Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

最初の頃

2009-04-05 11:22:19 | 日記
ぼくは現在崩壊過程にあるDoblogで2004年12月からブログをはじめた。
Doblog壊滅に備えて、その最初のブログからピックアップッする。
自分での感想?ぼくは同じことばかり言っている。
しかし、この4年が、ぼくを変えなかったはずはない。
またぼくがこの数年で、変わってしまうはずもなかった。



★ <ブログ開始> 2004/12/11
朝日新聞”be on Saturday”に先週と今日でていた記事を読んで、気になっていたブログをやってみることにした。
去年9月から今年6月まで、ホーム・ページ ”wind” を開設していたが、しんどくなってやめちゃった。
”ブログ”は楽チンみたいだ。
”wind”の時はほぼ毎日、撮った写真をA Day In The Lifeとして掲示板に貼り付けていた。これもブログなら簡単そうだ。最近毎日は写真撮れないけどね。
今日の写真は数日前新宿伊勢丹でランチをテラスで食べたときの水のびん。


★ <ヘミングウェイ> 2004/12/11
先日夜、BSで”世界時の旅人ヘミングウェイ”をみた。
案内役・矢作俊彦でヘミングウェイが少年時をすごしたミシガンや晩年をすごしたキューバの風景が紹介された。
読みたくなり、本棚から「ヘミングウェイ全短編1」を取り出しぱらぱらよむ。
最初の短編集「われらの時代」。
その中の「ある訣別」がよかった。少年、少女の’最初の別れ’を淡々と書いている。
虹鱒の夜釣りのキャンプ。月がしずかに昇っていく。

”今夜はきっと月が出るよ”

晩年のヘミングウェーは”私はヤンキーではない”といったそうだ。


★<うちのペットを紹介します> 2004/12/13
うちでは年齢不詳の熊を飼っている。名前はアルちゃん。
ときどき彼との会話を掲載しよう。

アル:おれがペットかよ。
wamgun:おれじゃなく、ぼくといいなさい。
アル:またはじめた。こんどはブログかよ。すぐあきるくせに。
warmgun:世間は師走みたいだ、みんないそがしそうだぜ。
アル:うちはかんけーないな。ただ寒くなってきてこたえるね、暖冬だってさ。おれまた冬眠の準備忘れたし。
warmgun:ぼくが代わりに冬眠するって。
アル:このブログでは時事漫談やんないの?小泉バカとか。
warmgun:このブログの決まりにも、”ひとを不愉快にさせることは書かないように”とあるぜ。でも”今日のばか”というコラムつくってもいいね。毎日書ける。
アル:このブログの新着記事に”レイプ反対”というのがあって、レイプされた女性が裸で抗議する写真のってた。立派だぜ。あんたなんて、けっきょくウダウダ言ってるだけでなんも行動せんじゃないか。
warmgun:まあそう言うな。これが限界なのだ。さりげなくやらなきゃなんない。


★ <見えない木> 2004/12/13
田村隆一の詩”見えない木”を引用します。

雪の上に足跡があった
足跡を見て はじめてぼくは
小動物の 小鳥の 森のけものたちの
支配する世界を見た
たとえば一匹のりすである
その足跡は老いたにれの木からおりて
小径を横断し
もみの林のなかに消えている
瞬時のためらいも 不安も 気のきいた疑問符も そこにはなかった
また 一匹の狐である
彼の足跡は村の北側の谷づたいの道を
直線上にどこまでもつづいている
ぼくの知っている飢餓は
このような直線を描くことはけっしてなかった
この足跡のような弾力的な 盲目的な 肯定的なリズムは
ぼくの心にはなかった
たとえば一羽の小鳥である
その声より透明な足跡
その生よりもするどい爪の跡
雪の斜面にきざまれた彼女の羽
ぼくの知っている恐怖は
このような単一な模様を描くことはけっしてなかった
この羽跡のような肉感的な 異端的な 肯定的なリズムは
ぼくの心にはなかったものだ

突然 浅間山の頂点に大きな日没がくる
なにものかが森をつくり
谷の口をおしひろげ
寒冷な空気をひき裂く
ぼくは小屋にかえる
ぼくはストーブをたく
ぼくは
見えない木
見えない鳥
見えない小動物
ぼくは
見えないリズムのことばかり考える

(田村隆一:見えない木 ”言葉のない世界”より)


★ <アイム・タイアド> 2004/12/15
アル:おつとめ、ごくろうさん。
warmgun:そらぞらしい。
アル:昨夜はひどかったね。11時台にチャットして’記事を公開する’押したら’、ただいま混みあってます’とかでて、再送信しようとしたら消えちゃった。
warmgun:このブログ初の悪口書いたのにな。
アル:やっぱ悪口書くなってことじゃない。
warmgun:朝日朝刊の”石原知事発言録’に切れた。”テロの時は命がけで憲法破る”ときた。この男のこういういきがり、我慢できん。政治家はなにやるんでも”命がけ”があたりまえだ。黙って命かけろ。ヤクザの親分みたいな台詞いう”都知事’は、都民の恥だ。
アル:ついでにビートたけしの「座頭市」けなした。関係ないだろ。
warmgun:たまたまこの前テレビでみて、ずっと気分悪かった。この全然才能ない男が芸大講師になったり、テレビでいつまでもうだうだやってんの我慢ならん。「座頭市」は勝新に失礼だ。
アル:たけしに染める髪があるの、ひがんでるんじゃないの?
warmgun:うっせー。石原とたけし、共通点あるの。”情念”がないのよ。本人も世間もその逆と思ってるが。ドメクラ!
アル:(パチパチ)座頭市の台詞よね!座頭市は身体障害者のヒーローだ。石原やたけしにわかりっこない、といいたいのね。あんたも仕込杖、もっとみがかんといかんね。


★ <架空の日記> 2004/12/16
7月28日 月曜
すでにばら色になった陽光がぼくの部屋を染め、ぼくの机を照らしている、まるであの夕方そっくりだ。はじめてぼくが、アン・ベイリーの店で買い求め、まだ包装したままの500枚の紙をまえにすわり、まるで封印のようにはりつけられた帯封を破ったあの夕方、ぼくはそれらの白紙の第1ページを手に取り、しまの透かし模様を透かしてながめてから、机の上の陽の当たる所に平らに置くと、その白いページはぼくの目のなかで燃えはじめたのだった。(ビュトール:時間割)

1932年1月29日 月曜日
なにかが私の裡に起こった。もう疑う余地がない。それはありきたりの確信とか明白な証拠とかいったもののようにではなく、病気みたいにやってきたのである。そいつは少しずつ、陰険に私の裡に根を降ろした。私は自分がちょっと変で、なんだか居心地が悪いのを感じた。ただそれだけのことである。そいつは私の心の中にはいりこむと、静かにしていて、もう動こうともしなかった。そこで私は自分に言いきかせることができた。自分はどうもしていない、つまらぬ思い過ごしだ、と。しかしいまそれが明確な姿を現した。(サルトル:嘔吐)


★ <ひとつの祭り、もうひとつの祭りを> 2004/12/19
”ショットガンが大空で炸裂する”
C,S,N&Yで”ウッドストック”を聴く。

”ウッドストック”とはなにか。
それは心を浮立たせる希望だ。
それは、現在ぼくたちをとりまくものと反対のものだ。
現在もイラクの空で炸裂する砲弾と逆のものだ。
”金儲け”、”家族殺し”、”拉致”、”チョーキモチイイ”とは逆のものだ。

この曲をつくったジョニ・ミツチェルは書いている。
”ニュー・ヨークのホテルの一室にこもって出掛けることもできないという、いわば剥奪状態がわたしのウッドストックに対する明確な立場を与えた。・・・あのときのわたしは、よりよい関係の欠乏のため神に夢中だった。それで自分にいい続けていた。’現代の奇跡はどこ?’って。どういうわけかウッドストックに現代の奇跡という感動を抱いた。”

希望とは閉塞感のなかで見える、ピンの穴のような光だ。


★ <今年はどんな年?> 2004/12/22
アル:おはよう、あいかわらずさえない顔だね。
warmgun:きのうはひさしぶりに新宿の夜をさまよった。
アル:かっこつけんな、’帽子’さがしてたんでしょ。ごぶさたの’昔なじみブランド店’めぐった。
warmgun:アニエスb、ポール・スミス、R.ニューボールド、AAR、Y'S、ギャルソン・オムとかね。店員に’最近金なくて買えん’とかいいながらね。ニット・キャップが10,000もしておる。東急ハンズは1,500なのにじゃ。だが’ブランド’はよい。しゃくだ。
アル:今年は、コート、10年以上前に買った、ダッフルとピー・コート復活したね。
warmgun:3シーズン、ダウンのロング・コートだけ着ていて、さすが飽きた。
アル:まあ、おやじのダッフル・コートも一興よね。
warmgun:タイトル”今年はどんな年’だぜ。その話題いくか?
アル:10年以上前のダッフルコート着るような年よね(われながら感心する表現だなー)
warmgun:バカ!読んでいる人わからんだろうが。
アル:読んでいる人いるの?
warmgun:オリンピックとかさ、イチローとかさ、ヨン様、純愛、負け犬、ライブドアとかさ、
そういうこといわんとアカンの。
アル:なんで関西弁でるの、東北の田舎モンなのに。そういえば、君の生まれた長岡、地震で大変だったじゃん。
warmgun:むかし、陽水に”東へ西へ”というのあったなー。
アル:なにそれ。なんか今日は支離滅裂ね。
warmgun:”純愛”はいいなー。’負け犬の純愛’。これぞ今年のトレンドね。
アル:わけわからん。


★ <小説ってなに?> 2004/12/22
今日朝日新聞夕刊・文芸時評に島田雅彦が大江健三郎について書いている。

”新たな長編「さようなら私の本よ!」の第1部「むしろ老人の愚行が聞きたい」(群像)には、独自の晩年を彩ろうとする巨匠の覚悟を垣間見ることができる。”

”新作は同じ回顧でも’最後の闘争’に打って出そうな不穏な気配がある。’いまおれは、自分の人生でもっとも過激だった頃に戻っている’と呟く繁のように、あえて顰蹙を買おうとする老境の登場人物たちの邪気があふれている。”

”近作の『アフターダーク』がたとえ紋切り型の羅列の予定調和であっても、傑作と呼ばれ、多くの読者がつく村上春樹の国民作家的余裕とは雲泥の隔たりのこの緊張感を、作家生活50年になろうかという大江氏が保っているのである。”


ぼくは浪人し、予備校へ通っていた地下鉄の車内で大江の「われらの時代」を読んでいて、雷に打たれた。
その後、’親ばか作家’(のようにみえる)大江から遠ざかって久しい。
一方、村上春樹を’愛読’してきた。しかし「ねじまき鳥クロニクル」以降はかわない。この長編の元になった「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は傑作だった。この間春樹になにかが起こった。
それまでの春樹は”喪失感”を抱える人々を描いた。いつのまにか彼はその”喪失感”を喪失した。
あるいは、ぼくたちの世代が直面した激しい変動を直視し、批判し、表出するためには、”喪失感”だけでは足りなかった。

大江健三郎さん。
あなたが、最後の戦いをラジカルに闘うことを望む。
恥知らずな石原慎太郎はまだ生きている。


★ <感受性の全領域を鳴らせ> 2004/12/23
☆目を閉じると、風の匂いがした。果実のようなふくらみを持った5月の風だ。そこにはざらりとした果皮があり、果肉のぬめりがあり、種子の粒だちがあった。果肉が空中で砕けると、種子は柔らかな散弾となって、僕の裸の腕にのめりこんだ。微かな痛みだけがあとに残った。(村上春樹:めくらやなぎと、眠る女、1995)

☆夜更けに仲間の少年の二人が脱走したので、夜明けになっても僕らは出発しなかった。そして僕らは、夜のあいだに乾かなかった草色の硬い外套を淡い朝の陽に干したり、低い生垣の向こうの鋪道、その向こう、無花果の数本の向こうの代赭色(たいしゃいろ)の川を見たりして短い時間をすごした。前日の猛だけしい雨が鋪道をひびわれさせ、その鋭く切れたひびのあいだを清冽な水が流れ、川は雨水とそれに融かされた雪、決壊した貯水池からの水で増水し、激しい音をたてて盛りあがり、犬や猫、鼠などの死骸をすばらしい早さで運び去って行った。(大江健三郎:芽むしり仔撃ち、1958)

☆朝の光が濃い影をつくっていた。影の先がいましがた降り立ったばかりの駅を囲う鉄柵にかかっていた。体と共に影が微かに動くのを見て、胸をつかれたように顔を上げた。鉄柵の脇に緑の葉を繁らせ白いつぼみをつけた木があった。その木は、夏の初めから盛りにかけて白い花を咲かせあたり一帯を甘い香りに染める夏ふようだった。満で29歳になった6尺はゆうに超すこの男は、あわてて眼をそらした。観光バスや定期バスが列を連ねている広場を秋幸は渡り始めた。(中上健次:地の果て至上の時、1983)


★ <今だから、わかる> 2004/12/26
1960年代終わりのあのバリケード封鎖が解除されたとき、ひとりの男が中国に渡った。それから30年後、男は密航し東京に帰ってくる。

”そのとき、匂いが蘇った。新しい紙と印刷インクの匂いだ。それが彼を取り巻いていた。30年暮らした中国の村では、活字はどれも黄ばんだ紙に印刷されていた。
もう一度、思い切りその匂いをかいだ。そのとたん、胸がつかえた。胃が暴れ、何かが喉にこみ上げてきた。歯を食いしばってそれを止めると、涙がわっと溢れでた。”(矢作俊彦「ららら科学の子」 2001)

ぼく(たち)は中国に渡らなかった。
しかしこの30年は幻のように過ぎた。
この小説の主人公のように、ぼくは見知らぬ街を行く。見知らぬ人々の間を。

深夜のテレビで小田和正がユーミンとの共作「今だから」を歌っていた。
今だから わかる あの夏のかがやき


★<ドント・ルック・バック:俺の長髪はどこへいったか>  2006/12/31
「なぜ小鳥はなくか」
プレス・クラブのバーで
星野君がぼくにあるアメリカ人の詩を紹介した
「なぜ人間は歩くのか これが次の行だ」
われわれはビールを飲み
チーズバーグをたべた
コーナーのテーブルでは
初老のイギリス人がパイプに火をつけ
夫人は神と悪魔の小説に夢中になっていた

9月も20日をすぎると
この信仰のない時代の夜もすっかり秋のものだ
ほそいアスファルトの路をわれわれは黙って歩き
東京駅で別れた

「なぜ小鳥はなくか」
ふかい闇のなかでぼくは夢からさめた
非常に高いところから落ちてくるものに
感動したのだ
そしてまた夢のなかへ「次の行」へ
ぼくは入っていった
 (田村隆一:星野君のヒント1955、「言葉のない世界」1962冒頭に収録)

”朝鮮戦争が終わって、わが国の政治と経済が、高度経済成長政策に突入する、あの空白の一瞬に、この詩が生まれた。この一瞬には、東京の空も夜もまだすがすがしかった。”(田村隆一「詩人のノート」)


★<WE CAN CHANGE THE WORLD>  2005/01/01

ある朝起きて、あなたが行ってしまったことを知った
新しい日
ぼくは新しい夜明けを見た
きみはきみの道を行け
ぼくはぼくの道をゆく、だいじょうぶ
大雨の夜は終わり空は晴れ渡った
陽光が世界をやさしくつつんでいる
歓喜
選択の余地はないがだいじょうぶ
御伽噺の幸運で歌がうたえるようになる
今、機知とすばやさが歌うべき歌をもたらす
だいじょうぶ
愛は来ている
愛はぼくたちみんなに来ている
あなたはどこへ行くの?ぼくの愛とともに
あなたがもたらすのは幸福?
それとも悲しみ?
千の’夢の問い’が散らばる
あなたがなにをしても、なにを見ても
恋人よ、ぼくに話してくれるかい
ぼくはぼくであるために、あなたを追った
きみが去った理由がなんであれ
きみのベストをつくせ
千の夢についての問いかけについて
きみがなにをし、なにを見たかを
恋人よ、ぼくにはなしてくれ

(”Carry On” by C,S,N&Y 意訳warmgun)


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