goo blog サービス終了のお知らせ 

wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

書評「親と子のアドラー心理学(岩井俊憲)」

2016-11-05 21:39:42 | 書評(脳科学・心理学)


アドラー心理学は、心理療法というより、子どもの教育法としての面が強い。今注目されているEQ、あるいは非認知スキルを高める教育法に近いと思う。この本は筆者たち夫婦による子育ての成功談を述べた自慢話だという評もあるが、アドラー心理学の専門家がアドラー心理学に則って自分たちの子育てを行ったら、理想的な人間に育ったという実例があるからこそ、他人にも勧められるわけで、子育てが成功したことを示してもらうことは無意味なことではない。この本の内容の多くは、著者の奥さんの育児日記を元にしている部分が大きい。常識的な子育てとは一線を画しているが含蓄のある、アドラー心理学による教育法を参考にして、取り入れられることは取り入れるつもりで読んでみるのもわるくないと思う。

・この本の全体を貫く子育ての4つのキーワードは、尊敬、共感、信頼、勇気である。
・子どもの行動には、適切な行動と不適切な行動があるが、大部分は適切な行動をとっていると言える。不適切な行動をするのは、適切な方法を知らなかったからということもある。そんな時には、頭ごなしに怒るのでなく、この場でそれをするのはよくないよと教えてあげればいい。不適切な行動の多くの場合、注目されたいという目的がある。そういう時はその行動に注目しないようにする。不適切な行動以外の当たり前のことにこそ注目する。
・子どもに何かを頼むときは命令口調ではなく、お願い口調でする。たとえ人生経験が少なく未熟な子どもであっても、一人の人間としての尊敬は大人と変わりないのである。協力してくれたら、ありがとうと感謝する。
・親が子どもの行動に怒りを爆発させたくなる時、怒りという二次感情の裏に、心配、不安、落胆などの一時感情が隠れているものだ。だから、子どもには怒りをぶつけるのではなく、その裏にある一時感情を伝えるといい。それは、大人同士、夫婦間や職場での役に立つ考え方である。子どもにもそういう表現の仕方を教えると、主張的な表現ができるようになったり、感情処理が上手になったりする。
・子どもは、失敗を繰り返しながら成長していく。失敗をするから、違うやり方を考えたり、今度こそはと工夫を加えたりすることで新たな意欲を持つからだ。子どもを尊敬、共感、信頼しているのなら、失敗したときこそ子供を勇気づける言葉をかけてあげる。
・アドラー心理学の教育法は、ほめない、しからない、でよく知られている。ほめることと勇気づけることは違っている。ほめることは、外発的動機づけに属し、子どもが内発的動機づけで自ら取り組もうとする意欲を失わせる。ほめることで成功しても、ほめることをしなくなれば、子どもは課題に取り組まなくなる。ただし、まだ内発的動機づけの心の装置が確立されていない、乳児・幼児の時期は、ほめることが効果的であることは認めている。しかし、子どもが内発的動機づけで自分を動かせるようになったら、勇気づけの出番である。
・子育ての最終目標は、「社会性」「創意工夫力」「臨機応変力」を育てることであり、それが育つよう「自立心」「責任感」「貢献感」を子どもが身につけられるよう支援することである。親が子どもに接する際は、いつも「親が・・・すると、子どもは何を学ぶか?」の判断基準を持っていること。社会性に関して、アドラー心理学が対人関係で実践しているメソッドが「友人に対して使うとその友人が交際を断ちたくなる言葉は、誰に対しても使わない」というのがあり、これは親子関係にも当てはまる。親と子は上下関係ではなく、役割が違っていても対等の関係にあるからだ。
・子育て中の親の夫婦関係として、妻の心理ケアのために夫は妻の話を聴くこと、それも助言、解釈、肩代わりを加えずに、とにかく聴くことを提唱している。それが妻への勇気づけになる。また、夫婦の役割分担は、それぞれの夫婦間で取り決めることが大事で、時間や労働量で均等にすればよい、というものではない。それはよく話し合って決める。

書評「マインドフルネスストレス低減法(ジョン・カバットジン)」

2016-10-08 13:37:40 | 書評(脳科学・心理学)


マインドフルネスという原始仏教の瞑想法から宗教色を抜いて様々な疾病の治療のために利用する方法を、著者が創設したストレス・クリニックで実践し、その経験を元に初めて本の形で示されたものである。現在ではグーグルなど米国を中心に有名企業の研修にも取り入れられるなど広く展開しているマインドフルネスを、誰でも実践できる形で提示した原典といえる本だろう。1990年に米国で出版され、1993年に日本語版が出た。そのときの書名はいまとは違っていて「生命力がよみがえる瞑想健康法―“こころ”と“からだ”のリフレッシュ―」であった。本書の概要をまとめてみた。

≪概念と心得≫
・人生はやっかいごとだらけである。人間としての限界や弱さ、病気やけがや障害、個人的な敗北や失敗、愛する人の死や自分の死、といったことで味わう絶望感、痛み、恐怖感、不安感、無力感など、人間はみな、それぞれの「やっかいごとだらけの人生」をかかえて生きている。この「やっかいごとだらけの人生」をまるごと抱きしめてしまい、うまく対処できるようになる方法をこの本は示している。
・瞑想したり、自分の心の動きに注意を集中していくと、自分の心が、現在よりも過去や未来に思いをはせている時間のほうがずっと長いことに気がつく。つまり、多くの時を「自動操縦状態」で習慣的にすごしている。とくに、危機に直面したときや、感情が激変したときには、不安感がすべてを圧倒してしまい、現在への意識をいっぺんに曇らせてしまう。比較的リラックスしていても、気にかかることがあると、感覚もそちらへ向きがちになる。
・「マインドフルネス瞑想法」では、瞬間瞬間を意識することを学んでいく。そこでは、努力すること自体が目的になる。正式な瞑想トレーニングにそれほど時間をかける必要はなく、目ざめているすべての瞬間を意識的にすごす、例えばゴミを出しに行くとき、食べるとき、運転するときも、おのずと注意をはらうようになれるようにする。
・ストレス・クリニックを訪れる人の中では、疑いながらもとりあえずなんでも受け入れてみようとする人に最も効果が現れる。瞑想トレーニングに取り組むにあたっては、次の七つの態度が重要である。①自分で評価を下さないこと、②忍耐強いこと、③初心を忘れないこと、④自分を信じること、⑤むやみに努力しないこと、⑥受け入れること、⑦とらわれないこと。
・⑤については、例えば血圧を下げるとか、痛みや不安を取り除くというゴールをあげた人でも、血圧を下げようとか、痛みをなくそうとはせずに、ひたすら今の状態を受け入れるようにする。
・⑥については、今の自分の状態に不満があっても、改善してからの自分ではなく、今の自分を好きになる、今のあるがままの自分を受け入れるようにする。
・瞑想を毎日続けるという意志をもつ。自分に合った時間を選ぶ。眠い状態では、集中力は生まれない。はっきりと目がさめた状態で取り組む。困惑、疲労、憂うつ、不安といった精神状態は、練習を続ける意志を妨げてしまう。

≪実践法≫
・マインドフルネス瞑想法には、おもに次のようなトレーニングがある。「静座瞑想法」「ボディー・スキャン」「ヨーガ瞑想法」である。いずれについても呼吸に注意を集中することが基本となり、まず呼吸法のエクササイズを行う。
・呼吸法は坐禅に近い。座って呼吸に注意を集中する。自分の心が呼吸から離れたことに気がついたら、そのたびに呼吸から注意をそらせたものは何かを確認して、静かに呼吸に注意を戻す。それがわたしたちの仕事である。
・「静座瞑想法」において、何かを考えてしまうことが悪い瞑想で、何も考えないことが良い瞑想であると考えるのは間違いである。問題は、考えている自分に気がつくかどうか、そして気がついた時点でどうするか、である。だから、瞑想中にどんなにいろいろな思いがよぎっても、瞑想に支障をきたすことはない。「静座瞑想法」には、「呼吸と共に座る」「呼吸と心の一体感を味わいながら座る」「音と共に座る」「心の中の思いと共に座る」「あるがままの意識と共に座る」の5種類の方法がある。
・「ボディー・スキャン」は、横になって、体の各部位に注意を集中してスキャンしながら、観察する方法である。ここでも、何かを得ようと期待するのではなく、瞑想すること自体を目的として励むのが最良の方法である。
・「ヨーガ瞑想法」は、横になってやる方法と立ってやる方法がある。リラクセーションが得られ、筋肉や骨が丈夫になり、柔軟性も出てくるようになる。体をいたわるために体を使うという考え方である。
・「歩行瞑想法」は、歩くという体験に意識的に注意を向けるトレーニングで、足の感覚、体全体の動き、呼吸などに注意を向ける。ほかのことに気を取られにくい場所でやるのが望ましい。
・ストレス・クリニックでは、1日に45分から1時間、週に6日間、上記の「歩行瞑想法」以外の3種の瞑想法を組み合わせて瞑想トレーニングを最低8週間続けてもらっている。しかし、5分しか時間が取れなかったとしても、毎日続けることが大切である。
・1日に1回は、「ふだんの瞑想トレーニング」を行う。例えば、朝起きたとき、歯を磨いているとき、シャワーを浴びているとき、体を拭いているとき、服を着ているとき、食べているとき、運転しているとき、ゴミを捨てるとき、買物をしているときなど、日課となっている行動の一つ一つの瞬間に意識を向ける。

≪様々なストレス各論≫
【痛みについて】 瞑想には、傍観者的な見方が必要である。あらゆる思いや感情を手放すと、すべての概念が静寂の中に溶けていく。そして、あらゆるものを越えた意識だけが残る。この静寂の中で、「自分」は、「自分の体」とは別の存在であるということを知るようになる。「体の痛み」も自分ではないということになる。
【対人ストレスについて】 人間関係とは、反応するものではなく、対処するものである。自分が無意識のうちに受け身になっていたり、攻撃的な反応を示しているということに気づいていなければ、対処法は考えようもない。たとえ脅威とか怒りなどを感じたとしても、コミュニケーションに意識を集中することができれば、人間関係を大幅に改善していくことができる。自分の感情を意識してそれを受け入れると同時に、相手を認め相手の感情も共有するようにしていかなければならない。コミュニケーションに対する注意集中力を養う方法として、対人ストレスに関する記録をつけるやり方もある(巻末に記入様式あり)。
【仕事ストレスについて】 ほとんどの人は、いつも同じ方法で、自動操縦状態で習慣的に仕事をしている。これでは仕事だけでなく、生活全体が行きづまってしまう。仕事にも瞑想を取り入れることで、生活の質を大幅に改善できる。現状を変えるためには、転職しなければならないというわけではない。今の職業を「瞑想トレーニングの一部だ」「自分自身のための仕事だ」と考えるだけで、その仕事を自分が意識的に選択しているという積極的な気持ちに変えることができる。仕事ストレスに対処する方法として、16個の具体的な行動が提案されている。

≪その他≫
・「愛と慈しみの瞑想」という瞑想法がある。この瞑想は、他者を慈しむ気持ちや寛大さ、好意や愛などの感情をもたらし、心をおだやかにする。まず、呼吸への注意集中により心を安定させたら、自分自身、気になる特定の人物、自分が愛情を感じている人たち、関係がうまくいっていない人、生きる気力をなくしているような人、地球上のあらゆる生きものや地球自体に向けて順々に、愛や慈しみの気持を思い浮かべるようにする。最後に自分の体と呼吸に注意を戻し、あらゆる生きものに対する温かい気持ちや愛情をいだいたまま瞑想を終える。
・人間とペットが一緒に暮らすということは、人間にとってだけではなく、動物にとってもストレス低減にいい影響を与える。
・リラクセーション・テクニックは、終わったときにリラックスできていなければ失敗ということになる。それに対して、瞑想トレーニングでは、不安感、緊張感、成功・失敗への思いこみなどがあっても、そのすべてを「今という瞬間の事実」として受け止め、観察する姿勢で取り組む限り、失敗するということはありえない。

もちろん私も、この本をガイドに日々マインドフルネス瞑想法を実践している。

書評「大人のための図鑑 脳と心のしくみ(池谷裕二)」

2016-07-09 07:52:44 | 書評(脳科学・心理学)


最近の脳科学の知見を見ていると、特定の機能に関わる脳内のいろんな部位が出てくる。聞いたことのないような名前が多い。幸福感にかかわるのは右楔前部、オスの子育てにかかわるのは内側視索前野中央部、といった具合である。それぞれ脳内のどこにあるのかを視覚的に確認したいから、脳の図鑑のようなものがほしいと思ってこの本を購入した。しかし、上に述べたような脳部位はこの本には載っていなかった。おそらく脳の解剖学の専門書などにあたったほうがそうした目的には向いているのかもしれない。
じゃあ、この本は役に立たないのかというとそんなことはない。現代の脳科学の知見が、とても見やすい図版や写真とともに広く浅く紹介されている。ひととおり読めば脳科学の基礎知識が得られるので、これからいろいろとマニアックに脳のことを勉強していくときに理解が早まるのではないかと思われる。

監修している池谷裕二氏は東大薬学部の教授であるが、写真で見ると童顔の若い先生だ。研究室のウェブサイトを見ると、すごい勢いで研究成果(論文)を出している。その傍らでこのような一般向けの本を何冊も出している売れっ子のようである。この先生、そうとう脳が活性化していると思われる。いったいどうしたらそんなふうになれるのだろうかというところに興味を持ってしまう。

さて本にもどるが、いろいろと興味深いことを知ることができた。例えば、昼間覚醒しているときと睡眠中では脳の活動している場所が違うらしい。睡眠中は、記憶に関わる海馬や感情に関わる偏桃体といった大脳辺縁系は覚醒しているものの、論理的な思考や判断を担う前頭前野は眠っている。そのため、海馬に保存されている記憶が無秩序に現れて、日常ではあり得ない荒唐無稽な夢を見るという。また、夢の中ではとてつもなく悲しかったり感情におぼれてしまうような感じになることがあるが、それは偏桃体の働きを前頭前野が制御できていないからだろうか。さらに、睡眠中は視覚野が働いていて心象をつくることができるが、空間処理にかかわる頭頂葉は活動しないので、シュールでへんてこりんな風景が夢に現れるのかもしれない。
自転車やスキーなど運動を覚えるとき、始めのうちは大脳で制御して手足を動かすが、その一連の動きのイメージを小脳がコピーすることで、考えなくても体が動くようになる。近年、小脳のこうした機能は、運動だけでなく思考においても発揮されることがわかってきた。1つの課題を考え続けていると、ある瞬間にそれに関する解決策がすらすらと浮かんでくることがある。こうした思考の高度化にも小脳が働く。同じように、大脳基底核の線条体も、運動の自動化と思考の高度化に働いている。
GDF11(Growth Differentiation Factor 11)というタンパク質を年老いたマウスの血中に注入すると、脳血管の量や神経幹細胞の数が増え、記憶力の向上、脳全体の血流の増加がもたらされるという実験結果が報告されている。脳の老化を止める方法になるのか、今後の研究が待たれている。
ヒトの脳が学習するとき、ある行動の結果から得られた満足度によって、次にどのような行動をとることが最適かを選ぶ。それを試行錯誤して繰り返すことで学んでいくことを「強化学習」という。このプロセスを組み込んだロボットが自ら学習を繰り返すうちに、うつ状態に似た行動をとるケースがあるという。その原因を調べることで、うつ病の人間の脳で何が起こっているのかを調べることにつながる可能性があるという。
一方、うつやうつ病薬の研究のために、うつ病モデルのネズミが使用される。しかし、著者によると、これは本当のうつ病ではないという。著者が計画している研究では、うつ病の患者の脳とネズミの脳をコンピューターでつなぐことで、本当のうつ病をネズミに発症させるというのである。

今は荒唐無稽に思える研究やアイデアでも10年後には実現してしまうかもしれない。そのくらい急速に脳科学が進展していることも、この本を読んで考えさせられた。

書評「新世代の認知行動療法(熊野宏昭)」

2016-06-25 08:00:07 | 書評(脳科学・心理学)


自分の精神の矯正のために認知療法をまずは学んでみた。次にいよいよマインドフルネスに取り組もうと考えていたが、その前にいろいろと調べてみると、現代の認知行動療法という心理療法の体系は、様々な理論や治療法を取り込んで大きくなってきているようだ。その全体像を知りたいと思って読んでみたのが本書である。

これは研究者や治療家向けの本のようである。だから様々な治療法について理論的な説明をすることとそれぞれの治療法の間の共通点・相違点を考察することが中心となっている。実践法の解説ではない。それぞれの理論は哲学的でもある。だから、基礎知識のないわたしのような素人にとっては難易度が高い本であった。それぞれの治療法の共通点として素人なりにおおざっぱに感じたところとしては、どの治療法も今考えていること感じていること苦しんでいることから離れて、それらをそのまま受け入れる一段上の視点、クールで客観的な第三者的な見方を身につけることにあるように思えた。
難しいことはよくわからないが、私なりにポイントになると思われることを下記に箇条書きであげてみたい。

・認知行動療法は、1950年代に学習理論に基づく行動療法としてスタート(第一世代)し、レスポンド条件づけやオペラント条件づけといった原理が治療に適用された。1960年代に認知(思考)を行動の原因と考える認知モデルに基づいた認知療法が登場し、第一世代と合流することで認知面も行動面も統合的に扱おうとする認知行動療法の時代になった(第二世代)。しかし、行動療法と認知療法はまったく異質な理論的立場をもつ治療体系であったため、さまざまな限界や混乱が明らかになってきた。それを乗り越える1つの解決策として、1990年前後から第三世代と呼ばれるようになる認知行動療法の新たな流れが生まれてきた。そこでは認知の内容ではなく機能の重視、マインドフルネスとアクセプタンスという介入要素の存在という共通の特徴があり、両陣営が本質的な共通点を持ち始めてきたという。
・各療法は英語の略号でよばれることが多い。たとえばACTとか。この本では、新世代の認知行動療法として、認知療法側から、マインドフルネスストレス低減法(Mindfulness-Based Stress Reduction: MBSR)とマインドフルネス認知療法(Mindfulness-Based Cognitive Therapy: MBCT)、メタ認知療法(Metacognitive Therapy: MCT)が、行動療法側から、行動活性化療法(Behavioral Activation: BA)、弁証法的行動療法(Dialectical Behavior Therapy: DBT)、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(Acceptance & Commitment Therapy: ACT)について解説されている。
・マインドフルネスストレス低減法は、分子生物学者だったJ・カバットジンがテーラワーダ仏教の瞑想法を取り入れて、1979年にマサチューセッツ大学医学部でグループ治療プログラムを開始したのが始まりである。当初は慢性疼痛に対して効果をあげたが、適用範囲を広げ、乾癬、高血圧、がんなど心身症としての側面をもつ身体疾患や、過食などの食行動異常、パニック障害、うつ病などに効果があることが報告された。その治療効果は臨床試験のメタ解析によって実証された。
・マインドフルネス認知療法は、認知療法の専門家であったZ・V・シーガル、J・M・G・ウィリアムズ、J・D・ティーズデールが、マインドフルネスストレス低減法に依拠して、うつ病の再発を減らすために開発したものである。認知療法はネガティブな思考の内容を変えるということを重視するが、マインドフルネス認知療法のスキルはあらゆる体験がどのように処理されるかに注意を向けることを意味しており、認知の内容から機能へ注目点が大きく変化していると説明されている。
・日常生活の中でつねに生じては消えていく「通常の認知」とは異なり、それらをモニタリングしたりコントロールしたりする認知的要因がメタ認知と呼ばれている。不安障害やうつ病などの感情障害は、瞬間的に現れては消えていく個々の認知ではなく、繰り返し現れる思考スタイル(心配や反芻など)によって引き起こされる、それがメタ認知であり、その内容に働きかけていくのがメタ認知療法である。この療法で、大脳全体の司令塔である前頭前野背外側部の活動を強め、下位レベルの情報処理と関連付けられている偏桃体の活動を抑える効果も示されている。つまり、脳機能に直接影響を与えるようだ。
・一方の行動療法側には、臨床行動分析という基礎理論があり、それに基づく治療体系として、行動活性化療法、弁証法的行動療法、ACTがある。行動活性化療法は抑うつに、弁証法的行動療法は自殺企図のある境界性パーソナリティ障害に、ACTは障害の種類を問わず広く適用されるという。
・行動活性化療法では、生活内で正の強化を増やすために活動性を高めることを目的として、正の強化が随伴する行動を増やし、妨害的に働く回避行動を減らすように介入する。薬物療法や認知的介入が内側から外側へ働きかけることを目指すのと逆に、外側から内側へ働きかける、すなわち毎日の生活の中での行動を変えること自体が目的になる。
・行動療法を患者に使うとき、患者は自分のことを認めてもらえないと感じ、怒りで治療者を攻撃するか、ひきこもって治療を中断してしまう可能性があり、受容の技法が必要と考えられた。そこで、弁証法的行動療法は、変化の原理である徹底的行動主義と、根本的受容の原理である禅の原理を並置する。禅の原理とは言っても坐禅をするわけではない。概念として取り入れているのだ。患者とセラピスト両方を受容するのだ。行動主義と禅の原理の2つは両立しない対極の原理なので、さらに一段上の枠組みとして弁証法が取り入れられた。つまり考え方が矛盾しているということ自体が治療の原動力になるというのである。
・おもしろいことに、弁証法的行動療法ではセラピストを治療するためにケース・コンサルテーション・ミーティングというのが行われる。境界性パーソナリティ障害患者を相手に治療をするセラピストは、患者の激しい情動変化や不安定な対人関係の影響を受けて、ある患者との治療を続けられないと思ったり、自分には治療者としての力がないと考えたりしやすいので、毎週1回ミーティングに出て、メンバーが互いに合意事項を確認しあうのだという。
・ACTにおいて、人間の苦悩の原因として最も害が大きい行動とみなすのが「体験の回避」であり、それを減じる行動=アクセプタンスが必要と考える。また、ACTはコミットメント=行動活性化も重要視する。アクセプタンスとコミットメントを共存させているのがACTであり、それらを緊張関係に置くのが弁証法的行動療法である。

書評「100分de名著 アドラー 人生の意味の心理学(岸見一郎)」

2016-03-05 22:08:43 | 書評(脳科学・心理学)


100万部を突破した「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎によるNHK100de名著シリーズの一冊である。2年くらい前に「嫌われる勇気」を読んでアドラー心理学を知ったが、わかりやすいようでよくわからないアドラー心理学を復習して、すこし頭の中を整理してみようという気持ちで読んで(テレビも見て)みた。そして、子育ての仕方へのヒントにしたいというのがもう一つの動機である。岸見氏も子育てで悩んでいたときにアドラーの本に出会ったという。

アドラー心理学を学ぶ上で一つ前提として頭にとどめておくべきことは、アドラー自身、晩年は幸福ではなかったということだ。娘の失踪に心を痛めて不眠が続き67歳で心筋梗塞で亡くなっている。現代の認知行動療法ならこういうときどうすればいいか答えを出してくれるように思えるが、アドラー自らが作り上げた心理学でこの非常事態に心のバランスを保つことはできなかったようだ。歴史的には認知行動療法が出てくる前の理論だからそういう限界はあるにしても、役に立つところは参考にしたいと思う。内容は次の4回に分かれている。

第1回:人生を変える「逆転の発想」
普通われわれが考える「原因論」では、幼い時の境遇や過去の経験が今の自分の生き方を規定していると考えるが、アドラーの「目的論」では今の生き方は自分が選び取ったものだとする。その自分の人生の意味づけの仕方を「ライフスタイル」と呼び自分で決めているが、変えるのは簡単ではない。親の価値観や文化や賞罰教育が影響している。しかし、「ライフスタイル」は自分で選んだものなので、いつでも選び直せる。

第2回:自分を苦しめているものの正体
劣等感を何かができない言い訳に使うことを「劣等コンプレックス」という。その裏返しとして、自分を実際よりも優れているように見せようとするのを「優越コンプレックス」という。上司が部下に対して、教師が生徒に対して理不尽にしかりつけたりすること、さらにいじめや差別は「優越コンプレックス」のある人が引き起こす。健全な優越性の追求の仕方は、他人との競争ではなく、自分の中でマイナスからプラスを目指して前進することである。そして真に人生の課題を克服できる人は、ただ自分のためだけに優越性を追求するのではなく、他者への貢献を意識できる。

第3回:対人関係を転換する
対人関係の問題は、他者を自分の行く手を遮る「敵」と見なすことから生まれる。それは、親子関係、夫婦関係、友人関係、職場の対人関係すべてにいえる。それゆえに、他者との関係の中に入っていきたくないと考えてしまう。しかし、他者がいつもそんなに危険なわけではないし、生きる喜びや幸せも対人関係の中でしか得ることはできない。他者を敵ではなく「仲間」と考えられれば人生は大きく変わる。幼いころに親に甘やかされて育つと、他者が自分に何をしてくれるか、ほめられるかにしか関心を示さない、「承認欲求」を持った大人になる。例えば、子育てや認知症の親の介護などは、相手から「ありがとう」という言葉をかけてもらえないので承認欲求のある人にはつらいものとなる。相手からの「ありがとう」を期待するのではなく、その相手と一緒に過ごせたことに対して「ありがとう」と思えればそれで十分である。生きることは「ギブ&テイク」ではなく、「ギブ&ギブ」である。貢献感を持てれば、承認欲求は消える。承認欲求から脱却する3つの方法がある。1つ目は、他者に関心を持ち、相手の立場に立って理解するよう努めること。2つ目は、他者は自分の期待を満たすために生きているのではないし、自分も他者の期待を満たすために生きているわけではないことを知ること。3つ目は、重要なキーワード「課題の分離」である。自分の課題と相手の課題を分けて考えること。例えば、子どもが勉強しないとしても、それは子どもの課題なので、親は子どもに勉強しなさいとは言えない。勉強しなさいと言われることは、子どもにとっては自分の課題に土足で踏み込まれることを意味するので当然反発する。親が子どもに対してイライラしたり不安になるとしたら、それとどう向き合うかは子供ではなく親の課題である。岸見氏はそんな親には仕事や趣味に力を注ぐよう助言するという。一方で、子どもや他者から協力を求められたときは、「共同の課題にする」ことで協力することができる。

第4回:「自分」と「他者」を勇気づける
他者と結びついている、貢献しているという感覚が「共同体感覚」であり、それを持つことがアドラー心理学の目標である。共同体感覚とはどんな感覚なのか3つの観点から述べられる。1つ目は、ありのままの自分を受け入れる「自己受容」。自分を受け入れる方法の一つは自分の短所を長所に置き換えてみること。例えば、「集中力がない」は「散漫力がある」に、「飽きっぽい」は「決断力がある」に、「性格が暗い」は「優しい」に、言い換えるといい。自分に価値があると思えれば対人関係に中に入っていく勇気を持てるという。2つ目は、自分の存在や行動が共同体に役に立っていると思える「他者貢献」。「他者貢献」を自覚できれば「自己受容」にもつながる。3つ目は、他者を無条件で信じる「他者信頼」。「他者信頼」があれば「他者貢献」ができる。アドラーの教育論の基本は「勇気づけ」であり、親や教師が子どもに対して共同体感覚を持ち、対人関係の中に入っていく勇気を持てるように援助することである。そのために、「叱ること」と「ほめること」を認めていない。そういった行為は上下の対人関係を前提としているからである。対等な関係で貢献感を持つよう援助するために、親は子に「ありがとう」「助かった」ということが大切である。しかし、他の人から「ありがとう」といわれることを期待はしないこと、それを期待すれば承認欲求があることになる。

こうして見るとアドラー心理学には、仏教における自らは他人に支配されないとする「自灯明法灯明」、そして見返りを求めず他人に貢献する「利他の心」という2つの精神との共通点が感じられる。
さて、アドラー心理学の勧める教育法をどこまで実行できるだろうか。子どもを上から目線で叱ったりほめたりすることを減らすことはできたとしても、完全にやめることはできないだろう。子どもの能力ではなくがんばりをほめることはその子のやる気や成果の向上につながると、近年の研究で実証されているのだ。しかし、子どもに対して一人の人間として尊敬し感謝する気持ちは持てるし、意識して「ありがとう」と言葉をかけることはできるはずだ。