ビバさんのさんぽ道

みやこの建物、お庭、お花、あれもこれも見てみたいと欲張りビバさんがでかけます

鴨沂高校体育館と鴨沂会館

2013-11-21 21:07:30 | 建物(京大以外の京都府の)
鴨沂高校本館のあるキャンパスから荒神口通りを横切って北側に渡ると、運動グラウンドと体育館、温水プールがあるキャンパスがあります。


体育館は、1934(昭和9)年築。鉄骨鉄筋コンクリート造2階建。




右(東)側から見たところ。



左(西)側から。丸い窓とカーブのデザインがあちこちに取り入れられていてモダニズムらしさを表しています。



本館のあるキャンパスと運動場エリアを繋ぐ地下道の出入口は、鉄筋コンクリート造で半円形、円柱を持つ珍しい造形です。
半円の足元はベンチになっていて、運動の途中で休む場所になるでしょう。



校舎側へ渡る地下道の入り口は今は封鎖されています。




体育館の裏側には屋内プールもあります。
プールは1933(昭和8)年に校舎改築計画の第一弾として竣工されたもので、ボイラーを備えた府下校舎では初めての温水プールでした。



スクールバスがありました。
実は、ここの運動場だけでは狭すぎるので、鴨沂高校運動場は紫野にもあり、スクールバスで往復していたのです。
ところがその運動場が他校に譲渡されることになっていて、鴨沂高校のグランドがここだけになってしまうことになり、それでは今ある体育館もプールも壊されることになるのではないかと懸念されるのです。もし、そうだとしてもやはりここだけでは狭すぎる。どうなるのでしょう?






グラウンドの東側に立つ鴨沂会館は京都府立京都第一高等女学校の卒業生団体である京都鴨沂会の会館です。
1936(昭和11)年築、鉄筋コンクリート造3階建。



こちらも設計は十河安雄で、昭和のモダニズムの香りがする建物です。


昭和初期の最新の学校施設がまとまった形で残っている貴重な施設群です。
何とか壊さないで残してほしいものです。




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鴨沂高校の図書館と作法室・茶室

2013-11-21 20:47:43 | 建物(京大以外の京都府の)
鴨沂高校正門の南側、寺町通りに接して建てられている図書館です。


建てられたのは、1938(昭和13)年。昭和8年から始まった一連の校舎改築の最後に出来上がった建物です。
鉄筋コンクリート造2階建モルタル仕上げで、落ち着いた色調のモダニズムデザインです。



円く張り出した部分の内側は階段室です。



閲覧室だった部屋。




書庫の中の本も全て移転されてしまっています。



本館の東側に回ると和風の建物があります。

女紅場時代の九条家の建物がそのまま残っている作法室と、



お茶室です。

山本八重さんがここでお茶を淹れられたのですね。



作法室の中にも炉が切られていて、高校生の茶道修行に使われてきた所です。

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京都府立鴨沂高校の建物を見学する

2013-11-21 00:35:12 | 建物(京大以外の京都府の)
建て替えが予定されている京都府立鴨沂(おうき)高校の校舎を見学する機会がありました。



河原町荒神口から西へ、京都御苑の東寺町通りに面して西に向かって建っている純和風の門が鴨沂高校の正門です。

この門は、鴨沂高校の前身である「京都新英学校及京都女紅場(にょこうば)」が明治5年に丸太町通り土手町にあった九条家河原町邸の屋敷を利用して開校した時からのものです。
明治33年に現在地に移転してきた時にこの門も移築されてきました。

女紅場と言えば、新島襄の妻、八重が教育に携わったということで、今大河ドラマでも有名になった日本初の公立女学校です。元あった場所の鴨川丸太町橋の西のたもとに「本邦高等女学校之濫觴 女紅場址」の碑がたっています。

この学校は明治37年に京都府立第一高等女学校となり、昭和23年に新制の府立鴨沂高等学校となりました。



「京都府立鴨沂高等学校」



門脇に立つ「明治天皇行幸所京都府尋常中学校」の碑。



ウィーンの森。

玄関の南側にある木々が繁った庭。ベンチに座ってお弁当を食べたり、放課後に友達とおしゃべりしたりと、生徒たちの憩いの場になっていたことでしょう。


本館は昭和10年に完成したコの字型の建物で、教室や職員室のほか講堂、食堂もこの校舎の中にあります。
本館は御所に向かって西を向いて建っていて、鉄筋コンクリート造三階建て、中央の和風の屋根が特徴的です。
設計は京都府営繕技師、十河安雄。




玄関入口部分の重厚な構え。





左右のコの字部分には、南棟には主に普通教室、北棟には部活動室、食堂等、とてもたくさんの部屋が並んでいます。
普通教室の他に、生物・化学・物理・調理・音楽・書道・情報等の目的別の部屋とそれぞれの準備室が揃っていて、教育環境が整えられていたことがわかりました。


部室の中には軽音楽室もあり、もしかしたらジュリーもここで歌っていたかもと思いました。



建物の裏(東)側から見たところ。ところどころに曲線のデザインが取り入れられていて、モダニズムを感じさせられます。




校長室には造りつけの棚が。



廊下。




教室。




こんな古い教壇が残っている教室もあります。




階段。



袴をつけた女学生が登り降りしやすいように、段の高さは低いものとなっていて、永年の使用の間に木がすり減っています。



階段の手すりには曲線が取り入れられています。




階段踊り場に手洗場があります。




三階中央にある「講堂」。
昭和12年には、ヘレン・ケラーが来校し、ここで講演会が開かれたそうです。



とても広い空間で、両側上部に小さなアーチ窓が並んで明り取りの役割を果たしています。




老朽化、耐震化のために建て替えるということで、高校の授業は別の場所で行われていますが、見学会で見てみると、今でも十分に使える建物のようでした。
新しい校舎のプランもできていないのに、拙速にとり壊してしまうよりも、むしろ登録有形文化財として保存することはできないのでしょうか。
耐震強度も再度十分に調べ直して、歴史的にも、建築文化的にも貴重なこの建物をできるだけ残して改修・使い続けていってもらいたいものです。

卒業生達の中から鴨沂高校の校舎を考える会が立ちあがって、在校生達に迷惑をかけないように配慮をしながら、署名運動にも取り組んできています。


鴨沂高校の建物見学の記事はまだ続きます。

コメント (4)
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