しばらく朗読に関するものが続く。
朗読の命は「声」である。
美声とか、いい声ではなく、その人の本当の声を磨いているかだ。
端的に言うと朗読は声で決まる。
特に「地の文」は色をつけてはいけない。
だみ声、かすれ、軋むなどがあれば聞き手はそっちの方に意識が向かう。
耳から入るものでイメージを構築するので、何ミリの狂いも許されない。
もともと声をだめにしたり、出にくい声を絞り出している朗読家は聞き手のイメージを邪魔する。殆どの朗読家がこれだ。
巷の朗読家に一番多いのが「読む努力」を聞き手にあたえる。
もし一生懸命読めば、この努力感が伝わる。しかしこれは聞き手にとっては迷惑極まりない。一生懸命と言うイメージは構築されても、物語の中身とは全然無関係だ。
読み手の個人的事情は全て邪魔になる。
先ず、声を100%磨き上げねばならない。
次に登場するキャラクターを一つ一つ独立させねばならない。子供から老人、動物と少なくとも10種類は必要だ。
難しいのは老人だ。声を押さえたり、喉を押し殺すと声帯を壊す。
中村めい子さんが7色の声といわれていたが、それでも頂点ではない。
しかもキャラクターには喜怒哀楽が全て必要だ。
朗読家の多くはそこに山(朗読教材)があるから上るだろう。しかしその山は精々50mぐらいの盛り土のように低い。
山登りの醍醐味は2,000m、3、000m級ではないか。
だから登る楽しみがあるのだ。
50mの丘に登るのは自己満足だ。聞き手にとっては迷惑極まりない。