1970年、12月、33才でアメリカ、ロスアンゼルスに上陸。
所持金1000ドル、3ヶ月の旅行ビザ。目的も当ても殆どゼロ。
大阪万博で一緒に仕事をした、オーストラリア人を訪ねる。彼はUCLAの学生であった。
私は大阪万博ではEXPO HALLのペイペイのプロヂュウサーで、その時、ハイダイビングのショウで一緒に働いた、彼を訪ねた。
私自身が独自に開発したボイストレーニング法で、アメリカ人の大歌手を育てる計画であった。
当時、アメリカは不況で外国人に仕事を与える溶融など全然なかった。
3ヶ月で帰国。そんな馬鹿な。私には観光などと言う遊びはない。
唯一長期滞在は学生ビザに切り替えるしかない。
UCLAは私の実力では歯が立たない。
日系人を訪ねるも、暗い話ばかりであった。ビザの期限はドンドンなくなる。
ユタ州のアメリカ人女性を、長距離バスで訪ねる。万博で私がショウを担当した人だ。
残金600ドル。ビザ残り1・5ヶ月。
彼女が助けてくれなかったら、万事休すである。
以下、つずく・・・。
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