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極貧アメリカ留学1970年

2005年11月24日 22時09分59秒 | ギャンブル

1970年、12月、33才でアメリカ、ロスアンゼルスに上陸。

 所持金1000ドル、3ヶ月の旅行ビザ。目的も当ても殆どゼロ。

 大阪万博で一緒に仕事をした、オーストラリア人を訪ねる。彼はUCLAの学生であった。

 私は大阪万博ではEXPO HALLのペイペイのプロヂュウサーで、その時、ハイダイビングのショウで一緒に働いた、彼を訪ねた。

 私自身が独自に開発したボイストレーニング法で、アメリカ人の大歌手を育てる計画であった。

 当時、アメリカは不況で外国人に仕事を与える溶融など全然なかった。

 3ヶ月で帰国。そんな馬鹿な。私には観光などと言う遊びはない。

 唯一長期滞在は学生ビザに切り替えるしかない。

 UCLAは私の実力では歯が立たない。

 日系人を訪ねるも、暗い話ばかりであった。ビザの期限はドンドンなくなる。

 ユタ州のアメリカ人女性を、長距離バスで訪ねる。万博で私がショウを担当した人だ。

 残金600ドル。ビザ残り1・5ヶ月。

 彼女が助けてくれなかったら、万事休すである。

 以下、つずく・・・。 


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