70才。役に立つ話が次々現われる。

世界で最低の日本人の声を改善する方法を95%まで独自に確立しました。

朗読裾野広いが、登頂できない

2013年01月31日 22時56分38秒 | Weblog

 

 しばらく朗読に関するものが続く。

 朗読の命は「声」である。

 美声とか、いい声ではなく、その人の本当の声を磨いているかだ。

 端的に言うと朗読は声で決まる。

 特に「地の文」は色をつけてはいけない。

 だみ声、かすれ、軋むなどがあれば聞き手はそっちの方に意識が向かう。

 耳から入るものでイメージを構築するので、何ミリの狂いも許されない。

 もともと声をだめにしたり、出にくい声を絞り出している朗読家は聞き手のイメージを邪魔する。殆どの朗読家がこれだ。

 巷の朗読家に一番多いのが「読む努力」を聞き手にあたえる。

 もし一生懸命読めば、この努力感が伝わる。しかしこれは聞き手にとっては迷惑極まりない。一生懸命と言うイメージは構築されても、物語の中身とは全然無関係だ。

 読み手の個人的事情は全て邪魔になる。

 先ず、声を100%磨き上げねばならない。

 次に登場するキャラクターを一つ一つ独立させねばならない。子供から老人、動物と少なくとも10種類は必要だ。  

 難しいのは老人だ。声を押さえたり、喉を押し殺すと声帯を壊す。

 中村めい子さんが7色の声といわれていたが、それでも頂点ではない。

 しかもキャラクターには喜怒哀楽が全て必要だ。

 朗読家の多くはそこに山(朗読教材)があるから上るだろう。しかしその山は精々50mぐらいの盛り土のように低い。

 山登りの醍醐味は2,000m、3、000m級ではないか。

 だから登る楽しみがあるのだ。

 50mの丘に登るのは自己満足だ。聞き手にとっては迷惑極まりない。