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中古品販売、閉店セール

2012年03月12日 20時16分57秒 | Weblog

 

バスでひと駅は離れた中古品販売店に行った。3月31日で店をやめる。

何かを買ってあげたいと思って店の中を丹念に見たが、買いたいものがない。ジャバラの古いカメラがあったので値段をきくと「2万円は」という。アンチークとして飾るものだ。しかし買う気がしない。

結局、小さな薄いお茶碗を一つ買う。50%OFFなので、50円支払う。

40年以上前の車が店の中に置いてあった。商談に応じるとある。

ほうろうの鍋をかおうとしたら、そこに穴があって、焼売等を蒸す鍋で、下にもう一つの湯沸し鍋が必要で、それが欠品であつた。

値段は500円と安いが、ちょうどはまる鍋をほかで探さなければならないので、やめた。

本来なら、閉店まで何度か足を運ぶのだが、魅力あるものがない。要するに延々と店の中にとどまるような品物が多かった。

潰れるべくして潰れる店とおもった。

客が売りに来るものだけでは回転が悪い。ネットで売れそうなものを落札して、販売するなどの才覚がなさそうだ。年齢は75歳ぐらいで、インターネットを熟知されているとは思えない。

昭和の中期で止まっているような感じがした。

 

 

 


自己防衛しかない。上に従い殺された

2012年03月12日 00時44分13秒 | Weblog

石巻、大川小学校、自己防衛の覚悟があれば、全員生き延びた。すぐ裏手に30mぐらいの小山があったのだ。地震の時、母親から夫にメールが届く「今、大川小に息子といる」と。二人は津波に飲み込まれて死んだ。1年たった今日。父は大川小の現場を訪れ「すぐ裏に山があるではないか、なぜ逃げなかったのかと悔し涙を流した。

義務教育の現場では子供は「人質に取られている」と言われている。校長や教頭に逆らえば子供の将来はないからだ。

それでも母親に連れられて逃げて助かった子供もいる。つまりこの人たちは上に逆らったわけだ。

鵜住居では防災センターに避難して200名近くが死んだ。二階建てで二階の天井から20cmまで水が来た。溺れ死んだり、水の勢いで窓から吐き出されてなくなった。

この防災センターは避難所ではない。だが避難訓練でみんなこの防災センターに集まっていた。避難所は別のところに二箇所あり、それぞれ高台だ。3人に一人は老人なので、避難訓練は高台では辛いで防災センターでやっていた。こんの200名も自己防衛が働けば死なずにすんだ。

「わざわざ死ぬために防災センターに行った」と残った家族は悔しがった。鵜住居地区は何度も津波の被害に遭っている。だから地震だとなれば非難する神経は発達していた。避難訓練に避難してはいけない場所を選ぶ神経が理解できない。

6mから10mのリツパな堤防がある。だから大丈夫と信じて、逃げなかった人もたくさんいた。これも津波に飲まれて死んだ。

生き残ったかぞくはみんな「悔しい、悔しい」を連発した。

福島原発ができたら、よそに引っ越すも、自己防衛だ。

生き残るためには日本は、ここまで自己防衛を拡大させなくてはならなのだ。

こう考えて行くとこの国は地獄のようだ。