石巻、大川小学校、自己防衛の覚悟があれば、全員生き延びた。すぐ裏手に30mぐらいの小山があったのだ。地震の時、母親から夫にメールが届く「今、大川小に息子といる」と。二人は津波に飲み込まれて死んだ。1年たった今日。父は大川小の現場を訪れ「すぐ裏に山があるではないか、なぜ逃げなかったのかと悔し涙を流した。
義務教育の現場では子供は「人質に取られている」と言われている。校長や教頭に逆らえば子供の将来はないからだ。
それでも母親に連れられて逃げて助かった子供もいる。つまりこの人たちは上に逆らったわけだ。
鵜住居では防災センターに避難して200名近くが死んだ。二階建てで二階の天井から20cmまで水が来た。溺れ死んだり、水の勢いで窓から吐き出されてなくなった。
この防災センターは避難所ではない。だが避難訓練でみんなこの防災センターに集まっていた。避難所は別のところに二箇所あり、それぞれ高台だ。3人に一人は老人なので、避難訓練は高台では辛いで防災センターでやっていた。こんの200名も自己防衛が働けば死なずにすんだ。
「わざわざ死ぬために防災センターに行った」と残った家族は悔しがった。鵜住居地区は何度も津波の被害に遭っている。だから地震だとなれば非難する神経は発達していた。避難訓練に避難してはいけない場所を選ぶ神経が理解できない。
6mから10mのリツパな堤防がある。だから大丈夫と信じて、逃げなかった人もたくさんいた。これも津波に飲まれて死んだ。
生き残ったかぞくはみんな「悔しい、悔しい」を連発した。
福島原発ができたら、よそに引っ越すも、自己防衛だ。
生き残るためには日本は、ここまで自己防衛を拡大させなくてはならなのだ。
こう考えて行くとこの国は地獄のようだ。
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