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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「構造改革」の基本的考察 『経済学を知らないエコノミストたち』野口旭(著)

2006年07月08日 | Book
昨日のエントリでは野口旭さんの『経済学を知らないエコノミストたち』(2002)における、90年代後半のアジア通貨危機についての議論を紹介しました。今日は「構造改革は不況を克服しない」という著者の議論について。

「構造改革」については、最近の景気回復を構造改革の成果と見る人もいるし、格差拡大の原因を構造改革と見る人もいます。非正規雇用を小泉さん・竹中さんの政策が増やしたと言うのなら経済成長と格差拡大の原因の一つは構造改革だと言えると思います。


もう6年も前の議論ですが、野口さんは、当時の不況の実態は、供給が需要を上回っているからとみます。しかし構造改革とは規制で守られた非効率な企業や産業の合理化・淘汰によって経済の資源配分を改善する供給構造の改革です。これでは供給の能力は上がるかもしれませんが、不況の原因は需要不足なのだから、問題解決には至らないことになります。

むしろ必要なのは(だったのは)、政府支出の増大、あるいは金融緩和で民間投資を活発化させることだと著者は言います。

私の印象では、これは一見筋の通った議論に見えるのですが、需要と供給のミスマッチという問題が、現実の消費者の心理・行動の分析を介されずに考察されているように思えます。

たしかに需要を増大させる財政政策が機能すれば供給に需要は追いつきます。しかし財政政策による需要掘り起こしというのは、一時的なショックを与えるもので、持続的に消費者を消費に駆り立てるものには思えないのです。

これは感覚的な印象なので論理的な反論ではないのですが、「公共工事」や「民間投資」の活発化は一時的に数字上の経済改善を示します。しかしこうしたハード面の充実は、消費者のマインドにある「必要・欲求」に訴えているのではなく、一時的な金銭の享受をもたらすだけであり、それによって生活者がこの先何年にもわたって経済活動と消費を持続させていく要因にはなりえないように思います。

無駄な道路を作ることで一時的に土建屋は潤います。現在も「構造改革」の裏で自民党議員は多くの道路建設を申請していますし、「構造改革」の実態は財政赤字の増大です。

しかし長期的なニーズのない道路を作ることで一時的に地方経済が潤っても、その地方経済が来年にも潤うのはまた財政政策という人為的な施策にたよらなくてはなりません。そこでは自律的に消費者の欲求・必要を掘り起こす努力がないので、生活者の消費欲求にかなった経済活動はいつまで経っても発生しないことになります。

池田信夫さんは野口さんの議論に対して「問題が単にGDPを上げることなら、インフレ目標などという危険な手段よりも公共事業のほうが手っ取り早い。そんな目先の対策ではどうにもならないから、構造改革が論じられているのだ。」と指摘していますが、それも同じことを述べているのだと思います。

「構造改革」という空虚な記号は批判されるべきだとは思います。ただ、財政政策という一時的なショック療法によるお金のばら撒きではなく、自律的な経済活動による消費者の必要・欲求の掘り起こしという活動を発生させるという目的に沿うならば、やはり構造改革は必要なのだと思います。私自身は、小泉さんや竹中さんがそうした経済活動を活性化させる施策を行ってきたとは聞いたことがありません。


野口さんの議論でもう一つ私が印象に残ったのは、「国の債務は本当に問題なのか?」というもの。これは増田俊男さんもつねづね言っていたことです(例えば「国の借金は少なすぎる!」時事直言7月3日)。

要するに野口さんも増田さんも指摘するのは、政府の債務は民間にとっては資産であり、それは利払いが滞らない限り将来にわたっても資産として保有されるということです。

とりわけ日本の国債の保有は90パーセント以上が日本人なので、その保有者がいきなり国債を手放して自分の国の財政を破綻させるという行動を取ることは考えられません。それに対しアメリカの国債は日本やドイツなど海外に多くの保有者が占めていると聞いています。

では結局は財政政策がいいのか構造改革がいいのかという問いになると、当たり前の話ですが、こういう二者択一で考えるようになったことが現在の私たちの問題でしょう。

構造改革については、適正な資源配分という点で、例えば日本で中小企業対策が活発化される必要があり、財政政策については、郵便局の簡易保険や郵貯口座といった国民に平等に与えられるサーヴィスは維持されるべきだったのではと思います。