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僕の読書ノート「ポジティブ心理学の挑戦 ”幸福”から”持続的幸福”へ(マーティン・セリグマン)」

2020-07-25 21:57:41 | 書評(脳科学・心理学)

ポジティブ・シンキングと混同しやすいが、ポジティブ心理学は全くちがう概念である。そして、おもに医師が担っている精神疾患の治療を目的とした精神医学とも違っていて、おもに心理学者が担っている病者以外の人の心をより良くすることを目的としたプラクティスの一つがポジティブ心理学である。しかし、うつ病やPTSDなどの患者が対象範囲に含まれる場合もある。著者のマーティン・セリグマンはポジティブ心理学の創始者であり、アメリカ心理学会会長も歴任している。本書は、米国で2011年、日本で2014年に出版された、この分野では最新、最良のテキストだと思われる。しかし、内容は教科書的ではなく、著者たちによるこの新しい心理学分野の普及に向けた挑戦のエピソードを織り交ぜながら書かれているので、読みやすくできている。

現在、医学分野での精神療法・心理療法としては認知行動療法が主流となり、その派生であるマインドフルネスが医療だけでなく広く産業界も含めて活用されていて、私も生活の一部に取り入れている。しかし、そこから少し離れて、脳の中でポジティブな記憶とネガティブな記憶が互いに拮抗しているという生物学的な発見や、過敏性への対処のためにポジティブ心理学の有効性が示唆されていること(「過敏で傷つきやすい人たち」岡田尊司著)などから、前から気になっていて読んだのが本書である。

 

各章ごとに要点をまとめてみた。

第1章・ウェルビーイングとは何か?

・幸せの1つの要素「エンゲージメント」=「フロー」状態を得るために重要なのは、自分の最高の強みを見つけて、それらの強みを頻繁に活用することを学ぶことである。強みを見つけるための「VIA・強みテスト」は「ポジティブ心理学 ペンシルベニア大学公式サイト」(日本語版あり)で無料受検できるし、本書の巻末に簡略版の「強みテスト」が付録として付いている。

・かつてのポジティブ心理学のテーマは、「幸せ」であり、「幸せ」の判断基準は「人生の満足度」であった。しかし現在は、ポジティブ心理学のテーマは「ウェルビーイング」であり、「ウェルビーイング」の判断基準は「持続的幸福度(flourishing)」と考えられている。

・ウェルビーイング理論は、5つの要素「ポジティブ感情」、「エンゲージメント」、「意味・意義」、ポジティブな「関係性」、「達成」からなる。これら5つの要素の頭文字を取って「PERMA」と表される。「ポジティブ感情(P: Positive emotion)」の中の単なる一要素が、主観的尺度である幸福感と人生の満足度という位置づけになっている。「エンゲージメント(E: Engagement)」は、主観によってのみ測定される「自分にとって時は止まっていたか?」「自分は仕事に完全に没頭していたか?」「自分は没我状態にあったか?」などが含まれる。「意味・意義(M: Meaning)」は、自分よりも大きいと信じる存在に属して仕えることであり、主観的な判断だけではなく、公正かつ客観的な判断も含まれる。「達成(A: Achievement)」は、そのもののよさのために追及されるものだ。「関係性(R: Relationships)」は、他者との関わり、他人に親切にすることである。

・幸福理論を人生の指針とすると、自分の老いた両親を放置してしまったり、夫婦は子どもを持たないという選択をするかもしれない。一方、ウェルビーイングが意味と関係性を含むものとして視野を広げると、なぜ夫婦が子どもを持つことを選ぶのか、なぜ自分の老いた両親を世話することを選ぶのか、理由が明らかになる。

 

第2章・幸せを創造するーポジティブ心理学エクササイズ

・「うまくいったことエクササイズ」毎晩寝る前の10分間で、今日うまくいったことを3つ書き出して、それらがどうしてうまくいったのかを書く。日記でもパソコンでもなんでもいいが、書いたものの物理的な記録を残しておくことが大事である。3つの出来事は重大なことでもそうでなくてもよい。これを続けると、6ヵ月後には、落ち込むことが少なくなり、幸せになるという。

・「特徴的強みエクササイズ」自分の特徴的強みを新しい方法で、かつ頻繁に活用することで、その強みを自分のものにするように働きかけることが目的だ。特徴的強みの活用で得られるものは、当事者意識と本来感(本当の自分らしさ)、高揚感・喜び・活力・恍惚感、学習曲線の急上昇、新しい方法を見つけたいという渇望感、活用することへの必然性の感覚などがある。やり方としては、上記の「VIA・強みテスト」を受けて、自分の強みの上位5位を見つける。テストの後、今週決まった時間を設け、職場か、自宅か、余暇で、一つかそれ以上の自分の特徴的強みを新しい方法で活用する。その時、強みを使う機会を決めておく。例えば、自分の強みが「創造性」の場合、脚本の執筆を始めるために、ある晩に2時間取ってみる。また、自分の強みが「審美眼」の場合、通勤に20分余分にかかるとしても、職場との行き帰りに遠回りの、美しい道を選んでみる、などだ。そのエクササイズの前、最中、後でどう感じたか、自分の経験を書いてみる。

 

第3章・薬とセラピーの”ばつの悪い秘密”

・「積極的-建設的反応のエクササイズ」自分が大切に思う人たちは、彼らの勝利や成功や好ましい出来事についてよく話してくれるものだ。それに対して、こちらがどのように反応するかで、相手との関係性を築くか壊すかが決まる。反応する方法は、積極的か受動的か、また建設的か破壊的かによって、4つの組み合わせがある。そのうち、積極的×建設的な反応だけが相手との関係性を築く方向に作用する。エクササイズとして、1週間、自分が大切に思う相手の身に起きたよい出来事について、相手が自分に話してくれるたびに、注意深く耳を傾け、積極的に、かつ建設的に反応する努力をしてみる。そして、「相手の出来事」「自分の反応」「自分に対する相手の反応」を毎晩記録する。これが得意でない場合は、最近見聞きしたポジティブな出来事を書きとめ、自分がどのように反応すべきであったかを書き出してみる。あるいは、朝目覚めたとき、5分間、今日出会う人たちがどんなよいことを話してくれるか思い浮かべ、積極的×建設的な反応をする準備をしてみる。こうしたことは自然に習得されるものではないので、勤勉に努力しながら習慣化されるまで訓練を重ねていく。

・大部分のパーソナリティ特性は強力な生物学的基盤があるものだ。人は悲しみや不安、宗教性などの強い傾向を遺伝的に受け継いでいる可能性がある。だから、現実的なアプローチは、悲しみや、不安や、怒りの只中にあっても、うまく機能することを学ぶこと、つまり、ネガティブ感情とつき合うことである。リンカーンもチャーチルも重度のうつ病患者であったが、彼らは憂うつ症や自殺願望と付き合いながら大変よく機能した人間である。こうした人たちの課題は、このような感情と闘いながらも堂々と生きることである。

・セリグマンにとって大きな転機は、1970年から71年まで、アーロン・ベック(認知療法の創始者)の下で精神医学の研修を受けたときである。ベックのアドバイスによって、動物実験を行う実験心理学者から、現実の人間に向き合う応用心理学者に転身したのである。

 

第4章・ペンシルベニア大学MAPPプログラム

・セリグマンは、ポジティブ心理学を習得するためのコースをいくつか作ってきた。その一つが、ペンシルベニア大学MAPPプログラム(応用ポジティブ心理学修士課程)である。その教授陣の一人で、ポジティブ感情研究の第一人者であるバーバラ・フレドリクソンは、ロサダ比を提唱している。ロサダ比とは、ポジティブな発言対ネガティブな発言の比率のことである。例えば、会社の経営は、2.9:1の比率を上回ると良好で、下回ると悪化している。結婚生活は、2.9:1では離婚を招く、愛情に溢れた結婚生活には5:1が必要だという。

・労働(ジョブ)、仕事(キャリア)、天職(コーリング)という区別がある。人はお金のために労働をする。お金がストップすれば働くことをやめる。昇進のために仕事を続ける。昇進がストップするか頭打ちになれば、仕事をやめるか日和見主義の抜け殻となる。それとは対照的に、天職は、それ自体の目的のために完遂される。給料や昇進なしでも従事するものだ。天職とは、選んで行動するのではなく、選ばれて・向うから呼ばれて(コーリング)行動することである。

 

第5章・ポジティブ教育ー学校でウェルビーイングを教える

・ウェルビーイングを学校で教えることで、抑うつ患者の急増に対する特効薬となり、人生の満足度を向上させ、よりよい学習や創造的な思考を促す助けになる。学校向けのプログラム「ペン(ペンシルベニア大学)・レジリエンシー・プログラム」(PRP)において、効果を実証してきた。

 

第6章・知性に関する新理論ー根気、徳性、達成

・人間は過去(環境、遺伝)に突き動かされる存在なのか、未来(自由意志)に引き寄せられる存在なのかという2つの考え方がある。従来の心理学は前者であったが、ポジティブ心理学は後者の立場に立つ。多くの場合、人は自らの行動に責任がある。そして、人の不運な選択は自らの徳性に起因している。責任と自由意志は、ポジティブ心理学においては必要なプロセスである。ポジティブ心理学では、劣悪な環境を解消していくだけでなく、自らの悪い徳性もよい徳性もともに特定した上で方向づけていくことで、世界をよりよい場所へと作り変えていくことが可能となると考える。

・「達成=スキルX努力」の基本方程式が成り立つ。この中のスキルとは認知的情報処理過程であり、その要素には、スピード、スローネス、学習率(知性の加速度)がある。一方、努力は非認知的要素であり、徳性、自制心(自己鍛錬)、自己コントロール(自己制御)、根気(GRIT)といった言葉でも表わされる。本書には「根気テスト」(GRIT尺度)が付いているので、自分で根気のレベルが測定できる。

 

第7章・アーミー・ストロングー総合的兵士健康度プログラム

・50年間、人間は基本的に利己的な存在であると考えるのが進化論における流行であった。リチャード・ドーキンスによる「利己的な遺伝子」によれば、血縁による利他的行動は説明ができるが、無関係の人への利他心は説明がつかない。セリグマンは、ダーウィンの群選択という考え方で説明ができるとして、こう述べている。「彼は、一つの集団(遺伝的に無関係な個人からなる)が競争集団よりも長く生存するか、または多く生殖する場合、勝ち組の遺伝子プール全体が増えると仮定した。協力行動、そしてそれを支える愛情、感謝、賞賛、ゆるしといった群居感情が、その集団の生き残りに有利に働いたことを想像してみるとよい」

・セリグマンは、陸軍の総合的兵士健康度プログラム(CSF)に協力してきた。軍隊において精神的な健康の鍵となるのは、レジリエンス(精神的回復力)である。社会的レジリエンスとは、ポジティブな社会的関係を促進させ、そこに全面的に関わり、維持させる力、ストレスや社会的孤立感に耐え抜き、立ち直る力である。社会面のレジリエンスとして、「共感」に重きが置かれている。他人が感じている感情を特定できる能力だ。

 

第8章・トラウマを成長に変える

・心的外傷後ストレス障害(PTSD)はよく知られているが、極端な逆境を経験した後で、激しい抑うつや不安、PTSDを示した後、人が成長し、以前より高いレベルで心理的に機能するようになる「心的外傷後成長」(PTG)が存在する。心理テストを行ったところ、人生でひどい出来事を経験した人は経験したことがない人に比べて強靭な強さ(ウェルビーイング度の高さ)を備えていた。さらに、ひどい出来事の数が多い人ほどそれは強かった。

・イラクとアフガニスタンでの戦争は、「携帯電話を持ち、戦闘の最前線からでも自分の奥さんに電話をかけられる初めての戦争」となった。イラク戦争の退役軍人の一人は「簡易爆発物を警戒するのは結構厄介ですが、食器洗いの分担や、子供の学校での成績のことでつまらないケンカをするのはもっと厄介ですよ。我々兵士の抑うつや不安の多くは、家で起きていることに原因があるのですよ」と述べている。家族内の人間関係はそうとうストレスの原因になるということである。

・苦境に立ったときに、リアルタイムで「破滅的な思い込み」に立ち向かうためのストラテジーは3つある。反証を集めること、楽観を使うこと、バランスと取れた見方をすることだ。例えば、妻とメールで連絡が取れなくなったとき、3段階モデルのバランスの取れた見方をしてみる。最悪のケース「家内が浮気している」、最高のケース「彼女は忍耐力もあって強い人だ。1秒たりとも心が揺らいだりすることはないさ」、最もあり得そうなケース「彼女は友人と出かけているんだな。今夜か明日にでも私にメールしてくれるだろう」を考えることで、破滅的な考え方「彼女は私のもとを去ったんだ」に対して反論する。

・セリグマンは陸軍に協力してきたことの心情を明かしている。「私はアメリカ合衆国を、ヨーロッパで死に至らしめる迫害を受けた自分の祖父母に、自分の子どもや孫たちが繁栄を築けるような安全な避難所を与えた国だと考えている。アメリカ陸軍のことは、私とナチスのガス室の間に立って闘ってくれた軍隊であると考えている」

 

第9章・ポジティブヘルスー楽観性の生物学

・セリグマンらは、1960年代半ばに「学習性無力感」を発見したことでも有名である。学習性無力感とは、最初に自らの力ではどうすることもできない不快な出来事を経験するやいなや受動的になり、困難に直面すると諦めてしまうことである。これは、動物実験によって発見された。そして、学習性無力感に陥ると、移植した腫瘍による死亡率が高まることを、1982年にサイエンス誌で発表したが、これが、彼が関与した最後の動物実験となった。その理由は、自分自身が動物好きであるため動物を苦しめることに大変な抵抗を感じていたこと、動物よりも人間を対象とするほうが興味を持つ問いに対して直接的なアプローチができること、動物実験を人間に当てはめようとすることには限界があるという外的妥当性の問題があるからであった。

・「学習性無力感」にはだれでもなるわけではない。およそ3分の1の人と動物は決して無力にならなかった。また、およそ10分の1の人と動物は最初から無力であった。ここで決して無力にならなかったのは、人生の妨げとなる出来事の原因が、一時的で、変わりやすく、局所的なものであると考える人たちであることがわかった。こうした人たちを楽観主義者と呼ぶ。反対に、いつも悲観的に考えてしまう人たちを悲観主義者と呼ぶ。

・ウェルビーイングの身体的健康に対する影響は調査結果から次のように考えられる。「楽観性は心血管の健康に、悲観性は心血管の危険性に強く関係している」「ポジティブな気分は風邪やインフルエンザの予防に、またネガティブな気分は風邪やインフルエンザに対するより大きな危険性に関係している」「非常に楽観的な人はガンになる危険性が低い可能性がある」「健康な人で、良好な心理的ウェルビーイングにある人は、全死因死亡に対する危険性が少ない」

・楽観性と同じように、運動も機能的な健康資産となる。軍医総監の2008年度の報告書では、成人が1日につき1万歩歩くのに相当する運動をする必要性が明記されている。歩く以外に、水泳、ランニング、ダンス、重量挙げ、ヨガなど、どんな方法でもよい。セリグマンは自ら、万歩計をつけた歩行者による同好会を立ち上げ、毎日ウォーキングを継続しているという。


僕の読書ノート「意識はいつ生まれるのか(マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トノーニ)」

2019-03-16 21:57:18 | 書評(脳科学・心理学)


本の紹介をこれまで、書評「・・・」というタイトルにしていましたが、これからは、僕の読書ノート「・・・」というタイトルを付けることにしました。私が書くこの文章は、書評というよりは、自分にとっての備忘録、あるいは重要ポイントのメモといった意味合いが大きいからです。それでも、少しでもみなさんの参考になればいいなという気持ちでこのブログに掲載しているので、よろしくお願いします。

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脳科学の進歩には目をみはるものがあるとはいっても、意識や心の実体はなになのか解明されたとはついぞ聞いたことがない。この本は、二人のイタリア人脳科学者が自ら進めてきた意識の実体にせまる脳科学研究の最先端を紹介している。現代に生きる我々として、まずは押さえておかなければならない内容であると思って読んだ。書きぶりは平易で、詳しい前知識は必要なかった。また、話の展開がうまく工夫されていて、読み物としてとてもすぐれた本である。前半(第1~4章)で問題提起がなされ、中央の第5章でカギとなる仮説が提示され、後半(第6~9章)でそれを実証していくという流れになっている。

『問題提起』(第1~4章)
人工呼吸法が導入されたのはそう古いことではなく、1952年にデンマークの医師ビヨン・イプセンが始めたのが最初である。しかし、これによって、死の境目と意識の境目が変わることになった。死の判定は、これまでの心臓と呼吸の停止から脳死に変わった。そして、意識があるかないかの境は、大きな混乱に入り込んだ。脳にひどい損傷を受けて昏睡状態に陥っても生き続ける多くの人たちがいる。この人たちに意識があるのかないのかは、外からは観察できない。

エードリアン・オーウェン率いるケンブリッジ大学の神経科学者のチームは、機能的核磁気共鳴画像法(fMRI)を用いることで、テニスをしていることを想像すると大脳皮質のある領域が活性化されること、また、家の中を移動していることを想像すると別の領域が活性化されることを突き止めた。これは、健康な被験者だけでなく、脳に外傷を負って意識がないように見える患者に対して「家を動いているところを想像してください」と指示した場合でも、同じ領域の活性化が見られた。この患者には、意識があることが証明され、この実験結果は2006年のサイエンス誌に掲載された。しかし、このような反応が見られない患者には意識がないとは言いきれない。

意識の定義は難しいが、「睡眠に落ち、かつ夢を見ることがない場合に消えるものを指す」というものは一般的に受け入れやすい定義である。つまり、夢を見ない睡眠時には意識がなくなるということである。現象はわかっていても、それが説明できないとき、新しい理論、一般法則を作ることが、謎を解くカギになるかもしれない。これに関して生物学で著名な例として、生物が自然淘汰によって進化を遂げる現象を、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」で新たな一般法則として説明したことが挙げられる。

『仮説の提示』(第5章)
意識には二つの基本的特性、情報の豊富さと情報の統合があることが経験的にわかっている。このことから、意識の謎を解く鍵として「情報統合理論」を提示した。情報統合理論のかなめとなる命題は、「意識を生みだす基盤は、おびただしい数の異なる状態を区別できる、統合された存在である。つまり、ある身体システムが情報を統合できるなら、そのシステムには意識がある。」というものだ。そして、あるシステムが情報を統合する能力をどのくらい持ちあわせているかを表す単位として、Φ(ファイ)という新しい単位を導入した。Φの値は、情報の単位、ビットであらわされる。

『実証』(第6~9章)
脳は、小脳と、視床-皮質系に大きく分けられる。小脳には、視床-皮質系をはるかにしのぐ数の神経細胞があり、シナプスのつながりも同様に多いが、頭蓋から小脳を全摘しても意識にはなんら影響がない。小脳は独立したモジュールでできているが、モジュール間をつなぐ信号の出口がない。同じような組織が並んでいるだけで、それぞれが信号を発したり受けたりする際、その信号をほかの組織と分かち合うことがない。小さなコンピューターが並んだ集合体のようなものである。一方、視床-皮質系は、脳梁だけでなく、たくさんの繊維の束があり、さまざまな領域を結んでいる。その束は、近くの領域だけでなく、遠くの領域同士も結びつけ、各半球のなかで縦横無尽に走っている。

統合情報理論を生きた人間の脳で証明するために、「TMS脳波計」という道具を考案した。TMSは経頭蓋磁器刺激法のことで、被験者に痛みを与えることなく、大脳皮質ニューロンの選んだグループだけじかに刺激できる。そして、頭皮に多くの電極をつけ、脳波計で電気的な活性化をとらえて記録するのである。ミリ秒単位の正確さで、大脳全体の活動を記録できる。この装置を使って、意識がある覚醒時と夢を見ていない睡眠時の本質的な差をとらえることができた。すなわち、磁器刺激の直後、覚醒時には空間的にも時間的にもたいへん複雑な活性化の様子が見られた。一方、夢を見ていない睡眠時には局所的な反応のみで、さまざまな皮質の部位間のコミュニケーションは完全にブロックされていた。さらに、夢を見ているレム睡眠時の脳波計の波形は、意識があるときと同じであった。次に、麻酔薬投与後の脳の反応を調べた結果、麻酔薬の種類や投与法にかかわらず、投薬数分後には大脳の複雑性が見られなくなった。また、昏睡から脱した患者が意識を回復させる数日前に大脳の複雑性が見られるようになるという観察結果も得られた。このように、「情報統合理論」は「TMS脳波計」を用いることで、意識をつかまえることができたのである。

残る謎は、動物にも意識があるのかどうかである。哲学者の中でも、デカルトは、人間以外のすべての動物の行動は、意識の存在を前提としない、機械的なものだと主張した。一方、モンテーニュは、人間も動物も等しく意識があると考えた。TMS脳波計は動物には使えないようで、将来的には動物用の測定機器を整備することが必要だとしている。意識と無意識のあいだに、はっきりした境界があるとは考えにくい。意識レベルにもさまざまな度合いがあるのだろう。進化の過程で意識が突然宿るようになったとは思いがたい。ネコ、イヌ、サル、イルカは、神経解剖構造の点で、ヒトによく似た視床-皮質系を持っている。そして、ヒトの視床-皮質系には意識が宿る組織が存在するのだから、これら動物たちの視床-皮質系も同様だと考えられる。ただし、Φの値はずっと低いだろうという。質量、電荷、エネルギー量のような基本的性質と同じくらい気軽にΦの値を正確に測れるようになったら、われわれの目の前にまったく違う景色が広がるだろうとしている。

最後に、大きな問題提起がなされる。意識の発生に至るまでの因果関係に長い鎖の末端に現れたわれわれの決定は、本当はわれわれ自身の決定ではないことになる。われわれの意志や自由、選択は、ただの幻想ということになる。ニューロンに基づく意識の科学的仮説では、われわれに自由意志がないことを示してしまう。意識は無力な傍観者にすぎなくなる。本書では触れられていないが、実はこの主張は、初期仏教の考え方に似ているのである。そもそも私や自我というものは存在しないという考えかただ。脳科学の意識論が突き進む先には、仏教の思想と同じ終着点が待っているのかもしれない。

書評「過敏で傷つきやすい人たち(岡田尊司)」

2018-11-11 21:40:36 | 書評(脳科学・心理学)


エレイン・N・アーロンの「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。」を読んで、なにか消化不良のような感じが残っていたのだが、岡田尊司氏のこの本を読むことで頭の中のモヤモヤは完全にスッキリした感じがした。それくらい私にとっては意味のあった本である。

この本は、まずアーロンの著書に対する科学的な考察から始まる。アーロンは敏感すぎる人をHSP(Highly Sensitive Person)と命名し、その著書が多くの人に読まれたことで、そういう人たちの存在が一般に認知されるようになったことは意味のあることである。しかし、このユング派の心理療法家の作ったこの用語やその概念は、精神医学や臨床心理学の専門家にはまったく相手にされてこなかった。その理由としては、一つには「敏感すぎる」という症状だけで一般化して論じることは、あまりにも乱暴で科学的な精緻さに欠けた議論とみなされたからである。また、ユング派という、科学的客観性においてはあいまいなところを本質的に抱えていることも関係している。精神医学ではHSPという用語は用いられないが、過敏性についての膨大な研究があり、それらをもとに本書は書かれている。

第1章 「過敏性」とは何か
・音、臭い、など様々な感覚の過敏性があるが、これらは人生をも左右するし、心身の不調にも大きく影響する。
・過敏な人は、ネガティブな人より、社会適応度や生きづらさの悪さと強く関係している。つまり、生きづらいといえる。
・感覚の過敏性を評価する方法としてもっとも知られているものの一つが、カタナ・ブラウンとウィニー・ダンが作成した「感覚プロファイル」である。神経学的な閾値を縦軸に、行動反応・自己調節を横軸にして、それぞれの高さ低さによって4つのグループに分類される。その4つは、刺激に対して閾値が高く能動的な反応を示す「感覚探求」、刺激に対して閾値が高く受動的な反応をしめす「低登録」、刺激に対する閾値が低く能動的な反応を示す「感覚回避」、刺激に対する閾値が低く受動的な反応を示す「感覚過敏」である。本書には、感覚プロファイル検査の簡略版があるので、自分がどれに当てはまるかおおよそ把握できる。ちなみに私は、「感覚過敏」がもっとも高く「その傾向がややある」という判定だった。

第2章 あなたの過敏性を分析する 
・第1章で説明された「感覚過敏」以上に重要なのが「心理社会的過敏性」であり、心理的な面と対人関係など社会的な面における過敏性である。これは神経学的な過敏性以上に、生きづらさや幸福度の悪さに関係してくる。この神経学的および心理社会的含めた過敏性を評価する「過敏性プロファイル」を筆者が開発し、本書にチェックリストが紹介されている。
・「過敏性プロファイル」では、神経学的過敏性として「感覚過敏」「馴化抵抗」、心理社会的過敏性として「愛着不安」「心の傷」、さらに、病理的過敏性として「身体化」「妄想傾向」が、過敏性に伴いやすい傾向として「回避傾向」「低登録」、以上8項目が評価される。

第3章 過敏性のメカニズムと特性を知る
・音への過敏性は、単に聴覚的な過敏性だけでなく、全般的な過敏性の良い指標になる。過敏な人にとって音は凶器のようなものである。
・過敏な状態になると、視床下部―下垂体―副腎皮質系の反応によって副腎皮質ホルモンが放出される。また、視床下部の反応に伴って、交感神経が興奮する。過敏性の獲得は学習でもあり、いったんスイッチが入るとしばらく興奮し続けるNMDA受容体が関わっている。とくに、ネガティブな感情の中枢である偏桃体においてNMDA受容体のスイッチが入ることで、過敏で傷つきやすい状態が生み出されると考えられる。
・偏桃体は前頭前野という脳の司令塔によって抑制性のコントロールを受けている。このコントロールを高める代表的な方法が「認知行動療法」である。また、セロトニンが興奮を抑えるので、セロトニンの働きを活発にする薬であるSSRIも役立つ。抑制系の神経システムとしてもう一つ重要なのが、GABAという神経伝達物質を介した仕組みである。アルコールや抗不安薬はGABA系を活性化させる働きがあり、そうした物質の助けを借りてどうにか気を鎮めようとしているのである。しかし、過敏な人は、アルコール依存症や抗不安薬依存になりやすい。もっと安全に神経の興奮を冷ます方法として、マインドフルネスや瞑想、ヨガ、リラクゼーションなどがある。
・抑制系が弱いので、新しい刺激や環境の変化が苦手である。そのため、人を避ける消極的な傾向が10代後半から20代にかけてもっとも強まり、過敏な人では若い頃のほうが元気がないというケースが少なくない。この時期を過ぎると過敏さは徐々に薄まるので、成熟とともに楽になっていく。
・その人の精神状態は一番表情に表れやすい。過敏な人では表情が硬く乏しくなりがちだ。表情は単なる心理学的現象ではなく、脳内の神経系の働きを映し出した生理学的現象でもある。たとえば、ドーパミン系の働きが過剰になると瞬きが増え険しさが強まり、逆にパーキンソン病や重度のうつ病でドーパミン系が低下すると瞬きが極端に減り能面のような無表情になる。また、セロトニン系が亢進している人はボス的で堂々としたときには傲慢な様相を呈するが、低下している人はおどおどびくびくしている。
・神経が過敏な人では、気分が憂うつになりやすいだけでなく、体調もすぐれない傾向がみられる。頭痛、胃痛、吐き気、めまい、下痢、疲れやすいといった身体面の不調が現れやすい。これは抑制性の神経機構が弱く、緊張しやすいからだと考えられる。また、妄想傾向も出やすい。身体化と妄想傾向は、身を守るための究極の防衛反応だともいえる。(1)
・過敏症は、優れた表現力や創造性と結びつきやすいという面もある。感覚過敏に苦しんだ人には、たとえばフランスの小説家プルーストや、文豪の夏目漱石などがいて、逸話も残っている。

第4章 発達障害と感覚処理障害
・過敏症の原因の一つが自閉スペクトラム症などの発達障害である。脳の画像診断自術の進歩により、それまで自閉スペクトラム症の感覚統合障害とぼんやりととらえられていたものが、神経走行の異常などによる感覚処理の障害として解明されるようになってきた。そして、神経発達障害に伴って起きた感覚処理障害が、発達障害の基本になっているとも考えられている。

第5章 愛着障害と心の傷
・愛着障害も心理社会的過敏症の要因となる。愛着は自律神経系の働きに密接に結びついている。母子関係において、虐待を受けている場合、子どもは母親といると交感神経が過剰に興奮した状態が続く。愛着が安定している関係では、母と子の再会によって、子どもの心拍数は下降し、落ち着く。面白いことに母親の心拍数にも同じ変化が見られるという、自律神経の相互的な働きが起きる。
・愛着スタイルによってストレス耐性は異なる。回避型愛着スタイルの人では、ストレスを受けても自律神経系が過剰反応することはないが、これは表面的な対応にとどめているからである。このタイプの人でもストレスホルモンの血中コーチゾルは上昇していて、ストレスを感じていることは確かである。さらに、自分が前面に出て関わらざるをえない立場になると、自律神経系は過剰反応を示すようになる。
・心理社会的過敏症を生む要因となるのは、愛着不安とともに心の傷がある。トラウマ的体験が夢の中に出てくるのは、無意識の中でその体験を乗り越えようとして戦っているのだと考えられる。PTSDは自分の生命が脅かされるレベルの非日常的な出来事で生じるトラウマによる障害である。もっと日常的なレベルの出来事でもトラウマが生じ、長く生き方や生活に支障になることも多い。代表的なものに、親からの虐待や否定的言動、親の離婚、配偶者やわが子との離別、家族との死別、中絶、失恋などがある。これらの出来事は愛着を脅かし破壊するので、大きな影響を及ぼす。
・大人になっても愛着の傷跡を引きずり続けている場合、「未解決型愛着スタイル」とよぶ。未解決型になると、相手に愛されたいのか愛されたくないのか、一緒にいたいのか離れたいのか、自分でもわからなくなってしまう。このタイプの人は、自分の身に起きた苦しい出来事を、自分をいじめている、自分だけがつらい仕打ちを受けているように受け止めてしまいやすい。人生自体も迷走していることが多い。

第6章 過敏性が体に表れる
(上記(1)の詳細な説明)

第7章 過敏な人の適応戦略
・過敏さとの付き合い方としては、①刺激量を減らすために、周りの目につくものや音を極力減らすようにする、②刺激を予測のつくものにするために、生活や活動を整理し習慣化する、③安全限界を超えないために、その前でとどめるようにする、④休みの日などにはボーッとする時間を積極的にもつ、⑤薬を使って過敏症をコントロールする、⑥場合によってはストレスのかかる場面を回避する、⑦行動を儀式化する、などがある。⑦の例として、とても神経質で過敏な体質だった画家サルバドール・ダリや、過敏な少年だったユングが、気持の安定のために木彫りの人形を持ち歩いていたことが紹介されている。なお、心理的なアプローチは第8章で説明される。
・過敏さと鈍感さが同居することもある。過敏な人では過集中や、集中している対象以外のものに対する鈍感さがしばしば併存する。科学者や発明家が、驚くべき集中力と、それ以外のことに対する無頓着さを示したというエピソードは枚挙にいとまがない。そうして生まれた発明や発見にわれわれは恩恵を受けているのである。そうした特性は、気が回らない人や切り替わりが悪い人にもつながる。機転が利かず、巧みな会話ができなくても、悲観する必要はなく、不器用さや誠実さを売りにして、根気と日々の蓄積で勝負すべきである。

第8章 過敏性を克服する
・幸福にどれくらい遺伝要因が関与しているか調べた研究では、幸福であることへの遺伝要因の関与は36%、人生に満足していることへの遺伝要因の関与は32%だという。つまり、三分の一は遺伝子によって決定されるが、残りの三分の二は環境因子によって決まるということになる。また、子どものころは、親や家庭環境の影響が大きいが、大人になると自分の意志と責任で自分の人生を良いものにも悪いものにもしていくことができる。肥満の遺伝率が78%であるのと比較しても、幸福や人生の満足を手に入れるチャンスは、その人次第の部分が大きい。
・過敏症への関係は、過去の境遇<肯定的認知<二分法的認知<安全基地、の順で強くなる。肯定的認知を高め、二分法的認知を克服し、安全基地を利用するための方法が、以下に述べられる。

①肯定的でバランスの良い認知
肯定的な認知を高めることの有効性が、1970年代からのポジティブ心理学の研究で示されてきた。以下のようにいくつかの方法があるが、人によってよく効くものとそうでないものがあるので、自分に合ったものを見つける必要がある。
・「希望のエクササイズ」自分の理想の人生を書く。
・「親切にするエクササイズ」他人に親切な行動をすることで、相手だけでなく本人も幸福になれる。
・「感謝するエクササイズ」週に一度、感謝していることを五つ挙げる。
・「人生において良かったことを三つ書く」「自分の強みとなることを新しいやり方で生かす」この二つはうつ病の改善に効果があった。
・「良いところ探しのエクササイズ」ヴァリデーション(認証)、つまり悪い面にばかり目を向けるのでなく、良い点やできることを肯定的に評価する。これは自殺企図を繰り返す境界性パーソナリティ障害や認知症の人に対しても有効な、弁証法的行動療法の柱の一つである。
・「許しのエクササイズ」自分が傷つけられたことや不快な目に合ったことを思い出し相手を許す。難易度が高い方法ではあるが、これができることは苦悩が少なくなってきていることでもある。

②振り返りの力を養う
ポジティブ心理学の取り組み自体受け付けられないレベルの苦難や偏りを抱えた人に必要な訓練は、自分から距離をとり、自分を第三者のように客観的に見ることである。その一つの段階がメタ認知を鍛える段階である。メタ認知とは、認知の認知であり、何かを感じたり考えたりしている自分の感情や思考を、第三者のように見て、感じたり考えることである。
・メタ認知の代表的な訓練の方法が、認知(行動)療法である。そして、元は宗教的な方法であったが、近年普及しているのが「マインドフルネス」だ。禅の修行法には難しいものがあったが、欧米の認知療法と結びつくことで、新しい心理療法である弁証法的行動療法、マインドフルネス認知療法、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)などが生み出された。これらに共通する考え方の一つは、ありのままに受け止め、それと戦わないということである。
・マインドフルネスは、呼吸に注目しながら瞑想する作業と、身体感覚を味わうボディ・スキャンという作業を基本的なワークとし、初心者でも比較的取り組みやすく効果も出やすい。通常、ワンセットに30分程度の時間をかけて行うが、忙しい人のために「3分間呼吸空間法」が提唱されている。背筋を伸ばして座り、軽く目を閉じる。最初の1分間は自分の心の状態をありのままに感じ観察だけする。次の1分間は意識的に呼吸をする。最後の1分間は体の下から上まで順番に状態を感じていく。
・認知・感情・行動は三角形の形で結びついている。切羽詰まっているときには、頭を使うより体を使うこと(行動)が役立つ。行動の目標は、いきなり最終の目標とはせず、中間段階や別の目標を作って取り組んだほうが得策である。例えば、学校や職場に行けなくなってしまった場合、そこへ復帰することはいったん忘れ、今できる行動として、まずは家事、掃除や料理をすることが役に立つ。料理ができると大抵働けるようになるという。

③安全基地を強化する
母親の機能である、1日中ぴったりとくっついていられる、安全で心地よい存在である、自分の反応に応えてくれる、ということが安全基地としての最低条件といえる。安全機能がうまく機能しているかどうかは、過敏症と最も深く結びついている。日々の臨床で目にすることとして、患者本人を一生懸命見るより、支えている人の大変さを受け止めたり、本人の状態を理解してもらったり、接し方についてアドバイスすることを増やしたほうが、状態の改善に効果的なことが多い。つまり、親やパートナーなどその人にとって重要な存在が安全基地としての機能を取り戻せば、もはや病気になる必要さえなくなっていく。
・愛着は相互的なものなので、相手に安全基地になってほしかったら、自分が相手の安全基地になるように努力するのが一番近道である。
・愛着の本質は、依存と世話である。依存は悪いことで、自立は良いことだと単純化して考える勘違いをしやすいが、人が健康に生きていく上では、依存も自立もどちらも必要で、ほどよいバランスが大切である。
・いくら努力しても、相手が安全基地となれない場合は、その人から心理的、物理的に距離を取ることである。物理的に離れられない事情があって心理的に距離をとるときの賢明なやり方は、この人はこういう人だと割り切り、相手を傷つけないように形式的には配慮しつつ、心情的な面では深入りを避けるようにする。
・人々は、どんどん自己愛的、回避的になりつつある。それは、心理的、社会的、文化的な特性であると同時に、生物的な変化なのかもしれない。われわれにできる最善のことは、自分自身が自分の安全基地になるということかもしれない。

書評「幸せになれる脳をつくる(リック・ハンソン)」

2018-09-02 20:27:19 | 書評(脳科学・心理学)


最近の脳科学、たとえば利根川進らの研究によって、過去の楽しい体験の記憶に関わる神経細胞を活性化することでうつ状態が改善することや、偏桃体の中の嬉しい体験細胞と嫌な体験細胞が脳内で互いに抑制し合っていることなどが実験的に示されるようになった。それでは、どうすれば過去の楽しい体験を活性化させたり、嬉しい体験細胞のはたらきを高めることができるのだろうか。本書はそういう目的にも合致し、特別な医学的治療法を用いずに、私たちが自らできるトレーニング法を提案している。これは、マインドフルネスの次の段階の精神修養、あるいはマインドフルネスとともに育むべき脳のはたらかせ方のようにも思えた。本書を読んでみると内容は豊富で示唆に富んでいるが、いざ実践しようとすると思った以上に難しかったというのが正直な感想である。

本書のポイントをまとめてみた。

この和訳本のタイトルは「幸せになれる脳をつくる」であるが、英文原著のタイトルは「Hardwiring Happiness(幸せを組み込む)-The New Brain Science of Contentment, Calm, and Confidence(満足、穏やかさ、自信についての新しい脳科学)」である。また、謝辞を見るとわかるが、本書で述べられている概念や方法論は著者が一人で編み出したわけではなく、多くの心理学研究などを元にしていることが示されている。そこには、例えば人間性心理学、ポジティブ心理学のアブラハム・マズローやマーティン・セリグマン、テーラワーダ仏教のジャック・コーンフィールド、マインドフルネス認知療法のマーク・ウィリアムズなどの名前が挙げられている。また、執筆過程では注釈や参考文献もあったらしいことが書かれているが、残念ながら本書にはそれらは掲載されていない。

まずは、第Ⅰ部 理論編
第1章 良いものを育てる
・私たちの人生は険しいことも多く、「内面的強さ」が必需品である。それはつかの間の心的状態とは異なり、安定した特性であり、幸福や件名で効果的な活動、他者への貢献などの持続的な源泉となる。平均すると、人間の強さの3分の1は生まれながらのもので、残りの3分の2は時間をかけて発達していくものである。
・ネガティブな体験には、ネガティブな副作用が内在している。著者自身、奥さんと共に子育てに疲れ果てていたころ、よく互いに当たり散らしていた。それはしばしばなんの効用もなく、ただただ苦痛あるのみであった。一方、ポジティブな体験には常に効用があり、苦痛はめったにない。

第2章 ネガティブなものほど脳に残る
・アメとムチは双方とも重要だが、決定的な違いがある。今日、アメを手に入れられなくても、明日また手に入れる機会はあり得るが、もし今日、ムチを避けられなかったら(捕食されてしまうこと)、アメはもう永遠に手に入れることができない。その結果、脳は自らのなかにネガティビティ・バイアスを組み込んで進化させた。
・潜在記憶の形成にはネガティビティ・バイアスがかかっている。不快な体験はあっという間に記憶の蓄積のなかに持ちこまれる。私たちは通常、楽しみからよりも苦しみから、強い好感より強い嫌悪感から迅速に学習する。

第3章 「緑」と「赤」
・人間の本質に関する進化神経心理学の研究によって明らかになってきたこととして、あなたを幸せな“我が家”に連れ帰ってくれるために脳には3つのOS(オペレーティング・システム)がある。危害を回避する、報酬に接近する、他者に傾倒するという3つのOSによって、それぞれ安全、満足、つながりという3つの中心的欲求を満たすための能力を進化させた。
・各OSには、応答モードと反発モードという二つの設定がある。あるシステムの扱う中心的欲求が満たされる体験をしている限り、そのシステムは応答モード「緑」になっている。一方、中心的欲求である安全、満足、つながりのいずれかが満たされないと、ネガティビティ・バイアスのせいで簡単に反発モード「赤」の状態になる。
・偏桃体は良い情報にも悪い情報にも反応する。悪い情報に対する偏桃体の反応が少なくなれば、不安や怒りは減るが、幸せが増すわけではない(ここまでで役に立つのがマインドフルネスや認知行動療法かもしれない:評者感想)。もっと幸せになるためには、ポジティブなものに対してより強く反応しなくてはならない。そういう偏桃体を「ご機嫌な偏桃体」とよぶ研究者もいる。
・反発的体験の影響が長く続くと精神的問題に発展する危険要因となる。数多くの精神障害は、脳の3OSのひとつに極端な反発的体験を含んでいる。たとえば、全般的不安障害、広場恐怖症、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、強迫性障害、解離性障害、パニックは、回避システムに関係している。アルコール依存症、薬物依存症、その他の嗜癖(アディクション)の問題は接近システムに関係している。不安定な愛着、ナルシシズム、境界性パーソナリティ障害、反社会行動、幼児期の虐待やネグレクトの影響は傾倒システムに関係している。
・霊長類や初期の人類では状況が厳しく、たいていの人が若くして死に、集団が互いに闘い合う時代には、反発モードの短期的恩恵は、その長期的な代価を上回っていた。しかし今日、状況がより良くなり、人々が健康な長寿を望み、協力し合って生きていかなくてはならなくなると、応答モードで暮らしていくことのメリットのほうが高くなった。そのために、ネガティビティ・バイアスから、長期にわたって良いものを取り込むことで、応答(レスポンシビリティ)バイアスに変えることができる。

ここからは第Ⅱ部 実践編
第4章 「HEAL」で自分自身を癒す
・良いものの取り込み、つまりポジティブな体験を潜在記憶内に慎重に内在化させるために次のような4つのステップを提唱している。1.ポジティブなことを体験する(Have a positive experience)2.それを強化する(Enrich it)3.それを吸収する(Absorb it)4.ネガティブなものとポジティブなものをつなぐ(Link)。以上の頭文字をとって「HEAL」と呼んでいる。
・様々な実例を挙げながら、「良いものの取り込み」のやり方の説明が長く続く。例えば、「自分が自分の味方になる」-自分を助けたいと思わないことには行動は起こせない。「必要なものを取り込む」-あとで説明がある3つのカテゴリーのうちの必要なものを取り込まないと効果は出ない。

HEALのそれぞれのやり方が以下の章でくわしく説明される。
Hステップについて読むと、まわりに「良いもの」があふれていることに気づく。
第5章 ポジティブな体験に気づく
第6章 ポジティブな体験を創る


EAステップについて説明される。
第7章 脳を構築する

Lステップとは、ポジティブなものとネガティブなものをつないで、少しずつネガティブなものを鎮めていく方法が説明される。
第8章 花が雑草を押しのける
・ネガティブなものを変化させる二つの方法があるという。ネガティブなものとポジティブなものを同時に意図的に意識して、両者をつながるようにすることができる。このネガティブなものは、次に活性化されるとき、つながりのあるポジティブな考えや感情のいくつかを携えてくる傾向がある。一つ目の方法は、ポジティブな感覚とネガティブな感覚を同時に意識し、次にポジティブな感覚をより強くしていくことで、ネガティブなものを上書きするというもの。2つ目の方法は、ネガティブなものが活性化し意識を去った後、ネガティブなものと結びついた中立的なトリガーとポジティブなものだけを思い起こすようにし、中立的トリガーがネガティブに結びついて再統合されるのを中断することで、ネガティブなものを消すというものである。
・この方法の活用で、子どものころの傷(ネガティブ)を大人になった自分(ポジティブ)が慰め、ネガティブを減らしていくということができる。

第9章 活用法
・なにか難しそう・面倒そうな練習、勉強、嗜癖から戻ることなどにおいて、良いものと結びつけることで容易に実行できるようになる。
・良いものの取り込みは、マインドフルネスの訓練や心理療法など、様々な努力の結果を改善する。

第10章 21の宝石
・21種類の実習が集められている。第3章で示された、安全、満足、つながりという3つの中心的欲求を満たすべく、応答モード「緑」にするために、それぞれ7つずつの項目においてHEALを実践するやり方が示されている。1日一つから三つの実習を行うことが推奨されている。また、1日の中でも何回か繰り返す。
・安全では、「守られている感覚」「自分の持つ強さ」「くつろいだ感覚」「邪魔されない聖域」「脅威とリソースの見極め」「今現在なんの問題もないという感覚」「安らぎの感覚」の取り込みが提示されている。これらすべてを実行するのはやはり難しく、私だったら「自分の持つ強さ」「邪魔されない聖域」「今現在なんの問題もないという感覚」だったらできそうだと思ったので、これらについてすぐ思い出せるエピソードや想起できる事項などを自分なりに設定しておいて試しているところである。
・満足では、「楽しみ」「感謝と嬉しさ」「ポジティブな感情」「達成感と行為主体性」「熱意」「この瞬間に体験できることは豊富にあるという感覚」「充足感」の取り込みが提示されている。
・つながりでは、「大切にされている感覚」「価値があるという感覚」「思いやりと親切」「自分への思いやり」「思いやりのあるアサーティブネス」「自分や良い人だという感覚」「愛」の取り込みが提示されている。


最後に、本書に書かれている内容は非常に興味深かったが、複雑でやるべきことが多岐にわたり、具体性に欠けているところもあり(例えば、座って瞑想しながらやるのか、通勤のために歩いているときなどでもできるのか、といった具体的なやり方)、本人の努力を多く必要としており、このまま実践するのは難しいと感じられた。難しい方法のままでは、臨床試験で有効性を検証することが困難であり、広く人々に推奨できる方法にはならない。この本の内容をもとに、だれでももっと簡単に取り組むことのできるシンプルなメソッドを開発できればとても役に立つだろう。

書評「ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ(エレイン・N・アーロン)」

2017-09-10 15:17:49 | 書評(脳科学・心理学)


まんがチックな表紙と違って、407ページと読みごたえのある本だ。「Highly sensitive person(とても敏感な人)」という原題で1996年に米国で出版されて大ベストセラーとなり、日本語訳単行本は2000年に、この文庫版は2008年に刊行された。Highly sensitive person、略してHSPとは敏感な神経を持つ人間のことで、全人口の15~20パーセントもの人に見られる特徴だ。周囲に起こっている微妙なことを感じとるという、多くの場合は長所と言える特徴を持っているが、刺激の強い環境に長時間いると神経が景色や物音に圧倒されて、普通の人よりも疲れやすく動揺しやすいという短所も持っている。私たちの社会では、この特徴はあまり良いことだとは思われていなくて、欠点であるかのようにとられやすく、自分自身でも自信を持ちにくくなっている。

「神経の細やかさ」「高ぶりやすさ」はこれまで心理学者によって、内向性、内気さ、堅さ、などと呼ばれてきたが、著者はこれでは短所ばかりが強調され、長所が反映されていないということで、中立的な表現であるHSPという言葉を使うようになった。現在では、着実にHSPという概念が定着しており、この言葉を広めた功績は大きいといえる。基本的にはカール・ユングの心理学に基づいて作られた理論であり、自分の現在や過去を思い返して分析し、どうすればよりよく生きていけるか考えてみようという内容であり、精神分析に近いのだろう。1996年に出版された本なので、その後研究は進んでいるのか?進歩の著しい脳科学や認知行動療法などの心理学でどのように評価されているのかは、これを読んだだけではわからない。また、HSPという語義からして、心理的な敏感さだけでなく、生理的な敏感さ(例えば、音・熱さ寒さ・におい・化学物質などの刺激に弱くて、これらにさらされることで体調が悪くなりやすい、病気にもなってしまうといったこと)も包含されてしかるべきと思われるが、そのあたりは十分記載されていない。なお、近年出版されたスーザン・ケイン著「内向型人間の時代」で描かれていた「内向型人間」は、HSPとオーバーラップしそうだが、アーロンによるとHSPの30%は外向的だという。

この本のポイントと気になった点を下記に書き出してみた。

・三つの自己テストがある。「あなたはHSPだろうか?」では自分のHSP度がよくわかったのでよかった。「あなたは社会的不快感を克服する最新の方法を知っているか?」は、ここまで読んでくればだれでも合格しそうなテストだ。問題は「あなたは無理のしすぎかひきこもりか?」だ。このテストを、うつ病でひきこもりの知合いにやってもらったら、無理のしすぎとひきこもりの中間でバランスが取れていると言う。はた目にはかなりひきこもりに傾いていて無理しているようには見えないので、そのテスト結果をずっと疑問に思っていた。ある時、本人を見ていて、はたと気がついた。外からは無理しているようには見えないが、本人の内面ではそうとう無理していると感じでいるのだ。外部から強いストレスを受けているというより、外部からのほんの少しの刺激を増幅して脳内で大きなストレスを生み出しているのだ。これこそ脳科学や認知行動療法が示してきた「認知の歪み」である。「認知の歪み」がストレスを作り出し、うつ病の原因になるという理論は今では常識になっている。時代的なこともあるだろうが、本書の著者はこうした知識にうとかったせいか、妙な結果が出るテストを作ってしまったのだろう。

・同じ刺激に対しても、どれくらい神経システムが高ぶるかは個々人によって差があり、人類を含む哺乳類でもこの差異が見られる。刺激に対してより敏感に反応するもの「HSP」の比率はだいたい同じで、全体の15~20パーセントである。この性質は遺伝的に決められている場合が多い。筆者は、すべての高等動物に一定の比率でHSPが含まれる理由として、種の中につねに微妙なサインを察知するものがいて、隠された危険や新しい食物、子ども病人の様子、他の動物の習慣などに対してつねに敏感なものがいると便利だからではないかと考えている。

・家庭環境が健全であればあるほど、子どもの気質の難しさは表に現われやすい。逆に環境があまり健全でないと、子どもはとりあえず生き延びるために、養育者に適応しようと必死になるので、ある種の気質は水面下に潜ってしまう。そうやって隠れてしまった気質は、大人になってから、ストレス関連の身体的症状などのかたちをとって再び現れるという。

・乳幼児とHSPのカラダに共通していることがある。両者とも神経が適度に高ぶり、疲れてもおらず、空腹でもないときはとてもよく言うことをきく。ところが、両者とも疲労していると、言うことをきかなくなる。だからHSPの人は自分のカラダのために限界設定をしなければならない。そして必要なのは、十分な睡眠時間である。実際に眠らなくても、とにかく9時間は目を閉じてベッドに横たわるように努めるだけでずいぶん楽になる。そして、ゆっくりくつろぐダウンタイムと瞑想などをする超越時間を作る。

・内向的な人の持つ柔軟性や多様性は、中年期を過ぎたころから特に重要になってくる。人生も後半にさしかかって、だれにも自己内省が重要になるが、内向的な人はより優雅に成熟していくという。この言葉は、中年の自分にすこし自信を持たせてくれる。これから、人生のよい時代になっていくのだと。

・職業の面では、HSPは聖職者的タイプで、教師、医師、弁護士、科学者、カウンセラー、宗教関係者などが多かったが、現代では非HSPもこれらの職業につく率が高くなってきた。非HSPは、戦士タイプで、社会や組織のトップに多い。両者のバランスと助け合いが重要だ。

・HSPの心の傷を癒す方法として4つのアプローチをあげている。認知行動療法的アプローチ、心理療法のような対人関係的アプローチ、食品・運動・薬などを含む身体的アプローチ、宗教を含むスピリチュアル・アプローチである。認知行動療法的については、「それほど深みも魅力もないが、かなり効果的なので試してみる価値はあると思う」と、肯定なのか否定なのかよくわからないコメントをしている。スピリチュアル・アプローチの中の東洋思想に関して、「自我は後ろを振り向かせ、個人の問題に執着させ、現在から目を背けさせるので、個人を越えたものへ至ろうとする努力を妨げる。自我は苦しみの源であるとする東洋思想には真実が含まれていると言えるだろう。しかしながら、あまりにも早く自我を捨ててしまうHSPがたくさんいるのも事実だ。...真の救いや啓蒙とは、個人的な問題を解決するつらい努力の果てにあるものだろう。HSPにとっていちばんつらい仕事は、現実を棄てることではなくて、この現実にしっかり関わることなのだ。」と述べる。原始仏教や禅が目指すような自我そのものを消していくことには、否定的なようだ。自我を捨てることなど、そうそうできることではないので、心配する必要もないと思うのだが。

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