joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

バレエ 『ピーターラビットと仲間たち ザ・バレエ』

2006年07月13日 | バレエ
映画『エトワール』を観て以来、少しずつバレエのビデオを借りたりして観ているのですが、先日は英国ロイヤルバレエ団の『ピーターラビットと仲間たち』のビデオを借りました。

DVDでも出ているんですね。『ピーターラビットと仲間たち ザ・バレエ』『ピーターラビットと仲間たち ザ・バレエ BOX』の二つ(内容は同じ)が出ているんですね。値段は少し高めです。私がよく行くレンタル店にはビデオが置いてありました。

内容は、ご存知ベアトリクス・ポターの『ピーターラビット』のいくつかのお話をバレエにしたもの。私が知っているお話もいくつかありました。

よかったですよ。最初観た時はごつい被り物を着たダンサーがたどたどしく踊っているように見えたのですが、二回、三回と見ているととても計算され洗練された踊りをダンサーがしているように見えました。

私はバレエに関しては素人なのですが、こういう被り物を着たダンサーの踊りを見ることは、逆にバレエのよさが素人の私にも伝わりやすいんじゃないかと思いました。

ほら、バレエって素人のイメージだと8頭身の美男美女が踊るというイメージがあって、踊りと同時のその容姿にも目が行くんですが、このビデオのようにネズミやら豚やら帰るやらリスやらの被り物を着たダンサーの踊りを見ていると、それらダンサーの細かなしぐさやダンスに注意が向いて、踊りそのものを楽しめたように思います。

細かい手足の動きがすごくユーモラスに計算された動きをして、ポターの絵とお話の世界観をすごく上手く伝えているように思います。30年前以上前に作られた映像ですが、当時大ヒットしたのも頷ける内容です。バレエをよく知らない人が見ても楽しめると思います。私も楽しんだんですから。

一週間のレンタル期間で三回観たけど、見るごとに細かな動きが理解できて楽しめました。もっと観ればもっと楽しめるかもしれません。バレエってそういうものなのかもしれません。音楽と同じように、観れば観るほど発見があって感動する。映画のDVDは買う気になったことはほとんどないけれど、バレエというのは音楽と同じで観れば観るほどどんどん楽しめるジャンルなんでしょうね。


涼風

人がいる場所

2006年07月12日 | 日記


自分はふだんは多くの人がいるところに出かけないし、そういう場所はとても苦手です。自分の居場所(心理的なものも含め)を確保するのに四苦八苦するので、あまり楽しめない。

しかし先日は久しぶりに複数の人がいる場所に出かけました。と言っても“みんな”と話したわけではなく、人と話すときは1対1なのですが。

たった一人の人と会うのは方がラクだと思っていたし、実際にそうなのですが、そういう会い方しかしていないと、低い方にばかり流れるというか、人と会うときはいつもリラックスするだけということになるのかもしれません。いや、リラックスして人と会うことはいいことなんですが。

ただ、それだけではなく、たまには人が複数いる場所に出かけるのもいいかもしれません。たとえそこでも1対1でしか話さなくても、たくさん人がいるという場所の雰囲気を味わうことも精神的にいい作用をもたらすように感じました。


涼風

都会に出る

2006年07月11日 | 日記


昨日は久しぶりに大阪に行きました。大阪はやっぱり都会ですね。神戸と違って。なんだか怖い感じがする。

とにかくビルがたくさん建っていて歩いていても建物の威圧感で押し潰れそうになる。そういう中で、どういう背景を背負って生きて来たんだろう?という疑問をもってしまうような雰囲気・風貌の人を見かけます。

神戸だとこうはいかないんですね。どういう人であろうと、みんな神戸近辺に家があって仕事か買い物で待ちに出てきているんだろうと想像できます。でも大阪だと、ちょっと怖い感じの人、べつにヤクザとかそういう意味じゃなくて、勝手にこっちが恐怖感をもっているんですけど、なんだかよくわからないなぁと思ってしまう人を見かけます。

後、ビルも巨大で並んでいるので、なんだか公的・経済的権力のパワーを感じて威圧されます。

大阪駅は相変わらず汚いのですが、それでも改築の成果が出始めてきれいになっている部分もあります。街中も最近はたくさん「カフェ」が並んでいます。

久しぶりに人と会って話をしたりしましたが、以前から知っている人は元気そうで、昨日初めて会った人とも初めてとは思えない感じでいろいろ話をしました。楽しかったです。

JR大阪駅から実家の最寄り駅の朝霧まで帰るときは、各駅停車で帰りました。およそ1時間ぐらいだと思います。新快速や快速より遅くなりますが、スピードがゆっくりなので疲れないし、なんと言っても空いているので簡単に座れます。本もゆったりした感じで読むことが出来ます。たとえ新快速に乗ってもトータルでは意外と10分とか15分ぐらいしか変わらなかったりするので、書類を読んだり、疲れを取ったりするには、意外と各駅停車はおすすめです。でも、東京だと各駅でも混んでいるので大変ですよね。


涼風

事象の固有性に耳を傾ける

2006年07月10日 | reflexion


本屋を覗いたりテレビを見たりすると、つねに多くの論者が床屋政談を講じています。そのケバケバしい雑誌のタイトルや、ただわめいているだけの討論番組を見ていると、この人たちにとっては自分をアピールすることが一番大事で、誰にとってその問題の解決が重要なのかなど全く考えていないように見えます。

たとえ評論家やフリーライターという職業柄、そうやって派手派手しく騒ぐのが職業とはいえ、扱っている問題は世間みんなに該当すると思っているのですから、もっと静かに話したり書いたりできないだろうかとも思います。

しかし、大学教授や精神科医といった、組織に所属して収入が安定している人でも、そういった雑誌やテレビに登場して大声で自説を主張します。言っている内容を理解する以前に、雑誌にしてもテレビにしても、体裁がコマーシャリズムにのっとってセンセーショナルに消費者を惹きつけるようになされているので、受け取り手は最初から冷静にその議論を聞く気になれません。

学者やお医者さんが専門家として自説を述べること自体はいいことのはずです。一般の人は忙しくて時間が無いからこそ、彼らには専門家として考えてもらうために、社会は彼らの存在を尊重しています。

だからテレビや雑誌というメディアで専門家が出てくることは、本来は必要なことだし、当然あってしかるべきだし、むしろ何も言わなければ逆に専門家の存在意義は何なのだろう?と疑問に思います。

にもかかわらず、現在の雑誌やテレビへの専門家のコメントは、どこか浮ついたものに感じます。

精神科医が本を書くことはいいことなのだと思います。でも、なぜ殺人事件に対して新聞に数行のコメントを載せるのか、分かりません。ある人が犯罪を犯すに至った動機を数行で片付けることは、その犯罪を行った人の人生にコミットしていないことではないでしょうか。精神科医の仕事は、おそらく一般論で括りきれない個々人の人生の背景に踏み込んで、その患者さんの人生を手助けすることでしょう。

そうする中で、人間の心理に関するいくつかの一定のパターンを見出して本に書いたりすれば、それは読者にとっても助けとなるのだと思います。しかし中には、最初からパターン化された診断を事件に当てはめて新聞にコメントを出しているような精神科医の人もいるように思えます。

患者その人の固有の声を聴くことがその人の仕事のはずなのに、人それぞれの固有の声(たとえ内容は同じでも)を聴かず、最初から自分の診断パターンを当てはめるだけだと、結局はそのお医者さんは目の前にいる人を“人間”としてみていないことになります。

精神科医にしても学者にしても、扱っている事象の固有性に耳を傾けてこそ、その事象を論ずるだけの落ち着きと真剣さが生まれるのだと思います。


Takeshi NAKANISHI

ジダン

2006年07月10日 | スポーツ


というわけで今回のユーロ2006はイタリアの優勝で終りました。僕は今朝起きたのが6時。試合は3時からなのでもう終っていると思ったのですが、下の部屋で父親がテレビでサッカーを見ていたので「あれっ?」と思いました。見てみるとPK戦。

PK戦にはドラマはありませんでした。ブッフォンはPKについては読みを当てるのが上手くないのかな?それとも当たらないのが普通なんでしょうか。結局両者合わせてトレセゲがポストに当ててしまっただけで、みんな当たり前のようにきっちり決めました。

でもジダンという名手がPKにいなかったのは残念でしたね。ポルトガル戦のPKは、僅かな助走からサイドネットを揺らす強烈なシュート。ポルトガルのキーパーも完全に読んでいて、ボールの方向にかなり反応良く飛んでいたのですが、それでも取れませんでした。サイドネットを揺らすゴールをきつく蹴れば絶対に止められないと確信しているかのようなジダンのPKでした。

試合は見ていなかったので何ともいえませんが、ジダンの退場は後から聞いてもショックでしたね。ああいうことになっては、ジダンもイタリアの選手も後味が悪いんじゃないでしょうか。マラドーナ以来の最高の選手と言われている人の最後の試合だったのですから。

僕はマラドーナのプレーをほとんど知らないし、ジダンについても普段のリーグ戦は(スカパーとか入っていないので)ほとんど見たことがありません。でもユーロ2000や普段のダイジェストで見ることのできた彼のプレーは、本当にうっとりさせられます。

顔はごつい人ですが、体はとてもバランスの取れた体型をしている人です。足も長く背も高い。その体がドリブルをすると非常に安定した動きをし、ボールが足に吸い付いたようになります。そして誰もが予測のつかないフェイント・ターン・パスを繰り出します。

ジダンがボールをもつと、周りが一生懸命サッカーをしている中で、彼一人がダンスを踊っているようになるのです。他の選手と彼の体の中にはべつの時間軸が流れているようでした。みんなが大慌てでボールを追いかけているのに、ジダンがボールをもつと突然優雅な音楽が流れて時間がゆっくり流れていくようでした。

ロナウジーニョもロナルド(ポルトガル)もテベスもメッシもロッベンも、みんな鋭いドリブルをします。でも彼らはみんなサッカーをしています。ジダンは違うんだな。彼はボールをもつと踊り出すんです。

ジダンのドリブルのフォームはとても美しい。体の重心がブレず、大股のスライドなのにボールが足に吸い付いています。

今回の退場劇に無念を感じた彼が、もう一度思い直して・・・ということにはならないかな、やっぱ。


涼風

「構造改革」の基本的考察 『経済学を知らないエコノミストたち』野口旭(著)

2006年07月08日 | Book
昨日のエントリでは野口旭さんの『経済学を知らないエコノミストたち』(2002)における、90年代後半のアジア通貨危機についての議論を紹介しました。今日は「構造改革は不況を克服しない」という著者の議論について。

「構造改革」については、最近の景気回復を構造改革の成果と見る人もいるし、格差拡大の原因を構造改革と見る人もいます。非正規雇用を小泉さん・竹中さんの政策が増やしたと言うのなら経済成長と格差拡大の原因の一つは構造改革だと言えると思います。


もう6年も前の議論ですが、野口さんは、当時の不況の実態は、供給が需要を上回っているからとみます。しかし構造改革とは規制で守られた非効率な企業や産業の合理化・淘汰によって経済の資源配分を改善する供給構造の改革です。これでは供給の能力は上がるかもしれませんが、不況の原因は需要不足なのだから、問題解決には至らないことになります。

むしろ必要なのは(だったのは)、政府支出の増大、あるいは金融緩和で民間投資を活発化させることだと著者は言います。

私の印象では、これは一見筋の通った議論に見えるのですが、需要と供給のミスマッチという問題が、現実の消費者の心理・行動の分析を介されずに考察されているように思えます。

たしかに需要を増大させる財政政策が機能すれば供給に需要は追いつきます。しかし財政政策による需要掘り起こしというのは、一時的なショックを与えるもので、持続的に消費者を消費に駆り立てるものには思えないのです。

これは感覚的な印象なので論理的な反論ではないのですが、「公共工事」や「民間投資」の活発化は一時的に数字上の経済改善を示します。しかしこうしたハード面の充実は、消費者のマインドにある「必要・欲求」に訴えているのではなく、一時的な金銭の享受をもたらすだけであり、それによって生活者がこの先何年にもわたって経済活動と消費を持続させていく要因にはなりえないように思います。

無駄な道路を作ることで一時的に土建屋は潤います。現在も「構造改革」の裏で自民党議員は多くの道路建設を申請していますし、「構造改革」の実態は財政赤字の増大です。

しかし長期的なニーズのない道路を作ることで一時的に地方経済が潤っても、その地方経済が来年にも潤うのはまた財政政策という人為的な施策にたよらなくてはなりません。そこでは自律的に消費者の欲求・必要を掘り起こす努力がないので、生活者の消費欲求にかなった経済活動はいつまで経っても発生しないことになります。

池田信夫さんは野口さんの議論に対して「問題が単にGDPを上げることなら、インフレ目標などという危険な手段よりも公共事業のほうが手っ取り早い。そんな目先の対策ではどうにもならないから、構造改革が論じられているのだ。」と指摘していますが、それも同じことを述べているのだと思います。

「構造改革」という空虚な記号は批判されるべきだとは思います。ただ、財政政策という一時的なショック療法によるお金のばら撒きではなく、自律的な経済活動による消費者の必要・欲求の掘り起こしという活動を発生させるという目的に沿うならば、やはり構造改革は必要なのだと思います。私自身は、小泉さんや竹中さんがそうした経済活動を活性化させる施策を行ってきたとは聞いたことがありません。


野口さんの議論でもう一つ私が印象に残ったのは、「国の債務は本当に問題なのか?」というもの。これは増田俊男さんもつねづね言っていたことです(例えば「国の借金は少なすぎる!」時事直言7月3日)。

要するに野口さんも増田さんも指摘するのは、政府の債務は民間にとっては資産であり、それは利払いが滞らない限り将来にわたっても資産として保有されるということです。

とりわけ日本の国債の保有は90パーセント以上が日本人なので、その保有者がいきなり国債を手放して自分の国の財政を破綻させるという行動を取ることは考えられません。それに対しアメリカの国債は日本やドイツなど海外に多くの保有者が占めていると聞いています。

では結局は財政政策がいいのか構造改革がいいのかという問いになると、当たり前の話ですが、こういう二者択一で考えるようになったことが現在の私たちの問題でしょう。

構造改革については、適正な資源配分という点で、例えば日本で中小企業対策が活発化される必要があり、財政政策については、郵便局の簡易保険や郵貯口座といった国民に平等に与えられるサーヴィスは維持されるべきだったのではと思います。


アジア通貨危機の基本的考察 『経済学を知らないエコノミストたち』野口旭(著)

2006年07月07日 | Book
経済学者の野口旭さんが書いた『経済学を知らないエコノミストたち』(2002)を読みました。もう4年も前の本です。取り上げられている話題は

1 資本の国家間移動は「悪」ではないこと
2 「構造改革」は不況を克服しないこと
3 デフレはつねに有害であり量的緩和が必要であること

の3つです。

1については、アジア通貨危機の余韻が残るなかで書かれていて古い議論にも見えますが、「ハゲタカ」という言葉がとりあえず今の日本でキャッチフレーズとして流通していることを考えると、今でも重要な問題だと思います。

2は、現在の日本の不況克服が「構造改革」に拠るのか否かを考える上では示唆に富む議論かもしれません。

3は、現在は量的緩和が逆に解除されようとしていることを考えると、古い議論かもしれません。ただ、物価下落が現在のグローバルなネットビジネスの隆盛によって不可避となるのか、あるいは金融政策自体でコントロールできるものなのかは、つねに議論の的になるようにも思えます。


今回のエントリでは1への感想を述べます。1に関しては、野口さんは資本の自由な国際移動は一部の論者が言うようなアメリカ経済界の利害によるものではなく、規制する根拠はないと主張します。

野口さんの説明では、金融市場で行われる資金貸借とは将来に実現すると「期待」される収益の見込みに基づいており、不可避的にリスクが発生します。またそこには貸し手と借り手の間の「情報の非対称性」、「モラルハザード」「資本取引における期間のミスマッチ」「群衆行動に基づく資産価格の不安定性と伝播効果」があるために、「金融市場特有のパニック現象」が起こります。

しかし、貯蓄主体から投資主体への資金移転という資金貸借自体は経済厚生にとって不可避なため、資本移動それ自体を規制することはできません。したがって「われわれの経済は、金融システムが崩壊しないようになだめすかしながら存続していく以外はない」という結論になります(107頁)。

これだけの説明では、現実に南米あるいはアジア通貨危機により多くの民が貧困に追いやられた現状を鑑みると、では「通貨危機」というものは不可避なものかと考えるとやるせなくなります。

ただ野口さんは、アジア通貨危機の一番の原因は、当時のアジア諸国がドルと連動させた固定為替相場を取っていたことに求めます。

ある国が固定為替相場を採用している場合、「何らかの要因」で外貨準備を減少させると、将来的には固定為替相場を維持することが不可能になることが予見されます。そのとき投機家は、通貨下落後に買い戻すことを念頭にその国の通貨を売却し始めます。過大評価された通貨に空売りを仕掛け、安くなったところで買い戻せば利益が出るからです。

野口さんはこういった通貨の売り浴びせ=投機アタックは固定為替相場制に固有なものであり、変動為替相場には無縁だと述べます。そこから、「通貨危機」という現象自体は国際資本移動の必然的な産物ではなく、固定為替相場が原因であることを強調します。

wikipediaでも、アジア通貨危機の原因は、輸出主導型の経済成長路線を採っていたアジア諸国において、ドルと連動した通貨がドル高と共に値上がりしたために貿易が不調になり、その経済パフォーマンスと通貨価値の評価にギャップが生じたと投機家が判断したために空売り攻撃が生じたと説明されています。

(wikipediaの原稿は、なぜ執筆者の名前の開示を義務付けないのだろう?)

野口さんのこういう見解は、現実に対して距離を取った中立な態度だと言えますが、一方ではこういった空売り攻撃を行う投機家の行動を疑問視しないことに、科学の倫理という問題は発生しないのだろうか?という疑問も生じます。

変動相場制自体が、元々は金準備を維持できなくなったアメリカが一方的に世界に押し付けた為替制度です。アメリカの金準備と引き換えに日本とドイツを始め世界各国はドルを保有していたのですが、変動相場制への移行により、各国はそれまで保持していたドルの価値を下げさせないために、ドルを買い支える義務を半永久的に強いられているのが変動為替相場制です。そのためアメリカは、どれほど貿易収支が赤字になろうとも、通貨が下落することはありません。

投機家の群集的な行動とは、経済パフォーマンスに基づいているというより、野口さんが述べるように、経済パフォーマンスの行く末への「期待」「見込み」に基づいています。

以前に紹介した経済学者の本山美彦さんの『売られるアジア』は、この欧米の投機家の行動に潜むあるべき経済の姿に関する固定観念を問題にしていると言えます。

つまり、国民の高い貯蓄率・高い企業の負債比率・銀行と企業と政府の協調・国家的産業戦略といったアジア諸国の開発戦略を、悪しき縁故主義的経済体制と見る欧米の投機家・経済学者の「偏見」が、アジア各国の通貨に空売りを浴びせかけた原因の一つであるのではないかという問題提起を行っています。

こうした「偏見」と、95年以降のドル高(これは米財務省と日本大蔵省との合意により、円安によって日本の輸出を活性化させるために図られた。その見返りに日本はアメリカの財務省証券を購入する。)によってドルとペッグさせていたアジア諸国の通貨の大幅な切り上げ・貿易不振が結びつき、投機家はアジアからの資金の引き上げを行いました。

国際経済学の教科書では、この事態を「固定為替相場制に付随する現象」と冷静に記述するのかもしれません。しかし見方を変えれば、それは世界の中の一部の投機家の群集心理が多くの民衆の経済生活を傷つける非合理な状態だとも言えます。

経済学者が考えるべきことは、こういうシステムを前にして、まさに野口さんが言うように「金融システムが崩壊しないようになだめすかしながら存続」させる有効な方策を考えることだと思います。



参考:『売られるアジア―国際金融複合体の戦略』本山美彦(著)

   『国際通貨体制と構造的権力―スーザン・ストレンジに学ぶ非決定の力学』

   いちばん基本的なこと 『2004年超円高大好況!』増田俊男(著)

2006年07月05日 | 日記

わたしは18歳まで実家で暮らし、その後ずっと家を離れて、今また両親と暮らしています。

一人暮らししていた間は、夏は蚊取りマット・線香は欠かせませんでした。実家に帰ってきても自分用に毎年液体の蚊とり器具を買っていました。

でもふと気づいたのですが、そんなものを使っているのは私ひとりです。そこで思い切って母親に蚊取り線香やマットを使っているか聞いてみると、そういうものは今まで使ったことがないと言うのです。

「蚊が来れば手で殺せばいい」

手で殺せばいいのはやまやまですが、それでも次から次へと来るのが蚊だし、寝ているときなどは刺されてから目が覚めたりします。ひょっとしたら、そんな経験が両親にはないということなのでしょう。

ネットで調べてみると、蚊に刺されやすいのはお酒を飲む人(これはよく聞く)とO 型の人だという噂が一般的なよう。僕はお酒はほとんど飲まないけど、血液型はO型だ。これが関係しているのかな?

しかし、蚊取り線香などの類をまったく使わずにずっと生きてきた両親もすごいと思う。世の中には蚊に悩まされる人とそうでない人がいるということなのだろうか。これは花粉症に悩まされる人にとっての人生・世界とそうでない人の人生がまったく違うというのと似ているのかもしれませんね。

僕は春頃に花粉症にかかったことは一度もありません(ただ、東京に住んでいたときに、なぜか8月頃に眼のかゆみと鼻水に悩まされました)。

ドイツで過ごした夏では蚊にはまったく遭遇しなかったなぁ。やっぱり湿気と関係するのかな。アメリカとか場所によって蚊が多いそうですね。やはりキンチョーやアースやフマキラーは海外法人をもっていて、「キンチョーの夏、アメリカの夏」って英語で言っているのかな。


涼風

軽井沢

2006年07月04日 | 日記


今年の夏は、もう7月に入っているというのに、それほどは暑くならないですね。たしかに陽射しはきついのですが、部屋の中ではまだクーラーを点けようというモチベイションは湧きません。

しかし、クーラーがなければ日常を過ごせないというのも異常な世界ですね。昔はクーラーなんてなかったのに。

クーラーの効用は、暑さによる疲労が取れること。これがあるからクーラーはやっぱり有難いです。

逆に、クーラーをつけることで、僕なんかは気分的にもっと“暑さ”を感じてしまうことがあります。無理やり人工的な空間を機械によって作り出している感じがして、異常な世界にいる感覚になってしまうのです。

昔9月に軽井沢近くに行ったことがあるけれど、そのさわやかな気候にびっくりしました。8月でもあそこはあんなに涼しいのかしら。

軽井沢駅はなんだかチャラチャラしてミニ東京を思わせる滑稽な雰囲気ですが、森林の中なんかはほんと気持ちよかった。あそこに別荘を建てる人が多いのも頷けます。


涼風

女の子と方言

2006年07月03日 | 日記


イ・ヨンエの韓国語を聞いていると、韓国語というのはそよそよと流れる川のようで気持ちいいなぁと思えてきます。

最近ニュース番組である団体の韓国女性のインタビューを聞いて、やっぱりそよそよと流れる川のように感じて、やっぱり韓国語っていいなぁと思いました。

でもこれって、よく男のアイドルが「女の子が話す関西弁が好きです」とか言うのと同じじゃないだろうか。要は、関西弁(韓国語)そのものよりも、女の子が話していることが重要だったりする。


涼風

「16・7世紀におけるヨーロッパの魔女熱狂」 H.R.トレヴァー=ローパー(著)

2006年07月02日 | Book
英国の歴史学者H.R.トレヴァー=ローパーの『宗教改革と社会変動』(未来社)には3本の論文が収められていますが、これまでそのうちの2本「宗教・宗教改革・社会変動」「啓蒙主義の宗教的起源」を取り上げましたが、今日ご紹介する「16・7世紀におけるヨーロッパの魔女熱狂」は最後の3本目の論文です。

歴史学者にとって著者のスタイルはジャーナリスト的かつ論争的で、評価はさまざまだそうですが、この1972年に出された論文集はなかなか興味深かったです。

もともと私がこの本を手に取ったのは、中井久夫さんの『分裂病と人類』でこの本が参考文献として言及されていたからです。中井さんは『分裂病と人類』のなかで、宗教改革とピューリタニズムが西欧のエートスと思考パターンに及ぼした影響を重視しているので、トレバー=ローパーのこの本がどれほど中井さんの参考になったのかを確認しようと思って私は読みました。

前の2論文「宗教・宗教改革・社会変動」「啓蒙主義の宗教的起源」で著者が強調していたのは、(中井さんと異なり)ピューリタニズム・カルヴィニズムは近代経済人という新しい企業人のエートスを作ったわけではないし、また啓蒙主義をもたらしたわけではないということです。この事実は歴史学者にとっては当たり前すぎるテーゼかもしれませんが、私にとっては自分の不勉強を思い知らされた指摘でした。

3つ目の論文「16・7世紀におけるヨーロッパの魔女熱狂」も、前2論文と同様に、ピューリタニズムへの批判的指摘を行っています。つまり、3つの論文を読むと、この本の主な主張は、啓蒙主義という点でも資本主義的エートスという点でも近代の形成に大きく与ったと考えられていたピューリタニズムが、じつはカソリックと同様の硬直的な教条主義・権威主義に染まっており、そこから新しい動的な社会運動は発生したわけではないこと、むしろ民衆に対する圧殺的な行動を取り続けたことを指摘することにあったようです。

この「魔女熱狂」論文では、16・7世紀に「魔女」とされた中欧山岳地帯の異教徒が裁判にかけられ火あぶりの刑などで大量に処刑された事件(「魔女狩り」)に関して、その処刑運動にはカソリックのみならずプロテスタントも同じぐらいの情熱を傾けて参加していた事実が指摘されていきます。

上で述べた中井久夫さんの論文『西欧精神医学背景史』では、「魔女」の処刑運動は、キリスト教にとって母性信仰を現す山岳地帯の土着宗教は、彼らにとって親殺しの意味をもっていたことが指摘されています。

トレバー・ローパーの論文では、この魔女裁判にカソリックとプロテスタント共に積極的に関わっていた事実が指摘されると同時に、同時代の「魔女裁判」への批判も紹介されます。

しかしこの批判が紹介される目的は、当時にも理性的な判断力を具えた賢人がいたことを示すのではなく、むしろそれらの「魔女裁判」批判者ですら魔女信仰を共有していたことを示すことです。つまり、当時の欧州の思想世界では、どれほど合理的・進歩的な思想の持ち主であろうと、「魔女」というものが存在すること自体を疑う人は存在しなかったそうです。

しかし同時に、「魔女」というものの存在自体は疑いえなくとも、裁判における無理なこじつけによる証拠提出で多くの無実の民が処刑されていくことには多くの知識人が批判的でした。

ですからトレバー・ローパーが着目しているのは、魔女裁判の知的後進性と批判者の進歩性・合理性ではなく、魔女裁判への批判者ですら魔女信仰者と共有していた世界観がいかに強固なものであったかということです。それは、「魔女」を摘発した教会側だけではなく、「魔女」と疑われた者ですら、自分と魔女とのかかわり、サバトへの自身の参加を信じ込んでしまった事例の存在にも窺えます。

この強固な世界観の存在のゆえに、魔女狩りへの批判は、裁判手続きの非合理性に向けられても、魔女信仰自体に向けられることはありませんでした。むしろ魔女狩り批判者は、「魔女」という神秘の存在は、そのような俗世間的な手続きによって安易に把握できるものではないと主張していました。

このような強固な世界観の存在に思いを至らすとき、魔女狩り・魔女信仰を「非合理的」なものと決めつける後世の歴史家の態度を著者は批判します。たとえそれが非合理なものに見えても、その非合理なものがどれほど強固な信念としてエリート知識人にも疑われずに共有されていたかを理解しなければ、魔女信仰を支えた世界観を掘り崩した近代的世界観の構築の努力の意味もまた理解することはできないと著者は主張したいのだと思います。

著者は、当時の世界観が誰にとってもどれほど強固であったかを指摘し、その強固さの中では、「魔女は存在するかどうかという魔女信仰だけを問題としていたのでは、社会の常識を覆す発想を生むことはできなかったことを指摘します。

「16・7世紀の人たちの困難さは魔女信仰を全体のコンテクストから切り離しえないということにあった。ドミニコ会の人たちの神話は、農民の迷信、女のヒステリー、聖職者の妄想をかりた宇宙論体系の延長であった。それはまた持続的な社会的態度に根ざすものであった。このグロテスクな精神の建造物を取り壊すには、それを構成している諸観念を切り離して検討するだけでは充分ではなかったし、またふかのうでもあった。それらは切り離しえないものであるし、また、それら全体をおおうコンテクストから切り離された独立の《理性》などというものはありないものなのだ」(229頁)。

このように述べた後で著者は、当時の理性的な人にとって課された使命は、たんに魔女が存在するかいなかを判定する理性ではなく、魔女信仰を可能ならしめた強固な世界観、「農民の迷信、女のヒステリー、聖職者の妄想をかりた宇宙論体系」そのものに挑戦する世界観の構築であることを指摘します。

「魔女に関する彼らの見解を変えようというのであれば、その見解のコンテクスト全体をかえるのでなければならなぬ」(230頁)。

「知的レベルで最後的に魔女熱狂を打ち破ったのは懐疑主義者のもろ刃の議論ではなかったし、新しい思想体系のなかでのみ成立しえた近代《合理主義》でもなかった。・・・それ(魔女熱狂を打ち破った試み)は新しい哲学であり、自然とその作用につき概念全体を変えた哲学革命である。この革命は狭い悪魔学の分野のなかで起こったものではなく、したがってこの分野に限定した研究では十分に扱うことはできない。この革命はそれよりはるかに広い分野で起こったのであり、革命を実行した人たちは悪魔学という全くの自然の辺境から攻撃を始めることをしなかった。悪魔学はしょせん中世思想の付録、スコラ哲学のおくればせの精製にすぎないものであった。攻撃は本丸に向けられた。中心部で勝利を収めたとき、外塁で戦う必要はなく、外塁は戦わずしておちてしまった」(233頁)。


それゆえ、現代から見て当時の一級の知識人たちが魔女信仰に対して声を荒げて批判するのではなく、より慎重な態度を取っていたのだと著者は説明します。

「17世紀初期の偉大な思想家、自然科学、自然法、世俗史の哲学者たちがまったく沈黙していた理由はここにあったように思われる。・・・ベーコン、グロチウス、セルデンは魔女について沈黙していたろうし、デカルトも同様であった。二次的で末梢的な争点をめぐりなにゆえ法廷闘争をする必要があろうか。中心的な争点について彼らは沈黙していないし、彼らの基本哲学こそ彼らが戦っていた闘争、魔女の世界を最終的に衰退させてしまう闘争であることを見究めねばならないのである」(233頁)。

著者によれば、この強固な悪魔信仰の世界観は、モンテーニュなどに代表される当時の懐疑主義などではびくともしないものだったと述べます。懐疑主義は相手の思想のみならず自らの知的基盤をも疑うものだったため、狂信的な思想には対抗する力を持ちえませんでした。求められているのは、単なる知的な議論ではありませんでした。それは現実の狂信に対抗する力をもたないからです。

著者は、悪魔信仰を成立せしめた世界を駆逐する新しい世界観の成立までの経過を次のように述べます。

まずルネサンスのネオ・プラトニズム、<自然魔術>。これは「宇宙を(魔女信仰と同様に 引用者)《悪霊》でみたしたのではあるが、同時に、悪霊を調和ある自然に従属させ、これによって調和ある自然の仕組みに仕えさせ、自然の法則を作用せしめ」ました(234頁)。

このプラトニズムが起こした知的運動はベーコン、デカルトなどの哲学者によって継承されたと著者は言います。「ベーコンは悪霊を必要としない《純化された魔術》によって、デカルトも悪霊を必要としない普遍的な《機械的》自然法則によって進んだ。トマジウスと彼の友人たちが認めるように、西ヨーロッパの魔女熱狂にとどめの一撃を加えたのはデカルトであった」(234頁)。

このデカルトがもたらした知的運動により魔女信仰への戦いは勝利を収めたということです。それは「英国の理神論者とドイツの敬虔主義者」がもたらしたそうです。「この二つのものは17世紀プロテスタントの異端者の継承者であり、ヘブライの神と中世の悪魔との間に戦われた自然をめぐる抗争にかえ、近代の科学《神》の恩恵的専制政治をつくり出す18世紀啓蒙主義の生みの親であった」(235頁)。


魔女狩りが発生した背景には、やはり当時の経済不安とペストの流行が人々の不安を煽った事実が大きいのでしょうが、それらの不安を大量の処刑運動へと向かわしめた推進力は、当時の強固な世界観にあったこと、またこれらの世界観はカソリック・プロテスタントを問わず密接にキリスト教と結びついており、その世界観を打ち壊す知的運動は決してプロテスタンティズムによってもたらされたのではないこと、このことが再三著者によって主張されています。

このようにこの本では一貫してプロテスタンティズム・宗教改革の知的後進性・民衆への圧殺的作用が強調され、それはいか程もカソリシズムと異なることがなかったと著者は述べます。

それ自体は重要な指摘だと思うのですが、それではなぜ「宗教改革」という運動が起こったのかという問題がここで持ち上がります。旧来の教会への闘争という説明がプロテスタンティズムに適用し得ないのであれば、それがいかに知的には粗野な運動だったとしても、なぜヨーロッパ全体を巻き込んだ宗教闘争が起こったのかが問われます。

それとも、プロテスタンティズム自体には、著者が何度も指摘していたエラスムスの先進的な思想によって生まれたのだけれども、それがルター、カルヴァンを経由してあっという間にカソリックと変わることのない狂信的な集団に変わったということなのでしょうか?




わが家の「あたしんち」

2006年07月02日 | 日記


父が「ドイツの皇帝は離婚して若い女と子供を作って結婚するのを何度も繰り返してるそうや」と言っていました。彼は元サッカー選手だよ。

涼風

そう言えばドイツのスポーツニュースでは、画面の下にインタビューに答えている人の肩書きが「ミッドフィルダー ボルシア・ドルトムント」とか「監督 F.C.ケルン」とか「マネージャー バイエルン・ミュンヘン」とか出るのに、ベッケンバウアーのときは“Kaiser”(皇帝)という文字が出ます。

足つぼ体験

2006年07月02日 | 日記


神戸市垂水区の公園をいくつか歩いていて最近気づいたことの一つは、足のツボを刺激するように石を配置した「健康遊歩道」がいくつかあることです。遊歩道と言っても全然長くなく、一周1、2分で回れるものもあります。

この遊歩道を説明した看板も常設されていて、石を踏むことで痛いと感じる部分と体の他の箇所との関連が説明されています。

慣れないうちは、歩いていてすごく痛い遊歩道もあります(靴を脱ぐよう指示されている)。それが体のどの箇所と関連するのか調べていないけど、歩き終わるとじわっと体全体が火照るように熱くなるのが疲れると同時に面白い。

これがリフレクソソロジーというヤツなのかな。よくテレビとかで足のツボをお医者さん(?)が押してレポーターが異常に痛がっている映像があるけど、たしかに足裏ってきつく押されると結構痛いかもしれない。でも痛いだけじゃなく、たしかに体の他の箇所とつながっているような気もします。

いいなぁ、足つぼ、リフレクソロジー。


涼風