2019年9月22日、京都府立京都学・歴彩館に「戦後京都を設計した男 建築家・富家宏泰生誕 100年記念回顧展」を観に行きました。
2019年9月7日~9月30日まで。9時〜 18時、土日と最終日は 17時まで。無料。
ポスターの写真は京都市立体育館(1963)です。
富家宏泰(とみいえ ひろやす)は1919年〜2007年、香川県生まれ。三高、戦争から生還後、京都大学工学部建築学科卒業後、講師を経て、1952年に富家建築事務所を設立、京都府と京都市の公共建築をはじめ、大学、図書館、ホテル、オフィスビルなどの戦後京都における建築物のほとんどを手掛け、やがて三重県、石川県、千葉県を中心に全国の美術館やスタジアムなどをデザイン、その数2000点以上になります。
そのうち、京都の建築物のパネル写真が約 100点展示されています。大学関係では、京大附属図書館(1981)や立命館大学恒心館(1962)・以学館(1965)、同志社大学、大谷大学の建物、京都第二赤十字病院(1959)など、
↑最近壊された 京都商工会議所(1963)、
↑閉館中の京都府立総合資料館(1961)、
府立体育館(1970)、府立文化芸術会館(1969)、京都新聞社本社ビル(1959)、藤井大丸(1969)、からすま京都ホテル(1980)、カトリック河原町教会(1967)などなど・・・、見覚えのある建物が溢れています。
戦後京都の高度経済成長期の景観を形作ってきた建築の数々、今も残るものもたくさんありますが、ホテル建設ラッシュなどで次々と姿を消していくものもあります。
富家宏泰が多くの建物を建てながら、知名度が低いのは、先鋭的なデザインが少なく、建築家の主張を出さないおとなしいデザインが多いことがあるかもしれません。しかし、京都市民にとってはなじみの深い景観を作ってきた建築家でした。