Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

青春限定

2009-05-22 08:44:00 | 日記

▼ ところで、音の世界にも「青春限定」があるらしい。個人差もあるが、うんと高周波の音は、聴覚が衰える前の若者にしか聞こえないという。音の分際で人を選ぶなと気色ばむ中高年も、これがひどく耳障りだと知れば安心しよう。「モスキート(蚊)音」と呼ぶそうだ▼その性質を利用し、真夜中の公園にたむろする若者を追い払う実験が、きのう東京都足立区で始まった。06年に英国で生まれた「蚊音」発信器を据え、ベンチやトイレが壊される被害を防ぐ試みという(引用)

さらに;
▼ キーンという金属音と言われても、優に30年は手遅れの当方、不快のほどは想像するしかない。枕元の羽音を思い出すのがせいぜいだ。聞きたくもあり、聞きたくもなし▼年を重ねると、不快な音ばかりか不快な話は耳が拒み、うっかり聞いても右から左へ抜けるようになる。老化、いや心穏やかに過ごす知恵だろう。かたや何にでも鋭く反応するのが若さである。40度に近い高熱は困るが、透明な音に追われる青い感度が、いくらか妬(ねた)ましい。(引用)

この“若年寄り”は、きょうも、何を言っているのか。
ぼくはこれを書いているひとより年寄りだが、“老化、いや心穏やかに過ごす知恵”などを持ち合わせていない。

しかし、自分が“老化”しつつある、ことはひしひしと感じている。
こういう“老人”からみると、“何にでも鋭く反応する若さ”とやらが、現在の“若者”には、ぜんぜん感じられない。
つまりぼくは、“妬ましく”ない。

もちろん、ぼくは“若者”と話す機会がないので、これはあくまで“印象”である。
ぼくは電車のなかや街頭で“若者”を見ているだけだから。
ぼくのこの印象が、“誤解”であることを、切に望む。

むしろ問題は、“老化”である。

“若者”があまり読まないであろう作家“古井由吉”の『野川』という小説を読み始めた。
これは“老人小説”である。

つまりぼくと同年代の主人公の視点から書かれている“現代小説”である。
昨夜これを読んでいて、ぼくはある種の衝撃を受けた。

非常にすぐれた小説であることを感受すると同時に、あまりにも現在のぼくの暮らしと“心境”とは、かけ離れているのだ。

たしかにこの小説の“主人公”は、ぼくと同年代だが、ぼくより10歳“年上”の世代である。
この“10年”の差だろうか(古井氏の世代は、少年期に戦争を体験している)

それともぼくは、“同世代”ともまったく隔絶してしまったのだろうか。