Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

アメリカの陽のもとに

2009-05-10 13:38:39 | 日記
ああ、アメリカ!

この“アメリカ”という言葉こそ、嘆息をさそうものである。

ただちに、この“アメリカ”という言葉が示す“地域”がどこであるかが、問われる。
単純な話、“南アメリカ”と呼ばれる地域もあるからである。

つまり、ぼく(たち)は、“USA”の話をしているらしい。

すでに、この名によって、“アメリカの発見”とか“アメリカ建国”などといった、おびただしい“お話し”(歴史)があるわけである。

教養あるひとは、“ニュー・イングランド”とか“ピューリタン”という言葉に、なにかを感じるかもしれない。
“インディアン”とか“黒人”とかいった、“死語”になった言葉もあるのである。
映画とか見ているひとは、“マフィア”、“チャイニーズ・マフィア”、“アイルランド系”などなどに思いを馳せることもできる。
ナチス・ドイツの世界侵攻を食い止めた強力助っ人、原爆を史上初めて投下した国、“民主主義”の騎手なのに自国の大統領を暗殺させる国、ヴェトナムで大量破壊兵器を駆使したのに“テロリスト”に負けた国、神がかった“原理主義的”大統領とスタッフを生み出す国etc.

つまり“アメリカ”とは、ディズニー・ランドのような、ハリウッド映画のような国でないことだけは、明らかである(あなたが眼を開けて見るなら)

もちろん、“アメリカ”には、上記のような粗雑な分析ではなく、もっともっと“面白い”ことがある。

たとえば、裁判員制度を思うとき、「12人の怒れる男」という古い映画を思い出すこともできる。
ぼくが好きなアメリカは、アウトローやプア・ホワイトやギャングのアメリカである、ということもできるかもしれない。
それもまた映画にあったのだが、ディランやビーチ・ボーイズやスプリングスティーンの“歌”にもあった。
ジム・モリソンのアメリカから離脱する歌(しかし彼は最後にフランスから“LA”を歌った)
「荒野の決闘」、「ウエストサイド物語」、「許されざるもの」(ジョン・ヒューストン)、「天国の日々」、「ボニー&クライド」、「バッド・ランズ」、「俺たちに明日はない」、「卒業」、「クライム・オブ・ハート」、「ゴッド・ファーザー」、「地獄の黙示録」、「グロリア」、「ジュリア」、「鳥」、「シャイニング」、「レオン」、「パリ、テキサス」、「ガルシアの首」・・・・・・

けれどもぼくはここでは三つの引用をしよう、フィッツジェラルドでもチャンドラーでもなく(ここでこの2名の名を上げたのは、日本の高名な作家の愛読書であるからである;笑)

★ 本棚から「ヘミングウェイ全短編1」を取り出しぱらぱらよむ。
最初の短編集「われらの時代」。
その中の「ある訣別」がよかった。少年、少女の’最初の別れ’を淡々と書いている。
虹鱒の夜釣りのキャンプ。月がしずかに昇っていく。
”今夜はきっと月が出るよ”
晩年のヘミングウェーは”私はヤンキーではない”といったそうだ。
(2004/12/11-すなわちDoblogでのぼくの最初のブログである)

★ 峠まで来ると、眼下に谷間の全景がひろがって見える。よく晴れた朝など、青空の下、かなり幅ひろく両側の山に仕切られ、色彩豊かに横たわるその谷間は、約束の地カナーンのように見えないこともない。
<ロス・マクドナルド:『ウイチャリー家の女』>

すなわち“ハード・ボイルド”は、ハメット、チャンドラーのみではなかった。
ここで“約束の地カナーン”と呼ばれているのは、“LA”のことだと思う。
すなわちロス・マクドナルドは、この“約束の地”が、地獄に近いことを描いていた。
ぼくは近年、『ブラック・ダリアの真実』というドキュメントで、その例証を読んだ。

★ あの夜のことで、セーラがあとで思い出したのは<運命の車>での彼の幸運続きと、仮面、その二つだった。だが、何年という歳月が流れたのちには、仮面のことを思い返した―あの恐ろしい夜のことを少しでも考える気になったときには。
<スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』>

しかし、スティーヴン・キングの『デッド・ゾーン』と言っても、“すぐに通じないひと”も多いと思うので、もっと引用すべきではないだろうか(笑)
村上春樹氏によると、“アメリカの大学町では、だれも、スティーヴン・キングの話をしない“そうである。
つまり、キングは“通俗的”なのである。
しかしぼくの記憶によれば、“ひところ”、春樹氏はキングを(カフカやドストエフスキーではなく)、愛読していたはずである。

★あの年の夏には、たしかに魔法が存在した。50歳になったいまも、そのことを疑う気持ちは露ほどもなかったが、どのような魔法だったのかはもはやわからなくなっていた。

★キャロルの死によって、かつて魔法が存在したことばかりか、少年時代の目的そのものまでもが打ち消されてしまったように思えた。こんなことばかりをもたらしてくるなら、いったい魔法になんの長所があるだろう?年をとって目がわるくなり、血圧の数字がわるくなるのはまだいい。しかし、いやな思いをさせられ、悪夢を見て、悲惨な結末を迎えるとなると、そうもいってはいられない。神よ、ああ、お願いだ、ビッグボーイ、もうやめてくれと。なるほど、人は成長すると無垢な心をうしなうものだし、そのことはだれもが知っている。しかし、だからといって希望までうしなわなくてはならないのか?11歳のときに観覧車のてっぺんで女の子にキスをしたとしても、その11年後に新聞をひらいて、相手の女の子がスラム街のちっぽけな袋小路にあるスラムそのものの小さな家で焼け死んだと知らされるだけだとしたら、そんなキスになんの美点があるのだろう?その女の子の不安をたたえた美しい瞳を思い出したり、日ざしが女の子の髪にきらめいていたようすを覚えていることに、いったいなんの美点があると?

★ボビーは大あわてで体をうしろにめぐらした。その拍子にラジオが膝の上から落ちて、芝生のなかに転がっていった。女の顔は見えなかった。ただ黒いシルエットとしか見えない。そしてその左右には、翼のような形で茜色の夕焼け空が広がっていた。なにか話そうとしたが、口がいうことをきかない。呼吸は完全にとまり、舌は口の天井に貼りついて動かなかった。頭の奥のほうから、こんなことをつぶやく声がきこえた。“そうか、これが幽霊を見たときの気分なんだな”
「ボビー、大丈夫?」
女は足早に近づいてくると、ベンチの前にまわりこんできた。それと同時に沈みゆく太陽の赤々とした光が、ボビーの目をまともに射抜いた。ボビーは小さな悲鳴を洩らして片手をかざし、瞼をつぶった。香水のにおいが鼻をついた……いや、夏草の香りだろうか?わからなかった。それからふたたび瞼をひらいたときにも、まだ女の体の輪郭しか見えなかった。本来なら女の顔が見える部分には、まだ太陽の緑色の残像が見えるばかりだった。

★さいごまで残っていた薄紅の日ざしが翳って灰色になるのにあわせて、キャロルはボビーの肩に頭をもたせかけた。ボビーは片腕でその肩を抱いた。ふたりはそのまま無言ですわっていた。ふたりの足もとのラジオで、プラターズが歌いはじめた。

《スティーヴン・キング“天国のような夜が降ってくる”― 『アトランティスのこころ』(新潮文庫)>


母=音楽

2009-05-10 11:05:56 | 日記

今日の各紙コラムの話題は、インフルエンザと母の日である。

天声人語だけが、関係ない話題を扱うという“独自性”を発揮しているのかと思ったら、これも“母の日”の話であることに気づく。

▼ 2千回に同じものはない。共演の違いだけでなく、せりふ回しからたばこの吸い方まで、主役も舞台も進化してきた。長いファンは、新しい芙美子と元気な森さんの二人に会いに来る。その期待が花を終わらせない▼生来の役者というのだろう。お酒は苦手なのに粋に酔い、京女ながら東京下町の香りをまとい、子どもを持たぬまま「日本のお母さん」になった。いま「老い」さえもたぶらかし、新たな顔で記録を重ねていく。(今日天声人語)

ぼくは森光子さんにも林芙美子さんにも特別な関心がない。
つまり、森光子というひとが、良い女優かどうかを知らない。

だからぼくが、ここでいいたいのは、森光子さんのことではなく、彼女を“日本のお母さん”と呼ぶ天声人語氏の“判断”が適切か否かである。

つまりマスメディは、なぜあるひとを“日本のお母さん”とか“ロックの神様”とか呼ぶのだろうか。

そういう“レトリック”(キャッチ・フレーズ)が、ある業界にとって“当然のこと”のように使われているのは、なぜ“当然”なのだろうか。

つまりそれは、森光子が良い女優であることや、清志郎というひとがよいミュージシャンだったか否かとは、“関係ない”。

つまり、森光子が良い女優であり優れた女性であっても、彼女を“日本のお母さん”の代表とすることはできない。
もちろん、“ロック”に、たくさんの“神様”がいては、いくら多神教の国とはいえ、“神様”のインフレ状態が起こるであろう。

逆に、あるひとを“日本の・・・・・・”とか“・・・・・・の神様”と呼ぶことは、そのひとの独自の生、独自の自己表現をおとしめることになるのではないか。

だいいち、“ぼくの母”は、ひとつの芸で生きたのでも、長生きしたのでもない。
そういうひとりの女=母の生涯は、“日本の母”の基準から外れるのであろうか。

もし母の日に、母を思うなら、それは“日本のお母さん”の類型ではけっして語れない。

もしあるひとの音楽を、自分にとって必要な“声”として聴いてきたなら(それが楽器の声であろうと)、それは、あまりにも多くいる“神様”のひとりとしてではない。

ぼくは時々“ロックの歌詞”のいい加減な訳詞をしているが、ぼくがその“音楽”を聴くとき、聞いているのは、そのひと独自の“声の現前”である(つまり“意味”ではなく)

何十年も前に死んだ人が、今日も“生身”で、ぼくに歌っている。

グレン・グールドのピアノは、何百回聴いても、今演奏されているように生々しい。
かれが弾いているのは、彼が弾いたときより何世紀も前の音楽である。

その時には力強く、時には夢みるような“ピアノの音”の背後から、録音技師が消そうとして消しきれなかったグールドの、“声”が聴こえる。