下記ブログでぼくは“世界は単純でない”と書いた。
しかし、素朴なもの、シンプルなものの美しさというものも、ある。
あるいは、複雑に見える現象の“真理”が、“単純”であることもあった。
あらゆる、“おしゃれ”を試みたあとに、自分にいちばん合った“服”を見出すこともある。
この場合の“服”は、比喩でもいいのである。
しかし、ある種の“単純な言葉”だけは、許すことができない。
その言葉しか発しない者も、その言葉しか受容しないものも。
右も左もなく、保守も革新もない。
ただのっぺりとした、なにかを装おう言説がある。
かれらが右であろうが左であろうが中道であろうが、かれらは同じものを“保守”している。
テレビ的言説、マスメディア的言説、多数であることに居直る言説。
かれらは“良識”とか“常識”に依拠し、それを時には“毒舌”や“皮肉”や“シニシズム”や“お笑い”で色づけする。
しかし彼らの“言っていること”は、すべて同じである。
同じ言葉を毎日繰り返す。
それだけが、かれらの商売である。
しかも“かれら”とは、言葉を操るプロだけではない。
政治家、官僚、企業幹部、あらゆる団体幹部、マスメディア-テレビ業界人、広告屋、学者先生、作家、アーティスト!タレントなどなど“のみ”ではない。
もちろん“かれら”の生態と言説が、顕著に観察される場は、あの“テレビ”である。
この“テレビ村”には、口先だけの“言説の輩(やから)”が勢ぞろいしている。
またその本質的ヤラセに、なぜか喝采をおくる(カンドウする)“聴衆”にも事欠かない。
かれらが、阻害しているもの、疎外しているもの、破壊しているものこそ、“言葉”であり、人間と人間との“対話”、コミュ二ケーション、人間と人間の唯一の価値である“関係”そのものである。
かれらの“言葉”は、この多様な言葉-関係の豊穣さ(豊かな可能性)を、あらかじめ定められたシナリオ、とっくに古びた“お話し”、とっくに破綻した“道徳律”に閉じ込めるのだ。
言葉と言葉のつらなりである“言説”には、多様性があるのだ、それは“固定(観念)”ではない、“運動(変動)”なのだ。
ただひとつの単語であろうと、それは、多様な“意味”を担うであろう(あらゆる色彩のグラデーションである)
それは、ことばについての“技術”の次元にあるのではない。
たしかに、ことばは、“言霊”ではない。
なんの神秘でもない。
しかし言葉は、公式でも定理でも化学式でも数式でもない。
言葉は、生身であり、あなたの身体である。
この空気のように充満する、あらゆる“人間の環境”を破壊する言葉、現在の“多数の言葉”こそ、足のない幽霊どもの永久に繰り返されるだけの死せる“言語”である。
しかしぼくの“批判の言葉”も繰り返しに陥っていると、懸念する方々よ(笑)
ぼくは言葉を“発見し”、そのような言葉たちを、引用し続けるであろう。
<追記1>
ぼくが“テレビ”を批判しているのは、ぼくが中学時代~かなり最近まで“テレビ中毒(テレビっ子)”だったからである。
つまり“キャリア”にもとづいている(笑)
ただしぼくは、赤ん坊から小学校時代までテレビを見ていない(小学校高学年で“街頭テレビ”が出現した)
この体験が、ぼくが“テレビを相対化できる”ひとつの根拠である。
ぼくの“サラリーマン最後の職場”が、テレビ関係であったこともある。
<追記2>
たとえば『ブリキの太鼓』第2部最初の“ポーランド郵便局攻防戦”の場面。
主人公オスカル(3歳でみずから成長を止めた少年)は、“推定上の父”ヤン・ブロンスキーと瀕死の彼の同僚(二人は“ポーランド人”として、郵便局に立て籠もり、“ドイツ人”の攻撃に応戦していた)と三人で、“スカート”というトランプ・ゲームをする。
つまり臆病なオスカルの“推定上の父”ヤンは、恐怖で錯乱し、トランプ・ゲームの世界に逃避したのである(砲弾が雨霰と炸裂するなか)。
(この“悲惨なシーン”は、何度もぼくを笑わせた)
しかし(当然)ポーランド郵便局は、陥落し、ヤンをふくむ生き残り“ポーランド人”は拉致され、結局、銃殺される。
オスカルは“実際上の父”が“ドイツ人”であるため、病院へと保護される。
オスカルが推定上の父を最後に見たとき、父は、トランプ・カードをかざして、“弱々しく幸福な微笑を浮かべて”、オスカルに合図を送った(そのカードは、ハートのクイーンである)
ぼくたちは、ヒットラーやドイツ・ファシズムについて、“実証的な”研究を読むことができる。
ドキュメントとして、歴史として、ぼくはそういう読書が無駄だとは思わない。
しかし、ぼくらが、それらの記録を忘れることがあっても、このヤン・ブロンスキーを忘れることはできない。
いや、彼をわすれても、これらの光景は、ぼくらの“無意識”に残り、ぼくらの“ものの感じ方”そのものを変えるであろう。
しかも『ブリキの太鼓』のような小説の“重層性”は、(ぼくの場合は)、第2部のこの“光景”を読むことによって、第1部で読み過ごしてきたさまざまなエピソードに、新たな光があたるということである。
ぼくはまだこの小説第2部の途中まで読んだにすぎない。
この小説の“全体”を読んだとき、そこにはまた新たな光景が開けるであろう。
すなわち、“印象に残るシーン”は、この郵便局のみではない。
しかし、素朴なもの、シンプルなものの美しさというものも、ある。
あるいは、複雑に見える現象の“真理”が、“単純”であることもあった。
あらゆる、“おしゃれ”を試みたあとに、自分にいちばん合った“服”を見出すこともある。
この場合の“服”は、比喩でもいいのである。
しかし、ある種の“単純な言葉”だけは、許すことができない。
その言葉しか発しない者も、その言葉しか受容しないものも。
右も左もなく、保守も革新もない。
ただのっぺりとした、なにかを装おう言説がある。
かれらが右であろうが左であろうが中道であろうが、かれらは同じものを“保守”している。
テレビ的言説、マスメディア的言説、多数であることに居直る言説。
かれらは“良識”とか“常識”に依拠し、それを時には“毒舌”や“皮肉”や“シニシズム”や“お笑い”で色づけする。
しかし彼らの“言っていること”は、すべて同じである。
同じ言葉を毎日繰り返す。
それだけが、かれらの商売である。
しかも“かれら”とは、言葉を操るプロだけではない。
政治家、官僚、企業幹部、あらゆる団体幹部、マスメディア-テレビ業界人、広告屋、学者先生、作家、アーティスト!タレントなどなど“のみ”ではない。
もちろん“かれら”の生態と言説が、顕著に観察される場は、あの“テレビ”である。
この“テレビ村”には、口先だけの“言説の輩(やから)”が勢ぞろいしている。
またその本質的ヤラセに、なぜか喝采をおくる(カンドウする)“聴衆”にも事欠かない。
かれらが、阻害しているもの、疎外しているもの、破壊しているものこそ、“言葉”であり、人間と人間との“対話”、コミュ二ケーション、人間と人間の唯一の価値である“関係”そのものである。
かれらの“言葉”は、この多様な言葉-関係の豊穣さ(豊かな可能性)を、あらかじめ定められたシナリオ、とっくに古びた“お話し”、とっくに破綻した“道徳律”に閉じ込めるのだ。
言葉と言葉のつらなりである“言説”には、多様性があるのだ、それは“固定(観念)”ではない、“運動(変動)”なのだ。
ただひとつの単語であろうと、それは、多様な“意味”を担うであろう(あらゆる色彩のグラデーションである)
それは、ことばについての“技術”の次元にあるのではない。
たしかに、ことばは、“言霊”ではない。
なんの神秘でもない。
しかし言葉は、公式でも定理でも化学式でも数式でもない。
言葉は、生身であり、あなたの身体である。
この空気のように充満する、あらゆる“人間の環境”を破壊する言葉、現在の“多数の言葉”こそ、足のない幽霊どもの永久に繰り返されるだけの死せる“言語”である。
しかしぼくの“批判の言葉”も繰り返しに陥っていると、懸念する方々よ(笑)
ぼくは言葉を“発見し”、そのような言葉たちを、引用し続けるであろう。
<追記1>
ぼくが“テレビ”を批判しているのは、ぼくが中学時代~かなり最近まで“テレビ中毒(テレビっ子)”だったからである。
つまり“キャリア”にもとづいている(笑)
ただしぼくは、赤ん坊から小学校時代までテレビを見ていない(小学校高学年で“街頭テレビ”が出現した)
この体験が、ぼくが“テレビを相対化できる”ひとつの根拠である。
ぼくの“サラリーマン最後の職場”が、テレビ関係であったこともある。
<追記2>
たとえば『ブリキの太鼓』第2部最初の“ポーランド郵便局攻防戦”の場面。
主人公オスカル(3歳でみずから成長を止めた少年)は、“推定上の父”ヤン・ブロンスキーと瀕死の彼の同僚(二人は“ポーランド人”として、郵便局に立て籠もり、“ドイツ人”の攻撃に応戦していた)と三人で、“スカート”というトランプ・ゲームをする。
つまり臆病なオスカルの“推定上の父”ヤンは、恐怖で錯乱し、トランプ・ゲームの世界に逃避したのである(砲弾が雨霰と炸裂するなか)。
(この“悲惨なシーン”は、何度もぼくを笑わせた)
しかし(当然)ポーランド郵便局は、陥落し、ヤンをふくむ生き残り“ポーランド人”は拉致され、結局、銃殺される。
オスカルは“実際上の父”が“ドイツ人”であるため、病院へと保護される。
オスカルが推定上の父を最後に見たとき、父は、トランプ・カードをかざして、“弱々しく幸福な微笑を浮かべて”、オスカルに合図を送った(そのカードは、ハートのクイーンである)
ぼくたちは、ヒットラーやドイツ・ファシズムについて、“実証的な”研究を読むことができる。
ドキュメントとして、歴史として、ぼくはそういう読書が無駄だとは思わない。
しかし、ぼくらが、それらの記録を忘れることがあっても、このヤン・ブロンスキーを忘れることはできない。
いや、彼をわすれても、これらの光景は、ぼくらの“無意識”に残り、ぼくらの“ものの感じ方”そのものを変えるであろう。
しかも『ブリキの太鼓』のような小説の“重層性”は、(ぼくの場合は)、第2部のこの“光景”を読むことによって、第1部で読み過ごしてきたさまざまなエピソードに、新たな光があたるということである。
ぼくはまだこの小説第2部の途中まで読んだにすぎない。
この小説の“全体”を読んだとき、そこにはまた新たな光景が開けるであろう。
すなわち、“印象に残るシーン”は、この郵便局のみではない。