“日本”を知りたいならば、日本文学史を読まなければならない。
かつてDoblogで、ぼくは加藤周一『日本文学史序説 上、下』(ちくま学芸文庫)を、自分が全部読んでいないのに、強烈に“推薦”した。
この“日本文学史”が、“日本”認識の“ベースになりうる”と確信したからである。
さいわい、最近のブログで“ツナミン”が、この“加藤周一=日本文学史”についてのブログを書いていた。
ぼくはさらに以下の日本文学史について注意を喚起したい;
★ 柄谷行人『日本近代文学の起源』(岩波、講談社学芸文庫)
★ 小森陽一『<ゆらぎ>の日本文学』(NHKブックス)
★ 高橋睦郎『読みなおし日本文学史』(岩波新書)
さらにぼくの希望を述べるならば、加藤周一氏の日本文学史で取り上げられている“最後の作家”大江健三郎氏のデビュー当時の作品の“革新性”を読むことを。
また、“大江以後”の作家として、中上健次(『熊野集』-『紀州』と“秋幸”3部作)と村上春樹(初期短篇と『ダンス、ダンス、ダンス』)を読むことは、日本文学史の現在を認識する必須の作業であると考える。
ぼくは上記の3冊について、前のブログで散発的に書いてきたと思うが、ここでは、高橋睦郎『読みなおし日本文学史』からいくつか引用したい;
★ 八千矛神(やちほこのかみ)よ、この私はなよなよした草のようにか弱い女性ですから、私の心は浦や洲にいる鳥と同じです。いまは自分の思うままにふるまっている鳥ですが、のちにはあなたの思うままになる鳥なのですから、鳥のいのちは取らないでください……
いまは朝日がさしてきた青山ですが、やがて夕日が沈んだら、まっ暗な夜が来ましょう。あなたは朝日のように晴れやかに笑っていらっしゃり、さらした梶の皮の綱のような白い腕、泡雪のような若やかな胸を抱きかかえ、玉のような手と手とをおたがいに枕とし、股を長々と伸ばして寝ましょうに、そうやみくもに恋いこがれなさるものではありません……
<『古事記』(高橋睦郎『読みなおし日本文学史』-岩波新書1998による>
★なぜ人はさすらわなければならないか? かつて神
がさすらったからである。以上のための注釈……な
ぜ神はさすらわなければならなかったか? はるか
のちの日に人がさすらうためである。
<高橋睦郎 『動詞Ⅱ』から>
★神は巫女の名を聞くというかたちで求愛するのだが、求愛にあたって自分の名をおごそかに告げる。「そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ」、この大和の国は、私こそが従え君臨しているのだ、私の名は大和坐大神(やまとにますおおかみ)である、と。ここから考えられることは、わが国の原初の歌において一人称で「われ」と告げることができるのは神神だけ、そしてまたこれと同義だが、自分の本当の名を告げることのできるのも神神だけだったのではないか、ということだ。
★ただここに一つ、倒錯的な事実が存在することに注意しておきたい。神神は自分のことをわれと言い、自分の名を告げるわけだが、それを求愛の相手である巫女の口を借りてする。神じしんは発声できないからだ。つまり、巫女は口寄せとして神の自分に向けられた言葉を語るとともに、それに対する自分自身の答を語る。この歌の場合は神と巫女の唱和のうち、巫女の和が捨てられ神の唱だけが採られて、わが国最初の国語詩華集『万葉集』の権威付けのために、半伝説の強大な大王である雄略天皇御製歌に仮託されて、第1巻冒頭に置かれたのだろう。
<高橋睦郎『読みなおし日本文学史-歌の漂泊-』岩波新書1998>
〔2008/02/03ブログ〕
この本は“日本文学史”を“読み直す”のではなく、まさに“日本の歴史”を、つまり“日本”という不確実な存在を発見する思考=感性であると感じられる。
ぼくはこれまで『古事記』や『万葉集』などに積極的関心をもったことはなかった。
しかしそこに収録された“歌”たちに、たしかに“日本”を、“日本語”の美しさを喚起されている。
その“歌”の意味を、さっと読んだだけでは理解し得ないにもかかわらず。
この“日本国”形成期の“歌”の役割。
神々のみが歌を歌うことができ、それを“代読”した巫女たち。
神々の歌を収奪し自らの歌とした天皇たち。
しかもこの天皇の歌は、大伴家持らの没落貴族の情念をこめて代読=表出された。
なんとスリリングな展開。
上記“ユダヤ教イエス派”の展開と、日本国の形成の“歴史”は、ぼくにおぼろげな“歴史認識”への手掛かりを告げる。
共通しているのは観念=幻想=言葉が歴史を動かすということである。
経済ではない。
★ 『古今和歌集』仮名序は、外来の漢字をもとにこの国で発明された平仮名を採用することで、歌が新しい時代に入ったことの誇りかな宣言、とも読める。表立って仮名うんぬんとは言っていないが、わずかな漢字を交えて全体に平仮名の、当時の和文の考えられる限りの技巧を駆使した、ほとんど踊るような文の流れから、言外にそれが読み取れる。歌の新時代とは具体的にどういう時代か。仮名序は「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし」というが、それは神の歌のことだろう。神の歌の時代は明らかに終わっていた。つづいて「めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ」というのは巫者の歌のことだろう。巫者の歌の時代も過ぎ去っていた。残るのは「をとこ女のなかをもやはらげ、たけきものヽふのこヽろをも、なぐさむる」歌、つまり人間の歌だ。
★ ただし、このことを肯定的にばかり考えるのは行き過ぎだろう。当時の歌の当事者は土から完全に離れ、武からも遠ざかった貴族層だった。したがって歌の人間化はある意味では洗練という名の軟弱化を意味したろう。洗練はしばしば表面的な個性の突出を嫌う。すくなくとも題材においての突出はなく、均質化していった。これが雑多な活力にあふれた『万葉集』とは異なり、均一的な優美さに包まれた『古今和歌集』の印象のよってきたる理由だろう。
★ しかも、先進文化とともに入ってきた人間の詩によってその座を奪われ、始まった神の歌の漂泊は、神の歌が人間の歌となっても終わったわけではない。神の歌の漂泊が人間の歌の漂泊となって続いたにすぎない。
★ 平仮名による最初の勅撰集の出現は、神の歌から人間の歌への移行を確実なものにした。しかし、そのことで、人間の詩の流入によって始まった神の歌の漂泊が終わったわけではない。詩の文字である真名から分化独立した仮名で表記されることによって、漂泊の相はかえってあからさまになった。
★ 漂泊する歌は宮廷歌人という名の卑官たちに守(も)りされ、天皇と宮廷に献げられるというかたちにおいて、しばらく宮廷にあった。しかし、その宮廷じたいが漂泊を続けていた。歌と宮廷の漂泊時代、これを勅撰和歌集時代と呼ぶ。
<“仮名文学始まる”-『読みなおし日本文学』第3章>
★上記引用への感想
この<漂泊>という言葉は、ぼくにとって、いちばん美しい“日本語”のひとつであると思えた。
引用最後のブロックにある<卑官>という言葉に注目してほしい。
『古今和歌集』の編纂に携わったひとびと、自分の“名前”の歌も出したけれど、それさえ有名人の歌の“つなぎ”として作歌した可能性がある人々、“読人しらず”として自分の名を出さなかったひとびと。
これらの人々は<卑官>であった。
たしかに現在、ぼくらは紀貫之等の<名>を知っている。
『古今和歌集』時代の<貴人>の名を知らなくても。
〔08/08/15ブログ;夏休みSpecial〕
本を読むことは旅することだろうか?
もちろん違っている。
旅が旅であるならどんな旅でも、それは独自の体験である。
それは言葉にしえない感覚の刻印である。
ならば、読書が“旅のようである”とは、どういう意味か。
まさに、ぼくたちは“旅するように”読書する。
つまり意識的に読むことの刻々の体験を、旅することと為すのである。
もしあなたが、“自分のテリトリーを巡回するように”読むのなら、それは読書ではない。
旅ではない。
旅とは、<他の場所>である。
旅とは、<他者の声>である。
もちろん、あの風も光も曇り空もかすかな海の匂いも霧に包まれることも、他者の声である。
冷たい光の街路や荒れ果てた無人の地も他者の声である。
もちろん“自分の内部に”他者の声を聴くのも、読書=旅の体験である。
ただ読んでいてはだめなのである。
旅することに自覚的に(方法的に)読む必要がある。
読む<対象>は選ばれなければならない。
しかも、読むという行為が、旅のように冒険でなければならない。
発見でなければならない。
発見とは自分に未知であったものとの遭遇である。
だから、読むことは、悦びでなければならない。
ぼくたちは苦悩するために生まれてきたのではない。
旅するために生きているのだ。
ぼくは今日が“8月15日”であることを、知っている。
もうひとつの<問い>がある。
”なぜ書くのか?“
なぜぼくはこのブログを書いているのか。
これには、現在の所、<答え>はない。
ただ漠然と、”読むことと書くことの連鎖”という<必然>の曖昧さ(無根拠)に当惑している。
つまりぼくにとっては、<読むこと>は、<書くこと>より圧倒的に重要である。
〔08/12/02ブログ(snapshot 漂泊する歌あるいは『源氏物語』)〕
高橋睦郎の『読みなおし日本文学史』を読んでいて、この本を母に読ませたかったと思う。
母は“これこそ私が考えていたことだ”と言ったと思う。
つまり“日本文学史”とは“歌の漂泊”であると。
昨日『源氏物語』について、この本(『読みなおし日本文学史』)の記述を読んだ。
高橋睦郎は書いている;
★ともかく『源氏物語』における歌は物語におけるアクセサリーなどではない。むしろ物語を物語たらしめる生命の中心といってよい。そういう歌を核とした物語の構成を、作者は物語の先蹤(せんしょう)『伊勢物語』とともに仮名日記の先蹤『蜻蛉(かげろふ)日記』から得た、と思われる。仮名日記の嚆矢(こうし)『土佐日記』は男が女に化けて男の真名日記を真似て書くという、いわば半物語的日記(逆に『伊勢物語』が「在五中将の日記」と呼ばれた事実もある)だが、『蜻蛉日記』はそれぞれの項の中心に歌を置きつつ、自分の愛情生活の赤裸々な心情定着にはじめて成功している。『源氏物語』の作者は『伊勢物語』をはじめとする歌物語、『蜻蛉日記』などの仮名日記、『古今和歌集』『後撰和歌集』などの勅撰集、さらに『白氏文集』『史記』などの漢籍などを本歌として、物語としてのプロットをもった勅撰集を編集した、といえる。
もうひとつ『源氏』についての記述を読んでみたのは、加藤周一『日本文学史序悦』であった。
加藤氏は書いている;
★『源氏物語』の文体は、作者・読者・登場人物が、極度に閉鎖的な小社会に完全に組みこまれていた条件のもとにおいてのみ、成立し、日本語による表現の可能性の一つを―しかし決してその全部ではない―、おそらく極限まで追求したものである。
★『源氏物語』には二面があった。第一に、摂関時代貴族の日常生活に即した背景の現実性。そこには奇蹟もなく、到底ありそうもない空想的な状況の設定もない。第二に、美化され、理想化された人物の登場する恋愛小説としての架空性(想像的な面)。そこでは洗練された感情生活の叙述が中心になっていて、人間の激しい行動や、強い意志や、明瞭な性格は、ほとんど全くあらわれない。
以下のように加藤氏が書く時、ぼくはある種の感動をおぼえた。
それは『源氏物語』に、であろうか、加藤周一氏に対してであろうか:
★『源氏物語』がその54帖の全体を似てしか表現できなかったもの、『源氏物語』をして必然的に大長編小説たらしめたものは、何であったか。私見によれば、それは、時の流れのの現実感、すべての人間の活動と喜怒哀楽を相対化せずには措かないところの時間の実在感、あるいは人生の一回性という人間の条件の感情的表現であった。「人の命、久しかるまじき物なれど、残りの命、一二(いちに)日を惜しまずば、あるべからず」(手習)。「人の命」の有限性と「一二日」の裡に見出される永遠。
★『源氏物語』がわれわれに啓示する人間の現実とは、運命にあらず、無常にあらず、時の流れという日常的で同時に根本的な人間の条件である。その表現、または啓示のために、たしかに大長編小説は必要であった。
上記の高橋睦郎と加藤周一の言っていることは、“矛盾する”であろうか。
ここには『源氏物語』という“ひとつの物語”があるのではない。
“漂泊する歌”は、“この地において”、“歴史”を形成している。
それが“ナショナリズム(愛国)の根拠”のひとつである。
しかし<歌>は、ある“現在”において“ある個人”によって、表出されたのである。
また“この場所”が、“特殊”であるなら、それは加藤氏の言うように“極度に閉鎖的な小社会に完全に組みこまれていた条件”という<条件>を考慮しなければならない。
まさに“現在においても”、『源氏物語』が共感を呼ぶのは、<極度に閉鎖的な小社会に完全に組みこまれていた条件>が変わらないからではないのか。
その<条件>のなかから、“言葉=歌”は発せられてきた。
その<漂泊>は、それらの条件に“抗って(あらがって)”発せられ、それらの<歌>がいまもなお“漂泊”しているのだ。
“いつか”『源氏物語』を読むべきであろうか?(笑)
私の見ることは 塩である
私の見ることには 癒しがない
視界のはるかな果てに立つ樹は 落ちる鶫(つぐみ)の群れは
痛い異物となって 眼の肉に突き刺さる
見ることへの 絶えまない渇きによって
私の眼は 内へ 円錐形に剥(そ)がれた
私の見ることは 容赦ない錐もみである
慰めの水がない 影がない
<『汚れたる者はさらに汚れたることをなせ』という詩集の“目の欲 あるいは 鷲の種族”という連作詩最初の「見者の不幸」>
<追記>
引用貼り付けとはいえ、疲れました。
気分転換に、歌をうたう;
Bang Bang
My baby shot me down
’ソニーとシェール’だったっけ?
かつてDoblogで、ぼくは加藤周一『日本文学史序説 上、下』(ちくま学芸文庫)を、自分が全部読んでいないのに、強烈に“推薦”した。
この“日本文学史”が、“日本”認識の“ベースになりうる”と確信したからである。
さいわい、最近のブログで“ツナミン”が、この“加藤周一=日本文学史”についてのブログを書いていた。
ぼくはさらに以下の日本文学史について注意を喚起したい;
★ 柄谷行人『日本近代文学の起源』(岩波、講談社学芸文庫)
★ 小森陽一『<ゆらぎ>の日本文学』(NHKブックス)
★ 高橋睦郎『読みなおし日本文学史』(岩波新書)
さらにぼくの希望を述べるならば、加藤周一氏の日本文学史で取り上げられている“最後の作家”大江健三郎氏のデビュー当時の作品の“革新性”を読むことを。
また、“大江以後”の作家として、中上健次(『熊野集』-『紀州』と“秋幸”3部作)と村上春樹(初期短篇と『ダンス、ダンス、ダンス』)を読むことは、日本文学史の現在を認識する必須の作業であると考える。
ぼくは上記の3冊について、前のブログで散発的に書いてきたと思うが、ここでは、高橋睦郎『読みなおし日本文学史』からいくつか引用したい;
★ 八千矛神(やちほこのかみ)よ、この私はなよなよした草のようにか弱い女性ですから、私の心は浦や洲にいる鳥と同じです。いまは自分の思うままにふるまっている鳥ですが、のちにはあなたの思うままになる鳥なのですから、鳥のいのちは取らないでください……
いまは朝日がさしてきた青山ですが、やがて夕日が沈んだら、まっ暗な夜が来ましょう。あなたは朝日のように晴れやかに笑っていらっしゃり、さらした梶の皮の綱のような白い腕、泡雪のような若やかな胸を抱きかかえ、玉のような手と手とをおたがいに枕とし、股を長々と伸ばして寝ましょうに、そうやみくもに恋いこがれなさるものではありません……
<『古事記』(高橋睦郎『読みなおし日本文学史』-岩波新書1998による>
★なぜ人はさすらわなければならないか? かつて神
がさすらったからである。以上のための注釈……な
ぜ神はさすらわなければならなかったか? はるか
のちの日に人がさすらうためである。
<高橋睦郎 『動詞Ⅱ』から>
★神は巫女の名を聞くというかたちで求愛するのだが、求愛にあたって自分の名をおごそかに告げる。「そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ」、この大和の国は、私こそが従え君臨しているのだ、私の名は大和坐大神(やまとにますおおかみ)である、と。ここから考えられることは、わが国の原初の歌において一人称で「われ」と告げることができるのは神神だけ、そしてまたこれと同義だが、自分の本当の名を告げることのできるのも神神だけだったのではないか、ということだ。
★ただここに一つ、倒錯的な事実が存在することに注意しておきたい。神神は自分のことをわれと言い、自分の名を告げるわけだが、それを求愛の相手である巫女の口を借りてする。神じしんは発声できないからだ。つまり、巫女は口寄せとして神の自分に向けられた言葉を語るとともに、それに対する自分自身の答を語る。この歌の場合は神と巫女の唱和のうち、巫女の和が捨てられ神の唱だけが採られて、わが国最初の国語詩華集『万葉集』の権威付けのために、半伝説の強大な大王である雄略天皇御製歌に仮託されて、第1巻冒頭に置かれたのだろう。
<高橋睦郎『読みなおし日本文学史-歌の漂泊-』岩波新書1998>
〔2008/02/03ブログ〕
この本は“日本文学史”を“読み直す”のではなく、まさに“日本の歴史”を、つまり“日本”という不確実な存在を発見する思考=感性であると感じられる。
ぼくはこれまで『古事記』や『万葉集』などに積極的関心をもったことはなかった。
しかしそこに収録された“歌”たちに、たしかに“日本”を、“日本語”の美しさを喚起されている。
その“歌”の意味を、さっと読んだだけでは理解し得ないにもかかわらず。
この“日本国”形成期の“歌”の役割。
神々のみが歌を歌うことができ、それを“代読”した巫女たち。
神々の歌を収奪し自らの歌とした天皇たち。
しかもこの天皇の歌は、大伴家持らの没落貴族の情念をこめて代読=表出された。
なんとスリリングな展開。
上記“ユダヤ教イエス派”の展開と、日本国の形成の“歴史”は、ぼくにおぼろげな“歴史認識”への手掛かりを告げる。
共通しているのは観念=幻想=言葉が歴史を動かすということである。
経済ではない。
★ 『古今和歌集』仮名序は、外来の漢字をもとにこの国で発明された平仮名を採用することで、歌が新しい時代に入ったことの誇りかな宣言、とも読める。表立って仮名うんぬんとは言っていないが、わずかな漢字を交えて全体に平仮名の、当時の和文の考えられる限りの技巧を駆使した、ほとんど踊るような文の流れから、言外にそれが読み取れる。歌の新時代とは具体的にどういう時代か。仮名序は「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし」というが、それは神の歌のことだろう。神の歌の時代は明らかに終わっていた。つづいて「めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ」というのは巫者の歌のことだろう。巫者の歌の時代も過ぎ去っていた。残るのは「をとこ女のなかをもやはらげ、たけきものヽふのこヽろをも、なぐさむる」歌、つまり人間の歌だ。
★ ただし、このことを肯定的にばかり考えるのは行き過ぎだろう。当時の歌の当事者は土から完全に離れ、武からも遠ざかった貴族層だった。したがって歌の人間化はある意味では洗練という名の軟弱化を意味したろう。洗練はしばしば表面的な個性の突出を嫌う。すくなくとも題材においての突出はなく、均質化していった。これが雑多な活力にあふれた『万葉集』とは異なり、均一的な優美さに包まれた『古今和歌集』の印象のよってきたる理由だろう。
★ しかも、先進文化とともに入ってきた人間の詩によってその座を奪われ、始まった神の歌の漂泊は、神の歌が人間の歌となっても終わったわけではない。神の歌の漂泊が人間の歌の漂泊となって続いたにすぎない。
★ 平仮名による最初の勅撰集の出現は、神の歌から人間の歌への移行を確実なものにした。しかし、そのことで、人間の詩の流入によって始まった神の歌の漂泊が終わったわけではない。詩の文字である真名から分化独立した仮名で表記されることによって、漂泊の相はかえってあからさまになった。
★ 漂泊する歌は宮廷歌人という名の卑官たちに守(も)りされ、天皇と宮廷に献げられるというかたちにおいて、しばらく宮廷にあった。しかし、その宮廷じたいが漂泊を続けていた。歌と宮廷の漂泊時代、これを勅撰和歌集時代と呼ぶ。
<“仮名文学始まる”-『読みなおし日本文学』第3章>
★上記引用への感想
この<漂泊>という言葉は、ぼくにとって、いちばん美しい“日本語”のひとつであると思えた。
引用最後のブロックにある<卑官>という言葉に注目してほしい。
『古今和歌集』の編纂に携わったひとびと、自分の“名前”の歌も出したけれど、それさえ有名人の歌の“つなぎ”として作歌した可能性がある人々、“読人しらず”として自分の名を出さなかったひとびと。
これらの人々は<卑官>であった。
たしかに現在、ぼくらは紀貫之等の<名>を知っている。
『古今和歌集』時代の<貴人>の名を知らなくても。
〔08/08/15ブログ;夏休みSpecial〕
本を読むことは旅することだろうか?
もちろん違っている。
旅が旅であるならどんな旅でも、それは独自の体験である。
それは言葉にしえない感覚の刻印である。
ならば、読書が“旅のようである”とは、どういう意味か。
まさに、ぼくたちは“旅するように”読書する。
つまり意識的に読むことの刻々の体験を、旅することと為すのである。
もしあなたが、“自分のテリトリーを巡回するように”読むのなら、それは読書ではない。
旅ではない。
旅とは、<他の場所>である。
旅とは、<他者の声>である。
もちろん、あの風も光も曇り空もかすかな海の匂いも霧に包まれることも、他者の声である。
冷たい光の街路や荒れ果てた無人の地も他者の声である。
もちろん“自分の内部に”他者の声を聴くのも、読書=旅の体験である。
ただ読んでいてはだめなのである。
旅することに自覚的に(方法的に)読む必要がある。
読む<対象>は選ばれなければならない。
しかも、読むという行為が、旅のように冒険でなければならない。
発見でなければならない。
発見とは自分に未知であったものとの遭遇である。
だから、読むことは、悦びでなければならない。
ぼくたちは苦悩するために生まれてきたのではない。
旅するために生きているのだ。
ぼくは今日が“8月15日”であることを、知っている。
もうひとつの<問い>がある。
”なぜ書くのか?“
なぜぼくはこのブログを書いているのか。
これには、現在の所、<答え>はない。
ただ漠然と、”読むことと書くことの連鎖”という<必然>の曖昧さ(無根拠)に当惑している。
つまりぼくにとっては、<読むこと>は、<書くこと>より圧倒的に重要である。
〔08/12/02ブログ(snapshot 漂泊する歌あるいは『源氏物語』)〕
高橋睦郎の『読みなおし日本文学史』を読んでいて、この本を母に読ませたかったと思う。
母は“これこそ私が考えていたことだ”と言ったと思う。
つまり“日本文学史”とは“歌の漂泊”であると。
昨日『源氏物語』について、この本(『読みなおし日本文学史』)の記述を読んだ。
高橋睦郎は書いている;
★ともかく『源氏物語』における歌は物語におけるアクセサリーなどではない。むしろ物語を物語たらしめる生命の中心といってよい。そういう歌を核とした物語の構成を、作者は物語の先蹤(せんしょう)『伊勢物語』とともに仮名日記の先蹤『蜻蛉(かげろふ)日記』から得た、と思われる。仮名日記の嚆矢(こうし)『土佐日記』は男が女に化けて男の真名日記を真似て書くという、いわば半物語的日記(逆に『伊勢物語』が「在五中将の日記」と呼ばれた事実もある)だが、『蜻蛉日記』はそれぞれの項の中心に歌を置きつつ、自分の愛情生活の赤裸々な心情定着にはじめて成功している。『源氏物語』の作者は『伊勢物語』をはじめとする歌物語、『蜻蛉日記』などの仮名日記、『古今和歌集』『後撰和歌集』などの勅撰集、さらに『白氏文集』『史記』などの漢籍などを本歌として、物語としてのプロットをもった勅撰集を編集した、といえる。
もうひとつ『源氏』についての記述を読んでみたのは、加藤周一『日本文学史序悦』であった。
加藤氏は書いている;
★『源氏物語』の文体は、作者・読者・登場人物が、極度に閉鎖的な小社会に完全に組みこまれていた条件のもとにおいてのみ、成立し、日本語による表現の可能性の一つを―しかし決してその全部ではない―、おそらく極限まで追求したものである。
★『源氏物語』には二面があった。第一に、摂関時代貴族の日常生活に即した背景の現実性。そこには奇蹟もなく、到底ありそうもない空想的な状況の設定もない。第二に、美化され、理想化された人物の登場する恋愛小説としての架空性(想像的な面)。そこでは洗練された感情生活の叙述が中心になっていて、人間の激しい行動や、強い意志や、明瞭な性格は、ほとんど全くあらわれない。
以下のように加藤氏が書く時、ぼくはある種の感動をおぼえた。
それは『源氏物語』に、であろうか、加藤周一氏に対してであろうか:
★『源氏物語』がその54帖の全体を似てしか表現できなかったもの、『源氏物語』をして必然的に大長編小説たらしめたものは、何であったか。私見によれば、それは、時の流れのの現実感、すべての人間の活動と喜怒哀楽を相対化せずには措かないところの時間の実在感、あるいは人生の一回性という人間の条件の感情的表現であった。「人の命、久しかるまじき物なれど、残りの命、一二(いちに)日を惜しまずば、あるべからず」(手習)。「人の命」の有限性と「一二日」の裡に見出される永遠。
★『源氏物語』がわれわれに啓示する人間の現実とは、運命にあらず、無常にあらず、時の流れという日常的で同時に根本的な人間の条件である。その表現、または啓示のために、たしかに大長編小説は必要であった。
上記の高橋睦郎と加藤周一の言っていることは、“矛盾する”であろうか。
ここには『源氏物語』という“ひとつの物語”があるのではない。
“漂泊する歌”は、“この地において”、“歴史”を形成している。
それが“ナショナリズム(愛国)の根拠”のひとつである。
しかし<歌>は、ある“現在”において“ある個人”によって、表出されたのである。
また“この場所”が、“特殊”であるなら、それは加藤氏の言うように“極度に閉鎖的な小社会に完全に組みこまれていた条件”という<条件>を考慮しなければならない。
まさに“現在においても”、『源氏物語』が共感を呼ぶのは、<極度に閉鎖的な小社会に完全に組みこまれていた条件>が変わらないからではないのか。
その<条件>のなかから、“言葉=歌”は発せられてきた。
その<漂泊>は、それらの条件に“抗って(あらがって)”発せられ、それらの<歌>がいまもなお“漂泊”しているのだ。
“いつか”『源氏物語』を読むべきであろうか?(笑)
私の見ることは 塩である
私の見ることには 癒しがない
視界のはるかな果てに立つ樹は 落ちる鶫(つぐみ)の群れは
痛い異物となって 眼の肉に突き刺さる
見ることへの 絶えまない渇きによって
私の眼は 内へ 円錐形に剥(そ)がれた
私の見ることは 容赦ない錐もみである
慰めの水がない 影がない
<『汚れたる者はさらに汚れたることをなせ』という詩集の“目の欲 あるいは 鷲の種族”という連作詩最初の「見者の不幸」>
<追記>
引用貼り付けとはいえ、疲れました。
気分転換に、歌をうたう;
Bang Bang
My baby shot me down
’ソニーとシェール’だったっけ?