wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

菜の花が満開の吾妻山

2025-03-01 08:11:31 | 箱根・湘南・三浦

湘南にある吾妻山に菜の花を見に行ってきました(2025年2月16日)。

吾妻山は、相模湾に面した丘陵地の一部。この丘陵地は、丹沢山地とは別に、海沿いを低い山々が連なっています。

 

東海道線二宮駅を下車、歩いて5分くらいで、吾妻山公園入口に着きます。ここから、しばらく階段を上ります。

 

入口にあった地図です。右下の役場口から入り、左の菜の花畑(吾妻山頂上)まで上ります。そこから今度は、下の梅沢口まで下り、もう一度、吾妻山頂上まで上り直して、最後は役場口に向かって下りていくという経路で歩きました。これもトレーニングの一環です。

 

上っていくと、きれいに手入れされた公園があります。

 

スイセンも満開。

 

吾妻山(136m)頂上。

 

頂上の菜の花畑。右のほうの枯れた木は桜だそうです。

 

小田原の方向、海も見えます。

 

梅沢口に向かって階段を下りていきます。こちらは勾配がけっこうきつくて山っぽいですが、見晴らしはよくありません。

 

中腹にある吾妻神社。

 

梅沢口に着きました。ここからまた上り返します。

 

吾妻山頂上に着き、役場口に向かって下りていきます。ここは、さっきの地図によれば第2展望台といいます。じゃあ、第1展望台はどこ?と思うのですが、地図には出ていません。なぞの第1展望台です。

 

ここからは、東海道線二宮駅や二宮町が見えます。

吾妻山頂上近くには子供向けのアスレチックもあり、うちの娘も小さい時に遊びに来ました。また、折々の植物をいろいろと見ることができる公園です。


大野山に登る

2025-02-22 07:44:17 | 西丹沢

西丹沢の大野山に登ってきました(2025年2月10日)。

低山でいいので、春、秋、冬と年に3回くらいは山に登りたいと思っています。最近では、2024年3月の高尾山、2024年11月の鎌倉アルプス、2025年2月の大野山と登ったことになるので、まあいいペースで来ています。

大野山(723m)は、登山口になるJR御殿場線谷峨駅まで行くのに横浜から少し時間がかかりますが、バスでの乗り継ぎは不要なのでアクセスはまあまあ、低山なのでそんなに気合は入れなくても登れる、はげ山なので晴れていれば山頂からの眺望は最高、とメリットの多いとてもいい山だと思っています。そして、この日は平日に休みを取って行ってきたので、ハイカーも少なく、静かでリラックスした山歩きを楽しめました。

 

ネオアコ・シリーズが続きます。アズテックカメラのアルバム「ハイランド・ハードレイン」のこの曲は、抒情的でドラマチックで大好きです。

The Bugle Sounds Again

 

小田急線新松田駅からJR御殿場線松田駅に乗り換えます。このあたりも山がちな地形です。

 

御殿場線谷峨駅で下ります。右奥のほうに明るく見える山が大野山のあたりだと思います。

 

駅からは、田んぼの間の道を行きます。

 

酒匂川の嵐橋という吊り橋を渡ります。10人しか渡れないこわい橋なんです。

 

低い手摺越しに、おそるおそる下を流れる酒匂川を覗きます。

 

無事渡りました、この橋です。

 

橋の近くには堰が作られていて、奥には東名高速道路が通っています。

 

坂道を上りはじめるとすぐ現れる第○サティアン風の建物。しかし、怪しい施設ではありません。道路公団の建物で、おそらく高速道路の建設やメンテナンス関連の施設だと思われます。

 

山道に入ります。冬だけれど日当たりのよい登り道のため、途中から暑くて汗をかきました。

 

ミカンの木が2、3本ありますが、放棄されているようです。

 

別荘風のお宅が見えます。山の中腹ですが、道路と電気が通っているのでこのあたりには人が住めるようで、他にも何軒か民家がありました。水道はどうなっているのでしょうか。

 

このあたりでクマが出たという話はあまり聞かないのですが、「注意・熊出没」の看板が出ています。クマ除けのベルやスプレーを購入しようかどうかと悩んでいるところです。

 

車道を横切ると、休憩所+トイレがあり、右の登山道を進んでいきます。

 

静かな冬枯れの山。

 

2月15日まで銃猟をするということは、まだやっているということ。クマも怖いけど、狩猟者も怖い。

 

高度を上げてきて、眺望がよくなってきました。小田原のほうですかね、海も見えます。

 

はげ山らしい風景になってきました。もうすぐ頂上かと思いきや、まだまだあるんです。

 

富士山もよく見えています。

 

愛鷹山。

 

これでやっと634(ムサシ)m。まだ、90m!もある。

 

左が東名高速道路、右が建設中の第二東名高速道路。

 

そして、ついに大野山山頂に到着。

 

富士山や、

 

丹沢湖や西丹沢の山々。

 

檜洞丸?

 

蛭ヶ岳?

 

このあたりがてっぺんかな。

 

箱根の大涌谷の煙も見えます。

 

さて、下山します。山北駅に向かうルートで下ります。はげ山の様子がよくわかります。このあたり一帯は、牛の放牧や牧草地として使われているのです。

 

東丹沢のほう、豊かな山塊です。

 

猛禽類が悠然と飛んでいきました。

 

牧場の一つ。ここには入りません。

 

このとても長い階段を下りていきます。標高差100mはあろうかと思われる階段です。

 

ここで、さっきも見た634m地点ですね。

脇には牧草地が広がります。

 

杉林では一部伐採がされています。

 

ニホンジカがいました。写真では、3頭がこちらを見ていますが、6頭ほどいました。こうやって出会うと可愛いのですが、害獣として認識されています。

 

中腹にある共和小学校は、地域の生徒数の減少により、7年ほど前に廃校になったそうです。

ここからだいぶ下ったところで、軽トラに乗ったおじさんが山北駅までなら乗せてくよと言ってくれたので、お言葉に甘えて車に乗せてもらいました。歩いたら20~30分の距離でしたが。小学校の廃校のことはそのおじさんから聞きました。

上りに1時間40分、下りも1時間40分かけて、約2万歩の歩数でした。弱点の右膝は痛くなる直前でなんとか持ちました。ふだんの膝トレーニングをやってはいますが、もう少し頻度を上げねばいけないなと思います。


僕の読書ノート「進化生物学:DNAで学ぶ哺乳類の多様性(佐藤淳)」

2025-02-15 08:17:41 | 書評(進化学とその周辺)

 

本書のタイトルを見ると進化生物学の教科書のように思うが、中身は一般的で網羅的な教科書とは趣が異なっている。瀬戸内地方を拠点にして哺乳類の分子進化学の研究を行っている著者自身の研究史を紹介し、それを一例として、進化生物学の研究の進め方を指南する読み物である。進化生物学の研究を志している高校生や大学生にとって、将来を思い描くための参考になるだろう。一方で、著者の研究のくわしい方法論、とくに近年の遺伝子解析法の解説が書かれているので、分子進化学の教科書的な知識を得るのにも役立つ。

私が読んで気になったところを、章ごとに下記に記録しておきたい。それらは、著者の研究に対する思いも含んでいる。

 

第1章ー美しい島

・レトロトランスポゾンを含めた移動因子は哺乳類の進化において重要な役割を果たしたともいわれており、たとえば、胎盤、乳腺、二次口蓋(赤ちゃんがミルクを飲みながら息をするために必要)の形成においてレトロトランスポゾンが関与していることが示唆されている。乳腺の形成に関わる遺伝子の近くにはLINEが”連れてきた”転写因子結合領域が存在し、遺伝子の発現のオンオフを調節している。

・著者の研究によって、瀬戸内海島嶼のアカネズミのミトコンドリアDNAハプロタイプは共有されておらず、遺伝的分化が示唆された。次世代シークエンサ―を用いたゲノムレベルでの一塩基多型の分析により、海のなかったときに存在した古代河川の豊予川が、瀬戸内海島嶼のアカネズミの遺伝的分化に大きな影響を与えたことが明らかになった。瀬戸内海の島々は進化の研究をおこなうにあたり、大変魅力的なフィールドである。「なぜ、進化生物学を学ぶのか?」それは、面白いからである。面白さを感じずにどうしてこんな面倒くさい研究ができようか?

第2章ー日本列島と進化

・環境の有限性は進化に大きな影響を与える。海峡に囲まれた日本列島は、様々な有限な世界を提供する世界的にも大変興味深い場所である。海外の研究者との共同研究で、世界に生息する生物を研究するのもダイナミックで興味をそそられることではあるが、日本には興味深い生物およびそれを生み出した有限の世界があふれている。

・ただ、日本の生物を題材にする研究に陥りがちなのは、自己満足になってしまうことである。そうならないように、世界に振り向いてもらえるようなテーマをうまく見つけるのがよいのであろう。世界が興味を持つ気候変動や生物多様性の問題に自分の研究を関連づけるのもひとつの手だ。

第3章ー進化の痕跡

・進化の系統は毎回2つずつに分岐していくのが通常と考えられるが、系統樹において、関係性がわからず、3つ以上の系統が同時に分岐していることをポリトミー(他分岐)と表現する。そのなかで、DNAマーカーにおける系統情報が十分ではないために生じたポリトミーをソフトポリトミーと呼ぶ。一方で、本当に3つ以上の系統が同時に分岐していた場合、ハードポリトミーと呼ぶ。

第4章ー退化の痕跡

・もし実験をするときには、必ず実験ノートを取ることになる。これはとても大切な実験結果の証拠となるのだ。しかし、実験機器が出してくるデータをただ貼り付けるだけでは、後で見返したときに、どのようなことだったのか忘れてしまうことがほとんどである(わたしの頭のスペースはきわめて限られている)。そのため、サンプルの詳細や実験の条件などこと細かに書いておくほうが自分のためになる。

第5章ーテクノロジーと進化

・テクノロジーの発展により、処理しなければならないデータ量が格段に増えた。これからは、ゲノムの海のなかから、自分が欲するデータを取り出し、分析する能力が求められる時代となる。このようなバイオインフォマティクスだけで、人生を使い切ってしまうこともできるくらいだ。しかし、今一度、なにを研究したいのかをよく考えてみてほしい。

第6章ーなぜ進化生物学を学ぶのか

・「役に立つかどうかで研究をするべきではない」。なぜならすべての研究のなかから役に立つ研究に焦点をあてると、そもそも研究の視野が狭くなってしまうのだ。また、役に立つ研究は時代とともに変化するため、少し先の未来のことであっても「役に立つかどうかなど、今の社会には分からないことが多い」。役に立たない研究が、異なる時代に役に立つこともあれば、役に立つといい続けた研究が結局、なんの役にも立っていないこともある。社会はまず、すそ野の広い科学を受け入れる度量を身につけなければならない。

おわりに

・なにかに熱中するのに人生におけるステージは関係ない。それまでなんの興味がなくても研究を始めることができる。やってみると好きになることもある。「子どものころから生きものが大好きだった」などと、自分の今を意味づける必要など全くない。大切なのは今の本気度である。

・海外の研究者との交流は、島国では得ることのできない多様な意見を得ることができる。私が得たなかで最も大きいのは、ポーランドの共同研究者であるMieczslaw Wosan教授の言葉である。それは「面倒であると感じたときには、その面倒な方向に正解がある」という指摘であった。要するに、真正面からぶつかり解決していくしかないということだ。人が嫌がることのなかに、きっと生きる道があるかもしれない。なぜなら、他の人たちはそれをしないから。

 


茅ヶ崎城址に行く

2025-02-08 07:38:33 | 遺跡・寺社

茅ヶ崎城址に行ってきました(2025年1月19日)。

 

ドリーム・アカデミーのライフ・イン・ア・ノーザンタウンも冬にぴったりの曲。

Dream Academy - "Life In A Northern Town" (Official Music Video)

 

茅ヶ崎城という言葉はたまに聞くことがあるんだけれど、湘南の茅ヶ崎あたりにあった城だと思っていました。ところがそれは大間違いで、横浜市都筑区茅ケ崎というところにあるので、わりと内陸の城です。横浜市営地下鉄のセンター南駅に近く、センター北駅に近い大塚・歳勝土遺跡からも至近距離にあります。

鶴見川南岸には中世の城跡が多く残り、最近見て廻っているわけですが、茅ヶ崎城は鶴見川支流の早淵川の南側にあります。後北条氏による築城と考えられており、小机城の支城とも見られています。このあたりの城としては、小机城とならんで比較的よく整備され、市民への開放が進んでいる城跡でした。

 

センター南駅から東に歩くと、住宅街があり、その先にある茅ヶ崎城址の小高い森がすぐ見えてきます。

 

この階段から城跡に入ります。

 

ここは茅ヶ崎城址公園として整備されています。

 

今いるのが、赤く示した現在地。まずは、北郭(きたのくるわ)に入って、中郭、東郭、西郭と廻って、北郭を通って、左のほうの正門みたいなところから出ます。

 

このあたりの地図が出ていて、このあたりの町と遺跡群の位置関係がわかります。オレンジ色の茅ヶ崎城址公園があり、その北に先日行った横浜市歴史博物館や大塚・歳勝土遺跡があります。その間に早淵川が流れています。ずっと南のほうには、鶴見川南岸に小机城址があります。

 

これは北郭。平坦になっていて、子供や家族連れがボール遊びなどをしています。

 

中郭。ここが一番広い土地で、建築物の跡が発掘されています。

 

土塁というのは、防衛目的で作られた土手ですね。

 

建物があった跡がわかるように、石を並べて目印にしています。

建物の跡が発掘されたときのようす。穴が開いているところに柱やその土台があったわけですね。しかし説明を見ると、武士たちはふだんは城下に住み、ここは戦のための基地として使われていたということです。

 

このように、郭の間をつなぐ道が遊歩道のように整備されています。

 

これは東郭。

 

ここから、大塚・歳勝土遺跡の森が見えます。

 

ドングリがたくさん落ちています。縄文・弥生時代の食料ですが、アク抜きをすることで今でも食べることができるそうです。

 

西郭。一部は入れなくなっています。

 

空堀。水を入れない堀です。

 

ハトの羽が散乱していました。ネコかカラスに襲われたのか。そういえば、ハトを捕獲して虐待死させる動画をXに投稿していたという川崎のタクシー運転手が捕まりました。なんでも、ハトが自分になつかないから殺したとか。こういう例は、エスカレートして殺人を犯すに至る場合があるので要注意です。

 

ここが正門のようです。ここから出ます。

 

近くには、天台宗の正覚寺がありました。ちょっと鎌倉あたりにもありそうな、境内がよく整備されているお寺でした。

 

本堂は改築中のようで、この信徒会館みたいなところが、本堂代わりに使われていました。

 

センター南駅に戻るとき渡ったこの道は、歴博通りというのですね。もちろん、横浜市歴史博物館の横を通っているからでしょう。右奥には、大塚・歳勝土遺跡の森も見えています。そんなわけで、このあたりは遺跡と歴史の町なのです。


2025年1月の富士山と世界遺産センターなど

2025-02-01 08:04:20 | 長野・山梨・静岡

1月に富士市にある妻の実家に伺った際、世界遺産センターなどを見てきました(2025年1月11日)。

 

今日は、ペイル・ファウンテンズのリーチを。これもかの時代ーポスト・パンク時代ーの名曲。

The Pale Fountains - "Reach"

 

新横浜駅で東海道新幹線こだま号に乗り、天気がよければ車窓から途中の景色が楽しめます。大山がよく見えます。

 

富士山もよく見えています。

 

新富士駅で降りて、駅前から見る富士山。

 

実家まで行く道中で、タクシーの運転士さんにたのんで、外国人がよく来るという富士山がよく見える橋に寄ってもらいました。「富士山夢の大橋」というそうです。

 

下を流れるのは潤井(うるい)川。

 

この迫力。

 

東のほうに愛鷹山も見える。

 

製紙会社などの工場群。

 

妻の実家に着いて一休みした後、義父の車で富士山本宮浅間大社に連れてきてもらいました。静岡県富士山世界遺産センターの外観が見たかったのです。坂茂(ばんしげる)氏の設計です。

 

これです。上にむかって扇形に広がるこの建物はどうやって安定させているのだろう?富士山をひっくり返したイメージ?

 

一の鳥居もフレームに入れてみる。

 

後ろのガラス張りのビルにめり込んでいるような形です。このビルが逆円錐形の構造物を支えているのか?世界遺産センターの中ではいろいろな展示がされているそうですが、ちゃんと見るには時間がかかりそうなので、またの機会にします。

 

右側を流れるのは浅間大社内の池を水源とする神田川。けっこうな流量があります。さっき通った潤井川に合流します。左前方に見えるおもむきのある木造建築は帰りにまた寄ります。

 

二の鳥居と富士山。富士山にかかる雲が増えてきました。ここから神社の中には入らず、引き返します。

 

さっきも見た古い木造建築。昔は宿屋をやっていたようなかんじがします。遠方から富士山本宮浅間大社にお参りに来た人や、いわゆる富士講の人たちが宿泊するのにいい場所ですし。

 

昭和のおもむきの感じられる貴重な建築です。だいじに残してほしいものです。

 

神田川の水は透明度が高いです。富士山の伏流水です。

 

向こう岸に、マガモのような鳥のつがいがいます。この後、妻の実家に戻りました。