは、めずらしくもない。
めずらしいのは、こう公言する“神経のDMA”である。
そういうDNAをもったひとでないと“政治家”になれない、この国のDNAが問題である。
ぼくにこのDNAが“ある”かどうかに関心がある方もおられないだろうが、ぼくの場合、はなはだ困ったことであるが、“美女”にしか関心がない。
しかも、ぼくが“美女”と感じる基準は、あまり一般的とは言えない。
たとえば林真理子という女性がいるのだが、彼女は自分のブログの“林真理子名言集”にこう書いている;
《「美貌こそ女の歴史であり、いちばんわかりやすいパーソナリティなのである」》『皆勤賞』(文春文庫)
この“わかりやすい”言葉は、上記のぼくの“趣味”を裏づけるようではあるが、この言葉を“林真理子名言集”として掲げる、林真理子の神経(DNA?)が美しくない。
まだある(笑)、このひとは自分を絶賛した中森明夫とかいうどっかの馬の骨の文章も自らのブログに引用している;
《この本を手にした貴方は幸せです。これは自らの欲望が時代の欲望を体現してしまった一人の〝運命的な女(ファム・ファタル)〟の物語。彼女は生き、愛し、書いた。それはペンとインクとばかりでない。自らの幸福のみならず、人の幸福に対してさえひときわ感応的な女性の目に浮かべた・・・・・・幾滴かの水分によっても書かれている》(引用)
絶句(笑)
まだある!
森光子の『放浪記』を見に行った感想の末尾;
《ところで『放浪記』は林芙美子の人生を描いたもの。
先日昭和のことを書いた五木寛之先生の本の中に「林芙美子というのはいまの林真理子さんのような人気作家」という一行がありました。私の自慢、 覚えててね》(引用)
覚えてねーよ。
それにしても中森明夫とか五木寛之先生というのは、どういう趣味なのかね。
しかし(最後に!)いよいよ朝日新聞の登場である。
林真理子さん“話題の阿修羅展”へ行く;
《話題の阿修羅展を見に上野の国立博物館へ。
昨日は閉館日で朝日新聞の特別招待日でしたので、ゆっくりじっくり阿修羅像を拝見できました。本当に凛々しいいいお顔。誰かに似ていると想ったら、十代の貴乃花でした。 そう、りえちゃんと婚約した頃のね》(引用)
すなわち、朝日新聞社は、林真理子のようなブンカ人を“閉館日に特別招待”しているのである。
阿修羅像を見た林真理子氏の感想は;
《誰かに似ていると想ったら、十代の貴乃花でした。 そう、りえちゃんと婚約した頃のね》というもので、ござんした。
こういう女(ヒト?)が、朝日新聞や“日本の”文化を支えているのだよ。
美人薄命とならぬよう、祈りまする。
起きて、アサヒコムを見たら、興味深いネタがいくつかあった。
やはりまず一国の首相に登場ねがう;
《8月に西インド諸島のバハマで開かれる世界大会ではスピーチ力も審査されると説明を受けた首相は、政治家の演説を引き合いに出し、「人の気持ちを瞬時につかみ取るスピーチが必要だ」と助言したという》(引用)
首相が誰に助言したかは、どうでもいいが、“美女”らしい。
次ぎ。
《「父や祖父が女好き。そのDNAがボクにもある」と話していることについて、甘利行政改革担当相が15日、閣議後の記者会見で痛烈に批判した》(引用)
甘利行政改革担当相が誰を批判したかは、みなさんごぞんじの通り。
今朝ぼくが引用した天木直人氏によれば、《鴻池のような女狂いの不道徳な人間を官房副長官に居座らせたのは麻生首相だ》というような表現もある(笑)
今日家に来ているヘルパーが、このニュースに怒っていたが言葉が見つからないようなので、妻が“恥を知れよね”と言ったら、そうだ!と言ったそうだ。
“女好きのDNA”
なかなか傑作な“定義”だと思うが、別に“女好きのDNA”が“ある”ひとは、めずらしくもない。
めずらしいのは、こう公言する“神経のDMA”である。
そういうDNAをもったひとでないと“政治家”になれない、この国のDNAが問題である。
ぼくにこのDNAが“ある”かどうかに関心がある方もおられないだろうが、ぼくの場合、はなはだ困ったことであるが、“美女”にしか関心がない。
しかも、ぼくが“美女”と感じる基準は、あまり一般的とは言えない。
たとえば林真理子という女性がいるのだが、彼女は自分のブログの“林真理子名言集”にこう書いている;
《「美貌こそ女の歴史であり、いちばんわかりやすいパーソナリティなのである」》『皆勤賞』(文春文庫)
この“わかりやすい”言葉は、上記のぼくの“趣味”を裏づけるようではあるが、この言葉を“林真理子名言集”として掲げる、林真理子の神経(DNA?)が美しくない。
まだある(笑)、このひとは自分を絶賛した中森明夫とかいうどっかの馬の骨の文章も自らのブログに引用している;
《この本を手にした貴方は幸せです。これは自らの欲望が時代の欲望を体現してしまった一人の〝運命的な女(ファム・ファタル)〟の物語。彼女は生き、愛し、書いた。それはペンとインクとばかりでない。自らの幸福のみならず、人の幸福に対してさえひときわ感応的な女性の目に浮かべた・・・・・・幾滴かの水分によっても書かれている》(引用)
絶句(笑)
まだある!
森光子の『放浪記』を見に行った感想の末尾;
《ところで『放浪記』は林芙美子の人生を描いたもの。
先日昭和のことを書いた五木寛之先生の本の中に「林芙美子というのはいまの林真理子さんのような人気作家」という一行がありました。私の自慢、 覚えててね》(引用)
覚えてねーよ。
それにしても中森明夫とか五木寛之先生というのは、どういう趣味なのかね。
しかし(最後に!)いよいよ朝日新聞の登場である。
林真理子さん“話題の阿修羅展”へ行く;
《話題の阿修羅展を見に上野の国立博物館へ。
昨日は閉館日で朝日新聞の特別招待日でしたので、ゆっくりじっくり阿修羅像を拝見できました。本当に凛々しいいいお顔。誰かに似ていると想ったら、十代の貴乃花でした。 そう、りえちゃんと婚約した頃のね》(引用)
すなわち、朝日新聞社は、林真理子のようなブンカ人を“閉館日に特別招待”しているのである。
阿修羅像を見た林真理子氏の感想は;
《誰かに似ていると想ったら、十代の貴乃花でした。 そう、りえちゃんと婚約した頃のね》というもので、ござんした。
こういう女(ヒト?)が、朝日新聞や“日本の”文化を支えているのだよ。
美人薄命とならぬよう、祈りまする。